『秋田で地域を考える』(秋田経済法科大学経済研究所編)

 世代間関係の構造と近未来 --秋田におけるアンケート調査から--

                             田中史郎 (宮城学院女子大学)

1.はじめに

 秋田において「少子高齢化」が言われるようになって久しい。他県と比較するとそのテンポが速く、過疎化の不安も高まっている。こうした事態は、マクロ統計的には漸次的に進行するが、ミクロ的には世代交代を契機に起こっていると言ってよい。
 たとえば、産業構造においては、農業などの第1次産業が次第に減少し、代わって第3次産業が増加しつつある。こうした変化も世代交代が一つの契機によって生じる。それは次のようなメカニズムによって生起していると考えられる。一つの典型的な例を示せば、それまで農業を行っていた壮年層がそれを止め、他の産業に移行するのではない。もともと農家であった子供世帯がすでに農業ではなくサラリーマンとして実家から離れており、その実家には親世代が農業を継続しているが、高齢でそれが不可能になったとき、農家が消滅するということになるのである。こうして統計上は、産業構造が徐々に変化していくように現れる。マクロ統計の変化の背後には、その実態としてこうした構造があると思われる。
そうだとしたら、こうした構造を何らかの方法で明らかにできれば、今後の統計的な推移の方向を予測することが可能であろう。そして、その方法として本書では、世代交代に関するアンケートを採用したわけである。そう大規模なアンケートとは言えないが、こうした変化の方向とその構造を解明することが可能であると考える。
 ところで、秋田県では、人口総数は減少傾向にあるが、次のような人口の社会移動が見られる。すなわち、県内の地域を市部と郡部とに分けてみると、秋田市などの市部においては、一方で東京などの首都圏や仙台への人口流出が大きいが、他方では県内の郡部から人口流入が生じている。秋田市などではこうして人口がやや増大している。言うまでもなく、こうした構造ゆえ、郡部においては人口流出が続き少子高齢化とともに過疎化がかなりのテンポで進行しているのである。
 さきに結論めいたことを述べたが、以上のような事態の典型を秋田市内の二つの団地でのアンケートで確認するとともに、今後の事態を推測すること、これを本章の課題としたい。

