ジャック&ベティ
ここしばらく風邪をひかない。その訳は、毎朝、熱いお湯で足を洗っているからだろうか、と思っている。朝起きると、風呂場に大きな洗面器を置き、暑いお湯に足を浸して、石鹸をつけて洗う。これをほぼ毎朝一年間ほど続けてきた。
昭和33年の春。中学生となって知ったアメリカは、初めて手にした英語の教科書「ジャックエンドゥベティ」からだった。
その中に、ジャックの弟ビルが風邪をひいて、お母さんから熱いお湯で足を温めてもらっていたのを思い出した。ビルは病院に行って注射をされるのを嫌がって、治ったといって学校に行った。そんなストーリィだった。
「ジャックエンドベティ」は出版社が開隆堂だと聞いた。インターネットで調べると復刻版が出ている。早速電話で注文する。
「ジャックエンドベティ」には明るく豊かなアメリカがあった。教科書の中のさし絵を想う。車に乗って出かけようとするジャックの家族の絵。家には車があり、テレビもある。ジャックはカメラも持っていて、弟のビルが広い居間のソファに座り、洗面器に足をつけている絵を覚えている。
ジャックエンドベティは3日後に届いた。中学時代のあこがれのアメリカを開く思いだった。あった。3冊とも同じ表紙だった。
その絵にはジャックとベティが楽しそうに歩いている。ジャックは左手に本を持ち、白いワイシャツにネクタイをして乗馬ズボンのようなチェックのズボンをはいている。ベティは笑顔でジャックを見て、右手に鞄、赤いブラウスにスカート。それにしても足が細くて長い。ビルが熱いお湯に足を浸している絵は3年次の教科書の中に、確かにあった。
昭和33年。当時、村の学校には一時間かけて歩いていった。まだまだ貧乏だった日本国の中学生には、ジャックとベティの姿はまぶしかった。昔は良かったとはいわない。貧しかったが、何か夢があった、輝きがあったような気がする。
復刻版には付録が付いていた。それによると、ジャックとベティが住んだ街が実在するということを知った。五大湖南西のシイリノイ州エヴァンストンという街だった。
33年前の学生時代。アメリカ・ロスアンゼルスの郊外パサディナ。そこである家に十日程、ホームスティをしたことがある。広い緑の芝生に白亜の家だった。そこに、ジャックエンドベティのアメリカがあった。
今、アメリカ並の豊かさを享受しえたかの日本。果たして本当に豊かになったのだろうか。美しさ、優しさ、といったことが失われてしまったのではなかろうか。
2000年。美しさとは何か、を見いだし、優しさと共創する年としたい。