お詫びと御礼          平成19年4月25日(水)

  ふるさとに帰って一年、仲間と共に、走って、語って、叫んで、そして負けました。
 7569票でした。(由利本荘市県議会議員選挙定員4名)
  ともあれ、 一人の男として人生後半に県議選に挑戦させて頂きました。
 
 県内外の一緒に戦い、泣いてくれた多くの同志を誇りに思います。
 申し訳ございません。
 誠にありがとうございました

 走った、握った、そして

 郷里、由利本荘市岩谷町。高野製在所跡地に建てられた特設舞台。3月30日。みぞれ降る寒い朝。
 私は寒さをこらえている多くの支援者の姿を見て、原稿どおり話さず、短い挨拶をした。「ふるさとに漂う、今日の空のような暗雲を蹴散らしたい」と。

 出陣式のあいさつ原稿はつぎのとおりであった。
「皆様、お早うございます。
 朝早くから、沢山の方々にお集まり頂きまして誠にありがとうございました。
大内出身の佐々木三知夫でございます。
 ふるさとに親孝行をしたいと、花に水 人にまごころ ふるさとを元氣に というスローガンで今日まで戦ってきました。
 今日まで、私を支えてきてくれた、一緒に戦ってきてくれた仲間に心から感謝申し上げます。
 誠に有り難うございました。
 私は、昨年の10月26日に秋田県議会選挙に出馬表明をしてから、愛するふるさと大内、由利本荘を歩き、走り、多くの方々からご支援、ご教導を得て参りました。
 後援会長になって頂いた伊藤孝紀先生と共に佐々木三知夫を語る会を78回をこなし、私の政策を訴え、多くの市民と語り、話を聞いてきました。
 このままでは暮らしていけない、先行き不安の声が、悲鳴が聞こえてきます。何とかしなければなりません。私どものふるさと由利本荘には、暗雲が立ちこめています。
 皆様と一緒になって、より大きな力を得て、大風を起こし、この暗雲を蹴散らそうではありませんか。
 いよいよ今日から、選挙は本番です。私は選挙は手段、目的は愛する大内、由利本荘をよくすることなんです。困った人、弱い立場の人の政治をなすことです。
 庶民の、庶民による、庶民の為の政治をなすことなんです。そうすれば明るい光が差し込んできます。先行きが明るくなります。
 明るく、誇りをもったふるさと由利本荘を一緒に作る為に、私に力を与えてください。
 これからも一緒に戦ってください。 
 よろしくお願い申し上げます。誠に有り難うございました」
9日間の戦いが始まった。

 私は、畑で手を振るおばあちゃんを見つけて、走った。  
 待ち受けてくれているふるさとの人々の姿をみて十b前で車を降りて走った。
 手を堅く握った。
 そして、負けた。

 投票日の4月8日。午後十時三十分。
 再び特設舞台で短い挨拶。
「すべては私の責任。誠に申し訳ありません。支援して頂いた皆様を誇りに思います。誠に有り難うございました」


