雪上野球
東京・六本木の赤ちょうちん。学生時代からの友人と飲んでる。話も尽きる。黙って杯をつぎ合う。急にそいつがいう。
「おい、夏は何やってんだ」
「野球やってんな」
「冬は?」「酒飲んでんなあ」
「そうだおい、冬、野球やってくれないか。雪の上で。今、ネタがなくて困ってんだ。そしたら、秋田に行けるぞ」 昭和52年の秋だった。その友人は当時、週刊誌の記者をやっていた。そんな、アホなことができるかと思ったが、雪上野球か、まてよ面白いかもしれんな、と考えた。私は、郷里に帰ってすぐ、「秋田県を面白くする会」を結成させていた。面白いことがないか、ではなく何か面白いことをしようと組織した。この世の中で、失われつつある情緒を新たに創り出そうというのが結成の主旨である。
スノウベイスボールか。雪の中での新しい情緒づくりになる、いや、酒の肴づくりにはなるだろうと思い直した。 日本で初めての雪上野球大会は、昭和53年1月15日。秋田市向浜、秋田県立球場で開催された。この年は暖冬で、積雪わずか五センチ。試合は秋田県を面白くする会チーム対焼き鳥ひょうちゃんず。観客わずか55人。東京から雪上野球の産みの親が、選手兼取材で来ている。試合球は黄色い硬式テニスボール。試合ルールは、塁に出たら必ず滑り込む事、塁にでたランナーにボールをぶつけたらアウト。四球でなく五球でフアーボール。なるだけ塁に出て、体を動かさせようにとのルールであった。
試合は4対4の同点のまま5回、急に猛吹雪となって中止。これがほんとのコールドゲーム。珍プレー続出でこれが以外と面白い。終わった後の懇親会では話題が尽きない。
秋田の新たな情緒づくりになったかどうかは定かではないが、酒の肴にはなったのは確か。
それから10年目に雪上野球10周年記念大会を開催。新たにチビッコ雪上野球大会、雪の科学教室なども開く。そして、日本雪上野球連盟が発足した。しかしながらである。毎年の悩みは雪。秋田市では雪不足で、開催を何度か延期したり、中止したことがあった。
そんな時、県南の豪雪地帯、平鹿郡大森町の雪祭り実行委員会から雪上野球が誘致された。連盟としては願ったりかなったりである。
秋田市の道路が乾いているときも、大森町の球場には、50センチの雪が積っている。3年前からは、隣町の東由利町から秋田県選抜大会を開きたいと申し出があった。主催が「東由利をおもしろくする会」とは面白い。 第1回の選抜大会には、留学生によるインターナショナルチームも出場。彼らのほとんどは、初めての野球が雪上野球であった。アフリカの留学生が野球の本場、アメリカ人留学生と雪にまみれて歓声をあげる。
雪上野球が縁で、大森町の特産「大森ワイン」と東由利町の特産「フランス鴨」が一緒になった特産物が生まれようとしている。
今年も第3回秋田県雪上野球東由利大会が2月27日に開催される。「いい汗、うま酒、よき仲間」をモットーに、今年は15チームが出場予定。ゆくゆくは東北選抜大会、雪上野球日本選手権が目標である。
親雪、遊雪の雪上野球は、ふるさと秋田の新たな情緒づくりに、多少は寄与しているのであろうか