入 笠 山


南アルプスの先鋒、入笠山の麓、富士見町に別荘地を持っています。といっても勿論、自分のではなく、学生時代に所属したクラブのもの。

 早稲田大学中南米研究会の一行30人、新宿から中央線に乗って諏訪湖の手前、富士見駅で下車。美しい風景が広がった。これが私の初めての長野であった。昭和42年の夏。バスに乗って10分、坂道を上っていく。東の近くに諏訪湖があった。

中南米研究会の幹事長となって、合宿地を富士見とした。4人のクラブ先輩が、当時の岸信介首相や弟の佐藤栄作さんから寄付してもらって南米に一年間、中南米経済調査団として南米を廻った。帰国したら何故か金が余っていた。当時、クラブの会長である牧野力教授が長野の富士見町に別荘を持っていた。会長の紹介で先輩達は、富士見町にクラブの別荘用にと約100坪の土地を買った。ところがそこは傾斜地だと聞いた。私は将来、山小屋でも建てるためにと部員、先輩達と一緒に地均しをしようと考えた訳である。

 富士見町の民宿が合宿所。レスリング部を2年の途中で中退した私は、どうも体育会系の合宿を考えてしまう。朝、隣駅の青柳駅近くまでランニング、午前はスコップを持って別荘地の地均し、午後に中南米の学習とスペイン語学習。夜は地元との交流をと合宿所の近所の人に集まってもらって、南米調査団が撮ってきたスライド映写会を企画した。最終日は登山。

 入笠山へである。朝、合宿所から歩いて登る。暑い。細い登山道、5時間程でようやく山頂に上り詰める。
 標高1955b、南アルプスの先鋒。東に八ヶ岳、北に乗鞍、槍ヶ岳、穂高連峰、西に中央アルプス、南に甲斐駒ヶ岳、そして富士山がそびえている。日本の主要な山々が一望できた。感動であった。
 今は富士見駅から山頂直下までバスが運行され、ロープウエイが完成していると聞く。
 私にとって、長野とは入笠山の山頂から眺めた光景が原点であった。

 長野の人物としては佐久間象山。幕末の思想家。信濃の国松代藩士の子として城下で生まれ、主君真田幸貫が海防掛老中になると、顧問に選ばれ、海外事情の研究を命じられた。西洋砲術、蘭学を学び、西洋砲術の塾を開き、弟子に勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰がいる。
 幕末から明治維新への思想的系統の原点に佐久間象山があり、二つの潮流がある考えた。弟子の勝海舟から坂本龍馬へと、もう一つの流れが吉田松陰から松下村塾となったと考えている。

 学生時代、交通論の中西睦ゼミの合宿は松本市の浅間温泉であった。
 大学卒業後しばらく大阪、神戸、松山で風来坊をしていたが、親友の父上、更級郡上山田出身の元林野庁長官で参議院議員となった若林正武氏の秘書となった。
 お陰で議員会館や長野で多くの長野の方々とお会いできた。東京で長野県出身の理髪師の出版記念パーティにも議員代理で出席し、挨拶をさせられたこともあった。
 長野市や松本市には何度も訪ねた。新婚旅行も長野県の茅野市、白樺湖、美ヶ原、小諸、長野、野尻湖と南から北へと縦断した。

 長野を愛する秋田県人の一人として、秋田・長野県人会に入会させて頂き、嬉しく思っています。よき出会いに感謝しております。
 富士見町の別荘用地?。入笠山の麓の傾斜地100坪は35年前のそのまま。先輩の一人が富士見町に固定資産税を払っています。