 佐々木三知夫後援会機関誌 「日新又日新」 創刊号  平成19年2月18日

 ご挨拶
          佐々木三知夫後援会  会長 伊藤孝紀

 佐々木三知夫後援会の機関誌「日新又日新」の創刊にあたり、ご挨拶申し上げます。
 佐々木三知夫氏は旧大内町新田の出身で、上川大内中学校、本荘高校を卒業後、早稲田大学第一商学部に進学し、レスリング部、中南米研究会に所属し、勉学は主に貿易論や交通問題に励まれました。
 昭和43年、大学卒業後、東京農業大学で農業を学び、四国の愛媛県や神戸で農業体験、ブルドーザー運転手等の体験、国会議員の秘書体験、コンピューターテクニックグループに所属し、日本で初のコンピュータームービーの制作に携わるなど、青春時代に得た良き師、多くの良き友は佐々木氏の大きな人的財産となっております。
 昭和46年1月から秋田県庁に勤務し、北秋田財務事務所を振り出しに、産業労働部商工課、青少年課、秋田保健所、保健衛生課、児童福祉課等14課所で職務を全うされました。
 彼のいいところは、単に仕事上での付き合いにとどまらず、相手の懐に飛び込んでいき、面倒見がとてもいいことです。
 中国で50年間もかくまわれていた秋田県増田町出身の元日本兵の救出劇を演出したり、それは枚挙にいとまがありません。
 又、県庁勤務のかたわら、秋田市川反の飲食ビルに事務所を借り、秋田ふるさと塾を主宰し、秋田ふるさとづくり研究所をつくり、様々な地域づくりの実践活動を展開されてきました。
 大内町の元祖とろろ飯大食い大会」は昨年で23回を迎え、大内町に定着したイベントになっていますが、この仕掛け人が彼です。
 旧河辺町のへそ神社、秋田戊辰の役で戦死した佐賀藩士の慰霊碑建立、松ヶ崎の深沢海岸で遭難死したロシアのニコライ少年の慰霊碑、露国遭難漁民慰霊碑建立も佐々木氏が発案し、仲間と共に汗を流して創り上げてきたものです。 そんな彼を大友康二先生は「地域づくりの達人」と名付けました。
 一市7町が合併して誕生した由利本荘市の一体感をつくりだそうと、社会人硬式野球クラブ「由利本荘ベースボールクラブ」を結成し、野球少年に夢を与えたのも佐々木氏の尽力の賜です。
 そんな彼を、ふるさと由利本荘の大内の仲間はほってはおきませんでした。いわゆる「みっちゃんコール」を起こし、ふるさとにかえって、今で蓄えた人的財産と地域づくりノウハウを生かし、県議選にでてふるさとを元氣にして欲しい、でした。
 それに応え、昨年四月末に帰郷した佐々木氏は旧大内町岩谷に住み、地元にとけ込み、懸命に頑張ってきました。私どもはそんな三知夫氏の心意気に打たれ、後援会を結成致しました。
 これまで佐々木氏は秋田県の基幹産業である農業において無臭大豆の生産体制の確立や付加価値の高い農産加工品の確立を訴え、集落営農の推進、農業経営の確立に情熱を注いできました。
 そして、林業においても秋田美林が泣いていると訴え、間伐、枝打ちを推進させる沿道環境条例化の制定、福祉では老人福祉の充実策を唱えております。
 一方、三知夫氏は海外体験も豊富で、中国、ロシアとの沿岸貿易の一層の推進策を考えております。
 我が秋田県は人口減少が激しく、少子高齢化の問題、雇用問題等、問題が山積しております。
 若者に夢、働く者に喜び、お年寄りに安らぎのある地域づくりができるのはアイデアマンで経験豊富な佐々木氏他には見あたりません。明るく力強い元氣のある秋田県、由利本荘創りに汗を流してくださると確信しています。

 そんな彼を50年ぶりに地元大内から県会に送り出したく、皆様から一層のご支援、ご教導を賜りますよう強くお願い申し上げます。

親孝行、日新又日新
                 佐々木三知夫

 由利本荘市岩谷麓、折渡峠には一千体の地蔵が立ち並んでいる。
 その山頂に立つ九百九十九番目と一千番目の地蔵の下には、沖縄の健児の塔やひめゆりの塔の石、広島、長崎の被爆した遺品が埋め込まれている。戦争で犠牲になられた方々への鎮魂と世界の恒久平和を願うためである。
 昨年、8月15日の終戦記念日。私は千体地蔵護持会の高橋喜一郎会長(80歳)と折渡峠の山頂に登った。12時のサイレンが鳴り、千番目の地蔵様の前で黙祷。被災者のご冥福と世界平和を祈った。
 山頂を下るとふるさとの山々が寝姿観音の形となって迎えてくれる。ふるさとは人も自然も優しい。
 私の事務所の中には、戦後の農林大臣を務め、日中国交正常化の前史を為された松村謙三先生から学生時代に書いて頂いた書を額上している。
「大風吹き起こって雲飛揚す」
 自宅の書斎にはやはり松村先生筆の「日新又日新」の色紙を飾っている。

