早稲田秋田創刊号 早稲田秋田第2号 早稲田秋田第3号
早稲田秋田第4号 早稲田秋田第5号



秋田稲門会機関誌 創刊号  平成12年1月20日
  発行人 秋田稲門会幹事長
        佐々木三知夫
 事務局 秋田市山王6-16-19
        三愛土地建物  (大島 昌良)
     TEL/FAX018-866-5106
     郵便振替 02260-1-73065



  早稲田魂

秋田稲門会会長 長門伸一

 西暦2000年の幕が下りた。ただ単にキリのいい新しい年となっただけだとは思わない。
 この年8月19、20日に秋田市にて、秋田稲門会は早稲田フェスタin秋田を大学と共催する。母校の持つ人的、文化的資源を地域に奉仕して交流をすすめ、地域貢献が目的。子供達の一日博士体験、母校野球部、ラグビー部による少年教室、地域づくりシンポ他を計画している。早稲田大学出身者としての矜持を持ち、早稲田魂を発揮するチャンスでもあります。
 早慶戦。神宮球場の一塁側応援スタンドに福ちゃんの看板が掲げられている。三塁側のスタンドにはミッキーマウスだった。今はない。著作権問題があって、使えなくなった。 早稲田は違う、著者の横山隆一先生は、著作権?どうぞどうぞとの事。
 秋田稲門会に、早稲田フェスタ用にと、表題にある福ちゃんマークの使用をお許し頂いた。これは母校教育学部前にある、稲穂食堂のご主人、長谷川弘さんのお骨折りのお陰です。 このマークをデザインしたTシャツを作り、早稲田フェスタの資金づくりとしたいと考えている。
また、今年は秋田稲門会設立90周年?の記念誌を発行したい。
 さらに、諸先輩の話を聞く、早稲田セミナーを毎月第3木曜日の昼に開催したいと思っております。
人生劇場の原作者、尾崎士郎先生は言っている。「人間の存在を決定するものは、人間そのものではなく、人間関係である」
 秋田稲門会は、先人に学び、著作権がどうとかの金ではなく、単なる同窓会ではなく、地域貢献を目指す、人生劇場路線の稲門会で行きたい。、
 そして、早稲田人同士の良き人間関係を構築していきたいと思います、
人生劇場 尾崎士郎原作
4 はした役者の俺ではあるが
早稲田に学んで波風うけて
  ゆくが男のこの花道を
  人生劇場 いざ序幕
 新年にあたって、早稲田諸兄のご指導、ご協力をお願いする次第です。

