ふるさと呑風便 6月号(’98・6・20)
幻の滝
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「今年は鳥海山の幻の滝探検をやります」と西仙北町の逸見博幸さんの年賀状に書いていた。
幻とは面白そうとすぐ、彼に電話して参加を予約した。
その日の為にと、登山用のリックサックを買った。女房とデパートへ行って初めてジーパンも買った。試着室ではくと、三分の一も裾が上がった。女房は裕次郎の半ズボンねと笑う。
登山靴はある。高校時代、富士登山に行くことになって買ってもらった。三年生の夏休みだった。
ラッシュアワーのような富士登山で感動もなかった。頂上からみた北アルプス連邦が遠く、雲の上に美しく浮かんでいた。
帰りに東京に寄り、志望大学を訪ね、正門前の予備校の教室を覗いた。驚いた。自分より年寄り風の学生、ライバル達が真剣に学んでいる。これあ大変だと、その日の夜行列車に乗った。
5月初めに「鳥海山幻の滝探索ツアー」の案内が自宅に届いた。探検ではなく、探索とある。秋田県キャンプ協会主催だ。隊長が旧知の本荘営林局の庄司友治さんだ。彼から電話もかかってきて、年齢も聞かれた。隊の役割を決めるらしい。メンバーは総勢30人。私の役割は位置確認との事。年だから、「あ、ここに、幻の滝がありました」とやればいいのだなと勝手に解釈する。5月24日午後8時、象潟町中島台キャンプ場管理棟集合とある。
24日。象潟町の道の駅「ねむの里」の展望台から鳥海山を眺めた。夕陽に映えて、実に美しい。デジカメを持って象潟海岸へ向かう。夕陽が水平線に沈みそうになって、楕円形になる。高校時代の物理の時間、何故太陽が水平線に近づくと楕円形になるか習ったがどうしても理解できなかった。
コバルト色、楕円形の夕陽の写真を撮って、後ろを振り向いて今度は鳥海山の姿を撮る。
中島台のキャンプ場には7時に着く。既に庄司隊長達がテントを張っていた。暗い、まだ寒い。
管理棟でキャンプ協会の方々、一〇人程。酒盛りが始まった。寒かった身体が温まってくる。寝袋を忘れてきてしまった。後で来た逸見博幸さんが、酔っぱらった私の寝床をつくってくれた。
翌朝。眩しい。好天気だ。集まった総勢50人、広場で体操。こんなんも、初めて。ジムニーに「鳥海山にブナを植える会」の友人を乗せて、県道を矢島方面に走る。石禿沢堰堤が幻の滝の入り口。私の役目、位置確認とは測量に使う尺棒持って100bづつ長さを測ることだった。
川づたいに沢を登る。黒褐色の川石にブナの倒木が横たわる。雪解け水の水量は多く、冷たい。途中、小さなサンショウウオがいた。
ブナ林が続く。約1時間程歩いたか。「あったぞう」と先導の声。
ごうごうと滝が流れ落ちる音が聞こえてきた。「あった」
それは、ブナの大木の間から流れ落ちていた。石禿沢の堰堤から滝までの距離は657bだった。
ヘルメットをかぶった隊員が巻き尺を持って滝を登る。
幻の滝の長さは、77、7b、幅4bであった。
この滝は水墨画の風景のようだと「うす墨の滝」と命名された。
魅知の山、鳥海山の懐の大きさを体感した。
なぜ幻の滝なのか。山菜取りや渓流釣りに入る地元の人々はこの滝の存在を知っている。
滝に水が落ちるのは、今だけ。夏になると滝の水が涸れて、ただの急な石の急勾配である。
水しぶきに映えるブナの木々も美しい。
王志文と申します。去年の7月に秋田に参りました。出身は吉林省の長春です。旧満州時代の新京でした。吉林省は中国の東北部にあり、州都が長春市です。行政区域は、省の下に一つの自治市、朝鮮族の自治市、それから二四県の県クラスの市、中国の場合は、県と同じクラスの市があります。それから、二一の郡、県は中国の場合、市の下です。その中には3つの自治県があります。満族自治県、朝鮮族自治県、モンゴル族自治県があります。吉林省の東南部は森林です。西北部は草原です。中西部は平野です。吉林省の農地面積は四〇五万f。全吉林省の面積は一八万七千fです。人口は二千六百万人、民族は合わせて三六民族です。吉林省の食料生産は人口一人当たりで中国でナンバーワンです。二三二五万トンで八割がトウモロコシです。吉林省の木材の伐採量も全国で二番目です。大学は四二校、科学研究機関が二二五もあります。吉林省の鉱物は七〇種類あります。経済の基幹産業は自動車と化学工業です。近年、医薬工業と食品工業が急速に発展してきました。九九%以上が中小企業です。日本では小さな店も中小企業ですが、中国では工業の企業だけが統計に入っています。
