がんばる愛のコンサート
秋田市郊外のとある特別養護老人ホーム。特設舞台の前には車椅子のお年寄り達が集まっていた。舞台に立った鎌田京子さんが「秋田おばこ」を一生懸命に歌う。民謡を聞きながら、ご主人の鎌田正さんは車椅子のおばあさんの肩を揉んでいる。今度はその正さんが舞台に立って、「秋田船方節」を一生懸命に歌う。肩もみは交代。お二人は目が不自由なマッサージ師である。京子さんに肩をもんでもらっているおばあちゃん、民謡を聞きながら、笑顔の左の目から涙がひとすじ、流れていた。あの涙は一体何だろうと思った。
秋田市の共済施設「千秋会館」の舞台。昭和五四年三月。秋田県を面白くする会主催の「がんばる愛のコンサート」が開かれた。別名が「羽衣会発表会」。羽衣会には鎌田正夫妻が入っており、身体にハンディを負っている方々が中心になって結成された民謡グループである。
老人ホームのおばあさんが笑顔の中に涙を流したのを見てから半年後、あの涙に感動し、あの涙を理由を知りたいと開いた小さなコンサートであった。畳の会場には五〇人ほど集まっていた。賛助出演は当時人気の高かったフォークグループ「田舎作」や学生時代、落後研究会で活躍した「秋風亭とんぼ」。民謡日本一の千葉美子さんも特別出演される。
幕が上がって、鎌田正さんが歌い、京子さんも歌った。お二人ともすっかりあがってしまって、声が震えている。でも一生懸命に歌った。木戸銭五〇円で入場した観客、身体に何もハンディを負ってない五体満足な聴衆から大きな拍手が起こった。観客に中には目にいっぱい涙を浮かべている者がいた。あの涙は老人ホームでみたお年寄りと同じ種類の涙だ。一生懸命にがんばっている姿に感動したからであろう。
かんばる愛のコンサートは毎年三月に第五回まで開催されて、終わった。羽衣会が解散したからである。原因は目の不自由な人達とそうでない人とのいさかい。悪いのは五体満足なメンバーの心にあった。
私ども面白くする会にとっては、貴重な経験をさせていただいた。コンサートが終わって、鎌田夫妻を車で送っていく途中、おそるおそる聞いてみた。目が不自由で一番困るのは何ですかと。
「何にも困ってはいませんよ。ただ、針に糸を通すことぐらいですよ」
「年賀状もきますが、近所の人に読んで貰っています」
先年のある夜、秋田市の繁華街に近い鎌田夫妻の家を何年かぶりで訪ねた。近くの赤提灯で一杯ひっかけてから行った。
玄関の戸を開けて「かまださーん」というと、「ああ、ささきさーん」との声が返ってきた。ちゃんと声を覚えていてくれている。家の中に入ったら驚かされた。感心させられた。窓際の経机の上に秋の七草が飾られ、何とおだんごまで供えられている。その日、中秋の名月の日であった。
秋田県を面白くする会の面々は、今でも目の不自由でも民謡を習っている人達へ、秋田民謡の点字集を作って贈った。鎌田夫妻へ自動糸通し器をこっそり送った。
年賀状には添え書きを書くようになった。