秋田稲門会役員名簿
(平成11年10月)
会 長 長門伸一  (S30年文)
副会長 伊藤民雄 (S39年商)
   〃 佐渡谷栄悦(S40年政経)
   〃 岩谷政良  (S47年商)
理事   菅 省治 (S29年理工)
  〃   石川教平 (S33年教育)
  〃   岸辺良二 (S37年教育)
  〃  大石礼之輔 (S41年商)
  〃   稲本俊輝 (S42年文)
幹事長  佐々木三知夫(S43年商)
 理事  小西泰二郎 (S43年商)
  〃   佐藤健三 (S44年文)
  〃   渡辺彦兵衛(S45年教育)
  〃   橋本誠 (S50年文)
副幹事長 吉田典雄 (S51年教育)
  理事  清水昭男 (S52年教育)
  〃   大山 雄 (S53年法)
  〃   畑沢和夫 (S53年政経)
副幹事長 有田正司 (S53年文)
  理事  坂本賢二 (S53年教育)
副幹事長 大島昌良 (S55年理工)
  理事   冨岡正毅 (S55年教育)
副幹事長 木村雅彦 (S55年政経)
  理事  塚本高  (S56年政経) 
  〃   小西政男 (S59年商)
  〃    伊藤新 (S60年商)
  〃    石塚淳子 (S61年教育)
  〃    竹萬重幸 (H1年文)
  〃    工藤雅文 (H2年社会)
  〃    赤坂薫  (H5年法)
副幹事長 中泉俊幸 (H5年教育)
  理事   沢田浩次郎(H10年政経)
  監事   澤田石昌  (S51年商)
   〃   米本昌也  (S57年商)
 顧問 船山忠重 (S17年専商)
   〃 沢石謙  (S18年政経)
   〃 三浦礼三 (S19年政経)
    〃 山田靖男 (S37年政経)
   〃 石川錬治郎 (S38年文)
   〃 寺田典城 (S40年法)
   〃 北林孝司 (S41年法)
──────────────── 
秋田稲門会会則
(名称)
第一条 本会の名称は秋田稲門会と 称し、事務所を秋田市に置く。
(区域)
第2条 本会の地域は秋田市とその 周辺に在住する校友をもって組織 する。
(目的)
第3条 本会は会員相互の親睦を密 にし、建学の精神を具現し、母校 発展に寄与することを目的とする。
(事業)
第4条 本会は前条の目的を達成す るため次の事業を行う。
(1)総会
(2)会員の親睦を図るための諸会合  の開催
(3)その他役員が必要と認めた事業
(総会)
第5条 本会は毎年1回定時総会を 開催し、臨時総会及び役員会は必 要の都度会長が召集する。
(役員会)
第6条 役員会は会長、副会長、幹 事長、理事で構成するものとする。
(役員)
第7条 本会は会員の中から役員若 干名を総会において選出する。役 員の互選により次の役員を選任す る。
(1)会長  1名
(2)副会長 若干名
(3)幹事長 1名
(4)理事  若干名
(5)監事  2名
(役員の職務)
第8条 会長は本会を代表し、会務 を総理する。
2 副会長は会長を補佐し、会長事 故ある時はその代理をする。
3 理事は会長の諮問に応ずる。
4 幹事長は会長の命をうけ会務を 執行し、幹事は会務を分掌す る。
5 監事は会計を監査する。
(役員の任期)
第9条 本会の役員の任期は2年と し再任を妨げない。
(顧問)
第10条 本会に顧問をおき会長が これを委嘱する。
(会計)
第11条 本会の会計年度は、毎年 4月1日に始まり翌年3月31日 に終わる。
(経費)
第12条 本会の経常経費は会員の 年会費と寄付金によるものとし、
 会費の割り当額は毎年役員会にお いて定める。
(その他)
第13条 本会則は定時総会におい て出席者の3分の2以上の同意を 得なければ、これを変更すること ができない。
  付則
  この会則は平成10年4月1日 から施行する。
早稲田フェスタ in 秋田開催 (案)
  8月19日(土)、20日(日)
会場 秋田市・仁賀保町 横手市・大館市 早稲田フェスタは、平成9年に富山県にて第1回が始まり、翌10年には佐賀県、11年には静岡県浜松市を中心とする遠州にて開催された。
 秋田は記念すべき2000年に全国で4回目の開催となる。
 開催趣旨 早稲田大学の学術、芸術、スポーツを秋田県民に紹介し、交流を図ることによって地域に貢献する。
8月19日(土)午前10時〜16時
「早稲田夏休み子ども一日博士体験」
講師 早稲田大学技術スタッフ
 会場 県児童会館
鼎談「美しいまちを創る」午後3時
 奥島孝康総長、安井潤一郎(早稲田商店会会長)吉永小百合(交渉中)
「早稲田大学校友会秋田県支部・秋 田稲門会総会・懇親会」
会場 アキタニューグランドホテル
8月20日(日)午前10時〜16時
「早稲田夏休み子ども一日博士体験」
講師 早稲田大学技術スタッフ
 会場 県児童会館、フェライト館
「早稲田野球教室」午前9時〜11時 30分 野村徹監督と野球部員、オブザーバー・谷沢健一(野球評論家)
「早稲田ラグビー教室」午前9時〜 11時30分 日比野監督ラグビー部 部員、OB。
「瀬古さんと走ろう」瀬古俊彦・競走部 秋田箱根駅伝の会協賛
「早稲田大学進学ガイダンス」
早大入試課職員、地元出身現役学生
※ 実行委員会(案)
 会長 石川錬治郎(秋田県支部長)
 副会長 長門伸一(秋田稲門会)
〃 鈴木又五郎(湯沢稲門会)
〃 逸見耕作(大曲稲門会)
 実行委員 佐野元彦、大島昌良、小西泰二郎、中川衛、飯塚明、松村謙裕、大友直、吉田典雄、工藤雅文、佐藤健三、有田正司、坂本賢二、澤田石晶、福島伸行、中泉俊幸、石塚淳子、木村雅彦、竹ノ内和久、赤坂薫、沢田浩次郎、佐々木三知夫他
 秋田稲門会の創立は何時か?
    ー早稲田人 中川重春翁からー
                            秋田稲門会幹事長 佐々木三知夫

 1882年(明治15年)、東京北西の水田地帯、早稲田に大隈候が東京専門学校を創設。1902年に現在の早稲田大学となった。
 それから32年後、1914年(大正3年)第二次大隈重信内閣が誕生し、秋田県知事に早大出身の坂本三郎が就任している。
男鹿が生んだ英傑「中川重春伝」(渡部誠一郎著)を読んでいたら、「早稲田大学同窓会秋田支部」の名前を見つけた。
 対岸貿易の夢に燃えていた中川重春は当時、23歳。事業欲溢れる中川青年は、火力発電を選び、船川電気の設立を思い立った。ところがなかなか思うようにいかず、窮状を大隈総理に訴え、頂上作戦で問題解決を図ろうとした。
 早稲田に学んだ重春は、天下も大隈、秋田も坂本知事となり、我が世の春の思いだった。早速、坂本知事の了解を得て、早大出身の井上広居代議士(後秋田市長)に相談した。 そこで、大隈首相に面会を求める口実として、重春を「早稲田大学同窓会秋田支部」の代表に仕立てて、カバ張りのステッキを贈呈するという方法をとることにした。
 これによると、秋田稲門会は大正3年、86年前に設立されていたということになる。
 ともかく、早大出身の重春青年は先輩諸氏から金を出してもらい、ステッキを作ってもらった。ところが無一文の重春は東京までの旅費がない。そこへ新婚間もない妻光代さんが、嫁入りの際に持参した晴れ着を全部タンスから出し、「これを売って旅費を工面してほしい」
 山内一豊の妻ならぬ女房の援助のお陰で、重春は京都の八木別荘で大隈総理と面会できた。重春が恭しくステッキを贈呈した。すると大隈さんは、ステッキをクルクル回しながら「井上広居君は元気かね」と東北旅行の追憶談に及び、尽きることなき雄弁に(とうとう船川電気の件を)陳情する糸口がないまま、引き下がざるを得なかった、とある。                 

