ふるさと呑風便7月号


  歩 く

 

 「人生は余計に歩いた者の勝ちだ」(尾崎咢堂)

といった言葉を教えて頂いたのは川崎秀二先生だった。松村謙三先生とともに政治活動を共にされた政治家。

参議院議員秘書時代、議員会館地下に旨い寿司やがあった。川崎先生が衆議院議員会館の方から巨体を揺らして、外を歩いているのと出くわした。「参議院会館の地下の寿司やへ行くところだ」とおっしゃる。国会議員が外を出歩くのは余り見たことはなかった。
 松村謙三先生・川崎先生達と日中国交正常化の前史をつくられた田川誠一先生。
 自民党と新自由クラブとが連立政権を結んだときは自治大臣も務められた。秋田選出佐々木義武元通産大臣とは衆議院議員の同期で仲がよかったらしい。
 新自由クラブは解党したが、最後まで筋を通して、一人自民党に復帰しなかった。進歩党を結成され、設立総会に出席した私に、終わってからの懇親会のテーブルに、田川党首は隣の席を空けてくれた。
 

 私の尊敬する「政治家」である田川先生からこの6月24日、の秋田ふるさと塾に案内。三階までのきつい階段をトントン上がっていかれた。
 翌日、田川先生と二人で1時間程秋田市内を歩いた。先生の来秋の目的の一つは、町田忠治翁の生家跡を訪ねることだった。
 町田忠治とは、戦前、商工大臣や民政党の総裁を務め、秋田県出身の政治家では最も首相になれる地位までいった人物である。
 80歳の田川先生は、毎日1時間は歩いていると聞く。朝10時、秋田ビューホテを出発。「町田忠治翁伝」(松村謙三編)に町田忠治の生家跡の写真が載っている。
 今は児童公園になっているらしい。先生は保戸野中町というところにあるらしいとおっしゃる。保戸野中町を歩く。通りがかりのご婦人に訪ねるが、町田忠治翁の名前すら知らない。町内会報を配っている人が知人だった。それは、市長公舎の近くではないかという。 そこは保戸野八丁にある。引き返して歩く。児童公園らしい広場があった。門は確かに写真にある白い門。中に入る。あった。ここだった。黒松の根元に白石碑。商工大臣・農林大臣町田忠治誕生の地と彫られている。

 松村謙三先生の次女・小堀治子さんから贈られた「町田忠治翁伝」に大隈重信候の町田忠治支援演説が載っている。これには大隈さんの秋田観も伺えて面白い。
「町田君は秋田藩士である。元来秋田という処は戊辰の際東北に孤立し賊軍の間に立って正義を唱えた処で、九州諸藩の軍隊は朝命を奉じて之に赴き、我輩の友人等も大に此地に戦って血を流し、中には戦死したものもあった。為めに、観念の上に秋田という印象は、太さ深く且つ強く刻まれて居った。我輩は二度ほど秋田に旅行し、秋田には割合に知人も多く、故秋田侯を始じめ色々な方面に知己はある。秋田の青年が訪ねらるると、直に知己の感をなして、一種の愛情が生じ来るのは妙だ・・・。
(町田翁が初めて選挙に起った時、その門出の餞として大隈侯が、特に東京在住の有力な秋田県人を早稲田の邸に招いた時の演説)

 目的を果たされた田川先生。ホテルへの帰り道、コーヒー店に立ち寄る。バナナを頂きながら色々お話を伺う。
 千秋公園に上って、彌高神社を参拝。先生は健脚。日頃歩くことのすくない当方の足がくたびれてきた。お堀の横を下る。歩きながらおっしゃる。
「地域に貢献することが大事だよ」秋田の朝、まちを田川先生と歩いた。有意義な時も歩いている。

「人生とは余計に歩いても、最後に勝てばいい」


ふるさと塾地域づくりゼミナー
★平成11年2月26日(金)
★川反ふるさと塾舎
★「第三セクター地域づくり論」
★ 荒谷 紘毅 氏
(東京商工リサーチ)

 ずさんな融資はもう許されなくなりました。赤字の会社に融資を続けたら、株主訴訟で頭取の首がすっ飛ぶ。わずか8千数百円の手数料で頭取の首を飛ばすことができるんです。
これができなくなってきた。市民オンブズマンが厳しくなってきた。全国で三セクに対して訴訟が頻発してるんです。公的な資金の使い方がおかしいと。
 衝撃だったのが去年十月、山口地裁の判決です。日韓高速船の三セクが借金が残った。残った借金を下関市が八億四千万、尻拭いした。それに対して住民訴訟で損害賠償の訴訟が起こった。判決は当時の市長に八億四千万円払えとなったんです。これは全国三千二百の地方自治体、九千の外郭団体の社長に対してもの凄いショックを与えた。
 もう税金の不合理な使い方は認められないんだという時代になっっちゃったんです。つまり政治的な司法判断はしない。純粋に法理論的に判決が下すようになった。
 三セクが解散しても借金は残る。それを棒引きに、半分にしてくれといってもダメになった。だから裁判所の介在して破産とか特別精算とかムリムリ泣かせることになった。もう銀行は甘い顔が出来なくなった。