 昨春、故郷由利本荘からの「みっちゃんコール」に応え、県議会議員選挙に出馬を決意し帰郷した。
 ところがふるさとには暗雲が立ちこめていた。私は大風を起こして暗雲を蹴散らし、明るく夢のある由利本荘を創りたいと心に決めました。
 昨年は秋田ふるさとづくり研究所所長として、事務所内にサイパン島で戦死された日本兵の傍らにあった軍隊ラッパを祭る里帰喇叭神社を建立した。戦争で犠牲になられた方々への鎮魂と感謝の祠。
 昨夏、この祠にサイパン島で戦友を失われた大仙市の方が慰霊に訪れ、涙ながらの参拝をされた。
 地域貢献型の由利本荘ベースボールクラブを結成し、その理事長として、その運営に当たってきました。野球少年達にふるさと由利本荘で社会人になっても硬式野球が出来、将来はプロ野球選手への夢も実現させたい。
 農事組合法人役員として、春は稲の種まき作業、無臭大豆の豆まき、秋は軽トラックを運転して稲運び作業をこなし、米に代わる作物への挑戦も果たしました。
 私を今日まで育んでくれたふるさとの自然と大地に感謝し、多くの先人を敬い、ふるさとの困っている人々の為に親孝行をしたい。
 若者に夢、働く者に喜び、お年寄りには安らぎをを与えるふるさとを創り出していきたい。
 その為には第一に仕事づくりです。そして雇用の場の創出です。
 その為の私のふるさと元氣計画を策定し、実践します。
 ふるさとに漂う閉塞感を打破し、私のもっている地域づくりの実践ノーハウ、35年の行政経験、多くの人的財産をふるさと由利本荘につぎ込みます。
 ご教導を賜った松村先生、亡き恩師佐々木勝敏先生、磯貝良平先生、早川寿助先生、中西睦先生に心から感謝している。
 今、師の教えを生かし、強く正しく美しくの精神で、多くの同志と共に必死になって選挙戦を戦います。選挙は手段、目的は地域を良くすることです
 私の討議資料のパンフレットに尊敬する人物をTDKの創設者斎藤憲三と松村謙三とし、信条は「日新又日新」。日々、新たな気持ちで修養を積み、目的に向かって元氣に生きていきます。
  

 私の決意と政策

 私は仲間と共に県民の身近にあって、現場発想を大事にして地域づくりを実践してきました。
 ふるさとの先人の知恵と地域の潜在能力を引き出し、皆さんと共に汗を流してつくる共創社会としたい。
 そのためにも、水と土と心を大事にするふるさとをつくります。

  ー安心して夢のある元氣な秋田県を目指してー

 秋田県の可能性として「恵まれた山水の自然環境」「食料基地としての位置づけと独自な産業の興産」「豊かな歴史と伝統」の三つを「水」と「土」と 「心」として、これを大切にし、伸ばしていくふるさとづくり を進めていきます。
 この構想をもとに、三つの計画を考えました。

  1 幸せつかめる秋田
  2 住みよく美しい秋田
  3 夢のあるチャレンジ秋田

 この計画を実践する私の姿勢
  1 現場 2 善急 3 率先

 今ある資源を大切にして、 人、自然、産業、歴史・文化の4つの座標軸して捉えて元氣度を示し、いい所を伸ばして悪い所を直し、ホット(安心)して、ハット(夢)して、ヒット(元氣)させる故郷をつくっていきたい。
 まずは己自身を元氣にして、しっかりやさしく、つよくガンバリます。

 「生き甲斐のある やり甲斐のある 仕事甲斐のある ふるさとを仲間と共に創る」

 幸せつかめる、
 住みよく美しい、
 夢のある由利本荘に

★私のふるさと元氣計画
     ー雇用創出・仕事づくりのためにー
 ☆農林漁業、地元企業の振興策
 ・米依存脱却策として無臭大豆、山菜、花を。
 ・沿道環境美化条例を制定し沿道を花で飾り、沿道の杉林の間伐、枝打ち。
 ・森での栽培漁業の研究、推進。
 ・第一次産業での沿岸貿易の推進。
 ・零細企業、小規模事業者へ雇用促進の助成。
 ☆老人福祉策の充実策
 ・老人自殺率の減少ー生き甲斐づくりの為に聞き書き運動、聞き書き人の養成
 ☆観光振興策
 ・文化人科学者誘致条例の制定により人が人を呼ぶ観光振興。
 ・国際機関の誘致。
 ・対岸地域(ロシア沿海州・中国吉林省)との経済交流の促進。
 ☆スポーツ文化の振興策
 ・鳥海ドーム(仮称)の建設。
 ・日本民謡資料館の設立。
 ・由利本荘スポーツ先人館の設置

