巨木の縁


 佐賀県武雄市の武雄神社。境内に楠の巨樹がある。樹齢は千二百年。根元が空洞になっていて、中をのぞくと小さな祠があった。
 秋田戊辰の役で戦死した武雄出身の兵士の遺骨を、119年振りにふるさと佐賀にお届けした時のこと。この神社は鎌倉時代、秋田と男鹿地域を支配していた橘公業を祭っている。
 130年前の戊辰戦争時。武雄神社の境内に集結した葉隠軍団は、ここで戦勝祈願をし、楠の巨木に見守られて、秋田へ出征したのであった。
 本誌13号。塩谷順耳先生の「波瀾万丈の生涯・橘公業」を拝読。鎌倉時代、公業が秋田郡地頭であったときに植えられた「けやき」が、秋田市柳田にあることを知った。新緑の頃、その欅を見に行った。火産霊神社の境内にあった。まさに巨木。樹齢八百年とある。根元にはしめ縄が回されていた。見上げる。青空に枝葉が広がり、遠くに太平山の姿が美しい。

 130年後。秋田市新屋・日吉団地の一画に葉隠墓苑がある。なかに、秋田戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊碑があり、54名の戦没兵士の名前が鳥海山の自然石に刻まれている。かたわらに、「佐賀を元気にする仲間の会」が植えた欅がある。これは樹齢6年。 
 昨年10月ここで、佐賀藩士慰霊秋田委員会が建立10周年記念式典を執り行った。佐賀を元気にする仲間の会の方々も参列された。彼らは佐賀県の木、楠の苗木10本を植えていった。このクスノキはこの冬を越して、しっかりと生き伸びている。
 秋田では育たないとされる楠。北限が茨城県といわれるが実は、20年前から楠が育っていた。葉隠墓苑から南1`。佐藤忠男先生(秋田県ラグビー協会副会長)宅の庭にあった。宮崎国体の記念に求めてきたという楠は高さが10b程の成木に成長している。南の楠と違うのか、新芽は赤く生えている。
 葉隠墓苑の楠が大樹になったら、北限が一`北に伸びる。
 秋田と佐賀の縁である欅と楠は先人の功績を見守り、戦没兵士の霊を護っていく。 佐々木三知夫(秋田ふるさと塾主宰)