我が友、逝き「土井脩司」を偲ぶ!

 土井よ、君は良く闘った。国を憂い、環境を憂い、そして、子供の教育や若者の教育を憂い、その全身全霊を世の中のために尽くして今まで生きてきた。
 覚えているだろうか。今は亡き藤本敏雄や多くの仲間と『日本の未来』を熱く語らったことを。君の熱き語り口は、藤本の雄弁と相まって、その場を盛り上げ、多くの人に、その思いを伝え、多くのファンを作り、多くの仲間を産み出し、多くの人々に影響を与えていったことを。
 君の自然、特に『花』を「花は競えど、争わず」と語る時の『熱き思い』は、他人ではマネの出来ないものであった。花そのものを自らの師、そして自らの友とし、その友を媒介にして仲間の輪を広げていった。私はいつも『君の熱き思い』をうらやましく思っていた。
 私の若干、諦観にも似た『醒めた客観的ものの見方』とは百八十度違う、『渦中の人』としての熱き思い、それを時として私も欲しいと思ったことが何度あったことだろう。しかし、それは無理であった。その熱き思いは君のものだった。いつも語り合う時、うらやましいと思いつつも、私には生来のどこか醒めたところが邪魔して、全面的に渦中には入り込めなかった。だからこそ、君との友情は続いたのかも知れない。
 だが、君の熱き口調は、いつも私に強いエネルギーを送り続けてくれた。その君ともう酒を呑んで語り合うことが出来ないと思うと、無性に寂しい。
 ついに完成した『和い処』、何とか間に合った『和い処』。それは君の願いであった。しかし、そこで君の葬儀が行なわれる。何と表現して良いか判らない。日本の、そして平成の『松下村塾』にしようよと語り合っていた場所が、ついに君の熱き思いと多くの君の友の力によって完成した。まだ、山を切り拓いて、竹を切り、構想を描いている頃、君は私を案内してくれ、図面を見せながら夢を語ってくれた。
 素晴らしい自然の中に、そして、『日本の玄関』である成田の地に、世界からきた人に『素晴らしい日本』を知ってもらうために、あるいは、日本中から集まった志を持った若人の研鑚の場として、その『和い処』を活かすんだと熱き思いを語ってくれたのは、つい二〜三年前の事だった。
 そして、庭は出来ていなかったが、大体建物が出来上がった時だったと思う。もう一度お邪魔した時「もう少しで出来るんだ。庭も京都の著名な庭園家や、友人の湧井が手伝ってくれて、素晴らしいものになる予定なんだよ」とうれしそうに語ってくれた。
 そして、ついにそれが完成した。しかし、君は昨年の暮れ頃に、体調不良を訴え、病院に行った時、既に全身が『ガン』に侵されていた。手術も不能とのことであった。私はそれを白砂氏から聞かされた。しばらく頭がボーッとして、考えることが出来なかった。
 君にはまだ残された宿題もあったし、育てなければいけない小さな子供が居る。
 一体どうするんだ!君を責めるつもりはない。神よ汝は何と無惨なんだ。何と無慈悲なのだ。彼に『和い処』を与えた代償として、君の命を奪うのか。そうであれば私は神を呪う。
 早稲田大学の頃、君はアジアを訪れ、そこで多くの事を感じ、紆余曲折を経た後で「花の企画社」をつくり、瀬島龍三等の大きな支援を得、国鉄や官庁の砂漠のような空間を、そこで働く人々の気持ちをやわらげ、真に人にやさしい政治や活動をしてくれるように、祈りを込めて、『花と緑』で埋めた。どれ位、それで、そこに働く人々が『人間性』を取り戻し、人間にやさしい働きをしてくれるようになったことであろうか。
 また、その活動をより大きくすべく、「花と緑の農芸財団」を設立し、全国から『心ある若者』を受け入れ、研修し、全国へ帰らせ、彼らが各々の土地にて、ミニ土井脩司として活躍をしてくれている。
 君の志は、確実に世の中で活かされている。君が『ホテル・ニューアカオ』に贈ってくれた花々は、今、ニューアカオの『ハーブ&ローズガーデン』でその命の脈絡を保ち続けているし、今後陸続としてその命脈を保ち続けることであろう。そして、君の残した志を受け継いだ多くの人々の中で、君の熱き思いは、必ずその生命を保ち続けていくことだろう。