 私は、この計画実現の為に、私の地域づくり体験と35年間の行政経験(税務、商工、保健、福祉、国保援護、生活センター、交通安全、国際交流、統計等)を活かし、そして私の持つ人的財産(県内外、海外への年賀状3600枚)のすべてを由利本荘につぎ込んで、これらのプランを実現させます。

 佐々木三知夫のプロフィル
 
・昭和21年(1946年)2月、秋田県由利郡上川大内村生まれ。大内村立上川大内中学校(野 球部・科学クラブ)・秋田県立本荘高校(ブラスバンド部)・早稲田大学第一商学部卒(レスリング部・中南米研究会・武蔵大学デキシーランドジャズクラブ所属)。
・昭和42年7月、早稲田大学中南米研究会幹事長、日本学生キューバ友好視察団長としてキュ ーバを訪問、カストロ首相と2度会見)
・昭和43年卒業後、東京農業大学で農業を学ぶ。四国・松山市の井関農機で農機具の研 修、ミカン園の作男。神戸、千葉県佐原市でブルドーザーの運転手。参議院議員秘書。(若林正武元林野庁長官、宇都宮徳馬元衆議院議員)、アンデス資源開発研究所日本連絡事務所長。
・昭和46年1月、秋田県職員、北秋田財務事務所に勤務。その後、産業労働部商工課他14 課所を経て、平成18年3月、退職。かたわら花と緑の農芸財団秋田連絡事務所長を務める。
スポーツ歴: 野球、レスリング、剣道(2段)、ラグビー、空手(剛柔流)
音 楽 歴: トランペット、尺八(琴古流)、民謡
地域活動歴
・花ゲリラ作戦、がんばる愛のコンサート、雪上野球大会。(秋田県を面白くする会)
・元祖とろろ飯大食い大会。大内町民謡大競演会(明日の大内を創る会)
・河辺町・ヘソ神社建立。(AIグループ)
・戊辰の役没佐賀藩士慰霊碑建立(戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊秋田委員会)
・秋田戊辰の役120年記念事業開催
・秋田戊辰の役による秋田県協和町と宮崎県佐土原町・鳥取県淀江町との有縁交流活動
・露国遭難漁民慰霊碑建立。(露国遭難漁民慰霊秋田委員会)
・川反観音像建立。(仙台藩士慰霊碑・川反先人慰霊秋田委員会)
・全国職人学会inあきた開催(全国職人学会inあきた実行委員会)
・東海林太郎音楽館開館。(NPO法人東海林太郎伝承会)
・由利本荘ベースボールクラブ設立
・里帰喇叭神社の建立
現在 由利本荘ベースボールクラブ理事長
    秋田ふるさとづくり研究所所長 
    農事組合法人新田水稲生産組合理事
好きな言葉 「日新又日新」
尊敬する人物  斎藤憲三  松村謙三
著書
 ・「私の地域おこし日記」戊辰まごころ・葉隠の役(無明舎出版)
 ・「ふるさと秋田夢おこし」(無明舎出版)
 ・「青春 旅 故郷づくり」(バウハウス)
家族
  妻 一男一女 愛猫(ミーちゃん)


 私の決意表明
       (平成18年10月26日 本荘グランドホテル 佐々木三知夫激励会にて) 

 本日は誠にありがとうございました。鳥海山も秋空に美しく映えておりました。
 ご出席頂いた皆様の中にはしがらみの多い方も多数おられると存じます。
 にもかかわらず、ご出席頂き、その勇気に感動致しております。

 まずは、この激励会までボランティアで準備作業をすすめてきてくれた仲間に感謝申し上げます。何分、今日のぎりぎりまで準備を進めてきましたので、席順等で不行き届きがあろうかと思いますが、どうぞご容赦ねがいます。
 
 私は人間を60年もやってきました。
県庁を定年になって今まで迷惑をかけたカミサンとのんびりした方がよかったんでしょうが、ふるさとからのみっちゃん帰ってこいコールには男として非常に嬉しく、自分を育くんでくれたふるさとのために、微力ながらお役にたてることができるならばと帰ってまいりました。
 
