「人口の冬」〜「統計に見る土俵際の秋田」〜

                        平成14年10月23日(水)
                        秋田ふるさとづくり研究所
                          主任研究員 野呂克彦

 

 初めに「統計」そのものについて、簡単にお話させていただきます。

 【統計って何だろう】

 まず、統計は「かまけし」だ、ということです。
 モック先生、「かまけし」は秋田の言葉ですが、お分かりでしょうか。〜「分かります」との声あり〜煮炊きする「かまど」を消してしまうほどお金がかかる、「金食い虫」だ、ということです。それほど多くの金と人手と時間がかかります。各県には統計課があって、主に国から依頼のあった各種の統計作業を専門に行っていますが、国の事業だということで、国からお金が出ています。県職員ではありますが、人件費は国からもらっています。
 その他、各種事務費、旅費などもそうです。更に、実際に調査を担当する調査員にも、報酬という形でお金が出るほか、交通費、電話料に至るまで少額ではありますが、考慮されています。そして当然のことですが、調査に応じてくれた個人、事業所などにもお礼を出しています。市町村に対しては、国から地方交付税の形でお金が出ています。ちょっと話が違いますが、6月に東京で「家計調査」関係の会議がありまして、出席することができました。最後に総務省統計局の見学ということで、「家計調査」の集計を行っている箇所を見せてもらうことができました。各県で無作為抽出で選ばれた各世帯が記入してくれた家計簿は1カ所に集められ、内容を点検したうえ、集計されます。
 当然、数字をパソコンで入力するわけですが、その入力作業を専門に行っているところです。実に壮観でした。180人の女性職員が、ひたすらキーボードを叩いています。対象となるのは全国で約9千世帯なのですが、それを入力するために毎日、朝から晩まで、ひたすらそればかりしているわけです。しかも、この「家計調査」という統計調査は、全国の全世帯4,800万世帯を対象とする国勢調査を例に出すまでもなく、対象世帯数9千ですから、とても「大規模な調査」と言うわけにはいかない調査です。
 それでもこの規模です。すごいな、と思いました。

 2つ目は、統計はその国の文明度を測るバロメーターだ、と言うことです。今言いましたとおり、統計には莫大なお金と手間がかかります。しかも出てきた結果は、ともすれば私たちの常識を裏付けるだけ、という場合がほとんどなのです。記念塔など何物をも生み出さない建造物ばかり作っている北朝鮮は論外としても、どの国の為政者も例えば道路、橋などのインフラ整備や公共施設の整備、住民の健康増進施策などに、限りあるお金を出したい訳でして、それをあえて「かまけし」の統計調査にお金を出す、出てきた結果はたとえ為政者にとって不利な数字であっても公表する、そして実態を正確に把握してから対策を考える、というその態度はよほど度胸のある、そして文明度の高い国でなければできないことであるわけです。

 3つ目は、統計は行政に対する信頼である、ということです。民間でもマーケテイングリサーチなどで、統計的手法を使用して実態を測ることが行われていますが、継続的に大規模にお金を出して統計調査を行うことは、いわゆる費用対効果を考えれば不可能なことです。統計は実質、行政にしかできないことになります。しかも、内容は収入や家族形態など、個人や事業所のプライバシーに直接触れるものが多く、統計を行うものに対して全幅の信頼がなければ、本当のことをうち明けてはくれません。市町村の職員が話していたことですが、民間のボランテイアともいえる統計の調査員が調査対象に出かけても調査に応じてくれない人でも、役場担当職員に対しては調査票を提出してくれるそうです。役場職員も調査員も、そして調査対象の人も、皆同じ町内の人間だわけですが、行政に対してだけはきちんと対応してくれるそうです。行政もこのごろ色々なことがありまして、住民の方々に不信の念を抱かせるようなこともあるのですが、それでもなお、行政のやることには住民の方は協力してくれるのです。本当にありがたいことです。

 次に統計の特徴は、普遍性、客観性と言うことです。大勢の方が作業に従事しますので、定義付けを厳格にして、誰が担当しても同じ判断が出てくる必要があります。それから、調査の対象となった方が真実を語り、それを行政側が何の装飾もせずに集計していくことが必要です。それから、継続性ということがあります。毎年、あるいは数年に1回同じ内容の調査を行い、その結果を比較していくことによって、世の中の動きを判断する必要があります。時系列比較といいますが、これには大きな問題があります。時代の流れと共に、内容、特に産業構造が変わっていってしまうのです。例えば、魁新報社の例があります。秋田県を代表する第3次産業のチャンピオンですが、統計調査においては「魁」は単なる印刷業でしかないのです。町の印刷屋さんと「魁」が同じ扱いになっているのです。誰もがおかしいと思いつつ、これまで2次産業と言うことで通してきました。実態に合わせて第3次産業にすると、これまでの統計結果と比較ができなくなってしまうのです。仕方なく、今まで印刷業で押し通してきましたが、なんぼなんでもそれはおかしい、ということで、国では検討のうえ、例えば「魁」については、来年から3次産業に格付け変更することになりました。これまでの統計結果との整合性をどのようにとるかを、具体的に十分、検討した上での処置だろうと思います。途中で内容変更すれば、それまでの膨大な統計データの集積が役に立たなくなってしまう。かといって、今までの定義付け、内容にしがみついていれば、時代の変化について行かれなくなってしまう。難しいところです。

 【統計は比較だ】

 さて、統計は細かい数字が並んでいるだけで、さっぱりわからない、まして数字を処理するとなると最小二乗法を使ったりして難しすぎる、とよく言われます。ですが、統計の見方は案外簡単で面白いものです。「統計は比較」だ、ということです。手法はたった二つだけ。今お話しした時系列比較が一つですが、もう一つは、隣り、あるいは全体との比較です。これを「割合」と言います。この二つしかありません。「利用なくして統計なし」と言います。これから、この二つのやり方で、その世界を覗いてみましょう。今日の本題である人口の話に入る前に、2、3興味ありそうな統計データを見てみることにします。

