秋田の風景 (素敵な女性達) 秋田コミュニティ放送 02/12〜03/4
朗読 東海林祐美子 文 佐々木三知夫
秋田市広面の自宅で漆を塗っている藤崎ますみさんは、聖園ベビー保育園の保母さん。
彼女、今年の秋田県美術展の工芸部門で特賞を得た。出展した「乾漆蒔絵小箱―海瑛」は、「カタツムリと思われるざん新なデザイン。若々しさにあふれ、同時に丁寧な仕事ぶりだ」と、偉い先生から大きな評価を得ている。
この春、花の好きな彼女に秘密を打ち明けた。花ゲリラと称して、20年前から秋田市内の某所にこっそり朝顔を植えているんですと。
花が咲く頃、その場所で見たと彼女から絵入りの葉書を頂いた。「朝顔さんとってもきれいです。水色のヘンリーブルーも綺麗ですが、白い色に紫の星が入った朝顔さん。初めてみました。可愛かったです。時々じーっと見つめて遅刻しそうになっています」
紫星の朝顔さんは雪が舞い降りる頃まで、ますみさんの笑顔に答えてくれた。
その朝顔はどこにあったかって?このスタジオから見えます。
伊藤良美さんはまだ新婚ほやほや。彼女は秋田市の老舗料亭のお嬢さん。四歳の時、お父さんと一緒に土手長町を散歩していた。ふと、柳並木の根元を見ると枯れそうになった朝顔やコスモスがあった。「可哀想だから水をやりましょう」と、翌日からお父さんに、ジョウロと水を入れたバケツを持たせて、コスモス達に水をかけてあげた。
それを知った花植人が感激して、新聞に「良美ちゃんはいいお嫁さんになる」と書いた。
20数年後、その花植人が、あるラガーマンと飲んでいて、良美ちゃんが翌日結婚することを知った。急いで、昔書いた新聞の切り抜きを探し、コピーして結婚式場でその友人から披露してもらった。
新郎は同じ苗字の伊藤昌夫君でラブビーをやるスポーツマン。 新郎以上に喜んだのが、彼の親父さんだった。結婚式の写真と一緒に記事をコピーして親類一同に配った。
花植犯人も予言が当ったと密かに喜んでいる。
小西由紀子さんの新年の仕事始めは東京築地の市場であった。
秋田市勝平に住む彼女は東京・世田谷の出身。六郷町出身の夫と知り合い、秋田市に住んで十年以上。以来、ものとりライターとぐうたら絵師として二人三脚で仕事をこなしてきた。
今回の仕事はマグロ市場の親分が出す本の挿絵を書くこと。本の名前は「魚河岸・マグロ経済学」。
これは聞き書き作家・小田豊二氏の聞き書き本となる。本に描く前に市場の現場の風景を見てもらいたいということで由紀子さんは生まれ育った東京で、初めて築地市場へ行った。
昨春は夫のものとりライターこと一三さんと一緒に大阪へ行き、『チャレンジ!番組づくり』というテレビの映像作品を制作するテキストを作った。
一方、「マグロ経済学」の発行は2月下旬。出版記念祝賀会は帝国ホテルで開かれる。
もちろん、画家の由紀子さんは招待される。亭主の一三さんはカミサンについていって、マグロの解体ショーを見たいといっている。
鎌田和子さんは秋田市中通のあるたばこ屋の看板娘だった。
ある晴れた朝。近所の旭川の土手にたつ柳並木の根元にレンゲ草の花を見つけた。雑草にまぎれて。いや、彼女の頭には雑草という言葉はない。ピンク色の花のれんげ草はタンポポの葉の間から覗かせている。今時の若い娘がれんげ草を知っているのは、彼女は野草研究家でもあった。奇々怪々クラブという、自然保護グループのメンバーでもある。
ひょんなことから、れんげ草の種をまいた犯人と知り合い、たばこ屋の娘から花ゲリラ娘となった。
花植え人達と初めて花ゲリラに参加。
6月初めの日曜日の朝。柳並木の下にうずくまって朝顔の苗を植えていた。そこへ通りがかりのご婦人から聞かれた。「あなた達は、失業対策事業でこれをやっているんですか?」
失業者に間違われた和子さんは、その後、彼女にふさわしい仕事についた。
鳥獣保護センターで傷ついた鳥のお世話をしている。
富野いほこさん(仮名)がまだ、電車通勤していた頃の話。
秋田駅から職場までの通りすがりのある朝。何気なく旭川沿いの柳並木の根元を見た。
雑草にまぎれて一輪の小さな朝顔が咲いているのを発見した。美しかった。彼女はピンク色の朝顔がだんだん増えて、つるを伸ばして成長して行く姿を見るのが楽しみだった。ところが竿燈の前のある朝、いつもの朝顔達がすっかり消えていた。根元から雑草と一緒に刈り取られ、木にからみついた朝顔のつると葉が残っている。可哀想に思った彼女は新聞に投書。