 全国には金儲けを目的にした商法法人が約三千社あります。その殆どが赤字。黒字だといっている三セクの中で、補助金を売上げとして、収入としてたてている。それで黒字だといっている。
 それから業務委託。施設は自治体のものです。それの管理運営を委託している。業務委託費で、かかった分だけ出るわけです。そうすると赤字にならないんです。民間並のまともな決算だったらほとんどが赤字になるます。
 それから、減価償却をやってないのね。恐ろしいですよ、畜産公社もそうですが、ちゃんとやればみんな粉飾になるんですよ。
 これが統一地方選挙を控えて、各自治体で選挙の争点となってきます。現職が勝とうと対抗馬が勝とうと選挙後、三セクは一斉に整理にはいるだろうと思います。
 現職は今、選挙にかかわる三セクを整理倒産させたくない。そもそも三セクが全国に雨後の竹の子のように設立されたかというと、地域おこし。カネを投じて地域おこしをやろうと。
 これは昭和四十年から五十年をつうじて一極集中で地域格差が拡大していった。その柵差拡大の危機感から、自治体が中心となって「何とかしなければいけないべえ」と。特にひどかったのは北海道と九州。これは産炭地なんです。炭坑がどんどんダメになってくる。それに対し、特別な恩恵、恩典があって、みんなやったんです。これは自治体の首長にとっては打ち出の小槌だった。
 僅かな出資を議会の承認を得て、それで三セクは、百億でも二百億でも事業が展開できる。予算と関係なく大事業ができる。外部でやるわけですから、自治体が出すのは出資金だけなんです。後は三セクが銀行から借りて事業を展開する。これは、うまくいけばの話です。雇用の受け皿になる。特に自分の自治体OB、銀行のOB、採用するのは自分の選挙民の出来の悪い子弟。そういうのは各地にあります。(爆笑)
 ほんとは自分の選挙民の子弟を役場とかにいれたいけれど、公務員試験を受かりそうにないバカ息子を採用するには三セクがいいわけです。
 宮崎のシーガイヤは二千人の従業員をかかえたんです。これは選挙にすごい力を発揮するんです。
 そうすると自治体の選挙民は、おらほの町長は大したやり手だと、おっきい事業をやったという。北海道の芦別市、中世のカナダを再現し、星のふるさと芦別「赤毛のアンカナディアンワールド」我々は赤字のアンといってる。(笑)ま、見事に失敗して30年返済もの借金をかかえています。
 うまくいけば次の選挙も大丈夫。ただし成功すればです。ほとんど成功しない。なぜ成功しないか。
 一つは、民間側の出資者は地域がどうなろうとかまわない。自治体側は地域を何とかしたい。お互いの思惑が全く違うことです。同床異夢なんです。そもそも第三セクターとは、例えばアメリカの三セクは、利益を追求するものではない。麻薬を追放しましょうとかのボランティアなんです。欧米では自分が稼いだだけでは評価されない。慈善事業、社会活動をしているか問われる。ビル・ゲイツも三七億円も寄付してるんです。
 日本の三セクの出資者は出した金の十倍以上は設けなければいけない。アメリカの企業とは違うんです。全く思惑の違う官と民が一緒になって事業を始めることがまず大きな間違い。
 もう一つは、リーダーがいない。唯一成功しているといわれる岡山県だったか黒壁という会社があります。これは町並み保存から発展して、ガラス工芸品をやって岩手県の遠野市までも支店を出しています。東北地区では、岩手の盛岡グランドホテル。