 【県民として知っておくべき10のデータ】

 最初は、「県民として知っておくべきデータ」です。佐々木さんから、考えてみたら、と言われて10のデータを挙げてみました。取りあえずこれだけあれば十分かな、と言うところです。
 1番目、秋田県の面積は全国6番目だ、と言うことです。市町村数は69。ただこれは、数年後には町村合併によって、ずっと減ってしまうかもしれません。
 2番目、年間日照時間が全国最下位です。平成12年の数字で1,453時間。24時間で割ると60日、ちょうど2か月ということになります。
 3番目、人口は118万人で、全国人口の約1%に当たります。毎年、5千人ほどの人口が減ってきています。これはちょうど飯田川町、金浦町、東由利町クラスの町が毎年、一つずつ消滅していくのと同じことです。以下、人口関係については、後で詳しくお話します。
 4番目、出生率は全国最下位です。平成13年で7.5。出生率は、人口千人当たり、年間何人生まれるかと言う数値で、最下位から2番目は北海道、3番目は東京となっています。北海道は別として、東京などは住宅事情が悪く、子どもが欲しくても作ることができないのですが、秋田はどうしてそういう東京よりも低い数値になっているのか不思議です。なお、死亡率は同じく人口千人当たりの数値ですが、島根県と同率の2位で10.1。出生率との差が3ほどあります。これでは人口が減っていくわけです。1位は高知県の10.3です。
 5番目、これは平成22年以降はそうなるだろうという推計数字ですが、高齢化率が全国一になります。現在は3位で28.0%。平成42年には36.2%になる計算です。ライバルは山口県です。
 6番目、婚姻率は全国最下位です。これも人口千人当たりの数値ですが、4.9は最下位です。離婚率は全国40位になります。
 7番目、各種死亡者数。これは人口10万人当たりですが、悪性新生物が全国1位で307.0。脳血管疾患が全国3位で162.1。自殺が1位で37.1。自殺のもっとも多い年齢階層は50代前半、その次が50代後半。それも男。私も困った年代にいることになります。
 8番目、住居関係の指標がことごとく良好であること。富山県から北の日本海側各県は住居関係について恵まれていることは昔から言われてきました。敷地面積、畳数、持家比率、学校面積、学校運動場面積など、どの数値をとっても恵まれていることが分かります。ただ、どんなに住居関係で恵まれていても、北朝鮮に拉致されたんではどうしようもありません。それと、住居関係がいいことと、4番目に出てきた出生率最下位との因果関係が分かりません。あと、ある本に書いてあったのですが、日本海側の各県は1県おきに美人の産地だと言われています。曰く、青森県だめ、秋田県よし、山形県だめ、新潟県よし、うんぬんです。ただし、これは私の意見ではありません。
 9番目、これはおもしろいところですが、理容・美容所の数が日本一です。人口10万人当たりで496.1。特に六郷町が有名です。
 10番目、お酒の消費が日本一です。これは是非言いたいことです。「家計調査」の結果ですから、お酒の購入面から見た場合です。税務署のほうでは蔵出し数量ということで、別の数字を出していまして、そちらのほうではやや違う結果が出てくるかもしれません。平成13年結果で1升瓶換算して各世帯12.3本。毎月1本消費の勘定です。毎年、新潟県と激しい首位争いをしていますが、今のところ秋田県がリードしています。それと、お酒の量でいけば常に新潟県に勝つのですが、金額でいけば旗色が悪いのが秋田県の特徴です。ただ、この結果は外で飲むことは対象になっていません。注意してください。

 【公共投資を統計でみると】

 次に「公共投資」のお話です。ここに県民1人当たりの公共投資額の上位10県の一覧表があります。昭和50年から平成11年まで5年ごとの数字になります。特定の県に絞って、その動きを見ていくと、面白いことが分かります。昭和50年の公共投資額トップは島根県です。島根県は以後、55年も1位、60年、平成2年が2位、7年、11年がまたトップです。昭和50年の2位は岩手県です。55年も2位、60年9位、平成2年圏外、7年8位、11年8位。島根県、岩手県はおわかりのとおり、竹下さん、小沢さんの地盤です。かって田中角栄が健在なころ、ドライブしていて新潟県に入ったことはすぐ分かったそうですね。急に道路がよくなる。当時、田中角栄の金権政治を批判した人が、その同じ口で「角栄が我が県にいたらなあ」と願望を漏らしていたことがまざまざと思い起こされます。我が秋田県はどうかと見ますと、昭和50年は10位に入っていますが、その後は平成2年に8位に顔を出します。その後、7年、11年に5位、10位。これをどう判断するか。難しいところです。一方、北海道と沖縄は開発庁があるくらい〜今あるかどうか、わかりませんが〜なので、どんなに集中的に国から投資が来ているかといえば、ベストテンには顔を出してはいますが、中位にいます。これは、一体何なんでしょう。

 これはかっての経済企画庁の役人のレポートの中身からとったものですが、この中でこう書いています。「公共事業に依存する経済構造が固定されている」「地域間の不均衡もまた固定されている」。国の役人なので、表現は硬いのですが、言っている内容については、その通りだと思います。