       
 夢とロマンの早稲田人、中川重春は、昭和38年73歳で逝かれた。

中川重春の葬儀には、早大名誉教授、横手市出身の平田富太郎先生からメッセージが届いている。
「先生は男鹿が生んだ一代の英傑。とりわけ船川築港、対岸貿易の開拓振興は圧巻であり、秋田の歴史に不滅の足跡をとどめられた。その行動と実践の礎となっているのは大隈重信の三訓、すなわち理想なきものは滅ぶ、進まざれば退く、あたわざるにあらず、勇なきなりーである。早大の一後輩として先生を深く追慕する」
 






 大隈さんの三訓を体現された早大出身松村謙三先生。私は大学4年の正月、大先輩の自宅を訪ね、日記帳の表紙に書いて頂いた。「大風吹き起こって雲飛揚す 同学 松村謙三」とあった。松村先生著「町田忠治翁伝」の中に大隈さんの秋田観が伺える。富山出身の松村先生に戦後、秋田の支持者は、秋田から衆議院出馬を勧めている。





       
 大隈さんは元秋田藩士で、民政党総裁、農林大臣、商工大臣を歴任した町田忠治を支援していた)
 町田翁が初めて選挙に起った時、その門出の餞として、大隈邸に東京在住の秋田県人を招き、次のような演説をした。
 これには大隈さんの秋田観が伺うことができる。
 「町田君は秋田藩士である。元来、秋田という所は戊辰の際東北に孤立し、賊軍の間に立って正義を唱えた所で、九州諸藩の軍隊は朝命を奉じて之に赴き、我が輩の友人等も大いに此地に戦って血を流し、中には戦死したものもあった。
 為に観念の上に秋田という印象は、はなはだ深く且つ強く刻まれておった。我輩は二度ほど秋田に旅行し、秋田には割合に知人も多く、故秋田侯を始め色々な方面に知己はある。秋田の青年が訪ねらるると、直に知己の感をなして、一種の愛情が生じて来るのは妙だ」

 地域づくりは誰でもできる。先人に学び、地域を深く愛すればいい。 大隈さんに愛された秋田の稲門会の活性化も先人に学び、母校を深く愛すればいい。
稲門あきた編集後記
 旨酒の肴になれたら幸い。記録性があって、面白くて役に立つ、を編集方針としたい。
 ・早稲田中退の俳人、山頭火の句には人生劇場を感じる。
   ふりかえらない道をいそぐ
   しぐるる土をふみしめていく
 ・今秋、仙台・山形・秋田稲門会野球大会を秋田市で開催。
  下手でも野球好きの選手を募集中です

  秋田稲門会機関誌 第2号 平成12年10月20日
  発行人
   秋田稲門会幹事長 佐々木三知夫
  事務局 秋田市山王6-16-19 
    三愛土地建物梶@(大島 昌良)
TEL/FAX018-866-5106 郵便振替 02260-1-73065


  フクチャンのTシャツが走る   ー「早稲田フェスタinあきた」を終えてー
  
   佐々木 三知夫 
       (秋田稲門会幹事長)
   (早稲田フェスタinあきた実行委員会事務局長)

「フレー フレー ワセダー」
「フレー フレー イトオー」

 秋田駅前の人情酒場「久保田」。8月20日の午後5時30分。外は暑くまだ明るい。早稲田フェスタinあきた実行委員会の打ち上げが始まる。座敷には「夏休み一日博士体験」の理工学部技術スタッフの方々も加わり、30人の実行委員が集まった。 野球教室、ラグビー教室、博士体験、鼎談、進学ガイダンスのそれぞれの委員会から報告がある。「ラグビー教室は200人参加でした」等々、そのたびに大きな拍手。やがて、大学広報課の大石勇人君の尺八の伴奏で「早稲田の栄光」を歌う。もっともこの歌を知ってる委員は少ない。そして皆立ち上がり、応援歌「紺碧の空」を高らかに歌い上げ、最後に校歌都の西北で閉めくった。早稲田フェスタ用のフクチャンTシャツを着た面々は美酒に酔いしれている。 そして鼎談委員会の小西政男君が「フレーフレー」とエールを送った。
 「イトオー」とは大学総長室の伊藤功氏のことである。

