ふるさと呑風便8月号(’98・7・20)
ニガウリ
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宮崎市の繁華街、橘通にふるさと料理店「杉の子」がある。
日本ふるさと塾で会った宮崎県観光課の長沼武之さんからにそこへ案内してもらった。
平成5年の夏。楠の並木から入った所に、杉の子ビルがあった。玄関に入って驚いた。秋田の「お杉ぼっち」の大きな人形が飾られている。ご主人の森松平さんは大学先輩。全国の食文化向上に活躍されている。森さんがやってこられて宮崎の美味をたっぷり頂く。 と、お品書きに「ニガゴリ」とある。何かの魚と思って聞いたら、長沼さんが笑って、頼んでみましょうという。出てきたのは、魚ではなく野菜。キュウリを輪切りにしたようなもの。皮にいぼいぼ。
苦い。ニガウリと呼ばれているという。
一去年の夏。秋田市仁別の養魚場。そこで石川商事の石川善春社長が山女、岩魚の研究を続けられている。秋田銘菓モロコシの製造もされていて、松村謙三先生の命日に諸越を送ってもらおうと訪ねたら、これから養魚場へ行くといわれ、同行させてもらった。
養魚場で汗をかいた後、事務所で缶ビール。肴に出た野菜をみて、これはニガウリじゃないですかと聞いたら、よく知ってますねと石川さん。裏の畑で育ててます。夏バテに最高ですよという。
宮崎でのニガゴリを思い出した。確かに苦い。が、汗を書いた後、味をしめるとこれが又、いい。
雄勝郡稲川町。ここの郵便局長沓沢良輔さんの休耕田を借りて、ニガウリを育てている青年がいる。繁幸良輔さん。青年海外協力隊員としてネパールで大阪出身の隊員と知り合い結婚。今、ニガウリは県南のフィリピン花嫁の家族に提供しているという。
先般、沖縄・那覇市の嘉手川素子さんから、丁重なお手紙と泡盛を頂いてしまった。十和田湖で受けた親切な青年探しの御礼である。 大したことをした訳ではない。一昨年の夏、嘉手川さん親子三人が、奥入瀬駅伝で遅れたバスを待っていたら、通りがかりのホンダシビックが止まって話しかけてきた。運転していた東北訛りの青年から休屋まで送ってもらった。お陰で盛岡までの高速バスに間に合い、予定どおり盛岡、花巻に行くことができたという話。その後、このホンダシビック青年のお陰で、千秋図書館長の渡部誠一郎さん曰く、まごころのブーメランが起こり、「縁尋機妙」が広がった。
そこで、渡部さんとまごころホンダシビックマンを探そうとした。渡部館長は車の中にあった報道の腕章からマスコミ関係者だろうと八方探したが不明。私は陸上関係者だろうと、秋田市の陸連やホンダ車のデーラーを当たったが不明。 そこで、秋田魁新報にお願いして記事にしてもらった。
見つかった。四月一九日。大館市の畠山博さん(三五歳)。嘉手川さんは彼のことを奥入瀬クンと呼んでいた。奥入瀬クンは日本陸連公認審判員で、当日、十和田八幡平駅伝の手伝いをするため、休屋に向かっていく途中で、バス停三人の見つけたのだった。
先日、沖縄・那覇市の嘉手川素子さんから、絵はがきが届いた。
こちらから送った西目町ゆうきファームのリンゴジュースと民芸品の御礼だった。
絵はがきにはニガウリの絵。ウグイス色でイボイボのキュウリを大きくしたよう。ちょっとグロテスクに見える。方言名ゴーヤー。沖縄の夏バテを和らげる最高の食材、ビタミンC豊富。(画安座間安博)と書かれている。
大館のまごころホンダシビックマンに「秋田まごころ大賞」を贈り、沖縄で本場のニガウリを食べさせてやりたい。
ただ今、女子行員にもてたと紹介されましたが、私は女子行員に触る癖がありまして。時には胸をさわったりしまして、セクハラかなと思いましたが、「セクハラもなにも触る人によりますよ」といわれたことがあります。(笑い)
日頃、女子行員によくしていますと、セクハラにはなりません。
「縁尋機妙」ということについて申し上げたいのですが。縁尋機妙という本を作ってもらったんです。
これは前川町長さんはじめ岩城町の皆さんが作ってくれた本です。
岩城町では、竹下さんの時の一億ふるさと創生事業で本を作って町の方々に配っています。温泉掘って当たらなければ、目も当てられないと本を作って、人づくりにはそういうことがないと、前川さんの考え方からやられています。