 【物価の動きはどうだろう】

 続いて、私のメシの種である物価について。物価の動きを見てみましょう。総務省統計局が「平成12年基準消費者物価接続指数総覧」という本を出しています。消費者物価指数は5年に1回基準改定を行っているため、何十年も以前の物価と現在を比較するのはなかなか難しいのですが、国では限定された内容ではありますが、過去のデータにリンク操作を繰り返ことによって、現在と過去を比較することができるようになっています。初めに、昭和30年から平成12年までの45年間の物価の動きを見てみます。食料品ではあさりが38.8倍、サツマイモが21.3倍、サンマが19.4倍などとなっていますが、面白いのは食料品以外についてです。
 何がどのくらい上がったのが一番だと思いますか。実は国立大学の授業料なのです。84.0倍。次が私立大学の35.5倍となっています。
 昭和35年は安保条約反対で盛り上がりました。10年後の昭和45年は安保条約改定反対もありましたが、より直接的には、各大学が抱えていた様々な問題、弊害が学生の闘争の対象になっていました。中でも、私立大学の授業料値上げ反対が大きな柱となっていました。ならば、政府としては私立大学の授業料をあまり上げないような方策を考えればいいのにと思うのですが、政府が採った政策は、国立大学の授業料を高くしていくことによって、私立大学との均衡を図る、というものだったようです。
 昭和50年代に入ってから、国立大学の授業料が急激に上昇を続けました。一方、私立大学も負けずに値上げを続け、第2位の35.5倍になっています。他に上がり方で目立つのは入浴料(大人)の24.6倍、理髪料の24.6倍というところでしょうか。

 逆に上がり方が緩やかだった、又は下がったものについてです。食料品では食用油が1.3倍でトップですが、一般に興味あるのは2位の鶏卵の1.4倍でしょう。「たまご」は、よく「物価の優等生」と言われていますが、やはり上がり方は控えめになっています。
 「たまご」と聞いて「もやし」があるではないか、ということで、「もやし」について調べてみましたが、もやしが調査対象になったのは昭和50年からでした。それでも1.7倍になっています。食料品以外では、1位が婦人用ストッキングの0.39倍。これについては、男の私にはよく分かりません。あとは家事用耐久財が0.79ですが、これは電気洗濯機などの家庭用電気製品なので、一概には言われないようです。

 ここで更に過去に遡って、昭和11年、1936年と比較してみます。総務省統計局が出している「消費者物価指数(平成13年版)」の付録部分に1934年から1936年まで、つまり昭和で言えば9年から11年までの物価を1とした時の、毎年の物価の動きが出ています。東京都の区部を対象に、食料、住居、光熱などの5つの大きい単位の指数となっています。
 先日、半藤一利の本を読んでいましたら、半藤さんは言っていました。「昭和11年、1936年は日本にとって非常に大きな歴史上の転回点であった。まず、二・二六事件が起こった。これで軍部が、日本という国を自分たちが勝手に動かすことができると信じ込んでしまった。  二番目には日独防共協定を結んだことで、当時のナチスドイツの勢いの強さに目がくらんだ日本の支配層がドイツと手を結んでしまった。これがそのまま三国同盟になってしまい、戦争への道を突っ走ることになってしまった。
 三番目は阿部定事件で、当時の世相に大きな衝撃をもたらした。」ということです。三番目のことについては分かりませんので省略させていただきますが、1936年という年は日本に限らず、世界史的に見ても、大きな歴史の転回点だったと私は思います。
 西安事件がそれです。当時、中国大陸では、蒋介石の国民党政府と中国共産党と日本軍が三つどもえで争っていたわけですが、もっとも大きな勢力である蒋介石政府は、共産党を壊滅させて後顧の憂いを無くしてから、日本軍と対峙する方針だったとのことで、その方針を百八十度変換させてしまったのが、この西安事件だったということになります。当時、中国共産党は蒋介石軍の圧迫に耐えかねて本拠地を捨てて、「大長征」に出ていました。その途中、1935年、遵義という所で会議を開き、そこで初めて毛沢東の覇権が認められました。
 それまでは毛沢東はずっと反主流派でした。周恩来がトップに立っていたはずです。父親が日本軍に殺された張学良は、地方軍閥のボスから蒋介石の指揮下に入っていましたが、その蒋介石が西安に来た時を狙って逮捕し、毛沢東と手を結び、共同して日本軍と戦うことを強要しました。仕方なく蒋介石はそれを認め、以降両者は共同して日本軍と戦うことになります。国共合作です。
 そして、日本軍は泥沼の日中戦争に入り込んでいきました。張学良は以来、軟禁され、その後100歳近くで、最近ハワイで亡くなったはずです。中国の歴史を大きく動かしたこの事件は、日本だけでなく、世界にとっても大きな出来事だったと思います。その西安事件が1936年に起こっています。

 大きく脱線してしまいました。物価の動きに戻ります。
 昭和11年から戦争を経て36年後の昭和46年の物価は、総合で613.7になります。そして、その10年後の昭和56年には、1428.7になっています。戦争を含んだ36年間に上昇した分よりも、大きい物価上昇となっているのです。わずか10年間に、何があったのでしょう。石油ショックです。昭和48年と54年の2回にわたり、国際石油価格がつり上げられ、日本だけでなく世界中のどの国も、その対策に必死になりました。特に48年の第1次石油ショック時には、日本の産業界は懸命になって産業構造の転換を行い、その結果、54年の第2次ショック時には、それほどのダメージを受けなかった、ということが定説になっています。
 私の記憶でも、昭和48年から翌年にかけては、狂乱物価と物不足のひどかったこと、名目上の給料が猛烈に上がったことが、48豪雪の凄まじさとともに、はっきりと頭に刻み込まれています。
 それにしても、あのころの冬の寒さはひどかった。昭和56年から更に10年後の平成3年には、1766.2、更に10年後の平成13年には1822.0となっています。食料、住居、光熱、被服、雑費の5つの費目分類では、食料が昭和11年の1に対して、2128.7となって、もっとも上昇率が高いものとなっています。

 【世界の人口はどうなっているだろう】

 本題の秋田県の人口に移る前に、世界の人口についてちょっと触れてみます。
先ず、世界の人口はいくつぐらいあるかと言うことですが、次のようになっています。

現在の世界人口(2001年)