 平成10年の夏。秋田県金浦町の白瀬南極探検隊記念館。ここは日本で初めて南極探検の快挙をなした白瀬中尉と探検隊員の記念館である。館内に入ってすぐ、大隈重信老侯の写真が掲げられている。大隈さんは白瀬中尉の南極探検隊の後援会長であった。

 ここで私は奥島孝康総長一行を待っていた。山形での支部総会に出席された伊藤功秘書課長も一緒に到着。秋田県太田町出身の彼は私の車の助手席に乗り、黒松林が続く日本海の国道7号線を秋田市に向かって北上した。車中、「先輩、秋田で早稲田フェスタをやりませんか」という。「早稲田フェスタ?」「早稲田を地方に移したお祭りです。今まで富山と佐賀でやってます。子ども達のための野球教室やサッカー教室などです。秋田で佐々木さんのやっている地域づくりのシンポジウムなんかやったらどうですか」先輩などといわれると、体育会系としては「おおーそれは面白そうだな」と答えてしまう。
 2年後の夏。早稲田フェスタinあきたに、伊藤功氏は残念ながら病気がちになって来れず、「フレーフレー伊藤」と叫び、ふるさと秋田から皆で彼の健闘を祈ったのである。

 大隈5訓 一 何事も楽観的にみよ 一 怒るな 一 奢るな 一 愚痴をこぼすな 一 世の中のために働け

 早稲田フェスタinあきたの開催目的は、早稲田の仲間として実行委員の共通認識として、母校と地域への貢献と考えた。大隈五訓にある世の中のために働こうという訳である。それを形に示すのに何か欲しかった。フクチャンのTシャツを考えた。学生時代レスリング部に所属していたが、胸にフクチャンの絵があるTシャツを着ていた。早稲田フェスタ用のTシャツを作り、これを資金とし、皆の共通意識を高めようと考えた。
 平成11年10月末。早稲田の稲穂食堂。秋田で一緒に飲んだ母校名誉教授の上田雅夫先生と待ち合わせ。 稲穂のご主人長谷川弘さんから横山隆一先生を紹介してもらう約束だった。早稲田フェスタ用のフクチャンのTシャツを作りたく、著者の横山隆一先生の了解を得たいと考えていた。長谷川さんはすぐに、鎌倉の横山先生に電話してくれた。「いいそうです」といわれ、鯉のぼりをもって走る姿のフクチャンの絵をお借りした。著作権は無料だといわれる。それは恐縮で「横山先生に秋田銘酒一升を一生お送りします」と長谷川さんにお約束した。

 事を為すにはまずは知ること。後は仲間の組織化と意思統一。そして情報と資金を一本化する事務局体制を作ることが大切である。 
 平成11年9月。早稲田フェスタin遠州の実行委員長、青野秀樹氏に電話をした。応援団出身の彼は後に、フェスタの資料をどっさり送ってきてくれた。大感謝であった。

 早稲田フェスタinあきた実行委員会を正式に旗揚げしたのは今年の6月。それまでは、実行委員会設立準備会を何度も開いて、校友の参画を待って門を開けておいた。後に手伝いたいとの申し出が多くありこれは嬉しかった。10月に有志でのフェスタ実行委員会設立準備会、3回目の準備会では実行委員会の中に委員会を設け、鼎談、野球、サッカー、ラグビー、一日博士体験、進学ガイダンスの事業委員会の他に総務、財務、広報、企画プログラム、司会、受付、会計の13の委員会を設けることとした。遠州では新聞社にも実行委員会の事務局を設けていたが、秋田市で三愛土地建物鰍経営する大島昌良君に事務局次長をお願いした。秋田稲門会野球部マネージャーでもある彼には、大変だろうが、三愛とは家族、ふるさと、早稲田だろうとして頼み込んだ。
 今年の1月26日。秋田市・あきたくらぶ。ここで早稲田大学校友会秋田県支部の役員会と秋田稲門会新年会が開かれ、早稲田フェスタinあきた開催が正式に了承された。県内全域で開催することにし、それぞれにOBがいるサッカーは横手市(福田誠氏)、野球は大館市(斎藤誠治氏)、ラグビーは国体開催地となる男鹿市(佐藤一誠市長)とし、一日博士体験はTDK創立者でOBの斎藤憲三先生の出身地仁賀保町で開催することとした。秋田市では鼎談と一日博士体験、進学ガイダンスを開催する。
 大会会長に石川錬治郎支部長、副支部長の9人にそれぞれ大会副会長をお願いし、実行委員長には支部幹事長の佐野元彦君、副実行委員長には支部副幹事長の吉田典雄、松村穣裕の両君とした。私は司令塔役として事務局長となる。実行委員には主に秋田稲門会の若手役員、秋田稲門会野球部のメンバー、仙台稲門会野球同好会の中野三樹君も入ってくれた。
 さて、実行委員会としての組織化ができた。そして資金と意思統一をつくるTシャツができてきたのが、1月始め。財務委員長の小西泰次郎氏が奔走してくれて、胸にWマーク、背中にフクチャンの絵が入り、その上にWASEDA FESTA in AKITA 下に2000 8.19〜20と書かれている。