安らぎの花が…と掲載された。それを見た花ゲリラの一人が喜んだ。お嫁さんにしたいと彼女の身元を調べたら日本銀行秋田支店に勤めていることが分かった。
彼女の為に彼は朝顔の種を蒔いた。秋になって咲いた。その男。彼女とはとうとう会えずじまい。
結婚して土崎に住むいほこさん。秋田駅までのバスの窓から、柳並木の根元が気になって眺めている。
秋田市通町からバス通りの山王側に民謡酒場がある。三味線茶屋すがわら。
そこの女将の益美さんは、三味線のバチを鉛筆に持ち替えて、原稿用紙の桝目を埋めた。秋田聞き書き大賞に応募するためである。彼女が、原稿用紙に鉛筆を舐めなめする羽目になったのは、お客で来た聞き書き作家の小田豊二さんのせいである。
去年の春。益美さんは明徳館で開かれた秋田聞き書き学会主催の聞き書き実践講座に顔を出した。
小田講師から聞き書きの方法を聞き、秋田聞き書き隊員になった。女将は茨島に住む百才になるおばあちゃんの聞き書きをした。三味線を持って。歌が大好きなそのおばあちゃんの民謡に伴奏をしていたら、涙がでてバチを止めてしまった。亡くなった母も歌が好きだったのだ。
益美さんが秋田聞き書き大賞に応募する作品の題は「歌が好きでいつも学芸会で歌ってました」
授賞式は3月8日。聞き書き大賞を貰えるかどうかは当日まで、わからない。
クレア・サラスーン。イギリスに住むクレアからこの2月末、電子メールが入った。「秋田へ行きます」と。そして漢字で、くは久しい、れは麗しいの字、あはアジアの亜とメールにあった。私は彼女の名付け親で「娘」に秋田へ帰ってきたら日本式の結婚式をやると約束していた。
3月23日。イヤタカ会館にてウィルとクレアの結婚を祝う会が開かれた。イギリス出身の二人はまだ乗ったこともなかったロンドンタクシーに乗って式場に現れた。ウイルは羽織袴、クレアは振り袖姿。
二人とも若くて美しい。
平成十年の夏。東京新宿の京王プラザホテル。そこの一室に集まった秋田へ派遣される英語指導助手達とイギリスからの国際交流員2人の前で私はいった。「明日、ビューティフルカントリィ、秋田に案内します。」イギリスからきたクレアとウイリアムは秋田で恋に落ちて、二年後に母国に帰って結婚。
そして、二人は美しいまごころ秋田に帰って、心のこもった結婚のお祝いを受けた。
娘の結婚式で父親は、労働力不足につき司会進行役で忙しく、涙を流す暇もなかった。
相原恵子さんは印刷会社で長いことタイピストをやってきて初めて、仕事をしながら涙がこぼれた。
秋田市の熊谷印刷に務めて二〇年以上になる相原さん。この春、秋田聞き書き大賞の応募作品集の原稿を見た。
「経験資源」という題の語り手は自分の父親と同年代で、父の苦労がしのばれた。「ご飯大好き」というタイトルの語り手は九一歳になるおばあちゃんだった。秋田市土崎に住む彼女の一生を聞き書きし
た作品で、終戦前日の土崎空襲の生々しい話、二人の娘に先立たれて、随分と悲しい思いをされた聞き書きだった。四女は線香の匂いが好きだった。東京に嫁いだ娘は「お母さん、私の髪の毛を持っていってください」といわれ、母は娘の髪の毛をそっと仏壇の下に置いた。
読んでいて感動した相原さんは自宅までその原稿をもって、校正までした。
感動を受け、与えられる仕事をしていてよかったと思っている。
渡部紀代子さんは東京・深川生まれの江戸っ子。
秋田市旭川に住んで数十年。彼女の趣味は長期ドライブ。北海道から四国まで江戸っ子娘の一人旅は続いている。県外出身主婦の会である、井戸端ゼミナールの副会長もつとめている。
だたし、去年はそれができなかった。彼女は秋田聞き書き学会の事務局次長にされてしまい、聞き書きで忙しかったからである。
秋田聞き書き学会は「一人のお年よりが亡くなると地域の図書館がなくなると同じ」と主唱する作家の小田豊二氏の呼びかけに同調して発足した。昨年の9月5日。NHKの人間ドキュメント「聞いてください 私の人生」という聞き書きボランティアの活動を表した番組に登場した。
秋田市内の辻栄さんという九一歳の女性の壮絶な人生を聞き書きしている情景が全国に流れる。東京の友人からも、感動したと電話やメールが殺到。彼女自身にも、聞き書きはまさに、美しい感動を呼び起こしたのある。