ふるさと呑風便2月号


     いい人

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 「ぼくの名前はモハンマド ラセルです。ぼくはサクラファミリーホームの子どもの中でいちばん背が高い。ぼくは一年生です。食べ物とゲームは何でも好き。なかでもダリヤバンク・ゲームが特に好きです。大きくなったら、いい人になりたい」
 この作文、日本バングラディシュ協力基金のサクラファミリーニュース1999年1月号に載っている。モハンマド君はバングラディシュのサクラファミリーホームという孤児院にいる。この孤児院を造ったのが、早稲田大学空手部主将だった中川恵資さん。
 バングラディシュは世界の最貧国といっていい。毎年のようにガンジス川の大洪水で子どもの多くが孤児となる。中川氏はバングラディシュ出身のシウリ夫人と日本橋で茶園を経営しながら、念願の孤児院を3年前に創設された。

 80年12月、私はバングラデシュの首都ダッカにいた。ユニセフプロジェクトの視察にダッカ近郊の小学校へ向かった。地には一面菜の花畑、空には凧が舞い上がっている。トタンぶきの校舎に入った。5,6年生の授業風景を見せてもらった。中は暗く、机がない。生徒たちは長椅子にくっついて座っていた。授業が終わってから、子ども達に将来何になりたいかと尋ねた。目をらんらんと輝かし、ただちに答えが返ってくる。一番多かったのが、エンジニア。次にドクター、テーチャーの順だった。
 この国の建国に必要な人材なのだろう。技術者もいい、医者も、先生もいい。
まずは、サクラファミリーホームのモハンマド君のように「いい人」になりたい、がいい。
大隈重信侯がいっている。「人生の目標は人間形成にあるんである」

 ではいい人とはどんな人なのだろうか。中川さんはお会いしてもとても空手をやったような感じはしない、やさしくていい人。空手の師匠七尾専次郎氏、ふるさと創生を岳父竹下登元総理と進めた内藤武宣先輩、雄物川町の佐々木太郎左右衛門氏。秋田県空手協会理事長の片野裕氏は昨年春、秋田市内某所に、マリーゴ−ルドを花ゲリラで植えた。私の空手の先輩、友人達はやさしくて、皆さんいい顔をされている。

 会ったことはないが、講談社の故野間惟道さんはいい人だったようです。
「講談社の野間さん、日刊ゲンダイの社長やってた。あそこで『気がつけば騎手の女房』を書いた吉永みち子さんが競馬記者をしていた。彼女、社長の顔を知らなかった。夜遅くまでみんなしゃかりきで原稿を書いていると一人、ぷかっと煙草ふかしている。元気のいいおねえちゃんだから『ちょっとあんた邪魔よ、何もなかったら帰ってよ。目障りだから』と言った。そうしたら野間さんが『それもそうだな』と(笑)、帰ったと言うんですね。そうしたらデスクが飛んできて、なんちゅうことを言うかと。ああ、あした、首かなと思っていたら、それ以後、やたらとかわいがられたと言うんです」(男の美学。佐高信)

 先日2月5日、久しぶりに新宿の寄席「末広亭」を覗いてきた。平日なのに珍しく団体さんが入って満員だった。毎度バカバカしい噺で、ばか笑いしていい訳だが、どうも品がない。江戸情緒を感じさせる古典落語をじっくり聞いてみたいと思った。ただ、いい言葉があった。ある噺家が「あの人はええ方ですねん」と話した。
ええかた、えがった、秋田でエガッタはよかったの意味にもなる。 私はこれから人をほめまくり、エガッタササキでいきたいと思う。


ふるさと塾地域づくりゼミ
★平成10年7月26日(金)
★川反ふるさと塾舎
★「秋田の空 世界の空」(1)
★ 鈴木 謙一 氏
(全日空鰹H田支店長)