 資金は重要ではないが、必要性である。入りをはかるのはTシャツへの協賛金と後はプログラムへの広告代しかない。地元紙秋田魁新報に一面広告を掲載することにし、それはOBからの広告で掲載費となる。一ヶ月前に3段の広告、8日前に全面広告を掲載してもらった。早稲田のアイデンティティを示すには効果があったと思われるが、これによって全県から野球教室等の申込者が定員を超えることはなかった。事前にスポーツ少年団や関係者に参加依頼をしておく必要があった。
 6月2日(金)午後6時30分〜。秋田市の繁華街川反にある秋田ふるさと塾事務所。ここに実行委員24人が集まり、正式に実行委員会を発足させた。最後に皆で「紺碧の空」を歌い、大成功をさせて旨い酒を飲もうと誓いあった。その後、実行委員会を毎週のように開き、8月18日(金)午後、一日博士体験の理工学部の技術スタッフが仁賀保町に到着。翌19日(土)午前、鼎談講師の奥島孝康総長、安井潤一郎、見城美枝子講師、野球の谷沢健一氏が、ラグビーの佐藤秀幸氏、今西俊貴氏は前日に秋田市の着かれている。サッカーの原博実講師は20日当日、横手市に向かわれる。開会式は秋田ビューホテルの会場。19日午後3時。石川錬治郎大会会長、奥島孝康総長の挨拶。引き続き鼎談「美しいまちを創る」では進行役に秋田経済法科大学の経済学部長で稲本俊輝教授にお願いする。いよいよ始まったのである。
 再び打ち上げ会場の酒場「久保田」。20日の午後5時までがんばった進学ガイダンス委員会。長男が理工学部学生の菅原実委員長が報告。「相談者は二桁でした」(大拍手)。総務委員の日赤病院医師の橋本誠君(文学部中退)も見城美枝子さんのサイン入りのTシャツ姿で笑顔。そこへ横手のサッカー委員会の福田誠委員長から携帯に電話があった。「お陰様で大成功でした。こちらでも旨い酒を飲んでます」
 後日、その福田氏からメールが入った。
「なんとか無事に終了しました。サッカー教室は生徒130名の参加のもと、大成功裡に終了しました。子ども達も大喜びでした。いろいろと準備が大変でしたが、その苦労が報われるだけの子ども達の笑顔・笑顔・笑顔・・・。実施したかいがありました」

 この夏、早稲田フェスタは秋田の早稲田人の結束力を高めてくれた。いかほどに世の中のために働けたかは定かでないが、母校と多くの校友の方々のお陰様でした。
「ありがとうございました」。心のふるさとと、このふるさとにエールを送りたい。
(フレーフレーわせだ)
(フレーフレーあきた)       (昭和43年第一商学部卒)
秋田稲門会機関誌 第3号
平成13年12月1日
編集人 秋田稲門会幹事長 佐々木三知夫
事務局 秋田市山王6-16-19 三愛土地建物梶@大島昌良
TEL/FAX018-866-5106 郵便振替 02260-1-73065

  喬木は愈愈高く
  
    長門 伸一 (早稲田大学校友会秋田支部長)
       秋田稲門会会長

 この9月に私は、早稲田大学校友会秋田支部の総会において石川錬治郎前支部長の後を受けて、支部長に選任されました。その任にあらずとは考えましたが、若い世代にバトンタッチする一時期と、お引き受けした次第であります。
 秋田稲門会は今年、結成90年になろうかと思います。先人を尊び、今年度末には、90周年記念誌を発行し、記念祝賀会を開催したく存じます。校友各位のご協力をお願いする次第であります。

 昨年の8月、早稲田フェスタin あきたを秋田市他県内各地で開催しました。秋田県に早稲田有りとの存在を大いに高めたと自負しております。
 フェスタの目的は秋田県民へ母校の持つ人的、文化的財産を提供することによる、地域貢献であるとしました。
 大隈5訓にこうあります。
ー何事も楽観的に見よ
ー怒るな
ー奢るな(あるいは貪るな)
ー愚痴をこぼすな
ー世の中のために働け

 この大隈5訓を胸に、秋田の早稲田人は大いに地域貢献すべしと考えます。
 我世代の学生達が好んで唱った大隈精神の詩にもこうあります。

 喬木は風雪に耐えて愈愈高く
 樹根は大地に張って愈愈深し
 天下に憂いをいたし 想いかえし 考えるんである。
 高く翔ばんとすれば 深く学ばる べからず (大隈重信)