2.二つの団地の世代構造と都市農村関係 

 前章とやや重複になるが、調査を行った二つの団地の世代的な特徴を確認することから考察を始めよう。
 秋田市で大規模な住宅団地が開発された主なものに、年代順に並べると、大住団地、手形山団地、御野場団地、御所野団地などがある。いずれも入居者の年代は30歳から40歳台であると想定できるので、もっとも古い大住団地ではすでに団地一世はかなりの割合で存在していない。また、もっとも新しい御所野団地ではまだ世代交代の問題が切実になっているとは考えにくい。そこで70年代から80年代にかけて開発された、手形山団地と御野場団地とが世代間関係を見るには調査対象として最も相応しいと判断される。
 こうしたことは予備的な調査から得たものだが1)、実際、アンケート結果からも、これを裏付ける結果が得られた。手形山団地では入居のピークは73年から77年であり、御野場のそれは79年から83年である。したがって、現在の世帯主の年齢層は、前者では60歳代、後者では50歳代が最も多い。手形山団地の方が10年程度先行しているわけだが、いずれにしても世代交代を考える時期に達しつつあると言える。
 ところで、この団地にどのような経路をへて入居するようになったかをみるとかなりはっきりとした構造を確認できる。
 まず、出身地に関する回答から見てみよう。世帯主では、手形山団地の場合、32%が「秋田市内」出身、48%が「秋田市以外の県内」出身、19%が「県外」出身と答えており、同様に、御野場団地では、28%、58%、14%となっている。10年ほど新しい御野場団地の方が、「秋田市以外の県内」出身者がやや多いことになっているが、これは近年になるに従って秋田市への人口の一極集中が強まっていることの反映とも言える。ともあれ、両団地を合計すると、「県外」出身者は1.5割、「秋田市内」出身者は3割程度であり、当然にも、5割以上は「秋田市以外の県内」出身者となっている。
 また、世帯主の団地入居前の居住地に関して、手形山団地では81%が、御野場団地では72%が「秋田市」と回答されている。秋田市以外の出身者も一旦は秋田市に居住しその後に団地に入居するケースが圧倒的に多いと言うことである。なお、配偶者の出身地と団地入居前の居住地に関してもほぼ同様な結果となっている。
 つまり、ここで見られる一つの典型的なパターンとして、次のように言えよう。もちろん、県外出身者や秋田市内出身者も合計すると半数近く存在する。しかし、最も多くの現居住者は、県内の郡部からおそらくは就職のために秋田市内に居住した人々であり、一旦は秋田市内のどこかに居住し、一定の年齢とそれに見合う収入を得られるようになって、団地に入居したということ、これである。さきに、県内の人口移動について述べたが、そうしたことを裏付けるデータである。
 なお、団地に入居するにはかなりまとまった額の資金を必要とするが、贈与、貸与を問わないとすれば、3割強の人が親からの資金的な援助を受けている2)。団地に入居すると言うことはこういうことなのかも知れない。
 さて、このような経路をへて団地への入居がなされたわけだが、その実家に関しての回答は興味深い。両団地を集計した値であるが、実家を「農家」、「土地持ち非農家」3)、「非農家」に分けて質問したさいの答えは、明確な傾向を示している。出身地が秋田市内の場合には非農家が80%であり、また、県外出身者の場合には同様に82%であるものの、秋田市以外の県内出身者の場合には、実家が非農家の割合は46%にすぎない。また、配偶者に関してもほぼ同様になっている。つまり、秋田市以外の県内出身者の半数は農家出身者である。
 そこで、実家が「農家」か「土地持ち非農家」の人に、米などの作物を実家から援助されているか訪ねたところ、ここでも、当然とはいえ、予想通りの結果となった。農作物を「米」、「野菜」、「果物」に分け、それぞれを「もらう」「買う」「両方とも無い」として回答を求めた。それによると、米に関しては、「もらう」が46%、「買う」が6%、「両方とも無い」が39%であり、同様に、野菜に関しては、54%、1%、33%、また、果物に関しては、19%、5%、59%となっている。果物に関して「もらう」が少ないのは、県内で果物の生産農家が少数だからだと考えられるが、それ以外の農作物の援助はかなり多いと言えよう。これは、世帯主の実家が「農家」と「土地持ち非農家」の人に尋ねたものだが、配偶者の実家がそうである場合には、援助の割合は更に高まっている。
 この点をさらに詳しく見るために、米をもらっている人にその分量を聞いてみた。世帯主が「農家」や「土地持ち非農家」の場合には、全消費量をもらっていると答えた割合が27%もあり、それを含めて全消費量の1/3以上をもらう人の割合は49%であ。また、配偶者がそうである場合には、その割合は更に高まり、消費全量をもらっている割合は36%、それを含め1/3以上をもらう人の割合は67%にも達する4)。 見られるように、世帯主や配偶者の実家が農家である場合には、きわめて多くの人が、そしてきわめて多くの量の食料援助を受けていることになるのである。
 さきに、団地に住んでいる人の出身地から見た一つのパターンを示したが、ここでそれはさらに補強されて次のように言うことができるだろう。両団地に住む多くは農家の出身出身であって、その人の少数ではあるがある部分はかつて団地に入居するさいに親から金銭的な援助を受けており、そして、きわめて多くは現在もかなりの量の食料援助を受けている、と。
 団地生活者ないし団地族というと、一見、都市生活者の代表のように考えられるが、実のところ、過去も現在も根深いところで農村に住む親世代と関係を持っているのである。おそらくこうした事情は調査を行った団地ばかりでなく、より一般的なものと考えられる。そしてこうした関係や回路があると言うことは、それなりに安定した生活を保障するものになっていたといえよう。これが現在までの状況である。 
 しかし、こうした関係や回路が近未来において持続することはかなり困難になりつつあるのではないかと懸念される。そうした問題を続いて考察しよう。
 
3.世代交代と近未来

 すでに述べたように、両団地の住人はそろそろ世代交代を考えなければならない時期に達しつつある。そうした点に関してどのような行動をとろうとしているのだろうか。アンケートでは、世帯主から見た親世代との関係、および子世代との関係に関して質問している。まず前者からやや立ち入って考察してみよう。アンケートの結果は以下のようになっている。