前川さんとは、私が昭和五〇年に秋田銀行の本荘支店に赴任したんですが、その頃の岩城町は全くの寒村でした。従って銀行の支店もありません。ですから、あそこは本荘支店の担当でした。前川町長が二期目に入ったばかりの時でした。以来、今日までずっと町長をおやりになっています。町の広報がありまして、今日お見えの渡部誠一郎さん、秋田大学名誉教授の能登文敏先生、前の秋田経法大学長の丸山健先生、それに亡くなりましたが西目町におられました川崎勲先生。私達が輪番で広報のお茶の間セミナーというコラム欄に随想を書いてきました。それを中心にしまして、後は私が銀行で話したことをまとめて、岩城町がこの本にしてくれたんです。持ってきましたので、貰ってくださるのなら、中は読まなくてもいいです。(笑い)こういう本があるということをわかって頂けたらと思っております。
縁尋機妙というのは、陽明学の安岡正篤先生がいった言葉です。
人間の縁の広がりの働きの不思議なことは、到底人間の浅はかな知慧では図り知れない。これを縁尋の機妙という。
人と人とのつながりの大切さ、つき合いの大切が好きなもんですから、本の名前を縁尋機妙とつけました。安岡正篤先生を必ずしも信奉している訳ではありません。
縁尋機妙という言葉が好きで、この本の題名にした訳です。
この本の中身は、人に尽くす、商売であれば、お客さんを大切にする。それを銀行の中で一生懸命喋ってきたつもりです。それがこの本の中に収まってます。それが大半ですので、縁尋機妙についてはほとんど書いておりません。
商売の心、それは人を大切にすること。こういうことでこの本が出来上がっていると思います。
この間、水戸の偕楽園へ行ってきました。岡山の後楽園、金沢の兼六園は前に見たことがありますが、三大名園の一つ偕楽園へはタクシーに乗って行きましたが、その運転手さんは水戸の徳川公の事、一橋家の事から非常に詳しいんですね。色々教えてくれて、案内してくれまして、感心してきました。
岡山や金沢は観光地ですから、タクシーも3時間コースがあって、運転手さんが名所旧跡の説明を微に入り細に入りしてくれます。
秋田の運転手さんはどういう勉強をしているのかなあと思います。行き先を告げても返事もしない運転手もいますし、どうしてこうなのかなあと何時も思っています。
秋田も徹底した運転手教育をしなければいけないのかなあという気が常々しています。
気持ちのいい応対をされれば、そこには又行ってみようかないう気がしますし、不愉快な思いをすればもう二度と行きたくない。
旅館だってその通りですねえ。気持ちが良ければ又行きたくなるし、飲み屋だってそうです。大変愛想のいい、話の面白いホステスがいれば又行くかという気になるし、つっけんどんなのがいれば二度と行くものかとなります。
気持ちのいい応対、それは何かとなれば、人に尽くすこと。一生懸命、お客様に尽くすことだと思うんです。
去年の春頃、東京へ行きますとデパートへ行くのが癖でして、食べ物、菓子とか食品を覗きます。何か変わったなあという気がしました。去年の秋に見ましたら完全に変わったという気がしました。
新宿では高島屋が出来て、価格競争、品物の取りそろえの競争、後残ったのが接客態度だけと思ったのかどうかはわかりません。
今まではショーケースを挟んで応対していた。今は、ショーケースから出て、お客と一緒に並んでこれはどうのと説明してくれる。本当に親切丁寧な応対になったなと感じました。
そして秋田に戻ってきて、いなかった時の新聞を見ましたら、福岡であったプロポーザー会議の記事が載っていました。その中で福岡の女性の方が、秋田は接客態度が悪くて、二度と行きたくない。是非、あの接客態度は直してもらいたいと注文していました。
これを見て、それこそ昭和三六年の秋田国体。まごころ秋田といわれたのが、今どうなったのかなあと思いました。
秋田県人は口べただとか、積極性がないとか、心があってもそれを表に出せないのかもしてません。
