民 官
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清水宏保選手が長野オリンピック五百bスピードスケートで金メダル。百六十一a、父親を亡くしている。テレビに映し出されている清水選手の笑顔が美しく、感動の涙を誘う。同じニュース帯に、大蔵省キャリアで道路公団に天下りした井坂某の顔が写しだ出される。何と醜いことよ。怒りを誘う。
自民党参議院議員の秘書時代のことだからもう三十年も前。参議院議員会館の部屋は七階にあって、窓の向こうが自民党本部である。その写真を撮ってアルバムに貼った。下にこう書いた。
「汚権者の巣」
このアルバムを今の女房(昔も同じですが)の親父さんに見られてしまった。ガチガチの自民党だった父上からこんな事を書いていいのか、と心配顔でにらまれた。
この自民党本部の農林部会に議員代理で覗いたことがあった。大蔵省の幹部を呼んでの、農林予算関連の説明会だった。その幹部はメガネで長身、いかにも東大エリート官僚といった感じ。数字がポンポンでてくる。こっちは日頃使っている数字とは桁違いで面食らっている。終わってから、部屋の出口で、奧野誠亮代議士がその大蔵省エリートに声をかけた。そしたら、元自治省事務次官の奧野先生はぴしゃりとやられた。
「先生、それはお門違いです」
へええ、大蔵省の役人とは偉く強いんだなあと痛感した。
それにしても、大蔵省は自民党本部以上に「汚権者の巣」だった。
大館税務署長がいわゆる馬鹿殿修業とやらで、三十歳前の大蔵エリートだった。こっちは当時県税事務所の納税係主事。土足禁止の酒販会館で税務署の古参職員と入り口にいたら、その馬鹿殿がやってきて、ボクはいいだろうと靴をはいたまま、二階へ上がっていった。後にその大蔵エリートを見たのは、鷹巣町のある公民館での懇親会。当時、出川禮一町長の横の上座。ガキみたいな挨拶して、町長からちやほやされて、ご満悦の表情だった。そんなんで、地元の町長やら名士とおつきあいをして、若い大蔵エリートは賢い馬鹿になっていく。元酒田税務署長やって代議士になった新井某もそんな馬鹿殿修業して、大蔵OBの顔で証券会社から儲けさしてもらうようになった。
もう、官民一体とかいうのはやめよう。官は民が汗水ながして働いて納めた税金で賄われている。官は民の下にあるのだ。民が上で官は下。民官というべし。マスコミもこれから民を先にすべし。会議の席順も民が上座、官は下座であるべき。民は自信を持て。
昔の国鉄時代。当時の古林肇道毎日新聞支局長から聞いた話。国鉄の若いエリートがある会合で、自分の席順が不満で席をたった。それを見た古林さん、「あの若僧、何様だ」と国鉄本社の知り合いの幹部に電話。その若いエリートは後に左遷させられたとのこと。
地方分権とは国と地方は対等だということである。その対等意識がうまれない限り、分権なんて何時のことか。県は市町村の上にあるのではない。国は県に仕事をしてもらうのが仕事、県は市町村に仕事をお願いするが仕事である。
官官接待は、国が県を、県が市町村を、市町村は民間を接待しなければいけない。役所は接待費を予算化して、国は県を川反で接待する。県の役人は市町村の担当者を地元で接待すればいい。
一昨年秋、元秋田空港跡で日産ドライビングチームに来ていただき、若者向けの安全運転講習会を開いた。実に手際よく感心した。
終わってから、外で民缶接待させて頂いた。缶ビールで。
私、出身は名古屋です。大学で北海道へ行って、そのままリクリートに入りまして、最初の配属が北海道支社だったんですね。その後、東京本社に異動になりまして、二年半いて、平成3年に安比高原スキー場のリゾート開発をやってまして、元々昭和五二年に盛岡のホテルを買収した時から始まってるんですが、平成三年にその別会社に入りました。
ホテルの仕事は全く素人でして、サービス業は全く初めてでした。現金をお客さんと対面してやり取りすることがなかったんです。
東京に二年半いて、住環境が悪くて、地方都市で仕事をしたほうがいいと思いました。希望通りになりまして、盛岡グランドホテルと安比ホテルに四年弱おりました。
リクルートにいたときはスタッフ畑、人事とか教育とか労務管理、企画室が長くて、盛岡にいって一転してホテルの現場で仕事をしながら、人事、採用の仕事もやっていました。
最初、私はフロントでした。夜勤があります。午後一時に出勤してきて、午前十一時に仕事が終わります。うちのホテルは二交代です。夜勤をして明けるとそのまま採用とかの仕事をして、夜飲みに行って、フロントをやって、明けたらまた別のスタッフの仕事、ほんと四六時中、やってましたねえ。
スタッフの仕事だけ選択できたんですが、せっかくホテルにきて現場の仕事を覚えないのはもったいないと思ったんです。ホテルのフロントというのはホテルの顔だし、サービス業の原点があるんですね。ありとあらゆる苦情があって、フロントやると人間の幅ができますね。