 しかし、如何に君の残した遺産が大きかろうと、君自身が亡くなったことは、何物にも替え難い。私は葬儀中に飾られた君の写真に向かって、君の鼻を垂らした子供のような顔の写真を見ながら怒っていた。「馬鹿野郎!!何で死んでしまったのだ!」と。
 葬儀の行われた席に、土井よ、君がいつも嬉しそうに語っていた女優の栗原小巻さんが来ていたぞ。そして君のために涙を流してくれていたぞ。私が一緒に呑んでいた時、良く『「小巻ちゃん」いや「小巻さん」が時々語らいに来るんだよ』と語っていた。私も以前、「ルックルック今日は」のコメンテイターをしていた頃にお会いしたことがあったよという話しをすると、今度一緒に会おうといってくれた。
 それが実現したんだ!しかし、それは君の葬儀であった。何も語らぬ君の屍骸の前で、私と小巻さんが並んで、坊さんのお経を唱える姿の前でであった。しかし、君は死んでもそれを実現させた。君はウソをつかない人だった。それは死んでも実現させたのだ。君は凄い。
 私は君に対して思い残したことがある。それはサンリオの辻信太郎社長を、私が『和い処』に案内するとの約束が果たせなかったことだ。以前、君がサンリオを訪れた時に「辻さんは変った。飛岡さんなら、何とか辻さんを口説けると思うから、何とか『和い処』に連れてきてよ!」と、君は私に頼んだことがあった。
辻さんも『バラの花』をとても好きで、心情的に君のことを支持していた。しかし、辻さんは中々忙しく、君の思いを判りながらも、中々対応できなかったのだと思う。でも、君が死んでも、私との約束を守ったように、私も君が死んだ後にも、辻さんを『和い処』に連れていく約束を果たしたいと思う。
土井脩司よ!君の人生はにぎやかだったよな!どこか人なつっこい所があると共に、どこか寂しそうだった君の表情、私は君は幸せな人生を送ったと思う。何故なら、君は多くの友を作り、その友と一緒に生きられたからだ。そうだよな。
全ての人がそうであるように、イデオロギーを持った人間の生き様は壮絶だ。土井脩司お前もその一人だ!そのイデオロギーに基づき、権力者になっても、一生自らの座を脅かす存在に不安になるし、イデオロギーが社会から受け入れられなければ、激しい『反権力闘争の徒』と化してしまう。君はどちらだったのだろうか。私にはその判断は難しい。ある面で権力に容認されていたし、ある面では反体制であった。
ここ数年、熱海のニューアカオで良く会って呑んだ時、第二次大戦に戦死した多くの英霊の扱いが不十分だとの話しを、いつも熱っぽく語り、熱海にもその英霊を祭った太平洋を一望に出来、アメリカと対峙しているお寺があるので、行って拝んでやってほしい。その寺に協力してやって欲しいと語っていた。これも私は君の願いを叶えていない。これも宿題として残ってしまった。
今までもいろいろと語ってきたが、今後は君の残した遺産といろいろと語り合いたいと思う。そして、出来れば平成の『松下村塾』としての『和い処』に少しでもお手伝いが出来ればと思う。
いずれ、私も君や藤本の所へ行くことになる。それまで、どの位の時間があるか判らないが、その宿題をやっていかないと怒られそうだ。きっと、閻魔大王へ、「あいつは約束を破ったので、地獄へ送ってください」と語りかけられるかも知れない。勿論、君はそんなことはしないだろう。逆に、そういう君だから、君との約束は大変だ。でも、宿題だ。なんとかやっていくから待っていてくれ。
君を入れた柩が、火葬場へ向かうべく霊柩車に乗せられる時、胸の中に熱いものがこみ上げてきた。そして、土井よ、有難う、君の思いは僕にも伝わっているよ!また、あの世で永遠に語らおう。その時までさようなら。最後下手な句だが、君の名を入れたものを作ったので、あの世で聞いてくれ。さらば、土井脩司よ!

 この豊穣なる自然のその大地の土に育つ花を愛で、
 その心深きこと井戸の如し
 そして、人々の心のざわめきを脩め、
 人々の心の平和を司どらん。
 汝はまことに神の使徒ならん、安らかな眠りを!

                        飛岡 健(現代人間科学研究所所長)