川反観音物語
観音さまが日本海近くにある。石山観音と呼ばれ雄物川河口と日本海を望む高台に立つ。松林に囲まれ、四方に小さな三十三番観音像があった。
観音さまは、正しくは観自在菩薩という。西方極楽世界阿弥陀国に在って、慈悲の象徴といわれる。観音さまが人間世界に現れるときは、三十三の姿に変化して庶民を救ってくれるという。観音の霊場が三十三あるのはこのためだ。
秋田にも三十三観音霊場があって、第一番が横手にあって北上し、三十三番が大館にある。
秋田市の繁華街川反五丁目。五丁目橋のたもとにも、川反観音像が建立された。
慶応4年7月4日。今から百三十三年前、仙台藩通史一行の六人が秋田藩士に暗殺された。秋田藩に奥羽越列藩同盟からの離脱を阻止しようとした使者を殺してしまったのだから、今でいえば国際法違反である。これは秋田県の近代史の汚点といっていい。
この事件が秋田戊辰戦争への発端となった。秋田県の3分の2が戦火にみまわれ、多くの有為な人材が失われたのである。
暗殺された仙台藩士六名は川反5丁目橋のたもとにさらし首となった。
その番人の目撃談が伝えられている。「夜の闇に乗じて一人の女が、通史代表、志茂又左右衛門の首にそっと羽織をかけていった」
川反5丁目橋のたもとに「でんえん」という小料理店があった。暖簾をくぐると、右側が小上がりになっていて、窓を開けると、いい風が入ってくる。窓の下を鯉が泳ぐ旭川が流れている。ご主人の、市川史郎さんは30年間、毎日、店で線香をあげて、仙台藩士を供養されてこられた。
市川さんは七月四日の仙台藩殉難者慰霊祭に招かれている。仙台藩士の眠る秋田市八橋の西来院でひらかれる慰霊祭には、仙台藩志会の伊達篤郎会長も出席されている。
ところが、「でんえん」のあった建物は橋の拡幅工事で取り壊され、仙台藩士を供養することができなくなった。
そこで、でんえんの常連客有志から、慰霊碑を建てようとの話しが持ち上がった。これは秋田の「義」であると。
平成8年2月に川反先人慰霊秋田委員会の発起人会が開かれ、秋田戊辰の役の歴史を学んだ。そこで、さらし首になった仙台藩通史へ川反女性の羽織の件を知り、観音像にしようとなった。
以来、橋の拡幅工事の遅れ等から建立が遅れてしまったが、平成12年7月4日、橋のたもとに小さな観音像が建った。
碑文は次のとおりである。
ーこの観音像は秋田戊辰の役に先立つ慶応4年7月4日、この地で殉難された仙台藩士を供養し、川反をこよなく愛した先人に感謝し、慰霊するために、多くの方々のご芳志により建立するものです。川反先人慰霊秋田委員会ー
碑の前面には伊達藩の家紋と歌人瀧廣明氏の歌が刻まれている。
夕されば 川反の灯はやすらげり 観音像に 路ゆく人に
広 明
平成12年七月四日。川反観音像建立除幕式が仙台藩志会の伊達篤郎会長一行も出席され、執り行われた。川反先人慰霊秋田委員会ではこれから、毎年7月4日、殉難仙台藩士と共に、川反を愛した先人の慰霊祭を行うこととしている。
さや堂
川反の 観音様に 茶髪何これ? (見血男)
川反観音像。秋田市大町5丁目橋のたもとに立つ。白御影石で高さ80a、台座が1bの小さな像である。碑文には「この像は秋田戊辰の役以前、この地で殉難された仙台藩士の供養と川反とこよなく愛した先人の慰霊のために建立す」と彫られている。台座の正面には仙台・伊達藩の家紋、歌人滝広明氏の歌が刻まれている。石の勘左エ門の職人が精魂込めて作ってくれた。
7月4日は仙台藩士が秋田藩士に暗殺された日。秋田市八橋の西来院で毎年、殉難仙台藩士慰霊祭が宮城県人会によって執り行われている。
この日に除幕式を予定いていた。1日にはすでに像は完成し、白い布がかぶせられていた。5年越しに建立した川反観音を眺めて、感慨深いが何かが足りない。白いビルの壁を背に立つ像。何だか寂しい。彌高神社の北嶋宮司に相談したら、さや堂を作ったらといわれる。そうだ。祠(ほこら)のような屋根があったらいい。野ざらしだと可哀想だ。秋田市一ノ坪の宮大工、伊藤和雄さんに電話。幸いおられた。観音様のお導きだ。伊藤社長と現地で落ち合う。「きれいな顔している観音様だなあ。二日ででかすんですか。きびしいがやってみましょう」 職人の心意気である。
7月4日午前11時、快晴。現地に大型トラックに積まれた「さや堂」がやってきた。立派な屋根で4本の柱も太い。伊藤頭領の職人技である。職人達とさや堂をはめ込むのを手伝う。ヒバ材のいい香りがしてきた。ようやく納まった。12時。勘左エ門がやってきた。除幕式の準備。絹の白布をさや堂の屋根にかける。「秋田の瀧」の斎藤育男社長も手伝ってくれる。彼の携帯で秋田放送ラジオからの電話で生放送。観音様建立のいわれ、目的の話しをする。川反のまちづくりでもあると。
午後1時40分。仙台藩志会一行17人が到着。歓喜寺の和尚さんも着かれている。
午後2時。川反先人慰霊秋田委員会の中島康介会長の挨拶で除幕式が始まった。司会進行役をつとめる。伊達篤郎仙台藩志会会長の挨拶。序幕は当地にさらし首となった高橋市平の子孫、木内昭さん。川反の女性から首に羽織りをかけられた志茂又左右衛門通史の曾孫他、5人によって白黒の紐が静かに引かれた。
平成12年7月4日午後2時 川反観音像除幕式
建立・川反先人慰霊秋田委員会
設計:むつみ造園土木梶@杉村文夫専務
施工:叶ホの勘左右エ門
さや堂:伊藤住宅活ノ藤和雄社長
協力:仙台藩志会・川反を愛する多くの方々