 どうもこの言葉は、商学部の小田泰一先生が作られた言葉らしい。
 故小田先生は人文地理の先生でアメリカの南カルフォルニア大学に留学された。先生の授業は大隈精神を体現されるがごとくで、胸が熱くなった。他学部の学生達も潜り込んで聞いていた。早慶戦前の授業では最後に学生にいわれる。「諸君、明日は神宮で会いましょう」
 先生は戦後に荒廃した東北の山々を憂い、岩手県田野畑村の山野に学生達と「思惟の森の会」を結成し樹木を植えた。上記の喬木の歌は小田先生が学生達と岩手の山々に木を植えながら考えた歌であろう。
 私共、秋田稲門会が中心となって20年ほど前に杉の木を太平山に「早稲田の森」として植えた。この喬木は秋田市と分収契約を結び、60年後に木を伐採する場合、母校に6割、秋田市に4割を寄付する名目で契約を結んだものである。
 秋田・早稲田の森に育つ喬木は、20数年たって愈愈高くなっている。
 秋田稲門会野球部←→仙台稲門会 野球同好会13年目
                   秋田稲門会野球部主務  大島昌良

 恒例となっている秋田稲門会野球部対仙台稲門会野球同好会の交流試合は今年で13年目を迎えました。
 一昨年から山形稲門会も参加、3県で行い、昨年は秋田の矢島町で交流試合が行われました。
 前回から奥島総長杯が授与され、若い山形チームが優勝し、第一回奥島杯を山形路へ持ち帰りました。
 今年9月29日、仙台市の広瀬川沿いの由緒ある球場で13回目の交流試合が行われました。
(2001・9月29日・奥島杯)
 山形チームは今回、人員不足とのことで欠場。奥島杯が返還され、秋田・仙台チームで争った奥島杯争奪戦は、接戦の末、7対6で仙台チームの勝利。当日、仙台市のホテルでの交流会の席上、奥島杯は仙台チームの五十嵐総監督に授与されました。
 来年は山形県で開催されます。当節、我がチームも部員不足に悩んでおります。来年の奥島杯獲得を目指して、部員を募集しております。
 経験、年齢は問いません、野球好きの早稲人の入部を心からお待ちしております。
 シベリア抑留鎮魂歌
     秋田稲門会 佐々木三知夫

 雨の神宮外苑。戦前の話です。8月15日の終戦記念日になると決まって学徒動員の行進が行われた、雨の神宮外苑の映像がテレビ画面に登場します。その雨しきる神宮外苑で行進された稲門の先輩がおられます。
 早田貫一氏(大正10年生まれ・佐賀県出身、秋田市寺内在)
 早田先輩は学徒動員後、満州に出征、終戦時にシベリアに抑留されました。その当時の困難辛苦の様を絵画に残されております。
 その絵画展をご本人了解を得、ホームページに掲載させて頂きました。
     http://www.donpu.net/21siberia/siberia.htm どうぞご覧下さい。 
 
 編集後記 
 表題のカットのフクチャンは横山隆一先生から著作権無料で秋田稲門会に掲載を許可されたものです。
 高知学生稲門会では以前、フクチャンの著作権40万円だったと聞いておりました。著作権の代わりに一生、一升を送る約束が、今春に秋田銘酒を送ったきりでした。早稲田を愛された横山先生。
 この11月にご逝去されました。生前のご厚情に感謝しご冥福を心からお祈りいたします。(合掌)
※早稲田大学グリークラブ秋田公演決定・14年8月9日(金)
  会場 秋田市文化会館
 
秋田稲門会機関誌 第4号  平成14年11月11日
  編集人 秋田稲門会幹事長  佐々木三知夫  事務局 秋田市山王6-16-19
        三愛土地建物梶@大島昌良
      TEL/FAX018-866-5106    E−mail michio@donpu.net


