警 察 官
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警官に殴られた、ことが一度だけある。頃は昭和四三年秋夕暮れ。所は皇居・桜田門前であった。外務大臣の東南アジア訪問反対の集会があった。日比谷公園。私はキューバ文化交流研究所のメンバーとして、カストロやゲバラの写真を掲げて、集会場の先頭集団にいた。
日比谷公園をでて、デモ隊となって青山通り方面に歩く。 桜田門前に来ると、はるか前方、三宅坂あたりに黒い集団が陰のように見えた。盾を持った機動隊だった。胸が震えた。私の横には若い警官が一人ついている。 と、後方の学生集団が我々を追い越し、ジグザクデモを始めた。私の横についていたその警官が「いけーっ」と声を上げて手を挙げた。その手が私の後頭部を打った。「なにすんだ」というと、その警官「あ、すみません」といって、学生達を追いかけていった。 これだけ。そのおまわりさん、眼鏡をかけ顔が長かった。
埼玉・桶川女子大生ストーカー殺人事件。先般、参議院委員会で竹村議員が質問した。当時の桶川事件の担当警官にどういう処分をしたのかと。警察庁は答えられない。竹村議員は「前もって通告していたんですよ」
それに対し、警察庁刑事部長が慌てて答えた。「怠慢でございました」その部長、眼鏡をかけて顔が長い。まさか、30年前、桜田門前で私を殴ったあの警官ではあるまい。
東大卒のエリート警察官僚を見たのは数年前。秋田県警本部捜査二課長が東京六大学秋田野球連盟の東大チームに選手として出ていた。懇親会であった彼からもらった捜査課長の名刺を眺めて、相手の顔をもう一度見てしまった。
十年ほど前、同学の後輩にあたる人間が本部長になって来た。歓迎会の二次会がカラオケバー。彼は暴力団対策で名をあげた。ちょっといたずら心が起きた。暴力団担当が長い友人の刑事を呼んだ。彼はまだ巡査部長。すぐ来た。本部長の横に座らせた。そのの刑事はものおじしない男。雲の上の存在である本部長の肩をたたいたりして酒を飲んでいる。本部長は現場で働く非エリート警官から何か学んだろうか。彼は後に神奈川県本部長に出世したが、残念ながら記者会見でウソをついて辞職させられてしまった。
新潟・女性監禁事件。発見したのが保健所職員だった。 二〇数年前、私は秋田保健所の精神衛生担当だった。新潟の職員と同じ立場。ストーカーへの警察官通報により、私は自傷他害の恐れあるとして、ある青年を措置入院させたことがあった。
朝、被害者の自宅前に若い男がいた。万一に備え、警察官3人が警備している。私は彼を無理矢理、車に押し込んで入院させた。後日、私はその男から鑑定医師二人と一緒に訴えられた。お陰で裁判所の証人台に立つ貴重な体験をした。新潟の前県警本部長はこんな現場体験は知るまい。
2月末の東由利町。全県選抜雪上野球大会の懇親会。来年の10周年大会の話を仲間とした。県外からチ ームを呼んで全国大会をやろうと。売り物は雪中酒+黄桜温泉とフランス鴨+大森ワインの旅。
雪見酒+温泉+図書券付麻雀の旅はやらない。
ふるさと塾地域づくりゼミ
★平成11年7月23日(金)
★川反ふるさと塾舎
★「これからの地域のあり方」
★ 浅利 悟氏
(秋田市保戸野千代田町町内会相談役)
私は県庁OBですが、佐々木さんと同じように県庁らしからぬ職員と言われてきました。(笑い)
私は内閣総理大臣賞をもらいましたが(平成6年総理府所管の「ふるさとづくり賞内閣総理大臣個人賞」)、職員研修所にいた時、職員を対象に「コミュニティの活性化」という講座を開設しました。
県庁や市の職員がこんなことをやっていたんでは大変なことになる。地域に帰っても県職員は、地域住民と交流することによって、住民と行政との中和剤的存在にならなければいけない。県庁職員は情報が多いのだから、一般の住民に先駆けて地域活動をすべきだという発想でした。