アジア地域
37.2億人
60.7%
アフリカ地域
8.1億人
13.2%
ヨーロッパ地域
7.3億人
11.8%
ラテンアメリカ地域
5.3億人
8.6%
北部アメリカ地域
3.2億人
5.2%
オセアニア地域
0.3億人
0.5%
合計
61.3億人

 この数字は総務省統計局が公表したものを使っていますが、この区域分けでは、今もっとも注目しなければならないアラブ世界が出てきません。どこに該当するのでしょうか。
 次は世界人口の動きです。

世界人口の動き

1650年

5億人

19世紀前半

10億人

1960年(100年以上経過。40年前)

30億人

1975年(15年経過)

40億人

1987年(12年経過)

50億人

1999年(12年経過)

60億人

2001年(2年経過)

61.3億人

2025年(予想。24年後)

79億人

2050年(予想。25年後)

93億人

 最近の人口爆発はすさまじく、10年強で10億人も増えています。ごく大雑把に言えば、1年間に1億人増加となり、毎年日本の国が一つずつ誕生している、と言っても言い過ぎではない感じがします。

人口分布を見てみます。

各国の人口(2001年)

第1位
中国
12.8億人(20.9%)
第2位
インド
10.2億人(16.7%)
第3位
アメリカ合衆国
2.8億人( 4.7%)
第4位
インドネシア
2.1億人( 3.5%)
第5位
ブラジル
1.7億人( 2.8%)
第6位
パキスタン
1.4億人( 2.3%)
第7位
ロシア
1.4億人( 2.3%)
第8位
バングラデッシュ
1.4億人( 2.3%)
第9位
日本
1.3億人( 2.1%)

 日本は世界9位になります。昔、戦前派の私の父は酔っぱらって「支那には4億の民がいる」と歌ったものですが、現在、中国の人口は13億人です。1人っ子政策を採らなければならない理由が、理屈では分からないでもないというところです。インドネシアはもっともイスラム教徒が多い国です。それから、昔はパキスタンとバングラデッシュは同じ国でしたから、世が世であれば、3億の人口を誇っていたところです。

日本の人口に目を転じます。

日本の人口

 江戸時代

3,400万人

 1900年代(明治末)

5,000万人
1920年(大正9年)〜最初の国政調査実施
6,696万人

 2000年(平成12年国勢調査)

1億2,692万人

 2006年(平成18年)〜ピーク

1億2,774万人

 2050年

 1億59万人

 2006年、もうすぐですね、がピークで、その後は徐々に減少していく予測になっています。

 現在の世界人口の年齢構成を見てみます。

現在の年齢構成

〜14歳
15〜64歳
65歳以上
先進地域
18.3%
67.4%
14.3%
開発途上地域
32.8%
62.1%
5.1%
 合計
30.1%
63.1%
6.9%

 地域分類は国の資料に拠っていますが、先進地域とは北部アメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリア、ニュージーランドだそうです。働き盛りの15歳から64歳の年齢帯の数字はあまり変わらないのですが、若年層と老年層が異なっています。先進地域は老年層が多いのに対して、開発途上地域では若年層が非常に多い。そして、合計の数字が開発途上地域のものと近似しているのは、開発途上地域の人口がかなり多いため、そちらの数字に引きずられたためでしょう。

 将来の予測に移ります。

  将来の年齢構成予測(65歳以上の割合(%))

2010年
2020年
2030年
2050年
日本
22.5
27.8
29.6
35.7
韓国
10.1
13.5
20.0
27.4
中国
8.1
11.5
15.7
22.7
アメリカ
12.9
16.3
20.2
21.1
イタリア
20.6
23.9
28.6
35.9
スペイン
18.5
21.3
26.5
37.6
ドイツ
20.2
22.5
27.7
31.0
アンゴラ
2.6
2.5
2.5
3.3
アフガニスタン
2.9
3.0
3.4
4.9

  韓国は、2010年段階では日本の半分以下の老年人口ですが、その40年後には急速に日本型に近づくことが分かります。アメリカは、今から50年たっても老年人口は2割にしかなりません。若い国です。うらやましい。現在、日本よりもお年寄りの割合が少ないイタリアとスペインは、約50年後の2050年には日本よりも老年人口が多くなります。アフガニスタンは、見るだけ哀れ、という感じがします。

 以上までが前置きでありまして、これからやっと、本題である秋田県の人口に入らせていただきます。世界の人口を見てきたのだから、次は日本の人口の番だろうと言う方がいるかもしれませんが、この際、あえて言わせていただければ、日本のことはどうでもいい、まずは我が郷土が大事なんだ、と言うことです。

 【人口の二つの要素って何だろう】

 まず、人口を考える場合、考慮するべき要素は2つしかありません。社会増減と自然増減の二つです。社会増減とは、県内に人が入ってくる、この場合人口は増えます、又は県外に人が出ていく、これは人口が減ります。それと、自然増減。これは、赤ちゃんが産まれる、又は人が亡くなる、のどちらかです。二つの要素がそれぞれ二つの要素でできていますから、四つの要素で構成されていると言えるでしょうか。

 統計課が毎月公表している秋田県の人口関係の速報の9月1日分、表紙だけですが、を見ていただきます。平成3年10月1日から毎年の人口の動きが載っています。一目でお分かりのように、増加人口、増加率、社会増減、自然増減のほとんどの項目に黒い三角が付いています。と言うより、平成5年分以降は、すべてマイナス、つまり減少になっています。それまでの秋田県は、人口減少は続いていましたが、社会増減は減少していても、生まれる数が亡くなる数よりも上回っていました。ですが、平成5年の10月からは自然増減も減少に転じてしまいました。社会減、そして自然減です。
 ここで、自然減少と社会減少のどちらがどれほど大きいのかを調べた結果を見てもらいます。

「自然減少」と「社会減少」の割合(平成5年〜) (単位:人、%) 

