政府と農民の話し合いを
成田問題を解決するために 土井脩司
成田問題はいま危険な岐路にたたされている。政府当局はもちろん、国民の成田をみる目は「飛ぶか飛ばないか」「警備は大丈夫か」という言葉にみられるように、治安問題におきかえられてしまっている。
私は空港用地の隣接地で花の栽培をして六年。身近に推移を見守った目で、あらためて農業とはなにかという原点にたちかえり、成田でいま、何が出来るかを考えてみたい。
成田問題の根源は、こうした大型プロジェクトの達成に不可欠な条件のすべてを無視したことにあった。
一つは、時あたかも公害反対や住民活動のもりあがりに代表される大きな歴史のうねりに逆らったこと。
二つは、場所として北総台地を選んだこと。ここは農耕のためにあるといっていいほどの農耕適地である。こうした内陸に空港を開くことがいかに自然の原則をねじ曲げたものであるか。
三つは、事業主体である空港公団が事業者としての主体性を発揮しえなかったこと。空港建設に付随する道路建設、鉄道建設、パイプライン埋設はもちろん空港管理権一つとっても、公団は権限もイニシアチブもとることが出来ない仕組みになっていた。その結果の無責任さ。
四つ目は、思考と方法に大きな基本的誤りがあったこと。農業と農民の心に無神経にも土足で入り込み、農民の命ともいうべき農地を軽薄にも「カネ」と「力」で処理しようとした強者の論理。そして環境さえ無視した土木思考だった。
こうした観点から、成田問題を見直すと、警察と鉄条網に囲まれた開港と、現地で起こっている事態は、むしろ当然の帰結と映る。
歴代十数人の運輸大臣が、だれ一人として成田の地を踏めないような異常な開発が他にあるだろうか。しかし開港は迫っている。これは、まったく政治の都合でしかない。農民を力で押しきる考えは十二年前となんら変わらず、ただ「飛ばすこと」だけを完成させようというのである。これは農民をさらに追いつめる。
いまの状況では、農民の道は一つしかない。玉砕―すなわちテロとゲリラ行動である。断言するが、彼らはそれを望んでいない。
だが、ひとたび何かが起これば、過去十二年間、農民が培かってきた血と汗の結晶は一気に無に帰する。恐ろしいのは、警察側がその状態を望んでいるとも見えることだ。これを不毛の闘いと呼ばずして、何と呼べばいいのか。
私が冒頭に「危険な岐路」といったのはこのことである。北総農民が、これまでがんばって築きあげたものが、根底から崩れ去ることを私は恐れる。
それでは、農民はなにをなしうるのか。ここで目を地元農家に向けてほしい。
過去十二年間、強大な権力に堂々と立ち向かった農民の信念にうらづけられた忍耐と勇気を、同じ農民のはしくれとして、私は誇りに思う。そしてその力と勇気を「未来へ向かって」生かす道は唯一つ、政府と農民の話し合い以外にはない。
農民には、ここでいま一度勇気を奮ってくれと訴えたい。過去の闘いは、まさに農民の訴えにだれも耳をかさなかったために起こった。いま再び話し合いをというのは後退と見えるかも知れない。しかしテロに突入したら、未来だけでなく、過去さえなくなることを考えてほしい。
政府には、それ以上の決断を求めたい。新たな展望へのカギは、政府が農民の内部にある過去と現在と未来を深く見つめる心と目を持つことだと思う。
農民はすでに十分に血を流してきた。政府も、時間と人手という犠牲をはらってきた。いままた、さらに一歩譲りあう勇気があってこそ、道は開かれると信じる。
政府は、場合によっては、二期工事を凍結し、機動隊をひっこめることも可能なはずである。
もし根源を見極めることなく今の機会を逃したら、必ずや第二、第三の三里塚が起こるということを、政府も国民も銘記すべきであろう。
昭和53年3月23日 朝日新聞 「論壇」