 秋田の空、世界の空というテーマを与えられましたが、今我々が直面している課題なりを紹介しつつ、私が秋田に赴任する前、全日空のニューヨーク路線がちょうど7年前でしょうか開設しましたがそのプロジェクトチームのメンバーとしてケネディ空港に5年半勤務をしたこともありまして、初めてのアメリカで事務所の運営とか、色んな準備もしてまいりました。そんな時の話も含めて、雑談になるかもしれませんが、話をさせていただければなと思います。
世界の空、今航空業界はどうなっているのかと申しますと、アメリカを中心として規制緩和ということで、一挙に自由競争の世界に突入。しかしながらそれから20年以上たって、今現在、アメリカを中心として今度は逆に寡占化しております。
 自由競争で非常に多くの航空会社が乱立しましたが、20数年経って寡占化し、大きな航空会社がますます大きくなっています。
 小さいところはほとんど吸収合併されてしまっています。アメリカ経済の好況を背に受けて、アメリカの航空業界は過去最高益を計上し、非常に儲けております。アメリカの航空大手、ユナイテッド、アメリカン、デルタ、ノースウエスト。ユナイテッドの4月〜6月の3ヶ月の決算状況をみましても実に44億4千二百万ドル。利益が一割強の4億1千8百万ドル。アメリカンがこれより若干多く、デルタはちょっと下回る程度です。益々、この4社が他を圧倒してもっと寡占化が進むのではないかと思っております。
ひるがえって日本の場合はどうかといいますと、ご出席の彌高神社の北嶋さんはうちの株をお持ちいただいてますが(笑い)、今年は誠に申し訳なく、配当ができない状況に陥りました。9年度は営業収入、売上げが9千百億ございました。しかしながら、費用がほぼそれに匹敵し、営業利益率は実に0,1%しかございませんでした。売上高の経常利益率は0,6%ということでして、売上げのわりには費用がかさんで、儲けが薄くなっていると。お隣のJALさんは収入が1兆2千億、営業利益が310億、最終的には日本航空さんも、マイナスの941億ということで、営業利益率2,5%、経常利益率としてやはり0,6%ということで、もう一社のJASさんも、3200億の売上げに対して費用が3300億ということで、営業利益の段階でマイナスの85億ということで、最終的には当期利益が15億と、9年度は航空3社なべて、2兆4千ないし、5千億程度の売上げをあげたんですが、最終的には全てマイナスでトータルしますと、1千億ぐらいのマイナスとなります。このように、日本の航空業界は厳しい状況に追いやられています。その原因は何かといいますと、自由競争ということで海外の航空会社の安売り競争に追いやられた格好になっていまして、非常に苦しい台所事情になっています。

 航空会社が飛行機を飛ばすときには、税金がかかっております。勿論皆さんから頂く航空運賃のなかから出てくる訳なんですが、その割合が欧米諸国に比べて、極端に高い。これが一つの大きな問題でして、もう一つはご多分にもれず人件費というのが、競争してくる東南アジア諸国に比べて極めて割高になっています。
日本にお越し頂く、日本から海外へ出て行かれる数は毎年毎年、多いときで二桁台、最近は107%ぐらいに落ちていますが、平成8年度の数は四千六百五十万という数です。ちなみに国内のすべての航空会社を利用された数は倍近い八千二百万人です。
秋田の8年度の数は東京秋田間、の利用者は約103万人。昨年はご承知のように新幹線「こまち」が開業したことで、前年を割り込んで87万8000人の数になっています。8年度の103万人というのは全国の路線の中で第19位です。ちなみに日本の国内線のトップは東京札幌線がダントツで年間785万人です。二番目が福岡で641万、後は300万台が並びます。

 話は飛びますが、スカイマークエアラインという新しい航空会社が東京・福岡に就航し、一日3往復。又、札幌に拠点をおくエアデュウという新しい航空会社が参入されてきます。いよいよ34年振りに新しい航空会社が産声をあげます。

 秋田の空ということですが、新しい空港が出来ましたのが、昭和56年。順調に毎年毎年、利用者の数を伸ばしています。当初、東京線は全日空だけでしたが、日本航空さんが入って、その他の路線、JASさんも入ってます。そういう意味では秋田は東北では大きな位置を占めています。

