千葉県芝山町で花と緑の農芸財団を主宰していた土井脩司さんが6日、が
んで逝った。60歳。花に夢を託した人生だった。

 花との縁は早大生だった66年、戦時のベトナムの孤児救済運動を手掛け
た時からだ。自ら借金を背負って粉ミルクや衣類、菓子などを集め、何度か貨物船で
現地に運んだ。たまたま正月休戦で大通りに花市場が開かれ、周りで南北の兵士が銃
を置いて安らぐ光景を見た。

 「花は心の食べ物、平和の力だ」。そう確信すると、反対運動真っ盛りの
成田空港建設用地に入り、畑地に“花のバリケード”と名づけてパンジーを植え、強
制収用反対を訴えた。さらに空港に隣接する農地を借り、花き栽培を始め、都心のオ
フィス街にフラワーポットをリースする事業を興した。

 全国420の小中学校に鉢植えの花を贈ったり、市街地に花壇を作るボラ
ンティア活動にも力を入れ、86年には花好きの長嶋茂雄さんを理事長に財団を設
立。若者が花作りに取り組む農芸塾も開設し、これまでに約200人を送り出し、悩
める若者に生きがいを与えてもきた。

 県から相談が持ち込まれた時は、すでに病に侵されていた。5月に木更津
市で開かれる全国植樹祭の会場を県の花・菜の花で飾りたい。しかし、県内では盛り
を過ぎている。名案はないか……。思うように動けぬ土井さんに代わって、友人、知
人が奔走した。「彼の最後の仕事だ」と。

 秋田に住む親友が八郎潟干拓地で遅咲きの菜の花を見つけた。地元の大潟
村に事情を話すと、老人クラブが総出で株ごと掘り出してくれた。天皇、皇后両陛下
を迎えた18日、会場に同村産の菜の花三千余株が、県内産と共に黄色いじゅうたん
を広げた。花の輪、人の輪に生きた土井さんにふさわしい花道となった。

                             (毎日新聞2003年5月19日東京朝刊から)