そういうふうにしていかないと仕事もうまくいかないし、それよりも県庁をやめたとたんに、路頭に迷うようになるんだと。地域活動を何もしないで俺は県庁だと偉くなればなった程、地域なんてそう簡単に受け入れてくれるもんじゃないですよ。
私が町内会の地域活動をやっていた頃、県庁の偉い人から、そんなことをしてたら終わりだよといわれたこともあるんです。(笑い)
私は思うんですが、地域活動を一生懸命やっている人は最も忙しい方々です。町内会が全国表彰されて、全国的にも有名になっていました。
廃車バスを集会所にして活動を始め、千代田会館の建設まで30年、町内の方々がこれまでにするにはすさまじい努力がありました。
平成8年に町内会三〇周年記念誌をつくりました。「二十一世紀への街づくりへとそのプロセス」という題です。これが出来たのはそれまでの記録があるからです。この記録は千代田町のリーダーが引っ張りだしてつくった街なんです。千代田会館建設には一切合切、行政からの補助はなし、自分たちで設計コンペをやらしてつくりました。
大切なのは、これまでにきた過程なんです。私らはね、まちづくりにこういう考えできたんです。
ケネディ大統領の就任演説で有名な言葉があります。
「国が国民に何をしてくれるか問うのではなく、国民が国のために何をなしえるかを問え」この国を行政の読み替えて、「住民は、行政が何をしてくれるのではなく、住民自身が行政に何をしてやれるかを問うべきである」
何でもかんでも行政、行政といっても出来ることと出来ないことがあります。まず、住民としてやるべきことをきちっとやりましょう。こういう考え方を街づくりの理念としてやりましょうと。
線香花火のようにぱっと終わるようなものではいけません。この記録には三〇年間の住民の活動の積み重ねがはいっています。写真にはほとんどの子ども達も含めた家庭が写っていますね。今では大学の先生になった者もおります。
やはりこれは、リーダーが地域を引っ張り込んできたからだと思いますね。
まちづくりとかボランティアはみんなの意見を参考にしてとかいいますが、こんなに意識、価値観が違っているのに、一致団結などとは理想であって、現実にはそんなことをしていたら何もできません。
リーダー、世話役は常に情報を先取りする発想をする必要があると思います。
町内活動、例えば廃品回収にしても、この活動をとおして町内の交流をさせるということ。野球をさせるという時でも、新興住宅地はそれまで交流はゼロです。廃品回収の子ども会活動が火付け役で、自分たちのまちだ、皆で野球チームをつくろうとなります。 土地区画整理事業にしても町内会でただ単に反対するのではなく、自分たちが土地区画整理法を勉強して、意見を出すことが大切です。
これまでの活動を通じて千代田町はハード面では完璧です。道路、集会所をつくるとか、これから本当に人がつくられるかというと、そうではないのではないか。
千代田町は現在340世帯ほどです。新しい人が入ってくる。やることはやっちゃった。人の関係も高齢化になって、一人暮らし、二人暮らしも入れると町内の半分近くになりました。空き家も増えました。都会の過疎化現象といったような状態になってきました。これは予想以上です。
千代田町の住宅環境は公園があり、公園道路もあります。そういう空間を持った町内会としては、五百世帯ぐらいが理想の地域のあり方だと思っております。
行政の区画整理事業というと、私たちがつくったまちづくりの長期計画にはテニスコートもありました。行政にもそれがあって出来たんですが、私たちはなんでも行政だとはいわないで、行政にものをいうには、まず自分たちがやるべきことをやる。そして行政にはとことんものをいう。