 この二つ、何故うまくいったかというと、実際経営にあたる人が優れたリーダーシップを持っていた、ということです。ところが圧倒的に誰もいない。社長は殆どが自治体の首長です。名義だけ。年一回の役員会行って酒飲んで、ハンコ押すだけ。決算書出たって決算の見方さえ分からないんです。
 まず社長が非常勤だということ。日本に二百数十万の会社があるけれども社長が非常勤というのは珍しい。社長がいない会社です。専務がいてたいていが自治体のOBか銀行のOB、彼らに経営能力はない。
 去年一年間で25社が破綻しましたが、経営責任をとって辞めた自治体の首長は一人もいない。身銭を切った人は一人もいません。これは会社ではないんです。会社とは通常、破産を選ぶか、首吊りか夜逃げの空極の三択しかない。
 それから赤字がでても市場原理が働かない。いくらでも自治体から補助金という形で出てくる。これでうまくいったらお慰みです。
 たまたまうまくいっているところは、普通の会社の社長としても優秀な人がやっている。そういうカリスマ性の人がいれば三セクにしても経営ができる。
 これが金融ビッグバン、グローバルスタンダード、そして自治体の財政が困窮を深めている中で、もう今までどおりには先送りが出来なくなってきた。それが去年の精算元年であり、今年は精算本番。
 一月で3つこけてます。大坂のの有名な国際大坂ホテル、これは三セクです。それから福岡のちょっとはずれの町で作ったビル開発会社、これは町長が変わったら止めたんです。三セクはダメだと。これは利口ですね。八合目から引き返す勇気は大したもんです。

 役人が商売に絡んでいいことはない。怪我をします。もしうまくいったとしても、どうなる。民業圧迫ということになる。民間と競合するような施設を官がやるというのは考えられない。
 土地開発公社、住宅供給公社もそうです。これから問題になりますよ。土地を扱っているために借入金が膨大になってます。これが表面化してます、今年は。
 

 全国で三セクが論議されます。選挙でも争点になってます。私にいわせれば三セクは官と民の癒着です。先送りをしないで形をつけなければなりません。
 ではどうするか。やるんであれば、ほんとに経営能力のある人を社長にする。それから経営責任を自治体の首長がとる。そうすれば誰もやらないですよ。(笑い)


我青春風来記(112)
     早海三太郎

 メキシコ(6)

 メキシコシティの場末のキャバレー。真ん中のホールで女性とダンスをするとチップを払わなければいけない。片腕の女性は阿部君にそれを要求しているのだ。彼女が席に座ってから、阿部君に45センターボス(日本円にして30円)を払うようにいう。メキシコの貨幣は大きくて重い。彼は持っていないので1ペソを渡す。彼女は喜んで、機嫌がよくなる。
 伊高先輩は教えてくれてた。彼女達は店から給料を貰ってない。チップとホテルに誘って暮らしているのだと。三太郎は何だか可愛そうになった。かといって阿部君もホテルまで同行するつもりはない。ここは明瞭会計で、ボーイが酒を注文した時に払う。ビールを頼んで、ぐっと飲んで外へ出た。
 そこにも女性達がいる。伊高先輩にいわせると、店でお客にあぶれた女性が外で客引きをしている。 三太郎も、腕を取られた。ここでスペイン語の教科書で習った構文を思い出した。メキシコに着いたばかしだから疲れていると早口で話すと、腕を放してくれた。
 阿部君と、逃げるようにタクシーに乗ってホテルに戻った。

 翌朝、グレイハウンドバスの中で仲良くなったホセから電話があった。今日の夕方六時に来るという。ベッドの枕の上にチップを置く。お金をベッド脇に置くとそのままだった。伊高先輩の部屋を訪ね、昨夜の顛末を話すと大笑いをされる。キャバレーはもうこりごりというと、そのうち、マリアッチをやってるアラメダ公園に連れていってやるという。そういえば、山本満喜子さんからメキシコの有名なトリオロスパンチョスへの紹介状を預かっていた。それは凄いと伊高さんは、リーダーに電話をしてくれたが、外国に演奏旅行でいないとのことだった。
 三太郎はバスの中で知り合ったバッハカルホルニア大学の女子大生に会いに行こうと決心。親戚のやっているレストランナイルという所にいると聞いた。
 朝9時。バスに乗る。運転手にレストランの住所を教える。そこに女友達がいるというと、ウインクされた。運転席の直ぐ横に座れという。通勤客が乗ってきて満員になる。交通論のゼミナールを取っている三太郎。メキシコの交通事情に感心がある。20分程バスが走って、何故が、バス停でないところで止まった。運転手が三太郎を呼ぶ。
(続く)


