どんぐり村から (鳥取県淀江町)

        山陰路                               ふるさと呑風便  98/9
 大阪空港から30人乗りのプロペラ機に乗って出雲空港に着く。9月1日午後12時。空港の側まで宍道湖が続いている。
 空港からレンタカーで出雲に向かう。途中、出雲市長だった岩國哲人さんが造った出雲ドームを見学。しっかりと150円の入場料を取って観光施設になっている。
 出雲大社。御祭神の大国主大神は国造りの神様、「だいこくさま」と讃えられ、福の神、縁結びの神、産業の神様として慕われている。天下無双のおおやしろといわれるだけあって、壮大な社だった。
 大鳥居をくぐって、長い参道の途中、蝦夷山桜が枝に花を付けていた。本殿には大きなしめ縄。参拝客も多い。二礼二拍一礼、ではなく、二礼四拍だった。柏手を四っつも打たなければならないほど、出雲大社の神様は本殿の奥深くに鎮座されておられるようだ。
 地域づくりを自分の生き甲斐と心している者にとって、国造りの神様出雲大社参拝は念願だった。
 
 宍道湖の北を走る。平田市に入って、酒造りの神様「松尾神社」の看板があった。これは見過ごせない。京都にも松尾神社があるが、山陰の松尾神社は急な階段を登って、小さな本殿には誰もおらず。

 松江市。赤と白の夾竹桃の街路樹が美しく続く。レイクライン堀川めぐりでお堀を屋形船が、武家屋敷をレトロ調のバスが走る。神戸市助役だった新市長のアイデアが生かされて、若い女性の観光客が増えている。武家屋敷の中に小泉八雲記念館がある。現在、曾孫が地元大学の助教授をしていた。
 翌朝、松江駅。米子行きの鈍行列車に乗って、鳥取県淀江町へ行くつもり。乗った電車が予定時刻より早く発車した。車内アナウンスは出雲行きという。しまった。逆方向だ。次の駅が乃木。
 降りて駅員さんに乃木大将と関係ある所ですかと聞いたが、わからないという。切符に誤乗とスタンプを押される。松江行きの電車はしばらく来ない。バスが駅前に止まった。松江行きだ。乗り込む。20分程で松江駅に着いたが。淀江駅に10時4分まで着かなければいけない。前日、淀江町の森本和夫町長から駅に黒塗りのクラウンを迎えにやるとホテルに電話があったのだ。
 松江駅に止まっているタクシーに聞いた。米子駅まで50分、7000円だという。お願いした。親切な運転手さんで、松江のことを色々教えてくれた。高速道に入ってくれたが、米子に九時半までにはとても間に合わない。その運転手さん、七千円でメーターを降ろして、淀江町まで送りましょうといってくれた。
 淀江町に入って駅を捜そうとタクシーが止まる。そこへバイクのお年寄りが近寄って、どちらをお探しですがと尋ねた。何と親切な人のいる町だろうか。
 水と緑と史跡の町、淀江町。役場には、内藤武夫さんが待っておられた。内藤さんの先祖は、秋田戊辰の役で戦死し、協和町境・万松寺に眠る鳥取藩士内藤弥吉郎。お墓まで案内して頂いた。 役場の田口勝蔵助役も同行され、淀江町はどんぐりのまちづくりをすすめており、どんぐり村を案内して頂く。           

 昭和28年に建てられた内藤矢吉郎(鳥取では弥が矢になっていた)のお墓に秋田の銘酒をかけた。これが翌日の地元新聞に載った。 実はこの酒でこの日、鳥取市で佐藤健鳥取県市町村振興課長と一緒に飲む予定だった。彼は昔、自治省から秋田県庁に派遣され、ふるさと塾にも何度か出席した快男児。
 健ちゃんこと佐藤課長は秋田には行くといわないで、帰るという。鳥取市で飲んだ翌朝、彼は読売新聞鳥取版の写真を見ていった。
 「この酒を昨日飲めるはずだったんだ」
 10月17日。秋田戊辰戦争百三十年の合同慰霊祭が秋田市の彌高会館で開催される。内藤武夫さんも淀江町長も出席される。山陰の健ちゃんも秋田に帰ってくる。

                                     内藤武夫さんと案内して頂いた田口勝蔵助役(現町長)


  ドングリ タイピンの作り方

                      (これはどんぐりのまちづくりをすすめてきた田口勝蔵淀江町長から教えてもらったものです)