うちの方に小公園があります。これは私らがますべて提言してつくったものです。最初、市の方から児童公園の原案をもってきたんです。将来を考えたらこれはダメだと、多目的な公園にすべきだとして、ブランコはこんなにいらない、三分の一ぐらいにして、トラックを二百bにして運動会もできるし、テニスコートもとれる、そういう空間になおしました。
そういうふうな我々が役所だのみでない住民の中のリーダーをつくって街づくりをすすめてきました。
ただ良かった反面、ものはできました。会館ができた。しかし、みんなはほんとに使っているかというとそうではありません。回数としてはいろんなものに使われています。ところが町内の人が使っているかといえば逆に使っていません。四万七千円を一世帯がだして二千二百万円の会館ができたのですが、百万円は宝くじ国庫事業からタダでもらってきたんです。
四万七千円は一回払い、年払いとしては五年間の負担区分でした。定住者は100%、ただ一人反対して納めなかった人がいましたが、ほとんどの人が一括して納めました。 自分方で考え自分方でつくった、秋田市街のど真ん中でつくった会館です。今は、OBの方が無料奉仕で管理しています。色んな同好会、ダンス同好会、謡曲同好会等が使っています。
最初にもどりますが、県庁職員にいってきました、「あんだがたは、率先して地域活動に係わるべきだ」私は地域活の経験が、今の職場でも大いに生かされています。
町内会の活動は、活動をしている者自身のためになる、みんなに喜んでもらうことが、自分の為にもなるという意識が大事なのです。(文責佐々木)
我青春風来記 (119)
早海三太郎
メキシコ(13)
メキシコ・ウルグアイ通りのある幽霊ホテルのホテルモンテカルロ。10日前である。ここまでアメリカのロスアンジェルスからグレイハウンドバスでやってきたのだ。三日半の旅だった。
メキシコで会った最初の日本人はアパートで日本料理を食べさせてくれた女性。何と彼女は大学のスペイン語の教授の前の奥さんだった。彼女は私共の紹介者を批判した。
「メキシコでさんざん世話してやったのに、貴族の娘かも知れないが、葉書一枚ももらったことがないわよ。手紙なんで飛行機の中でだって航空会社の絵はがきをもらって書こうと思えばできるでしょう」 日本人はお礼はその時だけでなく、後になってもしなければいけないんだと感じた。
二人目はホテルのエレベーターで話しかけてきた日本人。大学先輩の伊高浩昭さん(現共同通信編集員)だった。
伊高さんからは多くを学んだ。キューバでの活動計画、研究テーマを見てもらった。
メキシコでの酒の飲み方までも習った。
後年、新宿駅西口の飲み屋。三太郎の後にキューバに渡った悪親友・若林正彦と三人で飲んだ。伊高氏曰く「酒は三人まで、四人以上で飲むと雑談になる」
メキシコ滞在10日間。そのうち2日は強烈な下痢にやられてホテルで寝ていた。それを救って頂いたのが、商社マンの岡田さんだった。ドイツ製の飲み薬を頂いたらピタリとお腹が治った。メキシコ大学にも案内してくれた。
同学でラテンアメリカ協会の幹事長・中島正和ともホテル前で会った。一緒に撮った写真が残っている。写真の後ろに歩くメキシコ人は夏なのにセーターを着ている。彼とは帰国後一度大学で会った。中堅商社に入社したが後年、彼の会社は吸収合併された。
メキシコを離れる日。ホテル前の仲良くなった果物屋の母娘に別れを告げた。「アデオス」バスでメキシコ空港に向かう。空港に着くと大きな看板に日本語があった。
「歓迎」。看板に向かっていった。「キューバの帰りに又寄るよ」 (続く)
呑 風 日 誌 抄
