土井脩司君
寒気未だ去らざるに梅花一輪一輪に漸く春の訪れを感じるようになりました。
思いもよらないに接しおくところを知らず。感謝あるのみであります。往時茫々たる中にあのころの思い出が尚昨の如く甦ってきます。
満面に笑みを湛えてとやってきて、とりとめもないことを次から次へとしゃべって飄然と去っていく。誰かの紹介か忘れたが、早稲田の学生で土井脩司と名乗り、時にはベトナム戦争の話をする。
当時、ベ平連という左翼組織や小田実という左翼の大物がとした時代だから、あるいはその方の流れかと思ったが、思想、理念もしっかりしているようだし、そうでもなさそうだ。時にはベトナムの現地まで行くとも言っていた。
人間性豊かで、日が温かく差している感じで、兎も角不思議な、人を魅きつけるものをもっている。去っていくと、私も忙しい身体だが、会いにまた来てくれるといいが、と思っているとひょっこりやって来る。
相変わらずにこにこしながら、とりとめもないことを繰り返ししゃべっては去っていく。
私はいつも時間が足りないほどに忙しいが、憎めない愛すべき男である。
あるとき、ふと思い出したように「仲間の白石、細田らと話し合い、花をつくって契約したところへ配給する仕事をやってみたいが・・・」と、ぼそりといった。
私はそういうことはさっぱりわからない。面倒な仕事はだめだが、人を疑うことは知らない。唯、頑固だからよく上司と喧嘩するので給与などは不当に低い。飲む金はあっても人にやる金はない。そのときは、どうした加減か少し纏まった金があったので、こっそり上げたわけ。天なる哉である。土井脩司の顔がくしゃくしゃになった。
この辺のことは、花の企画社生誕の裏話で当事者以外あまりしっているものはなかろう。横滑りしてしまった。あれから幾十年、土井脩司の名は私の脳裏から消えたことはない。
そのころの実情は全く知らないが容易ならぬ仕事、一つの目標に向かっておそらく失意や挫折もあって土井脩司の笑顔も消えるなど苦しい時もあったろう。総帥土井に笑顔が出てきたのは、三菱銀行、瀬島龍三氏らが支援態勢に入ってからではなかろうか。
今や隆々として旭日昇天の勢い、日本を代表する世界の成田空港を花一杯で飾ろうとする大眼目を中心に、多様多彩の構想、それも成就すること必定。
周囲と溶けあってごく自然であって、功利のしみのついていない、郷里を愛し、国を憂える土井脩司、グラフィックのほとんどのグループの中に土井脩司の笑顔が、別れて何十年も経つのにそれと判る笑顔があるのだ。明るい笑顔を見ながら昔を偲び、徳の深い人間性を思うて止めどもなく涙が流れてくる。
ちょっと苦言、老人のくり言。
「花と緑の農芸財団」と変ったようだが、どんな山の中でも、海の果ても、忘れがたき故郷の姿は、今や日本中探してもどこにもなくなろうとしている。環境庁など躍起になって動き廻っているが、環境破壊など屁の糞だ。米を作るものもなく、野菜も輸入野菜でお手上げ。
政治の混迷、官・財の腐敗堕落、社会の、この国の水や土地をめぐる荒々しいうごき、あと十年で命の水、命の根源を失って地獄の入口をうことになるだろう。神の怒り、日本の明日はない。心をいためざるを得ない。
子や孫に地獄を見せないように。
ご先祖さまの墳墓の地に骨を埋める覚悟を新たにして、これからの人生の新たな扉を開くべきである。
グローバルスタンダードなる妖怪が徘徊し、拝金主義による人心の荒廃もここにきわまる昨今、土井脩司の生き方から多くのことを学ぶべきである。
最後に土井脩司の資質(人柄)を集約してみる。
「複雑な人間関係において他に奢らず、自ら弛まず、そして世におもねない」
稀有の人材である。
いっそうの御加餐に摂養、切に祈ります。
敬具
平成十二年二月二十二日
岡本 雅生
土井脩司様
諸兄によろしく、玉案下