 世の中の為に働いた
   −早稲田大学グリークラブ秋田公演実行委員会  広報委員長 石塚淳子
      
 8月9日午後6時30分。開演のベルが秋田市文化会館大ホールに響き渡った。待望の早稲田大学グリークラブ秋田公演の幕開けである。
「都の西北」が始まると会場は一気に「早稲グリ色」の染まっていった。
 第一ステージは代々歌い継がれてきた愛唱歌の中から一八番の「斎太郎節」他6曲が披露された。
 第二ステージは羽川正氏の指揮による秋田少年少女合唱団グループとの交流演奏。秋田ゆかりの曲「秋田県民歌」他3曲が演奏された。柔らかな澄んだ少年少女合唱団と、力強く響きのあるグリークラブの歌声が相俟って素晴らしいハーモニーが生み出された。
 第三ステージは、日本人の心ともいえる演歌の曲目を独特のアレンジで披露。「与作」「帰ろかな」ほか5曲、北島三郎フアンも唸るほどの重厚さに感激。
 公演終了後、ロビーを抜けて帰ろうとする聴衆の前に、舞台から走って先回りしていたクラブの面々が入り口階段に整列していた。あえて何もアナウンスなしで送り出したのだが、「紺碧の空」を歌い出すと聴衆の驚きが笑みに変わった。
 最後の「早稲田の栄光」はグリークラブと稲門、一般の方々が肩を組んでの聴衆を巻き込んでの大合唱となった。大成功に終わった満足感がずっしりと感じられるフィナーレだった。母校早稲田を誇りに思う稲門の方々の嬉々とした表情が忘れられない。
 千秋学園の生徒八名を含む当日の聴衆は約8〇〇名。大盛況のうちに本公演は終了することができた。
「生徒が感激していた」と、千秋学園からお礼の電話があった。いろいろの場所で賞賛の言葉と頂いた。果たしてどれだけの聴衆があつまるだろうかという不安はまさに杞憂であった。秋田県民の心を動かしたクリークラブの歌声。この成功も一重に秋田稲門会の方々のご労苦とご尽力によるものであり、厚く御礼申し上げます。
 私共実行委員会は一年前から準備を重ねてきた。この公演は秋田県の芸術文化の向上という地域貢献だと捉え、今年の一月から、秋田市川反の秋田塾にて毎月一回の準備委員会を開いてきた。
 果たしてどれだけの聴衆が集まるだろうと不安に駆られながらパンフレットの綴じ込みをしていた事も今となっては微笑ましい。
 大隈五訓の一つ「世の為に働け」という主旨を見事にこの秋田の地で体現し、感動を勇気を与えてくれたグリークラブの方々に心から感謝したい。
 最後に、佐々木三知夫実行委員長宛にきた、次の2氏の手紙を紹介して、秋田公演の報告と致します。

「先輩方のご尽力のお陰で今回の演奏会が成功できたこと、又素晴らしいレセプションを設けていただいたことを深く感謝申し上げます。
 良き先輩を持てて、早大生であることを誇りに思います」
 早稲田大学グリークラブ部長
           佐藤嘉晃
「久々に早稲田の知的でクリアなグリーントーンに接することができ、家内ともども大いに満足して帰途につきました。まさに磯部淑の『遙かな友に』の夜でした。洗練された演出、考え抜かれた構成、ステージマナーの良さ、どれをとっても大学合唱団のお手本でしょう。秋田稲門会の皆様のご労苦とご決断に心より敬意を表します」
秋田銀行馬口労町支店長/木村智彦氏 (慶応大学ワグネルソサイアティOB)

 新役員決まる
 平成14年7月9日、アキタニューグランドホテルにて平成14年度秋田稲門会総会が開催され、規約に則り次の役員が再選、新任された。

 秋田稲門会役員名簿(平成14年7月)
 会 長 長門伸一  (S30年文)
 副会長 伊藤民雄 (S39年商)
     〃 岩谷政良  (S47年商)
 理事 菅 省治 (S29年理工)
  〃 石川教平 (S33年教育)
  〃 岸部良二 (S37年教育)
 〃  大石礼之輔 (S41年商)
  〃 稲本俊輝 (S42年文)
 幹事長 佐々木三知夫(S43年商)
 理事 小西泰二郎 (S43年商)
  〃 佐藤健三 (S44年文)
  〃 渡辺彦兵衛(S45年教育)
  〃 橋本誠 (S50年文)
 副幹事長 吉田典雄 (S51年教育)
 理事 清水昭男 (S52年教育)
  〃 大山 雄 (S53年法)
  〃 畑沢和夫 (S53年政経)
 副幹事長 有田正司 (S53年文)
 理事 坂本賢二 (S53年教育)
 副幹事長 大島昌良 (S55年理工)
 理事 冨岡正毅 (S55年教育)
 副幹事長 木村雅彦 (S55年政経)
 理事  塚本高  (S56年政経)
   〃 小西政男 (S59年商)
  〃 夏井拓也 (S61年社会)
  〃  石塚淳子 (S61年教育)
  〃 竹萬重幸 (H1年文)
  〃 工藤雅文 (H2年社会)
  〃 赤坂薫  (H5年法)
 副幹事長 中泉俊幸 (H5年教育)
  監事  澤田石昌 (S51年商)
   〃 米本昌也  (S57年商)
 新役員
     菊池繁樹 (51政経)
     木内正紀 (61政経)
     岡竹博昭 (H1政経)
     六澤恵理子 (H7法)
     森川由紀子 (H12法)

編集後記
 秋田市役所裏の讃岐うどんにてグリークラブ秋田公演の実行委員会の反省会を開いた、美酒。
 9月6日。顧問の諸先輩のご高配、実行委員の老壮青のコンビネーションがかみ合った結果と思う。 次は当会創立90周年記念誌発行。若い新役員を迎えている。
 グリークラブ秋田公演のこのコンビネーションで次の計画を進めたいと思う。