自然減少数
社会減少数
自然減少割合

社会減少割合

平成5年
ー447
ー2,071
17.8
82.2
ー289
ー1,475
16.4
83.6
ー809
ー1,627
33.2
66.8
ー1,181
ー2,166
35.3
64.7
ー1,875
ー2,686
41.1
58.9
10
ー2,022
ー2,559
44.1
55.9
11
ー2,666
ー2,458
52.0
48.0 逆転
12
ー2,916
ー2,542
53.4
46.6
13
ー3,170
ー2,729
53.7
46.3

 自然減少に転じた平成5年段階では、まだ社会減少割合が8割以上を占めていて、簡単に言えば、「地元に就職がないから県外に出ていく」というイメージが浮かびますが、年毎に社会減少割合が少なくなり、平成11年に逆転して、更に減る傾向は続行している、という構図になります。
 私どもは秋田県の人口減少、と言った場合、ともすれば秋田には就職口がないから人が出ていくのだ、と思いがちです。が、実際は最近は、自然減少の割合の方が大きくなっているのです。
 この表のそれぞれの減少数そのものを見ても、社会減少数は2千人台と、ほぼ一定数を保っていますが、自然減少数は百人台から千人台、そして2千人台、3千人台と、じわじわと増えてきています。
 私は行政の人間ですので、社会減少が主な原因の場合は、逃げる訳ではないのですが、正直言って、つらいところがあります。就職口を作るのが行政の仕事ではないか、と言われるからです。そして、そのとおりです、と答えるしかないのです。ですが、自然減少が主体と言うことになれば、もしかしたら行政の力が及ばない領域のことかもしれない、ということになります。ただ、この傾向は平成13年11月以降の数字を見ると、又変化してきているようです。が、まだ10月1日段階の数字が出ていませんので、この際、コメントしないことにします。

 【出生と死亡のどちらが増えているだろう】

 次ぎに、自然減少の中では、「出生」と「死亡」のどちらがどれだけ多くなっているか、を見てみます。これからお見せする数字は、出生と死亡という本来、正反対で性質の違う数値を並列にして扱ったもので、専門家からは「これはおかしい」と言われること確実なものですが、本質を探るためだということで、便宜上勘弁していただきます

 ◎「出生数」と「死亡数」を対比する(平成2年〜)(抜粋)

出生
死亡
合計(単位:人)
出生
死亡
平成2年
11,347
9,955
21,302
53.3
46.7
10,396
10,843
21,239
48.9
51.1
11
9,263
11,929
21,192
43.7
56.3
13
8,778
11,948
20,726
42.4
57.6

 平成2年段階では、やや出生割合が過半数を超えていますが、平成5年に死亡が半数を超えます。先ほどお話した自然減少への転落です。その後も出生割合の減少と死亡割合の増加が少しずつ継続して、平成13年には4対6の割合になってしまいました。この傾向は今後も続くと思われます。 
 ここで、自然減少についてもう少し突っ込んで考えてみます。自然増減は「生まれる数」と「亡くなる数」の差ですので、その両方について数字を見てみます。
 初めに、生まれる数の減少について、世間で言われている理由を、一つ一つ検討してみます。

 【出生数減少の原因を考える】

@出生率が低い

 「県民として知っておくべきデータ」の4番目に、出生率が全国最下位の7.5であるということがありました。出生率が低いと生まれる数が少ないのは、あまりにも当然です。
 先ほど申し上げた通り、他の地域と比べて居住環境が恵まれているのに、なぜ子どもを作らないのでしょう。しかも、これは伝統的にずっと以前からそうなのです。全く理解できません。ただ、ここで注意しなければならないのは、皆様お分かりの通り、統計用語で「合計特殊出生率」と言うものがあると言うことです。
 数学的に作り上げた数字で、一般には「女性が生涯に生む子どもの数」となりますが、私としては最近の風潮から、正確さは多少犠牲にしても「夫婦がもつ子どもの数」と言い変えたい気持です。何しろ、何故女が子どもを産まなければならないのか、と騒ぐご時世ですので。そしてその合計特殊出生率(TOTAL FERTILITY RATE)が1.40で全国26番目となっているのです。
 全国で47都道府県ですから、良い数字ではないかもしれないけれども、悪い数字ではありません。ダントツで最下位の数字と、全国中位の数字。人口千人当たりでは少ない出生数と、女性1人当たりでは、まあまあの出生数。私には説明がつきません。

A働く女性が多い

 平成12年の国勢調査結果によると、女性の就業率は次のようになっています。

全国
秋田県
青森県
岩手県
宮城県
山形県
福島県
15〜49歳
56.7
65.0
59.8
63.5
57.8
68.8
62.3
20〜34歳
61.4
70.1
64.7
68.6
62.8
73.6
66.2

 東北6県の数字ですが、昔から秋田県は山形県と並んで、女性が働く〜就業している〜県として有名です。日中の時間を仕事に取られると、どうしても育児にかける時間が不足して、子どもの数が少なくなるのは、原因として「まあ、そうかな」というところでしょう。

B婚姻率が低い

 人口千人当たりの婚姻数である婚姻率が全国最低であることは、お話しました。人口動態統計による東北6県の数字は、このようになります。

H2
10
11
12
13
全国
5.9
6.0
6.1
6.4
6.3
6.4
6.4
6.2
6.3
6.1
6.4
6.4
秋田
4.6
4.8
4.8
4.9
4.9
4.9
4.8
4.6
4.8
4.7
4.8
4.9
青森
5.3
5.3
5.6
5.9
5.6
5.6
5.5
5.4
5.5
5.2
5.5
5.5
岩手
4.9
5.1
5.0
5.2
5.2
5.1
5.1
5.0
5.2
5.1
5.4
5.3
宮城
5.5
5.6
5.7
6.0
5.9
6.0
6.0
6.0
6.1
5.8
6.3
6.4
山形
4.9
4.8
5.0
5.3
5.3
5.2
4.9
5.3
5.0
5.4
5.6
5.6
福島
5.3
5.3
5.5
5.7
5.5
5.7
5.7
5.7
5.6
5.5
5.9
6.0