図們江は中国と北朝鮮の国境にを流れる全長五〇五qの国際河です。そのうち上中流の四九〇qは中国と北朝鮮の国境にあります。中国の領地は河口から一五`の防川までで、残りはロシアと北朝鮮の国境にあります。
図們江地域開発計画は、中国、ロシア、北朝鮮の図們江流域地域を多国間の協力により開発しようとする構想です。対象地域は、現在北朝鮮の清津、中国の延吉、ロシアのナホトカを結んだ線の内側とされています。域内の面積は五万五千qです。人口は四百三十万人。この地域は豊富な天然資源、安い労働力、日本、韓国などの市場へのアクセスの有利性など条件を備えており、図們江地域開発プロジェクトは、この地域のインフラ整備、工業開発を進めることにより、国際的な貿易工業の中心地に発展させることを目指すものです。図們江地域開発構想は、一九九〇年七月に発足して、九一年三月に国連開発計画の第5次事業計画、すなわち九二年から九六年において図們江地域開発を北東アジア協力事業の一貫として、推進することを決定しました。具体的には中国、北朝鮮、ロシア、韓国、モンゴルからなる図們江開発計画管理委員会を開催して、各国間の意見調整を行っています。
吉林省側の日本海への主なゲートウェイは、以下のとおりです。
一つは、北朝鮮の羅津ルート。吉林省の物を羅津港を経由して日本海に入る。このルートは一九九五年九月から、羅津ー釜山間のコンテナ航路を開設しています。
吉林省と羅津港への陸上ルートは約八割の貨物は鉄道で輸送しています。レールの幅が同じですから、例えば吉林省のトウモロコシは列車にそのまま積まれて港に輸送されます。
もう一つのルート、吉林省から清津港を経由して日本海に入ります。このルートは一九九五年九月から日本の港へトランジストを輸送しました。内陸輸送は鉄道と自動車輸送を併用しています。
第三番目はザルビノルート。吉林省からロシアのザルビノ港を経由して日本海に入ります。吉林省から道路は出来ていますが、鉄道はまだ完成していません。
去年の五月、一度現地を見に行ったんですが、鉄道は敷設されたんですが、まだ駅が出来ていないようです。
それから北東アジア経済圏の開発に伴って、周辺各国はそれぞれの長所、日本の技術・資金、中国の人的資源、ロシアの天然資源などを生かしてお互い補完する形で経済協力をしていくことが、地域繁栄のために有効だと思います。
二一世紀の大交流時代へ向かって、小さなところからやり初めて、これを積み重ねて大きな成果を遂げられると思います。
吉林省は秋田県との交流がもう九年目になりました。お互いにミッション団を何回も派遣しました。
一九九四年から、秋田県が吉林省の長春市で第一回の展覧会をしまして、広範囲な経済交流をしました。今まで四回開かれたんですが、二回目は秋田県だけの開催ですが、一昨年から新潟、島根、鳥取の合わせて四県の展示会が開かれます。
昨年の三月、秋田県の吉林経済交流会が設立しました。それに対して吉林省側も八月に吉林省日本国秋田・新潟・鳥取・島根経済技術促進会が設立されました。
促進会は中国の場合は日本と違って民間ではなく、関係部門で登録して法人になります。
吉林省と秋田県との経済交流を深めるために、各分野の友好往来を促進するのは重要だと思いますが、現段階としては、秋田の技術と資金を利用して、吉林省の資金及び安い人件費を生かして、製品を作って海外に輸出あるいは、中国国内で販売してもよろしい。又、加工してもよろしいです。
