京都東山・幕末の志士達が眠る
京都東山。戊辰戦争120年の年(昭和63年、1989年)の夏。霊山(れいぜん)記念館があって、幕末維新の志士達の顕彰と検証を行っているところ。そこで、戊辰戦争の史料を調べた。
記念館を出て、霊山を見上げると鬱蒼とした常緑樹の森になっていた。ちょっと登ってみた。雑草が茂る小道には細長い風化した小さな墓が並んでいた。上まで登り詰めるとひときわ立派な墓が見えてきた。木戸何とかとあった。木戸孝允だった。桂小五郎の墓だった。(木戸孝允は、遺言で幕末の同志の側に埋葬)
何で木戸孝允の墓が京都にと、坂を下っていくと小さな細長い墓の中に、ふと坂本との名を見つけた。隣の墓の名は、中岡と読める。坂本龍馬、中岡慎太郎の墓だった。藪蚊にやられて、随分とかゆい思い出がある。
10年後の平成10年秋、京都駅で東山方面の観光チラシを見ると、坂本龍馬の墓と載っている。バスに乗って東山へ。霊山へは上り坂。大きな霊山観音が見える。登りつめる。突然、胸ポケットの携帯電話がブルルルと振動した。京都の親友・斉藤哲雄からだ。「今、東山の霊山に登ってるとこだ」「ええ?どこや、そこは」
そこは観光地になっていた。入り口に大きな案内図。入場券300円のカードを自動販売機で買って、駅のホームに入るように改札口にカードに差し込んで入る。階段を登ると、上部が三角の細長い墓が並ぶ。土佐藩士の墓が続く。那須信吾の名前が見える。司馬遼太郎の小説で聞いた名前だ。坂本竜馬の墓はすぐ見つかった。そこには中岡慎太郎と一緒の小さな銅像がある。10年前にはなかった。藪蚊に刺された所はもっと上の方だった。他の墓とは少し引っ込んだ場所に二人の墓が見えた。花が添えられ、千羽鶴が木の枝に掛けられていた。横には無名の志士の墓が縦に並んでいる。
長州藩士の墓も並んでいた。久坂玄端、吉田稔麿、何故か前に訪ねたことのある山口の萩・吉田に眠る、高杉晋作の墓もあった。他の墓の碑銘より字が鮮明に見える。
熊本藩招魂社、そして鳥取藩招魂社もある。福岡藩招魂社の奧には平野国臣の墓もあった。霊山の一番高い場所に伊藤博文の墓があることになっているが、そこへは鉄線は張られ入っていけなかった。一段下に、木戸孝允の墓がある。内閣顧問勲一等贈正二位木戸孝允墓とある。下っていくと、天誅組の人々の墓のある側に東屋があった。
東山・霊山から眺める京都の町並みが美しい。(合掌)
京都市街