呑 風 日 誌 抄

 6月1日(火)秋田県総合発展計画の文化面のワーキンググループ。やたら横文字使わないで大和言葉を使えという。その懇親会を山王・楽座。鷹巣町で漁業で町づくりをしている方のことを聞く。
 3日(木)本荘市アクアパル。高校同期の藤原直久所長と。金浦町の畠山悟先生の個展。先生とは会えず、気に入った絵をディジカメで撮る。
 4日(金)秋田市本荘高校同窓会。秋田メトロポリタンホテル。59同期出席は自分だけ。尊敬する元本荘市長佐藤憲一先生や瀧不動産の瀧広明社長のお元気な姿。
 駅前人情酒場久保田にて大学後輩の福島伸行(秋田ビューホテル)中泉俊幸の両君(秋田市役所)と。来年の早稲田フェスタで、彼らは広末涼子を呼ぶという。先輩は吉永小百合をと。民謡酒場前の山梨出身の親父さんが30年の屋台ソバのラーメンへ。旨い。
 6日(日)朝7時。雄物川河口の百三段海岸クリーンアップ。子どもも多く三百人参加。ジープで河口に乗り入れ、空き缶を拾う。浜辺で自生するハマナスが綺麗。
 7日(月)昼、彌高会館。秋田ペルー協会役員会。28日に総会。ペルーから看護婦さん研修に。
 8日(火)夕方、NHK秋田放送局。ラジオgogoあきたで進藤キャスターから秋田まごころ大賞の話を聞かれる。奥羽越列藩同盟が31藩あって、秋田藩は同盟を離脱してとか、ちと難しい話をしてしまった。大友康二先生のまごころの詩を渡辺悦智子さんから朗読してもらう。
 11日(金)秋田パークホテル。能代高校と能代北高36年卒の合同パーティへ。兄貴分の尺八名人清水欣也氏の依頼。イギリスの国際交流員を連れ、アマベルを参加者分を持参し、花遍歴の話をする。良き出会いであった。
 12日(土)秋田市寺内・ユースパル。山形創造NPOネットワークを立ち上げた石川敬義氏(庄内銀行総合研究所主幹)の講演を聞く。人と人とがつながるネットワークの力。おまかせ民主主義から脱却した山形県を創りたい。県民の責任の参加型社会のシステム。
「ヒト・モノ・カネ、情報」とどうするかだろう。
 榮太楼旅館にて「秋田まごころ大賞授賞式」25人近く集まってくれた。審査委員長の新野直吉元秋田大学学長や皆さんの挨拶が素晴らしい。受賞者の石川史郎さんも感動。店を再開して欲しい。
 松本秋次先生、佐野元彦氏と元気印の阿部直耕社長と仲良酒場「道心」で二次会。
 14日(月)秋田市大町・第一会館。「年をとってなぜ悪い」出版記念会。井戸端ゼミの渡部紀代子さん達が頑張って発行。同席の無明舎安部甲氏から小田豊二さんの「のり平のぱっといこうよ」で彼は作家として地位を確立したと。東京の小田に電話したら、「最後の幇間」が文庫本になったという。嬉しき事。直木賞は諦めるな。
 15日(火)平安閣。「しらせを秋田に誘致する会」総会へ。
 16日(水)彌高会館。秋田ウラジオ会総会。ビクトル先生からロシア・極東地域情報。
 18日(金)世界こども音楽祭交流部会。世界のこども12人程の通訳派遣のこと。
 19日(土)秋田港。ウラジオストク市の隣、アルチョン市から来たバレー好きの男と通訳を秋田北高へ。横屋事務長から女子高校のバレー部の練習会場へ。アルチョン市とバレー交流したいとの事。ラーメン屋に連れていく。やはり、彼らは音を立てないで食べる。
 20日(日)秋田市茨島・三皇熊野神社の境内。都市部のブナの写真を撮る。樹齢推定150年。
 23日(水)秋田駅前・パックスハウス。東京6大学秋田野球連盟役員会。9月25日に対抗試合。近くの久保田で明治の打川猛監督、三浦義明事務局長と。
 24日(木)秋田県老人クラブ連合会事務局長斎藤秀樹氏と。秋田ふるさと塾の九月講師を依頼。
 25日(金)ふるさと塾。川反塾舎。講師植田一氏(秋田県住宅建築センター)元新屋青年交流会会長から「ハマナスの海」雄物川河口の南岸・百三段海岸にハマナスを植えよう。そして雅子様を呼ぼう。二次会、階下のレディ。
 26日(土)昨夜の飲み過ぎで花ゲリラ作戦に遅刻。昼前、通町のおかみさん会・マダムカーペンターズの皆さん「通の市」へ。平野書店前にテント。おかみさん達からサクラで色々買う。男はひらのや本屋の主人一人、綿アメ販売。「ひらのや」で小田豊二の「のり平のぱーっといこうよ」を買う。
小田自身とのり平さんの個性が出て面白く読む。
 27日(日)早朝、花ゲリラ作戦を初めてたった一人、孤独に決行。西洋朝顔、おしろい花、コスモス他を秋田市某所に植える。
 28日(月)彌高会館・ペルー協会総会。二次会が近くの待夢里。堀江正男会長から皆さんまとめてご馳走になる。 29日(火)生け花「松生派」の根本柳月大師範の紹介で、アトリオンにて。池坊師範東海林郁子先生とロシアと生花交流の相談。生花には立花(りっか)生花(しょうか)自由花(じゆうばな)があると教わる。