 ふるさと由利本荘大内に帰って半年、春は畑に無臭大豆を植え、この秋には田んぼで稲刈りを手伝い、多くの農家の方々から話を聞きました。
 みなさん、米ではやっていけないと農業の先行きに大きな不安を持っています。
 商店主や、中小企業者、建設業の方々の話を聞いても、皆さんこの先やっていけるのだろうかと苦しんでいます。
 そんな苦しんでいる方々のために、私は少しでもお役に立ちたい。

 政治家という言葉には抵抗がありますが、政治家の役割は夢や希望を失った方々のためにあるのではないでしょうか。

 ふるさとには暗雲が立ちこめています。この暗雲を蹴散らし、地域づくりの夢を新たに示して、弱い人々のため、苦しんでいる人たちにお役に立ち、勇気づけができればと決意致しました。

 今日はこんなに多くの方々に集まって頂き、天の時、地の利、人を和を感じております。
 花に水 人にまごころ ふるさとを元氣にというスローガンで戦います。
 ふるさと由利本荘が大好きです。どうか一緒に戦ってください。

 ありがとうございました。誠にありがとうございました。
                                      

ご挨拶とお願い

 拝啓
冬本番の候となりましたが、貴方様におかれましては益々お元気でお過ごしのことと存じます。日頃、ご無沙汰いたしておりますが、何かとお心にかけて頂き、感謝にたえません。

 これまで私は、東京の大学を卒業後、東京農業大学で農業を学び、四国の松山市で農機具の講習を受けた後、国会議員の秘書等を経験した後、秋田県の職員となりました。
 上役にペコペコしない、タダ酒は飲まない、県民に使われているのだとの姿勢で、商工課、保健所児童福祉課、保健衛生課、国際交流課等14課所で仕事をさせていただきました。
 かたわら、個性ある情緒豊かな地域づくりにと、仲間と共に秋田県を面白くする会、明日の大内を創る会、全国雪上野球連盟、戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊秋田委員会、露国遭難漁民慰霊秋田委員会、秋田県へそ神社、秋田聞き書き学会、NPO法人東海林太郎伝承会等を設立し、そして、新生由利本荘市の一体感の醸成にお役に立ちたいと一昨年秋、社会人硬式野球の由利本荘ベースボールクラブを設立し、地域づくりの実践活動を行ってきました。
 又、地域づくりは人づくりと平成元年4月から毎月、秋田市と由利本荘市で秋田ふるさと塾地域づくり実践セミナーを開催してまいりました。

 35年間の役所勤めを終えたら、女房の郷里九州でのんびりしたいと考えておりましたが、郷里の地域づくりの仲間うちから、もったいない佐々木三知夫の持っている人的財産や地域づくりのノウハウを活かし、故郷に帰り地域の代表となって、由利本荘市、秋田県を元氣にしてもらいたいとの声がありました。郷里からのみっちゃんコールに、目の前に横たわる義務感を覚え決心した次第です。

 この春、自分を育んでくれたふるさとの自然や先人に親孝行のつもりでふるさとに帰り、由利本荘市、秋田県を少しでも元氣にできたらと思います。
 つきましては、由利本荘市内(旧鳥海町、矢島町、由利町、大内町、東由利町、岩城町、西目町)にお知り合い、友人、仕事関係の方、ご親戚の方がおられましたら、次の様式にてご紹介して頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
 別添様式の紹介カードでご紹介頂きましたら、何らかの形でご理解を頂けるように働きかけ、最善を尽くしたいと存じます。 

 又、恐縮ですが、佐々木三知夫ふるさと支援基金として、一口千円以上のご厚情を賜りたく、次の郵便振替番号にてよろしく御願い致します。
 ご多忙中、ご面倒なお願いですが、ご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。
 時節柄、益々のご健勝をお祈り申し上げます。
                                             敬具
  平成19年新春
                                     佐々木三知夫後援会
                                      佐 々 木 三 知 夫

    友人知人紹介カード              
                      ご紹介者 氏名                  
                      ご住所  〒
        
                        電話
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      氏名    〒 住  所     電話       紹介者との関係    


佐々木三知夫後援会
〒018-0711
秋田県由利本荘市岩谷町字西野18−5
TEL/FAX  0184−65−3777
E-mail  michan@donpu.net
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