 東北6県でも、秋田県が際だって低いことが分かります。平成2年には全国との差   が1.3でしたが、今は1.5に広がっています。結婚しなければ、子どもはできません。これも、出生が少ない理由として「まあ、そうかな」というところでしょう。

C適齢期の女性が少ない。

  平成12年国勢調査結果を使って、5歳刻みの年齢階層別に秋田県と全国の人口割合を見てみました。
  女性についてですが、0歳から14歳までの人口割合は、秋田県と全国で0ポイント台しか違いません(秋田県が少ない)。
  適齢期と見られる15歳以降については、次のようになっています。

 女 性

全国
秋田
15〜19
5.7
4.7
1.0
20〜24
6.2
4.5
1.7
25〜29
7.2
4.9
2.3
30〜34
6.5
4.6
1.9
35〜39
6.1
5.4
0.7

40歳以上になると、秋田県の人口割合が多くなってきます。高齢化ということです。
結婚は1人ではできませんので、男性についても調べてみました。男性も19歳 までは女性と同じように、全国とその割合はほとんど同じです。

 男 性

全国
秋田
20〜24
5.1
6.8
1.7
25〜29
5.9
7.8
1.9
30〜34
4.8
6.9
2.1
35〜39
5.9
6.6
0.7

 いわゆる「年頃」になると、男性は秋田県の方が多くなります。結婚年齢になると、秋田県では女性が少なく、男性が多いのです。男があぶれてしまう。
 10年前から東由利町で全県雪上野球大会が開かれています。毎回、10チーム100人以上が参加して雪の中で熱戦を繰り広げていますが、ある時、その熱戦の様をネット裏で眺めていた主催者の方がつぶやいた一言が忘れられません。
「この選手たちの4割くらいが独身なんだよ」。
 この野球はお遊び的要素があるため、若い方の参加はあまりない、つまり中年の選手が多いのです。農家の嫁不足、と言う言葉が浮かびました。つらい現実です。
 適齢期の女性が少ないということで、「まあ、そうかな」というところでしょう。 出産適齢女性数の減り方の推移も調べてみたところ、秋田県は全国平均よりも減少傾向が大きいことが分かりましたが、ここでは省略することにします。

D1人っ子が多い

 これは残念ながらデータがありません。国勢調査のデータの取り方は、世帯主とその子供の数となっています。
 世帯主の年齢制限はありませんので、80歳の世帯主も当然、考えられます。他には適当な数字がないようです。強いて言えば、秋田県の女性は他県の女性と比べて若いうちに出産して、その後は生まなくなる、というデータがあります。若いうちに生んで、その後生まないということは1人っ子で終わってしまう可能性が高くなるかもしれませんが、根拠としては非常に脆弱です。
 むしろ、私自身の個人的な感触を言いたい気持です。私には4人の子供がいますが、子供の幼稚園時代の同級生をみますと、4人兄弟というケースが必ず2〜3例見られました。その反面、1人っ子の家族が少なからず見られました。
 たまに多くの子供を持つ親がいるが、それ以上に1人っ子で終わる親が多い、という図式です。公の形で提示することはできませんが、この感触は正しいのではないかと信じています。

E結婚年齢が高い

人口動態統計で平均初婚年齢を調べてみます。平成13年の数字です。

全国
秋田
青森
岩手
宮城
山形
福島
27.2
26.7
26.5
26.6
26.6
26.5
26.2
29.0
28.7
28.3
28.7
28.4
28.8
28.5

  男女とも、全国と比べても、東北各県と比べても、特別、結婚年齢が高いわけではないことが分かります。また、平成2年からの数字の動きを見ても、結婚年齢が格別伸びているわけでもありません。むしろ、全国の数字の伸びの方が大きいくらいです。
 ですから、結婚年齢が高いからあまり子どもが産まれない、ということは理由には当てはまらないと思われます。

F県民性

 実は子供を作らないことについて考えていくと、どうしても「県民性」という要素に突き当たるのです。秋田県は昔から豊かな国でした。隣の各県は「やませ」などの天候異常によって、毎年のように米の不作、凶作に悩まされました。
 が、秋田県はそれほどひどい目には合わなかったようです。江戸時代の旅行家である古川古松軒の書いた本には書いてあるそうです。 「秋田藩に入ると、そのことがすぐ分かる。それまで道ばたにうち捨てられていた無惨な餓死死体が、ぴたっと見られなくなるばかりか、周りから、三味線など、歌舞音曲が聞こえてくる。人々は生活を楽しんでいるようだ。」と。
 米がとれる、銅など鉱産物は豊富、スギなども豊か、大正年間ころからはうまいお酒が加わったはずです。石油が生活向上に貢献したかはちょっと分かりません。いずれ、他県と比べて生活の困難性が少なかったため、「飲んで、歌って」の県民性を養ってしまい、地道に将来に備えるという気風が養われなかったと言われていますし、1県民としても全くそのとおり、と思ってしまいます。
 刹那的なため、将来を考えて子供の数を考えるなどということがなかったことが、今に至っても続いていると思われるのです。
 かって、若きキャリアの情報統計課長に少子化の原因について聞かれるたびに、県民性を持ち出し、そのたびに「行政はそれではつとまらない」と言われました。その通りで、行政は県民性のせいにしては成り立たないのです。
 何事に付けても「県民性」のため、となってしまえば、行政の出る幕がなくなってしまいます。行政どころか、私たちが原因を打開しようとしても、することは困難になってしまいます。
 ですから、これは大本命と思われるのですが、少子化の理由としては取り上げないことにします。