 これをどのように解釈すべきか。
 まず全ての世帯主を対象としたA列を検討する。目に付くのは、両団地とも似たような値になっているが、「現在すでに同居している」の項目のそれだけはかなり異なった値を示している。これは、手形山団地は御野場団地に比べて開発時期が10年ほどは早く、したがって世帯主の年齢も10歳ほど高齢であった点と関係する。つまり、手形山団地では、世帯主の親世代の何割かはすでに他界しているので、「現在すでに同居している」の割合が小さくなったものと考えられる。
 そこで、この点をやや除外して、合計の値で見てみることにしよう。「同居・近居する可能性は全くない」という回答が4.6割であるが、「その他」と「無回答」を差し引いて、これを逆に考えると、3.8割の人が、何らかの形で、同居や近居を考えていると言えよう。この値を大きいと理解するか、否かは議論の分かれるところだが、ともあれ、そうである。また、同居や近居をする場合、その居住地が、現住所(つまり団地)か、それとも実家かに分かれるが、前者はすでにそうしている部分を含めて3.3割、後者は0.5割と言ったところである。
 ところで、回答者を世帯主が長男(長女)である場合だけに限定したB列を見ると、やや異なった値になっている。当然にも予想されることだが、「同居・近居する可能性は全くない」の割合が4割程度に減少し、それに対応して何らかの同居・近居の可能性が高まっている。「現在すでに同居している」、および「現在同居していないが、近居している」、「現住所での同居の可能性がある」、「現住所で同居の可能性はないが、近居の可能性はある」の値を合計すると、4割に達している。また、「実家に戻っての同居する可能性がある」、「実家に戻って近居する可能性がある」の合計も1割程度に上がっているのである。
 親世代との同居や近居の可能性は以上のようであるが、次に、今度は子供世代とのそうした関係を検討しよう。

 
 アンケートの結果は以上のようであるので、これを吟味してみよう。団地開発時期の差がここではかなり明確に現れている。手形山団地においては「現在すでに同居している」の割合が高いが、御野場団地ではそれが低く、しかしそれを補完するように、御野場団地においては「現住所で同居の可能性がある」「現住所で同居の可能性はないが近居の可能性はある」の割合が高くなっている。10年ほど先行して開発された手形山団地では、すでに世代交代が進みつつあると言えよう。
 「同居・近居する可能性は全くない」の値は、手形山団地より御野場団地の方がやや高い。また、これらをさきの親世代との関係と比較すると、親世代との「同居・近居する可能性は全くない」よりも、子供世代とのそれが1割程度低いことである。これは、親との同居よりも子供との同居を好んでいると言うことであろうか。
 そしてまた、同居・近居の可能性があると答えたケースでは、その居住地は、子供の居住地ではなく、現在のそれが圧倒的に選ばれている。子供の居住地と言ってもまだ未来のことであり、現実感が無いのでそのようになったとも考えられるが、そればかりでは無いとも言える。
 いま、親世代との同居・近居よりも、子供世代のそれが選好されことが明らかになったが、この点を踏まえると、以下のように言えよう。すなわち、この両団地の住人の多くは農村出身であったが、それらの人々にとっては、農村ではなく、現在の居住地がいわば「実家」となりつつあるのではないかと言うことである。つまり、この世代から純粋な都市生活者となってきたのではないか。

 ところで、親世代との同居・近居の可能性と、子供世代とのそれにはかなり深い相関関係が認められる。列(縦)に親世代との同居・近居の可能性を、また行(横)にそれぞれの子世代との同居・近居の可能性をとるように加工した表を作るとこの点が明確になる。ただこの場合にはサンプル数が小さくなるのでやや極端な数値になっている点に留意しなければならない。


 ともあれ、一見すると、いずれの場合にも子供世代とは「同居・近居する可能性は全くない」が最も大きなパーセンテイジを占めているものの、立ち入ってみると、親世代との同近居の可能性と子供世代とのそれには相関が見られる。
 親世代と現在すでに同居・近居している人、あるいは何らかの形でその可能性を考えている人は、子供世代との同居・近居の可能性をかなり高く感じているのである。そしてそれとは対照的に、親世代との近居・同居の可能性が全く無いとしている人は、その子供世代との近居・同居もやはり全く無いと答えている。簡単に言えば、親との同居や近居をすでにしているか、その可能性を信じている人は、子供に対しても同様に思っていると言うことである。また、逆に親との同居や近居を望まない人は、やはり子供とのそうした関係を否定しているわけである。
 すなわち、親との関係が子供との関係を再生産していると言ってよい。こうしたことは、当然と言えばその通りだが、あらためて確認しても良い事柄であろう。
 ここでアンケートの分析をひとまず終え、こうした結果の意味するところをいくつかのシナリオを描くことによって総括してみよう。