 東京線は順調にきたんですが、昨年「こまち」が開業しまして、首都圏からの団体客が随分お乗りになったなと。これはJRの秋田支社長も主張されておりましたが、首都圏の特にシルバー層の女性層が秋田にこまちを利用されて沢山来ていただいたと。盛岡での乗り継ぎがなくなったのが非常に大きなポイントだった。あるいは又、こまちというネーミングが良かった。こだまとか、ひかりといった自然からきていましたが、こまちという初めてそういうジャンルからとられた。それが当たりましたねと。白神とかといったネーミングが多数と占めていたような裏話がありましたが、車体のカラーとマッチしてですね、こまちというのがいいイメージになったのではないかと思います。加えて、ずばりコマーシャルが全日空への挑戦的な(笑い)、やって頂きましてねすね。半年ぐらい首都圏であのコマーシャルを流されまして、我々も実にうまいコマーシャルだなと感心いたしました。ああいうことがセンセーショナルを巻き起こしたなと感じました。
 大きなうねりの前に、数としては若干ですが落としたのが去年でした。お陰様で今年4月からは前年のお客様を若干ですけれど、4%ないし5%上回る利用客になっています。まあ、お客様は戻ってきて頂いたなと思っております。 一度こまちにお乗り頂いた方も二度目からは飛行機に戻って頂いたなと確信に近いものを持っておりました。その動きは今年に入っても勿論変わりません。大きく変わったのが、首都圏から落ちています。JRさんの発表でも2割弱落ちていますね。
 私共のベースでは秋田からの飛行機の利用客は増えているこそすれ、減ってはいない。新幹線によってそんなに動いていないという確信を持っています。
先日18日に大館能代空港が開港しまして、関連会社のエアニッポンが東京、大阪、札幌と1便飛ばしています。利用者が増えたら東京便あたりは2便できたらと思っております。私共がお願いしたいのは、まず地元の皆さんにお乗り頂いて、文化なり観光開発、経済等の色んな面の交流をして頂く中で利用者が増える状況をお作り頂き、私共も努力しますが、増便されると思っています。
これが今の秋田の空のおおまかな状況です。
 航空会社が儲かりにくい状況にありますが、まだまだ航空運賃が高い、どうしてなんだという気持ちを持っておられる方か多いと思います。それは日本の空が如何に高いかと事例をあげて、説明したいと思います。(続く)


 我青春風来記(106)
  早海三太郎
メキシコ(1)

 グレイハウンドバスは夜も猛スピードでメキシコシティに向かって走る。車体に足の長いグライハウンド犬の姿が描かれている。アメリカとの国境の町ティファナを出発して最初の夜。7月末だから暑いが、東京の夏のように蒸し暑くはない。が、冷房は聞いていない。バスの車中、隣の陽気なメキシコの青年が話しかけてくる。19歳でホセという名前の旅行会社の社員。白人系でメキシコシティに住でるという。彼に聞いた。
英語とスペイン語のちゃんぽんで。「確かアメリカ国境の町に、アメリカに向けて、巨大な男根を持ったメキシコ人像があるときいていた。アメリカ人女性にそれを見せてため息をつかせる為に建造したらしいが、どこにあるのか」 ホセは大笑いして答える。
「そのとおり、だが、その像はニューメキシコ州との国境の町にあるよ」
メキシコだけでなく、中南米諸国はすべからく、ノルテアメリカ(アメリカのことを北アメリカと呼ぶ)に対して反米感情を持っているといっていい。これは常識。
モンロー宣言でアメリカは中南米を裏庭だとしたことに、ラテンアメリカ諸国は面白いはずはない。

 後日、ホセと一緒にメキシコシティの街を歩いていると、ヤンキー娘達がとおりすがった。ホセが後ろを振り返って娘達に叫ぶ。「アメリカンガールビューティフル!」お前も言えよというので、一緒に又、ビューティフルとやる。アメリカの金髪娘はからかわれているのを知りながら、にっこりと振り向いて手を振る。
朝、目が覚めると窓の外は砂漠だった。写真で見たメキシコのサボテンが見える。メキシコにいるんだとの実感を覚えた。
 小さな町のレストラン前でバスが止まって食事。一時間後に出発だと運転手が叫ぶ。あまり上等でない食堂で、あるのはパンにバターに牛乳。クワルトとメニューに書いてある。四分の一の意味だ。どうやら鳥のもも肉のことらしい。なるほど、4分の一だ。これはまだ早い。同じテーブルにティファナから来た南カルフォルニア大学の学生、マルコ。色浅黒く、精悍な目鼻立ち。メキシコ人は大概、皆人なつっこい。マルコはメキシコシティの親戚の家に遊びにいくとのこと。あの美少女は離れたテーブルで他の女性客と笑っている。まだまだバスの旅は長い(続く)。