そうはいってられないような気がするんです。確かに新幹線こまちが開通した。自動車道も開通した、今年の七月には大館能代空港も開通します。ハードの面ではだんだんと整備されてきましたが、ソフトの面でどうか、という訳です。秋田花まる運動継続中とか、秋田市では買い物の無料バス、商工会議所では色んな勉強会をやっているようです。
肝心要の人様に尽くす、商売の大事なところは、どうなっているのかなあ、何とかしなければならないではないかという感じがする訳です。繰り返すようですが、商店だって、物を買いに行って無愛想でつっけんどんだったら行きたくなくなりますし、気持ちのいい所には品揃えが多少すくなくても、そこから物を買うかとなるはずです。商店だけでなく、街だって全体がそうであれば、人が来るようになる。もし福岡の女性のいうようなことであれば、これは気を付けて直さなければいかんなあと思っている訳です。
私は安田生命の総代をしばらくやっていました。生命保険会社というのは相互会社ですから、株主総会というのがありません。安田生命は各県に一人の総代をおり、それが集まって総代会を開いて、それが株主総会といえます。安田生命では総代会が終わってから懇親会があります。十人ほど丸テーブルを囲んで食事をします。
安田生命が何を血迷ったか、私を学者先生の中に入れられてしまいました。金融機関の中に入れられるのが普通でして、ろくな話もしないんですね。富士銀行の天皇といわれた松沢さん、業界の暴れん坊といわれた安田火災の後藤社長、ああいう方々とテーブルが一緒になったことがあります。ゴッホの絵が何十億円したとか、ろくな話もしない。だからあんな金融不祥事を起こすんです。(笑い)
さすがに学者先生はいい話をします。教育の原点は何かという話から始まりまして、慶応の塾長をやった石川忠雄さん。あの方は明確に教育についていっておられる。
「教育とは、人間が人間として、人間らしく生きていくために必要なのだ」最低、これだけは教育しておかなければということを、3ついっております。(続く)
我青春風来記(101)
早海三太郎
新宿区霞岳町(42)
タラップを上り、機中に入る。ロスアンジェルス行き。プロペラ機である。三太郎は飛行機も初めて、席は窓際だった。座って見ると以外に狭い。
そうだ、慶応の橋田が空港で投げてよこした箱は何だろう。紙袋を開けてみた。彼奴メ。何とそれは避妊道具であった。(ちなみにこれはメキシコのタクシーの運ちゃんにあげてまして、橋田の好意を無にしてしまった)
二村幸子さんが徹夜で作ってくれた箱は?。綺麗な紙包みをほどく。箱を開けると、小さな千羽鶴と折り紙がいっぱい入っていた。 蓋の裏側には、千羽鶴の折り方を順番に書いたものが張り付けてあった。幸子さんのやさしい心遣いに嬉しくなった。(ちなみにこの折り鶴の折り方をキューバの子供達に教えて喜ばれた)
スチュウアデスが立ってアナウンスどおり救命具の使い方を説明している。神妙に聞く。
窓の外が白じんできた。給油の為、ホノルル空港に着陸するとアナウンスあった。日付変更線を超えて、まだ前日の7月9日。
常夏のハワイ。アメリカ。ブルースカイ。初めての外国に降りる。ハワイ娘がレイを持ってキスのシーン出迎えはない。税関の検査があるようで、荷物を持って空港ビルに歩く。問題はない。
空港の外にはカメハメハ大王の子孫のようなおばさんと子供が遊んでいる姿が見える。
翌日、ロスアンジェルス空港の夕陽が迎えてくれた。空港には中原の友人、中村次郎君が出迎えてくれた。ハワイで税関が通っているので、すぐ外に出られる。
ジェット機が飛ぶ。急に角度を上げてコバルト色の空に上がっていった。
中村君の車に乗り込む。彼は助手席の中原と話していて、しきりに「ヤー」「ヤー」という。どうもカルフォルニアではイエスをヤーというらしい。彼はパイロットになるためにロスアンジェルスの大学に留学していた。
と、後部席の後ろから音楽が聞こえてきた。三太郎はビックリ。カーステレオだ。日本にはまだなかった。日本にカーステレオが普及するようになるのはずっと後のことになる。
車はロスアンジェルスの郊外、パサディナシティに向かっている。中村君の親戚でタック中村氏宅に着いた。(続く)