ふるさと呑風便10月号


       

  秋田流酒道

 ☆☆☆☆☆☆☆☆

 ♪ 

 お前来るかと
 一升買って待ってたよ
       アラオコサノサ
 あんまり来ないので
          コラヤノヤ
 飲んで待ってたよ
     オコサデオコサデオントダネ
 これは秋田民謡おこさ節の一節。秋田人は酒席で待ち人来たらずの場合、先に飲んでいていいらしい。そういえば、酒場で皆が集まる前、練習と称して飲んで待っている。これは秋田流酒道の一つか。
 酒道とは、酒を通して教養を養い礼儀作法を修養させる道。茶道、華道、剣道、柔道と日本人は何でも道を極めるの好きである。酒道が残っていてもいいが、長続きしなかったのは、酒を飲んでて、酔っぱらってきて、そんな堅苦しい酒飲みは敬遠されてきたのであろうか。そこで堅苦しくない、秋田流酒道入門を考えてみたい。

 国会図書館で「酒譜」という本を見つけた。
 西村文則著昭和7年啓松堂発行で酒の注ぎ方があった。
 1酒を盃に注ぐ作法
 盃持つ人は、余りきぼいかかりたるも、又及び腰なるもわるし。よきほどに守るべし、見計らいが肝要なり。又盃の上を余り重く入る事第一の粗忽なり。特に酒などをいたす人に、深く重く入る事なるならず。
 2酒を飲むときの作法は
 貴人、主人の御前に捨てられずば、たとえ迷惑に及ぶとも、力に及ばず飲むべし。
どうもこれではちんぷんかんぷん。小生、国会議員秘書時代、赤坂の料亭のおかみから酌の仕方を聞いたことがある。要するにしぐさの美しさなのであった。相手が右手で盃を持ったらお酌は右手、左手で持ったら左手で注ぐ。クロスさせること。ビール瓶は音がよくないのでコップにつけて注いではいけない。日本酒はお猪口に徳利を軽くつけて注いでもよろしいだった。
 ところが関西は違うらしい。昨年夏、京都・東山の料亭の女将さんはいう。「うちらでは、東京と違ってお酌は盃に音を立てて注いだりしません」
 野村万作さんの弟子、中野三樹氏の話でも、狂言では酒を注ぐとき、扇子で盃につける仕種はしないという。
 秋田流酒道は盃やコップに音を立てて酒を注がないことにしよう。

 旨酒は何といって相手による。「酒譜」には、酒憲法というのがあり、一緒に飲酒してわるき人というのがあった。 守銭奴、貧相な人、無学な女中、気取りや、権勢家、自慢人等々。更に付け加えられて、悪疾の人、梯子酒の人、唯単に酔いを求める人、威張る人、美服を喜ぶ人、無趣味の人、鯨飲する人、長座の人、他に話の機会を与えぬ人、沈黙の人、半可通の人、酔わぬ人、酒量自慢人、快諾する人、過去を誇る人、未知の名士を友人にする人、札ビラをきる人、他を罵倒する人、利欲深き人。こうなると、相手に困るほど酒盃を共にできる人は少なくなる。
 では、飲を共にすべき人とは、
 論議に失せず雅懐のある人
 酒味酒器酒肴を解する人
 大言壮語せざる人
 他を議せざる人
 自然を愛する人
 自己を誇らぬ人
 芸術を理解する人 とあった。
 雅懐(?)ある方から秋田流酒道を学びたいと思う。


ふるさと塾地域づくりゼミ
★平成11年3月26日(金)
★川反ふるさと塾舎
★「大変革」ーめだかのデモクラシー(3)
★ 村岡 兼幸 氏
(まちづくり市民財団理事長)