呑 風 日 誌 抄

 1月1日(金)ふるさと大内町新田の一礼祭へ。女房、娘、宮崎からきた娘の友達も連れて。我家に若達者(3,40代)連れて二次会。消防団ラッパ隊東北大会目指せと。
 2日(土)第6回箱根駅伝を語る会。秋田市大町ビル。中川衛氏は中村清学校の2期生(3期生が瀬古)、毎年中村夫人にキリタンポを送っている。中村監督の教えは「天才は有限、努力は無限」
二次会は駅前むらさき。箱根駅伝の看板を拝借し、秋田まごころ大賞の委員になられる加賀亮三会長、嘉藤晋作副会長達と記念写真。
 4日(月)秋田魁新報の村上昌人記者と、秋田ふるさとづくり研究所の相談。
 8日(金)県庁の愉快な同期(佐々木会長)の連中5人と緊急総会でたわいなし酒。秋田駅前弁慶。二次会は人情酒場「久保田」から花をもらって帰る。
 9日(土)大内町民謡の里づくり競演会実行委員会。大内町農業改善センター。副会長にされていた。4月4日に開催。
 10日(日)大館の奥入瀬マン「畠山智」さんから電話。奥入瀬のバス停で沖縄の母娘を十和田湖休屋まで載せ、沖縄・秋田のまごころ交流を果たした彼。今年5月の連休には、沖縄を訪ねてみたいとの事。秋田まごころ大賞を考えねばならない。
 12日(火)参議院議員会館岸宏一事務所へ遅まきながらの当選祝いに秋田銘酒を持参。敬愛する岸先輩とは一足違いで会えず。
麹町会館。自治省の地域づくり賞の表彰式。「世界にひらかれたまち」受賞で小坂町の川口博町長と。象潟町の佐々木平嗣氏達もトライアスロン10年開催で受賞。受賞パーティで旧知の審査委員長伊藤善市先生と。受賞理由は着想、動機、着眼、汗をかいている、成果が上がっている、が理由との事。
新宿・雀の叔父さん。大学同級の中原、吉松と。卒業30年記念の同級会を3月5日ここでやることにする。同級の面々に携帯で電話をかけまくる。向ヶ丘遊園駅前の博多ラーメンで息子洋平と。
 14日(木)仕事場に岸宏一参議院議員から「今度上京したら一杯やろうよ、ほんとに」と電話。
県庁大内会。彌高会館で司会。秋田県退職校長会(2000人)の菊地弘前会長、86才でお元気。二次会は畠山武司大先輩から駅前久保田にてご馳走になってしまう。
 19日(火)秋田市山王・八条。秋田ふるさとづくり研究所の主任研究員の打合せ。秋田海陸、二宮公平常務、秋田魁新報社の村上昌人記者、秋田経済法科大学の田中史郎先生、秋田経済研究所の荒牧淳郎氏、本荘由利圏域組合の石井護氏、県総合政策課の木村雅彦氏。
2月19日の第一回研究会で木村氏が「過疎地域の豊かさ指標」を発表する予定。二次会は二宮専務と村上記者と昔来たことがあるよなスナックへ。思い出してロシアから来たビクトル先生に電話。
 21日(木)秋田ビューホテル。21委員会(須田精一会長)でバトルトークとのことでパネラーに。
「県政をどうする」ほっとして、はっとして、ひっとさせる秋田県づくりをすすめる。その為に、秋田まごころ大賞をつくり、秋田まごころ再生する。秋田市川反に先人慰霊碑を建立、秋田ふるさとづくり研究所で産学官によるふるさと秋田の指標化を図っていくと話す。パーティで飛楽泉の斎藤社長と初めて。パリ・サンデリジェ通りでも飛楽泉を売っていると聞く。
人情酒場久保田で県庁若手2025プロジェクトの3人に名前をつける。ハオハオ次郎、ムイビエン広道、スラマット須田。いいぞという意味。
 22日(金)ふるさと塾地域づくりセミナー。「おかみさんのまちおこし」秋田市通町、旧大工町の復興を実践する越後谷慶子さん。終わってから、大潟村の矢久保英吾さんの「れんげ豆腐」の試食会。3町歩のレンゲ畑で育てた大豆を青森県黒石市の豆腐屋さんに作らせた極上の豆腐。これを食べたら他の豆腐は食べられないだろう。 24日(日)雄和町スカイドームでソフトボール大会。「あべちゃんず」のオーナー監督として、最終回ピンチヒッターでレフトフライで今年は終わり。
 25日(月)テクノポリス開発機構のナイトセッション友の会と称して、去年講師で出た方々有志で地ビールの「あくら」。ジョンモック先生よりも大きいというミネソタ大学秋田校のノリス学長他。
二次会をあゆかわのぼるさんを誘って、シンガーソングライター・ケーシーランキンが来てやってる「靉」のミニライブ。三浦書店の三浦義明氏とケーシーとピアノのある河北ビルの「ジャスト」へ。
 26日(火)大江戸ラーメン、透花にて三浦義明氏が2年以内に結婚宣言。
 29日(金)稲門会新年会。アキタニューグランドホテル。二次会は祭囃子で秋山秀昭氏にまごころ大賞審査委員に依頼。
 30日(土)秋田市大町・5丁目橋。むつみ造園の杉村専務、花のやまとの吉川社長と、仙台藩士慰霊、川反先人慰霊碑の建立場所を探す。女房と昭和町のブルーメッセの世界蘭展へ。江尻光一さんの蘭の講演を聞く。