4.いくつかのシナリオ 

 アンケートに回答した世帯主世代を軸に、親世代と子供世代との関係を考えてみよう。既述したように、親世代との関係は子供世代との関係に大きく影響していた。そうだとすると、いま開始されつつある親世代との世代間関係は、未来の子供世代と世代間関係を予測させる。やや誇張して言えば、いま始まりつつある親世代との関係が、秋田の近未来を占う鍵を握っているとも言える。
 そうした前提を確認して、親世代との世代間関係を類型化して考えると、概ね以下の三つのパターンになろう。その第1は、世帯主世代が現住所で親と同居・近居するパターンであり、第2は、世帯主世代が親世代の元に戻って同居・近居するパターンであり、そして第3は、世帯主世代と親世代とはそれぞれ別に暮らすというパターンである。
 ところで、すでに明らかにしたように、両団地の住人の多くは農村からの出身であった。そうだとすると、こうした場合、都市と農村の関係はどのようになるのか、それぞれについて、まず思考実験的に考えておこう。
 まず、第1のパターンであるが、これにはさらに二つの場合が考えられる。世帯主世代が親世代を引き取るとしたら、@農村は急激に過疎化することになる。これまで何とか細々ではあれ農業を営んでいた親世代が農村から離れるのだから、過疎化は進行し、場合によっては村それ自身が消滅するという極限的な事態になるかも知れない。だが、必ずしもそうではなく、A少数の残った農家が規模を拡大し、それなりに安定的な経営軌道を維持できるようになるかも知れない。多くの離農者がいると言うことは、農地がいわば余ると言うことであり、このような土地は、売買されるか貸借されるかは別として、農業の経営規模を拡大するために用いられる可能性がある。そうだとしたら、過疎化は今以上に進むとはいえ、一定のところで安定することになる。たとえば、土地が貸借されるのならば、片や農村では農業の規模拡大、片や都市では地代収入という形で、農村と都市との補完関係が形成されることになる。
 次に、第2のパターンである。世帯主世代が実家の農村へ帰り、親世代と同居・近居するとしたら、これまでの農業の規模は維持される可能性が高い。こうしたことを「定年帰農」という。さきに見たように、親世代との関係は子供世代との関係に大きな影響を及ぼすとすれば、いったんこうした関係ができれば、今後ともこうしたサイクルが継続する可能性も大であろう。いわば農村と都市との関係の再生産サイクルが成立する。そうした形で農村と都市との相互補完的な関係が生まれるのである。
 さて、第3のパターンの場合はどうか。親世代も世帯主世代もそれぞれ別個に生活を営むとすれば、あと数年ないし十数年後には、先の第1のパターンと同じような事態が生じよう。ある場合には過疎化が極限的に進み、またある場合には残った農家の大規模化によって過疎化は一定の水準で留まり、それ以降は安定するかも知れない。
 このような思考実験が成立するとした場合、これまでのアンケートの結果を踏まえると、以下のように結論付けられる。
 すでに詳しく述べたように、世帯主が長男(長女)の場合、おそらく第1のパターンになるだろうと考えられるのは4割程度であり、同様に第2のパターンに当たるのは1割程度であり、そして、第3のパターンだと思われる回答は4割程度である5)
 したがって、今後どのようになるかを唯一の答えで示すことはできない。しかし、アンケートの結果を踏まえると、それはこうしたいくつかのシナリオと言う形で想定し得るのではなかろうか。世代間関係の構造とそこから導かれる近未来は、以上のように考えられるのである。

1)秋田県住宅供給公社にたいするヒヤリング調査を予備的調査として行った。
2)なお、無回答が約1割で、全く援助を受けなかったのは6割弱である。
3)「土地持ち非農家」とは、現在は農家ではないが、かつては農家であったことを意味する。 従って、農家と「土地持ち非農家」は、範疇としては両方とも農家と言ってよい。
4)「土地持ち非農家」は、現在は農産物を生産していないので、その場合を考慮すると、そ の値はさらに高まることになろう。
5)合計が10割にならないのは、「その他」と「無回答」があるからである。