レバ炒め
W大学レスリング部合宿所。東京都西多摩郡田無町の昭和39年6月。試合の10日前から減量することになった。合宿所の夕飯が、3年生の新人コーチが作ってくれたレバ炒め。大きな皿にちょこんと乗っかっている。
「先輩、飯はないんですか?」
「バカヤロ、お前は今日からこれだけだ。明日から試合の前の日まで朝、昼なし」高校時代も経験のないレスリング部に入部。いきなり試合に出される事になった。57キロあった体重を5キロ減らし、52キロのフライ級に出場することになる。練習中にうがいをしても怒られる。稽古が終わっても、6月というのにセーターを着て外でランニング。最後の2キロがなかなか落ちない。新宿歌舞伎町の蒸し風呂に何度も入ってせいぜい1キロ減る程度。試合の前日、練習が終わって体重を計ったら丁度52キロ。マネージャーがいう。「お前は今日、牛乳1本飲んで寝ろ」身体中、カサカサに乾いていて眠れない。
試合当日。青山レスリング会館。計量は1回でパス。試合まで2時間ある。
対戦相手が日本体育大学で、世界選手権2位の勝村選手だった。相手の左腕を取って倒すのが得意の選手。キャプテンからフォールだけはなるなよといわれてマットに飛び出す。気がついたら腕を取られて倒され、下でブリッジしていた。日体大応援団がワッショイワッショイいってるのが聞こえる。3分8秒だった。キャプテンが笑顔で迎えてくれた。
「おお、3分もよくもったな」
レスリングの試合で左腕が半脱臼、腰も痛め、ポンコツになってお払い箱となった。レスリングやったことが1度だけ、仕事に役立ったことがある。昭和五七年、A保健所で精神担当をしていた頃。母親に乱暴するという若者の精神鑑定依頼通報がR警察署から入った。K病院の院長先生に同行頂いた。家に入って本人に診察を説得したが、怒って二2階に上がる。そして、玄関先に下りてきては母親をなじった。放っておけない。その若者は背が高くがっちりしている。やるぞと声をかけ、彼の後ろに回って仰向けに倒し、両足で首をはさんで動けなくする。これはチンロックで、プロレスの技だった。同僚のI君と、M事務長が必死になって足を押さえている。看護婦さんは左腕をつかんでいる。K先生が右腕に注射を打って、ぐったりしてきた。そばで母親が心配そうに見つめる。
後日、その母親から役所に電話があった。
「お陰様で息子はすっかりよくなって退院でました」あの青年が、すごいと感心した。レバ炒め。レスリング部の合宿所で最初に食べた後、その後の食事は何だったか全く記憶に、ない。今は、ライス付きで食べてます。