 1980年代の半ば頃から、ふるさとづくり運動が始まった。私自身、本荘に住んでて充分なナショナルミニマムが整っているとは思いません。40年たってこれからのまちづくりは、ナショナルミニマムではなくて、対極である地方をどう創り上げていくかに力点を置かなければならないと思います。地方の特色を出しながら、どう創っていくかというと実は省略をしてきた。住民の合意形成に、みんなのことはみんなで係わってやるという部分に力を注がないと新しい意味の地域づくりの方向性に変わっていかないんだと思います。
 幾つかの町がそういう動きになりつつあります。気仙沼市。宮城県の漁港の町ですが、幾つもの山を乗り越えて行かなければなりません。そこでJCのメンバーだけではないですがメンバーが何回かワークショップの手法を用いながら、どうやったら外の人達を迎いいれられる町になるかを考えました。それは交通標識です。Aプラン、Bプランを議論してプロセスを全部見せるんです。みんなが係わって作っていくので自分達の計画書になるんですね。3年前の青年会議所の理事長が今野さんというんですが、冊子を見せられて私はこの部分に係わったというんです。自信をもって語ってくれたのが印象的でした。普通の都市計画のマスタープランは、出来上がっているんです。それに意見をいうだけなんです。これでは自分達の計画にはならないんです。今は時間がかかってますが、こんなことをやってる気仙沼があります。次の都市計画のマスタープランにもこの手法を取り入れてやっていこうとすすんでいます。

 次に本来的な住民参加のまちづくりを考えてみたいと思います。民主主義とはできるだけ多くの人の意見を聞くシステムを持つことを大事にしなければいけないと思います。 誤解しがちなのは多くの意見を具現化するのが民主主義ではない。時々これがはき違えることがあるんです。我々住民の声を聞かないで何が行政だという批判をよくします。それは我々ではなく、あなたの声なんですね。そういう意味でも住民の合意形成は難しいんですが、大事にしなければならないと思います。すべての意見を具現化しようとしたら、どんなに無限の土地やお金があってもできないんですね。そういう意味で今注目を集めているのがワークショップです。デスカッションしやすい7、8人の人数で色んなテーマを設けて議論していく。例えば駅前商店街の活性化とかを5、6回のデスカッションをしていくのがワークショップです。この面白さは、例えば秋田市の2025年のまちづくりヴィジョンの色を作ろうと議論していくと、みんなそれぞれ意見を出し合います。緑豊かなグリーンとか青とか赤とか、それぞれの意見は誰でも間違っていません。でもそれでは、まちづくりヴィジョンは決められないんです。戦略も描けない。そこでワークショップ方式で議論をどんどんしていくうちに、自分は緑を、青と思っていたが色々な意見を聞いていくうちに、実は薄い緑だったんだということに気づいて少しずつ終焉していく作業がワークショップなんです。でもなかなか百点満点の意見統一まではできないかもしれません。この合意形成する努力、ワークショップという手法が各地で取り込まれています。

 三つ目のパートナーシップ型社会をどう考えるかです。 市民と行政と企業がそれぞれ力を出し合ってまちづくりをやっていこうとよくいわれます。私もそんなことをずっと言い続けてきました。去年からNPOということを考えてきまして、どうもこの三つだけでは社会の構図を考えられないなと思いました。今までは市民と行政と企業が対立の図式なんですね。パートナーシップを組もうとすると市民とは誰をさすのかわかりません。行政マンは残業までして仕事をしています。企業人は厳しい経済情勢下で働き、私であればJC活動もしています。それぞれの三者が力を出し合うことは現実的には不可能なんですね。市民でも行政でも企業でもない第三者のNPO、グランドワークトラストが三者の力をつなぐ役割をするんですよね。これがイギリスの運動です。簡単に事例をいうと、私、ロンドンの小学校の現場に行って来ました。130人くらいの小さな小学校ですが、校長先生が校庭が狭い、自然観察園がないので何とかしたいと思った。そこで小学校の周辺の地主さんとか、企業、PTAとか関係する人達のコミュニケーションを図りながらそれを具現化していく。校長先生一人ではなかなかそれを組むことはできない。そこでパートナーシップを組むノウハウを持ったグランドワークトラストのスタッフがそこに入り込んできてそれをプロジェクト化していく。そこが大きな特色です。大事なのは入り込んでパートナーシップが組めてプロジェクト化がすんだらその人達はそこから去っていくんですね。後はすべて関係者にまかせるんです。その現場をみて思ったことは、行政が乗り込んでいってやったら自然観察園は工事内容的には一億円で半年で出来る作業内容です。