2月3日(木)秋田市山王・キッチン一番。西洋料理の職人・進藤茂春さんの所で小樽の職人さん達と交流会。全国職人学会を立ち上げた旗職人の伊藤一朗さんが、コルク栓を焼き、皆にひげを描く。
三味線茶や「すがわら」へ。おかみさんの「岡本新内」が素晴らしい。小樽職人の心意気も伝えたい。
4日(金)元県管財課も退職者の送別会。二次会を山王・館。
5日(土)地元新屋勝平町ふれあい会館。第3回鱈の会。主催がタラの神様。ルポライターの小西一三さんが男鹿からタラを二本仕入れてきて、アイキャンの渡辺哲夫社長達が企画したタラづくしの交流会。今年の春、勝平浜クリーンプラント作戦の提案。
6日(日)彌高会館。菅久商店新春懇談会。駅前人情酒場「久保田」のお客代表として野球の仲通クラブの湯川主人、奥山さんと。
7日(月)角館町樺細工伝承館。「21世紀国土のグランドデザイン推進フォーラム」
竹内和彦東大教授が「21世紀に向けた持続可能な地域づくりの考え方」自ら御用学者という教授には好感。地域づくり指標に自然度のデータは如何にと質問。面積比率だけでなく、森林連結指標など地域独自の指標をつくられたしと。日本海文化の象徴としての秋田を。石川英輔講師は不便さのよさを感じること、象潟町の人の親切さに感激した、日本海のやさしさを大事にと強調された。
9日(水)彌高会館。秋田ウラジオ会。ロシア極東地区からの自治体職員3人の歓迎会を開催。カムチャッカ、サハリン、ウラジオストクから。 11日(金)生涯学習センター。第26回紀元節式典。主催は尊敬するツバサ広業の枡谷健夫社長挨拶。能登文敏秋田大学名誉教授の講演に感服。 12日(土)アキタニューグランドホテル。六旗の会打ち合わせ。六大学OB会主催でなく秋田魁新報主催で可能性。
13日(日)雄和町・坂本バイオファームへ。坂本賢二博士にボルネオ産トンガリアを。今度来るトンガの技術研修員にボルネオの精力剤トンガリアの研究をさせたい。
アトリオンにて秋田市工芸展。染織職人の林清江さんから何を作っているのかと聞かれ、つい「人をつくっている」と答えてしまった。平野庫太郎秋田市工芸振興協議会会長と会い、職人学会の相談。 14日(月)佐々木雅博秋田県連合青年会長に「聞き書き運動」の話。作家の小田豊二を呼ぶようにと。
16日(水)大内町農業改善センター。海外研修ユースの会。板東久美子副知事の国際化の講演。 17日(木)秋田美術工芸短大にて山本毅教授と。全国職人学会の発起人にご快諾。民・学・官で行く。
20日(日)本荘市から由利高原鉄道に乗り、前郷駅。由利壮年セミナーにて「地域づくりの原点」と題して講演。 それは美にありとする。
21日(月)秋田駅前・人情酒場「久保田」高校同期の秋田放送の越後谷寛、県野球連盟副理事長・藤沢悟、たけや製パンの高山尚と。本荘高校秋田39会をつくる話。二次会で藤沢が越後谷を責める。「お前が野球部に入ってキャッチャーをやらなかったから甲子園に行けなかったんだ」 25日(金)ふるさと塾。「川からの地域おこし」講師は鷹巣漁業協同組合の渡辺茂雄会長。渡辺さんの川を愛する心と実践は感動的であった。啓助事務局長代理達とレディ、紅雨と続く。
26日(土)バウハウスの森川恒氏、工藤幸彦さんと団十郎ラーメン、職人学会の打ち合わせ。ギリシャで会った香曽我部宏先生、近藤博先生と。川反にて秋田の将来の話。
27日(日)ミネソタ大学秋田校の選手9名とマイクロバスにて東由利町球場へ。第九回秋田県選抜雪上野球大会。 本荘市にて清吉ラーメン。雪上野球大会の祝賀交流会に戻り、地元チーム「ポパイ」が5年ぶりに優勝。
どんぷう後記
平成元年4月から発行した呑風便も今回で11年。発酵していい風を起こしたく、続けていきます。どうぞよろしく