 
  秋田稲門会機関誌 第5号   平成15年12月20日
  編集人 秋田稲門会幹事長 佐々木三知夫
事務局 秋田市山王6-16-19  三愛土地建物梶@大島昌良
   TEL/FAX018-866-5106  郵便振替 02260-1-73065

 

   弔 辞

 秋田稲門会会長。長門伸一先輩。稲門会の一人として御霊前にお別れの言葉を申 し上げます。
 この春、先輩が叙勲を受け、祝電を打たせていただきました。受賞祝賀会をやりたい と申し上げ  たところ、みんなに迷惑をかけるから稲門会の総会を兼ねてだったらい いとおっしゃられました。
 総会を兼ねた叙勲祝賀会でお待ちしておりましたが、再入院され、誠に残念でありま した。
 昨年夏、早稲田大学グリークラブ秋田公演が大成功裡に終わり、その一周年の集ま りには出席 されるといわれていたのですが、それも叶わず。 8月末の校友会秋田県支部総会にも欠席されると聞き、病院へお見舞いに参上しました。私の顔を見て、「休養させてもらっているよ」と言われました。あとはうなずかれるだけでした。それがお会いした最後でした。
 長門先輩。八人会というのを30年前につくり、先輩は会長格。八人でしばしば懇談の会を開きましたね。
 ご自宅の茶室に招かれ、愉快な放談会となり、楽しい思い出を共有させて頂きました。
「みっちゃん、稲門会を面白くしてくれ」と秋田稲門会の幹事長を5年前に引き受け、人生劇場路線でいきますと申し上げました。
 来年3月に予定していた秋田稲門会九十周年の祝賀会を楽しみにされておられましたが、それを叶えることができず、実に残念でなりません。
 稲門会の二次会でよく、やれといわれましたね。今も、遺影を眺めていても「みっちゃんやれ」といわれているようです。
 やります。
   早稲田大学第二校歌「人生劇場」  四番
 ああ夢の世や夢の世や、今は三歳(みとせ)のその昔、いとなつかしき父母や、十有余年がその間、朝な夕なに眺めたる、春は花咲き、夏茂り、秋はもみじの錦布(き)ぬ、冬は雪降る故郷の、生まれは正しき郷士にて、ひとり男子(おのこ)と生まれたる、宿世の恋のはかなさか、はたまた運命の悪戯か、うきたつ雲にさそわれて、ひとり旅立つ東京の、学びの庭は早稲田なり。
 長門先輩。大隈五訓の最後に「世の中の為に働け」とあるように、地域に役立つ秋田稲門会にしていきます。
 長きにわたり公私ともども大変お世話になりました。誠にありがとうございました。
 どうぞ安らかにお眠り下さい。
  平成15年9月16日
     秋田稲門会幹事長 佐々木三知夫   (秋田市泉・シティホールにて)
 秋田稲門会野球部対仙台稲門会野球 同好会対抗戦引き分け
   ー東北稲門野球連盟発足ー
 恒例の東北三県稲門会野球対抗試合は9月13日日、雄和町・野球広場に開催。山形チームが欠席で仙台チームと一試合行われた。
 結果は珍しく接戦。2点差でリードされた秋田は最終回同点に持ち込み、からくも9対9の引き分けに終わった。これで秋田チーム対仙台チームの戦績は2勝10敗1引き分けである。
 交流会は山王・館。東北稲門野球連盟が発足し、役員は次のとおりに決まった。今後、青森、岩手、福島稲門会に加入の働きかけをすることとなった。
 会長 石川劭(仙台)
 副会長 佐々木三知夫(秋田)
  〃    千歳毅(山形)
 理事長 五十嵐和男(仙台)
 事務局長 中野三樹(仙台)
 事務局次長 岡竹博昭(秋田)
 理事 加賀谷功(秋田)
 理事 大島昌良(秋田)
 理事 永井毅(山形)
 理事 長谷川浩一郎(山形)
 理事 川越博夫(仙台)
 理事 生田目学文(仙台)
         (秋田稲門会野球部は慢性的な部員不足に悩んでおり、新入部員を常時募集しております)
 小林忠雄、佐藤祐司両先輩叙勲!
 秋田稲門会の両先輩がこの秋、永年のご功績が認められ叙勲を受けられました。
 次のとおり新年会を兼ねてお二人の祝賀会を開催します。是非、ご出席ください。
 日時 平成16年1月22日    午後6時〜
 会場 イヤタカ(秋田市中通)
 会費 6000円
編集後記 
 故長門伸一会長の葬儀に喪主より弔辞を頼まれ、僭越でしたが前記のとおり読ませて頂きました。
 早稲田を愛され、スポーツマンであった長門先輩にふさわしい立派な葬儀でした。(合掌)
 秋田稲門会のHPを作りまし た。徐々に更新していきます。 
 奥島前総長直筆の人生劇場5番も掲載しております。
 アドレスは次のとおり。どうぞご高覧ください。
         http://www.donpu.net/waseda/index.htm
 (佐々木)