 【死亡者数の増加を考える】

 次に、人口の自然減少のもう一つの要素である、「亡くなる方の数が増加している」ことについて見てみることにします。

 私たちが死んでしまう場合、一般的には病気によって亡くなります。先ほど、「県民として知っておくべきデータ」の中で、ガンや「あたる」ことによって亡くなる率が、全国トップクラスであることをお知らせしました。あまりにも言い古されてきているように、私たちの伝統的食習慣による、塩分の取りすぎ、酒の飲み過ぎが大きな原因でしょう。自殺で亡くなる方もいます。秋田県の年間死亡者数の約4%を占めています。死亡原因の6位となっています。それから、高齢になることによって病気になりやすくなりますし、特定の病気ではない「老衰死」も増えてきます。
 ここまで来て、はたと困ってしまうことがあります。本来、高齢化とは、お年寄りが増えるということ、つまり「死なない」ということです。ロシアやアフガニスタンの例を見るまでもなく、若くして死んでしまえば、高齢化の心配はありません。カリフオルニアでは老人産業が盛んだと言うことを聞きます。元気な老人が多いのは最高のことなのです。ですが、私たちのケースは大分違うようです。「高齢化」と言った場合、百分率の問題ですので、「高齢者が増える」ことと、「年少者が減る」ことがセットで進行することなのです。両方が同時進行すれば、どうなるのでしょうか。ここに「老年化指数」というものがあります。分母に14歳未満の人口を置き、分子に65歳以上の人口を置いた数字です。

昭和30年
35
40
45
50
55
60
平成2年
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
10.3
13.4
19.8
29.9
39.9
50.2
63.1
87.2
101.5

109.3

116.7

125.9

134.8

143.3

152.4

161.5

171.5

180.8

 平成12年の全国数値は秋田県の171.5に対して、120.7となっています。平成4年に100を超えてから、毎年ほぼ10ポイントずつ増えています。私はこんな統計数字を初めてみました。毎年10ずつ増えるなんて。何と景気のいい話だ。分母がどんどん減って、分子がどんどん増えていくからこうなります。秋田県の置かれている現状が一番分かる数字ではないでしょうか。全国各県の数値は残念ながら今、手元にはありませが、それがあればもっとはっきり分かることと思われます。

 【断然トップの秋田県の高齢化】

 ここで、今年の5月4日の魁新報の記事の切り抜きを見ていただきます。記事の内容よりも,記事の中にある「都道府県別高齢化率の上位10」と言う表を是非見ていただきたいのです。国立社会保障・人口問題研究所の推計データをまとめたものですが、私はこの表を見て、大げさに言えば体がふるえました。一体、秋田県はこれからどうなるんだろう、と。平成12年段階で秋田県は高齢化は全国3位です。が、平成22年には全国トップになり、更にぶっちぎりで首位を突っ走る、という内容です。

平成12年
平成17年
平成22年
平成27年
平成32年
平成37年
平成42年
1
島根 24.8
島根 26.5
秋田 28.0
秋田 31.2
秋田 33.8
秋田 35.4
秋田 36.2
2
高知 23.6
秋田 26.3
島根 27.8
山口 31.1
山口 33.2
山口 34.0
山口 34.3
3
秋田 23.5
高知 25.4
高知 27.4
高知 30.8
高知 32.6
高知 33.3
長崎 34.3
4
山形 23.0
山形 25.0
山口 27.2
島根 30.5
島根 32.2
大分 33.2
大分 33.9
5
山口 24.6
山形 26.2
長崎 33.1
高知 33.7
6
山口 22.2
島根 32.8
7
8
9
長崎 31.3
10
山形 28.6

 これもまた、特定の県に注目して見ていくと、各県のいわゆる「栄枯盛衰」が見えて来るという、本当に「面白い」表です。当初トップを走る島根県が、あの公共工事独占の島根県が、次第にパワーを失って、平成37年を超すと10位以内から転落してしまう。
 一方、秋田県は平成12年に3位ですが、22年には首位に立ち以後、独走、数値的にも2位以下を引き離していきます。山形県は初めこそ上位にありますが、次第に低迷、27年を過ぎると圏外に去っていきます。ダークホースは山口県で、6位から始まりますが、27年には秋田県に次いで2位をキープすることになります。このように、各県別の年齢階層別の数字などを駆使することにより、かなり正確に近未来の予想数字を出すことができるのです。

 ちなみに、平成12年国勢調査における平均年齢は

1位
島根県
44.9歳
2位
秋田県
44.8歳
3位
高知県
44.7歳

となっています。

 同じ国立社会保障・人口問題研究所の推計による数字をもう一つ、やや古いデータ(平成9年推計)ですが、これをお見せして、数字の羅列はおしまいにします。今後の人口増加率の推計です。常に秋田県はトップで、しかも差は広がっていくばかりです。

平成7年〜12年
平成22年〜27年
平成32年〜37年
1位
秋田 ー0.40
秋田 ー0.83
秋田 ー1.22
2位
東京 ー0.38
東京 ー0.81
東京 ー1.15
3位
長崎 ー0.37
山口 ー0.75
山口 ー1.14
4位
島根 ー0.34
大阪 ー0.70
大阪 ー1.06
5位
山口 ー0.33
長崎 ー0.67
長崎 ー1.02