 ところが、関係者をつないでいってそのプロセスを大事にしながらやっていくと最低でも3年から4年の年月がかかります。そしてコスト的には半分ぐらいで出来る。どちらを選ぶかということです。イギリスは行政でやるのではなく、もう一つの装置をつくる道を選んだ。行政が百%やってすべてを解決した場合はそこで終わりなんです。ところがパートナーシップを組んでそういう問題解決をした場合には、そこに問題解決能力が培われていきます。校庭が狭いという小学校は他にもあります。グランドクラフトの専門家がそこでパートナーシップを組んでお手伝いしていく。またそれは一人立ちしてやっていきます。

 市民、行政、企業という三つの構図ではなくて市民を真ん中において考える。市民を真ん中の円にダブルようにNPO、市民運動団体、そして行政、企業を描く。このスタンスを大事にしたいと思います。この構図で考えるといったん税金を払うとそれは行政のもの、国に払うと国庫のもの、青年会議所の会費を払うと会議所のもの。企業の収益はその企業のものと思いがちです。それは当然かもしれませんが、考えてみたら真ん中の市民一人一人が努力した結果の生産物が税金という形になったり、NPOの会費になったりしている。(つづく)


 我青春風来記(115)
     早海三太郎

 メキシコ(9)

 幽霊ホテル・モンテカルロにマリアがやってきたのは夕方。タクシーでアラメダ公園近くで降りる。軽快なマリアッチの音楽が聞こえる。映画街まで歩く。彼女がいう中国の映画とは一体どんなんだろうと思っていたが、映画館の大きな看板が見えた。「慕情」だった。入り口で大人2枚といったが、満員で駄目、一席だったら空いているという。じゃあ、こっちは立ってみるから一枚くれといっても立って見るのは駄目だという。東京の映画館では立ってみたことが何度もあるのに、メキシコでは席が空いてないと入れない。仕方がない、三太郎はマリアをマリアッチの聞こえるアラメダ公園へ誘った。トランペットの軽快な音楽が響く。大きな公園の中には、マリアッチの四,五人のグループが何組もいた。ここで聞いてから楽団を家につれていきパーティをするようだ。
 メガネの若いの男子学生が話しかけてきた。日本からきたんだというと、一緒にレストランに行こうという。ちょっと邪魔だったが、断る言葉が出てこない。公園内のテントで囲んだレストランに入ると、その学生はレストランの支配人風の男に呼び止められた。年齢はと聞かれ、「一九歳。ここはお酒を飲ませるところだから、入ってはいけない」とやられた。その学生はおとなしく引き下がっていった。

 三太郎は21歳。19歳の時、北海道の室蘭のバーで20歳だといって飲んだことがある。日本は未成年でも平気で飲ませる。メキシコは映画館でもレストランでも規則に厳しいことは意外だった。ー マリアとレストランを出たら、あの学生が外で缶ビールを持ってまっていた。ベンチで飲もうという。三太郎も缶ビールを買ってきた。マリオという大学生は、缶ビールの上に塩をかけ、ライムを絞って飲む。三太郎も真似をして飲んだら旨い。
 そこへ、マリアッチのグループがやってきた。一曲いくらだという。三太郎はロストレスディアマンテスと知り合いだというと、オー彼らは王様だと、驚きの声を上げ一曲サービスをするという。「ある愛の歌」を頼んだ。(つづく)