私は今年の四月まで秋田県の滞在します。何か交流したいことがあれば、ご遠慮なく相談して下さい。今までは去年の十一月、秋田港の中国航路が開設した後、中国から物を輸入したいという意欲が高まって、吉林省でしたら今は大連を経由して、日本に物を輸入していたんですが、ザルビノ港で木材チップをザルビノ港の倉庫を借りて日本に運んでいました。
吉林省から物資を運ぶ場合、道路状況は、ザルビノ港までトラック輸送が一番いいと思います。
それ以外では、直接、清津に行くとかですが、一番いいのは道路の幅も広いし、日本海へ距離的にも近いし、吉林省からザルビノ港へ行くルートです。
ザルビノ港の開発に関して、新潟県が投資しようとしましたが、港のインフラが良くなれば一番いいです。道路も今使っているし、鉄道もそろそろ完成するでしょうし、吉林省の道路状況も図們から長春への道路もだんだん造られると思います。
今、長春から吉林市への高速道路が着工します。延辺の国際空港もできたらよくなると思います。
韓国の観光客がいっぱい入っています。朝鮮族は白頭山といいますが、そこは日本の富士山という感じで、毎年夏は韓国から観光客がいっぱい来ます。今、長春からソウルへの直行便、定期便がありますが、将来、日本からの観光客を増やせたらと思っています。
遼寧省には大連という港があります。黒竜江省は、ロシアを経由して日本、北海道へいきます。
内陸の吉林省としては、北朝鮮とのバーター交易とか、ロシア側との辺境貿易を始めてから国際間の協力があって、やっぱり北朝鮮とロシアの港を利用して日本海に入ろうとするのが一番、現実的な方法です。
以前はトウモロコシを輸出したことがありましたが、今後、吉林省と秋田県との木材関係等の経済交流が益々期待できると思います。
新宿区霞岳町(40)
財界の黒幕といわれる田村浩之介さんから、毎日新聞社に行ってこいといわれていた。そこは皇居のお堀を望む近代的なビル。
キューバ出発五日前。七月五日。田村さんから紹介された毎日新聞の本山秘書課長が会ってくれた。彼は毎日新聞社の創業者の子孫らしい。
毎日グラフの伊奈一男編集長のところに案内された。キューバの記念式典の写真を撮ってきてほしいと依頼された。フイルムを渡しますからというので、大きく出て、50本欲しいといったら、ああ良いでしょうと。明後日、担当の方と詳しい打ち合わせをすることになる。
七日、毎日新聞社。地下鉄の竹橋駅の上にある。時間があったので、お堀に出てみる。鯉が群れて泳いでいた。馬鹿でかいのが皇居お堀の主だろうか。1bはあろうか。腹の曲がった大きな鯉もいる。
毎日新聞社の毎日グラフ担当者と会った。コダックフイルム10本頂いた。帰ったら、キューバの写真と原稿を書いて持ってきてくれと頼まれた。
フイルム十本では足りない。日本製のフイルムを沢山買って行かねばならない。中南米研究会の先輩、曽我敏武さんからペンタックスを借りていた。「三太郎、シャッターチャンスは何度もないから、後で後悔しないようにこれだと思ったら何枚でもじゃんじゃん写真と撮っておけ」とアドバイスされていた。
霞岳町の都営アパートに帰る。暑い。まだ七月初めだというのに黙って立っていても汗が出てくる。ふるさと秋田ではこんなことはない。キューバも暑いだろう。
鞄に荷物を入れてみた。結構重い。本が多いのだ。お茶を入れるのを忘れていた。キューバではカストロ主催のパーティにも招待されるだろうと、青いスーツを買った。ネクタイを3本。キューバの民族衣装のワイシャツ、ガジャベラは間に合わなかった。
名刺は二百枚用意した。。日本学生キューバ友好視察団団長。貿易スペイン語の大林先生に団長はスペイン語でフェフェだと教えられた。
夜、神宮前の山本真喜子さん宅にいた。キューバ大使館のプーチョが来てて、ピアノを弾いてくれた。クーバキェリンダエスクーバ「美しきキューバ」。(続く)