  【人口の冬】

 いよいよ、私のお話もまとめの段階に入ります。「人口の冬」と題しています。
 実は私はこのネーミングが気に入っていまして、佐々木さんから統計についての話を、という提案があったとき、すぐ、これを使おう、と思いました。今から20年近く前になります。
 私が当時の情報統計課に異動した時の課長が、経済企画庁から出向してきた方で、若くて頭がものすごく切れるすごい方でした。当時、昭和62年の春ころは、60年のプラザ合意によって円高、ドル安が次第に日本経済を圧迫し、日本全体が円高に押しつぶされそうになっていました。日本の経済を支えてきた外国への輸出が円高のため難しい、逆に外国から安く物が大量に入ってくる。もう日本国はおわりだ、と誰もが信じていました。そのとき、その課長はたった1人「いや、大丈夫です、円高にはメリットがあります。デメリットだけではありません」と常に断言していました。そして、数ヶ月経たずして、日本中が円高景気に沸くようになってしまいました。原材料が海外から安くはいってくるようになり、それを加工して安く販売、輸出することができるようになりました。逆風が順風に変わったのです。
 私は、この課長をすごいなと思いました。そして、この課長が、当時から危機的状況にあった秋田県の人口問題について触れるたびに、「人口の冬」と言う言葉を使っていました。ものみなが死に絶えてしまう「冬」。このままで人口が推移すると、秋田県はその「冬」になってしまうよ、という警告の言葉でした。

 人口の冬の1番目は、「年金、医療、健康保険などの負担をどうするか」ということです。 かって、4〜6人で1人を養わなければならない社会がやってくる、と言われました。ですが、最後に見たとおり平成42年、今から30年後には、秋田県の高齢化率は35%を超えることが確実です。35%を残りの65%が支えるということは、1人のお年寄りを2人の大人が養うと言うことです。ですが、まだあります。65%の大人と言いますが、実際は親から面倒を見てもらわなければならない年少者が、少なからず存在します。その人たちを差し引くと、実際は、1対1に近くなってしまうのではないでしょうか。自分1人をケアするだけでも目一杯の私たちが、30年後には、その背中に1人1人老人を背負って生きていかなければならないのです

 2番目は、「治安、消防などは誰が担うことになるのか」と言うことです。治安、消防に従事すれば、その分、本来の生産活動に従事する人がいなくなってしまいます。みんなで仕事を分け合おうというワークシェアリングの発想がありますが、もう30年後にはこの言葉は死語になってしまうことでしょう。

 3番目は、「経済が衰退する」ということです。生産活動に従事する人が少なくなることは、経済的に大打撃ではありますが、更に消費の減退が生じます。人口減少それ自体が消費減退の大きい原因なのですが、更に少子高齢化の加速が加わります。高齢化にしてもお年寄りが皆元気であれば、それなりに消費は期待できます。ですが、高齢者の消費には自ずから限界があるのではないでしょうか。
 若者と高齢者とでは、どちらの消費がダイナミックかは一目瞭然だと思います。まして、今後秋田県のお年寄りが元気で老後を過ごすことができるとは、あまり考えられません。それから、「子育て」には金がかかる、と言うことです。私自身、4人の子の親ですので、骨身にしみてそのことを、毎日感じながら暮らしています。ですが、個人としてはものすごく苦しい、だけれども消費したお金は、世の中に出回ります。これを経済波及効果といいます。例えば千円の支出は千円を遙かに超える経済効果をもたらします。ですから、私は4人の子育てで経済的にとても苦しいけれども、この金は世の中に出回って、周り回って、世のため、人のためになっているんだ、と自分に言い聞かせて、毎日をおくっています。
 子供の数がこのように減っていくと、世の中に出回るお金がなくなっていきます。そのお金で潤う人がいなくなってきます。どうなるのでしょう。

 4番目は、「社会の活気が失われる」と言うことです。人口が減少し、若者の姿が少なくなり、老人ばかりがめだつような社会。既に、特に郡部において、このような姿は見られるようになってきています。消費マインドも含めた「意欲」の減退が起こるのは、やむをえないことでしょう。先祖から引き継いできた竿灯などの伝統演芸や、秋田の言葉なども含めて、私たちが受け継いできた伝統文化が失われていくことは避けられないことでしょう。

 5番目、そして最後になりますが、「復活は極めて困難だ」と言うことです。絶望的です。パイがどんどん小さくなっていきます。縮小再生産の連鎖が続きます。以上の変化が雪崩を打って進行していくのです。

 極めて暗い結末になってしまいました。ですが、私はここで、例えば、だから子供を作ろう、とか迷惑をかけるから早く死のう、などと言っているのではありません。今までお話ししてきたことが実際に進行しているということ、しかも進行速度は加速度的に速くなっていくばかりだということ、その事実関係を私たちが、自分たち自身の問題としてしっかり認識しようではないか、と言うことです。そして、そこからどうすればいいかをみんなで考えていきたいのです。


【付け足し】

 私のお話が終わってから、参加者との質疑応答というか、意見交換がありましたが、その中でミネソタ州立大学秋田校のモック先生から3点の指摘があったので、紹介します。

 @講師〜日本、韓国、イタリア、スペインは今後、高齢化が進むのに対して、アメリカは若いままで推移する。

モック先生
〜emigration(移民、移住)があるではないか。

→ アメリカは常に新しい人が世界中から入って来る、そしてそれを受け入れるから、若くあり続けることができるのだ、ということだと思われます。確かに私たちの社会は静態的です、それに対してアメリカは、いつもmeltingpot(るつぼ)であり続けるのでしょう。ダイナミズムの違いが、私たちの意識を違えさせているようです。

A講師の「人口の冬」の題目について

モック先生
〜冬が来れば、次は春が来るではないか。

→これも、アメリカの人々の静態的でない、ダイナミックな発想です。私たちはどうしても、どん詰まりがある、と考えてしまいます。が、アメリカの人は、何とかしようではないか、と前向きに捉えることができるようです。

B話が終了後

モック先生
〜それで、policyは?

→日本型では、統計部門は統計部門に専念します。対策など口外したら、不謹慎だ、などと非難される雰囲気があります。あちらでは、トップに立つ人が総てを把握し、すべてについて責任を持つ、ということを聞いたことがあります。統計結果を発表する人が、その対策についても責任を負うことになっていることの反映かな、と思ったことでした。

 以上、雪上野球でバッテリーを組むモック先生との応答は、大変参考になりました。