今まで、ある程度の人としか付き合ってないじゃないですか。そんな非常識な人と付き合ってはいないし。会社に入ってもスタッフ畑の人しか付き合っていません。フロントやっていると、住専と同じですよ、ホテルは基本的に後払いです。最初から払うつもりのないお客がいます。三〇万も払わないで夜中にいなくなってしまう人、信じられないんです。
安比ホテルには四〇〇室あります。日曜日の朝、チェックアウトが集中します。で並ぶ訳ですが、私は小さい頃から順番を守って並びなさいと教わった。ほとんど女性客です、並ばないで横から入ってくるのは、すみません、お並び下さいというとおこっちゃう。
会社などのパーティで冬になるとコートを預けます。千着ぐらい預かります。パーティが終わって皆さん、並ぶわけです。概して男の人は並ぶんです。並ばないのはおばちゃん。(笑い)女性への偏見かもしれませんが、お花とかお茶のパーティが一番困るんですよ。並ばないんですよ。並ぶように塀を作っても、それを自分で動かしちゃったりして。(爆笑)
ホテルでやくざがピストル自殺したり、これはマスコミには伏せました。そんな事がわかったら、お化けがでるなんて言われてお客がこなくなります。(笑い)その後、安比にいきまして、スキーは出来ませんが、スキーショップの担当でした。そこで普通じゃ経験できないこともしました
例えば、総理大臣になる前の○○さんが愛人と来てたとか、元チェッカーズの××が岩手の女と来てたとか。(笑い)これオフレコ。
安比が静かになりますと盛岡のホテルに戻りまして、そこでやったのが宴会サービス。高校出二,三年目の人に教えて貰いながら、お皿やフォークの並べ方とか、色んなノーハウがあるんですね。
結婚式というのは一番儲かる商売です。一日、一会場で二回できるのは優秀なんです。うちは三回転やるんです。そうすると披露宴と披露宴の間が三十分しかないんです。でも披露宴は時間どおりにはおわりません。正味十五分です。はい終わりました。その後戦争です。次の披露宴の会場づくりにノウハウがあるんです。それは現場の子達が考えたんです。バックヤードに、丸テーブルにクロスをかけて、その上に全部セットしておいて、足を折りたたんで裏に積んで置くんです。それを持っていくだけでいいんです。考えているなあと思いました。
ですから、結婚式に出ても、この人はサービス業に携わっているか分かります。
私、皇太子殿下が結婚して、最初の旅行で盛岡に来られて、サービス担当でして、皇太子と雅子さんを案内して、知事との昼食会のサービスをしまして、お話をしました。私、昔から浩宮様に似てると言われているんです。その話をしようと思いましたが、(笑い)雅子さんも皇族になったばかりで緊張されてました。
我々はVIPの方をお迎えするというのはステイタスです。
盛岡に来て四年目に、秋田市の太平山リゾート開発、バブルの時代の開発で頓挫してしまって、その見直しのコンサルタントをしたのが、安比高原を開発したのがリクルートの江副前会長とリクルートを興した小倉さんという親爺なんです。その中で第三セクターの経営者を民間から招聘したいと、小倉さんが盛岡のホテル社長に話があって、藤里のユトリアの支配人も僕と一緒にやっていまして、リクルートから第三セクターに出向者は多いんです。それで、何故か社長から僕が呼び出されて、詳しいことは言わないんですよ。ザブーンのパンフレットを見せられて、「うちの会社から経営者をきてほしいといわれてる、お前いったらどうだ」と。私は盛岡に来たのも、田舎であればあるほどいいと思っていました。もう、二つ返事で、明日からでも行きますよ。
盛岡では中間管理職でしたから、そろそろ新しい仕事をしたいと思っていました。二三日したら、秋田市から新聞の分厚いコピーが送られてきました。第三セクター・ザブーンの経営者全員更迭とか、滅茶苦茶なことを書いてるんです。こういうとこだったのか、どうも話がうますぎるなと思ったんです、私も。
大変だなあと思っていたんですが、でも、最低のとこへいけばこれ以上下がることはないし、ちょっとの努力ですぐ上向きになるんじゃないかと。今、絶好調の所へいって一生懸命やっても下火になるようだったら、どん底のところへいって、自分なりに一生懸命やれば、ちょっとでも上向きになって誉められるだったいいポストだと、そんな新聞記事を読みながら思いました。
平成七年の二月に秋田市に単身で来ました。カミサンと結婚した時は東京でしたが、盛岡に二人で一緒に来たときに、ホテルの方で総支配人の秘書ということで働いていました。秋田に来ることになって、カミサンはホテルを辞めて四月に来まして、以来、秋田で今、二人で暮らしています。
そこで、第三セクターですが、私はリクルートグループ以外で仕事をするのが始めてなんです。皆さん感じておられるでしょうが、リクルートは民間の中でも最も特殊というか、格好よくいえば、斬新、若々しくてほとんど仕事を任されて、固定観念にとらわれずに仕事ができる。それを返していえば非常にいい加減で、常識はずれのところがあって、人から後ろ指を指されるところがある会社なんですけれど。そういうリクルート的風土の組織以外のところでは初めて仕事をする。そういうことで、ビックリすることが確かにいっぱいありましたね。(続く)