なぜ財団の農芸塾が誕生したか
                         (財)花と緑の農芸財団 土井脩司

 あまり語りにくいことだけれど、二十代の私や仲間の話からペンを進めよう。
戦争に従軍した岡村昭彦さんの写真集に怒りと悲しみがこみあげ、仲間たちで派遣団をつくり、戦下のベトナムとカンボジア、タイの大学を訪問し、戦争の終結とアジアの安定と平和を訴えた。又現地学生たちの要請で苦しむ孤児難民への救済活動を続ける中、当時の二つのイデオロギーの欺瞞に気づき、資金づくりも兼ね日本紹介レコードを一万部発売し、自然と歴史と文化を大事にする民族の心をモチーフにしてベトナム民族文化展を開催した。
 これら一連の行動にせきたてたものは、友情・愛情といった熱いものを根底にした真理の探究と善なるものへのあこがれだった。ジョーン・バエズの「We shall over come someday」を仲間と歌い、無念なる心を未来への理想につなぎ、燃え行動した「若さ」は「バカさ」にもつながり、私個人も現地に五度足を運んだ。
 そして絶対忘れないことは沢山の人々に負担と心配をかけ助言をもらい、恩と信に胸を熱くし、志を固めていった理想実現への決意である。
 太陽と大地の愛を一身にうけ咲く花から、平和の「思想」と「心」を学び、「平和作業」として模索することを、空港闘争の地から始めた。「生命」と「愛」の化身である花による心の革命がこの地と人に必要だと確信し、自らも心と体で学ぼうと思う間もなく、土地だ、資金だ、温室だ、やれシステムだ、組織だと、機能と効率重視の貨幣社会の中に身をつけながらも、十五年必死に「花の革命」を唱えている時、応援団として花の世話人会がつくられ財団の母体となった。
 傷ついた地球、目標や信ずるものをなくし心の荒廃が進行する日本を察知し憂える人たちによる「花と緑の農芸財団」の設立である。平和で美しい社会を創るため、一人一人の心に、愛と平和を呼び起こすことを主眼に、研修・花の輪・農芸村の創造と行動に拍車がかかり、輝く魂を持ち未来を求め純粋に燃える青年を求め農芸塾は誕生した。
 しかし、コンクリートに包まれ受験やお金社会で閉塞された若者の心は乾き、傷つき、疲れ、まず自然の中で癒しを必要としていた。太陽の輝きと大地のぬくもりに抱かれ花や緑に感動し、お金で買う楽しさより自然と共生する歓びを知った今、そのみずみずしさを取り戻した知性と感性を大切にしてもらいたい。「人間は全て宇宙大自然のはからいで、生きていくのに必要な全てをいただき、生かされている存在だということに気づいてもらいたい。」
 私自身この没落していく現代の文明社会での「愛」の分裂と破壊のひどさに胸がいたみ、朝日の光りを浴びる花や樹々や小鳥を通し、人類愛、地球愛、宇宙愛の三見一体と生命の誕生を学び考えている。