  呑 風 日 誌 抄
 9月2日(木)秋田駅前・久保田にて秋田市文化課長の小松正夫氏と渤海の話。
 3日(金)土崎港ロータリークラブ。ホテル大和。近藤隆平氏に頼まれ国際交流員クレアを連れ、国際化の話。秋田は国際化が進んでることを落語で話すが受けず。
 4日(土)秋田駅前。バウハウスにて森川社長と秋田流酒道について打ち合わせ。
 5日(日)千秋学園グランド。中通クラブの練習試合。二試合で一勝一敗。川反・迎賓館にて角館チームと交 流会。
 6日(月)秋田市文化会館。シンポ「環日本海時代の秋田港の未来」脚本家三木たかしさんはいう。「秋田港は哀愁で売れ」土田助役の識見に感服。
 7日(火)秋田港。しらせ南極観測船甲板にてパーティ。 腕白クラブの遠田順夫さんと。毎日新聞の渡部慶一支局長・秋田県立大学の菊地勝弘教授と山王・八条。秋田経済法科大学の稲本俊輝教授、上大雅夫早大名誉教授と合流。福ちゃんの漫画の使用許可をお願い。27日に会うことに。
 9日(木)秋田駅前久保田。中学校秋田市同級会。正、秀治、正治。中学同級が一番。
 10日(金)高校同期・秋田放送の越後谷寛と東洋経済編集長の太田寿樹と昼食。東洋経済の創業者元民政党総裁町田忠治翁の生家跡を教える。
 11日(土)生涯学習センター。NPO学習会。山形県庁の石川耕三郎氏の講演。「市民と行政のパートナーシップ」 13日(月)平安閣秋田。ナイトセッション。ブルーベリー栽培家、親戚でテクノポリス開発機構の池田実氏の企画。 14日(火)秋田市駅前バス案内所の米谷さんから家に電話。まごころ大賞授賞式の領収書のある財布が届いた。佐々木さんの名前があるので心当たりはと聞かれる。
 15日(水)中通児童館。五〇〇歳野球の壮行会。
 16日(木)お堀端に引っ越した靉にて弁護士の阿部譲二氏、外科医の高崎育男先生と国際交流に理解のある話。
 18日(土)神岡町球場。五〇〇歳野球開会式。大雄クラブと4対1で勝利。夕方、秋田市文化会館で世界新体操歓迎会。なまはげ楽座が頑張ってきてくれた。
 19日(日)中通クラブは西木クラブ、十文字クラブとの試合。レフトで出場。打撃はさっぱりだが二連勝で好調 20日(月)五〇〇歳野球の4回戦。横手クラブに3対2で苦敗。秋田駅前久保田で反省会。中通クラブは健闘美酒。  24日(金)ふるさと塾。県老人クラブ連合会事務局長の齊籐秀樹氏の「ふるさとづくりへ老人力」齊籐氏のアイディアは大したもの。
 25日(土)稲門会秋田県支部総会。みずほ苑。総長講演を聞いて、向浜4面グランド。明治、法政、東大が集まらず早立チームと慶応戦。慶応の投手が何故か立教の三浦義明さんで彼を打ち込んで快勝。山王・酒盃に駆けつけ奥島親孝康総長に金浦町名産の「なまこ」を進呈し、来年八月の早稲田フェスタ秋田に吉永小百合さんを依頼。なまこで小百合さんを釣れたら大変。大学広報課の大石君と八条。
 26日(日)朝、アキタニューグランドホテル。奥島総長一行を見送り。吉永小百合さん著「街ものがたり」を総長に渡す。新幹線で上京。学芸大学前の娘のアパートへ。
 27日(月)四谷の国際観光開発センター。国際観光開発人材養成研修。全国から9人集まる。観光原論の講義では「観光開発は地域づくり」
 早大前稲穂食堂へ。店主の長谷川弘さんから漫画家の横山隆一宅へ電話してもらい、福ちゃんマークを早稲田フェスタで使用する許可を得る。条件は横山先生へ秋田銘酒を一生、一升送ること。稲毛屋へ行き早稲田商店会会長の安井潤一郎氏に秋田での講演依頼。
 28日(火)日本の国際協力の仕組み等の座学。デスティネーション(目的地)などの横文字がひんぱんに出てきて、自分は遅れているなあと痛感。 新宿・雀の叔父さん。日本旅行業協会の石田部長、毎日旅行社の水野課長と久しぶり。
 29日(水)観光関連産業、航空業、観光開発の講義。
 飯田橋。大学クラブ同期で信友の小泉郁夫と。昔の仲間の厳しい経営状況を聞く。秋田の新米を送る約束。  30日(木)観光開発概論、マレーシア観光促進事情等の講義。新宿。雀の叔父さんで悪親友の若林正彦、山森勲氏、中国大使館の孫書強氏も来てくれる。歌舞伎町へ。

 どんぷう後記
 タイ・マレーシアへ行ってきました。おみやげ話はふるさと塾人間道場で。11月26日
 6時30日〜彌高会館へどうぞ。