ふるさと呑風便  最終号  NO,116
   走った、握った、そして

 郷里、由利本荘市岩谷町。高野製在所跡地に建てられた特設舞台。3月30日。
みぞれ降る寒い朝。私は寒さをこらえている女房達の姿を見て、原稿どおりに読み上げず、短い挨拶をした。「ふるさとに漂う、今日の空のような暗雲を蹴散らしたい」と。
 出陣式のあいさつ原稿はつぎのとおりであった。

「皆様、お早うございます。
 朝早くから、沢山の方々にお集まり頂きまして誠にありがとうございました。
大内出身の佐々木三知夫でございます。
 ふるさとに親孝行をしたいと、花に水 人にまごころ ふるさとを元氣に というスローガンで今日まで戦ってきました。
 今日まで、私を支えてきてくれた、一緒に戦ってきてくれた仲間に心から感謝申し上げます。
 誠に有り難うございました。
 私は、昨年の10月26日に秋田県議会選挙に出馬表明をしてから、愛するふるさと大内、由利本荘を歩き、走り、多くの方々からご支援、ご教導を得て参りました。
 後援会長になって頂いた伊藤孝紀先生と共に佐々木三知夫を語る会を78回をこなし、私の政策を訴え、多くの市民と語り、話を聞いてきました。
 このままでは暮らしていけない、先行き不安の声が、悲鳴が聞こえてきます。何とかしなければなりません。私どものふるさと由利本荘には、暗雲が立ちこめています。
 皆様と一緒になって、より大きな力を得て、大風を起こし、この暗雲を蹴散らそうではありませんか。
 いよいよ今日から、選挙は本番です。私は選挙は手段、目的は愛する大内、由利本荘をよくすることなんです。困った人、弱い立場の人の政治をなすことです。
 庶民の、庶民による、庶民の為の政治をなすことなんです。そうすれば明るい光が差し込んできます。先行きが明るくなります。
 明るく、誇りをもったふるさと由利本荘を一緒に作る為に、私に力を与えてください。
 これからも一緒に戦ってください。 
 よろしくお願い申し上げます。誠に有り難うございました」

 9日間の戦いが始まった。
 私は、畑で手を振るおばあちゃんを見つけて、走った。  待ち受けてくれているふるさとの人々の姿をみて十b前で車を降りて走った。手を堅く握った。

 そして、負けた。
投票日の4月8日。午後十時三十分。
 再び特設舞台で短い挨拶。
「すべては私の責任。誠に申し訳ありません。支援して頂いた皆様を誇りに思います。誠に有り難うございました」
 
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★平成18年8月25日(金)
★ふるさとネットワーク事務所
★「岡目八目由利本荘未来図」3
★あゆかわのぼる氏
 
 農家の人が一番大変なのは作ったものをどうして販売するかなんですね。そういうことは農協でも役場でもやってくれないで、「良い物つくれ、いっぱい作れ」。でセッセと作る、さっぱり売れね、となるんですよ。 面白いのは私河辺に住んで23年位になるんですが、縁もゆかりもない所に住んで田もないし畑といったって買った屋敷のうちの猫の額みたいな場所に苗植えて100円資本かけて80円収入上げている(笑声)訳ですから、ほとんどまわりの農家の人から色んな物を頂いているんですよ。
 毎年のように食べきれないほどピーマンが届いたりあるいはほうれん草が届いたりするんですね。なんでこんなにくれるのと聞いたら「農協から買ってくる」というんですよ、農家の人が。「だってお宅でも作っているんでしょ」と聞くと、一旦は農協に納めるんだそうです。
 でも農協で売れねば農家に買わせるんだそうです、一番重要な販売を何にもせずにこんな事をやっているんですね。
 由利牛も同じです。今からもう一〇年位も前一生懸命由利牛に力入れていて、私も雑誌の取材か何かで紹介したことがあって、その頃由利牛というのは風前の灯火だったんですね。
 由利牛なんてやめる、こんた名前じゃ売れないって云っているんですね。
 だって米沢牛だって山形牛じゃないし、前沢牛だって岩手牛じゃない、由利牛だって秋田牛じゃないんですよ。だから売れているのに由利牛というブランド名じゃ売れないと云うんです。 秋田牛なんて名前だともっと陰薄くなるんですね。
 それで去年あたりからですかまた由利牛って名前でやってる。「そら見たことか」ですね。
 今から10年位前私が由利牛で押せとい言った時そのまま押してれば今頃そこそこの地盤が出来て由利牛というブランド名が定着していたのに、また一からやり直しですよ。しかも秋田由利牛ってまだ秋田にこだわっているんですね。

 それから鳥海山と鳥海高原鉄道。にかほと一緒になってどう売っていくかこれは相当大きな課題だろうと思います。
 内陸縦貫鉄道あそこは余命幾ばくもないでしょう。毎年3億円の赤字が出るわけですから。 そのうちの15憶円は北秋田市と仙北市と上小阿仁村で負担するんですよ、
 貧乏財政の内から。残りの115憶円誰が負担するかというと、県が負担するんです。
 ということは見たこともないでしょうが皆税金なんですよ。
 また早晩、阿仁スキー場も森吉スキー場もなくなる訳ですから、別の民間の会社に売るんでしょうけど、あとどうやって鉄道とタイアップしてやっていくか分かりませんが、たぶん私は西武が本格的に手を引いて他の所にいくのをきっかけとして、3憶もの赤字を出していてしかも殆ど乗る人もいない鉄道はなくなるでしょう。

 ここ鳥海高原鉄道だって早晩、ということになるかも知れない。 私、前に由利町の人と話した時に出たのですが、由利本荘市になって合併債がきます。
 その合併債で役所建てたりしないでこの由利高原鉄道を充実させれば良い。
 矢島から来て、県立大学・由利組合総合病院経由で本荘駅に来る、そういう鉄道にすれば鳥海・矢島から病院へ行く人も、「組合病院前」で降りれば良いわけでしょ。
 本荘駅からタクシーに乗ったり、嫁に文句云われながら軽トラックで運んできてもらわなくても良い(笑声)わけです。
 そんな話をした人もいますけども、手を加えれば魅力的な住みよい街まちになるし、全国に発信されるものが出来るわけですね。
 またなによりも、最大の目玉は県立大学です。秋田県立大学本荘キャンパスですよ。今年でもう7年ですか、これは最初本荘に来る話はなかったんでしょ。 秋田キャンパス、本荘キャンパスと二つに分けて作ったためにどれだけ無駄で莫大なお金が使われたか。
 でもこれは由利本荘地区には大きな県のハードがなかった、ハードを持ってくることによって由利本荘市が大きく飛躍する元にしたい。
 まだその頃はTDKもいくつかの工場が閉鎖される前でしたし、まだ華やかで、関連企業も350社位あった。
 そこで県立大学本荘キャンパスがここに来たわけです。
 それで私、「月刊秋田」という雑誌に、2000年、大学が出来た翌年の秋に「本荘キャンパスが出来て本荘はどう変わっていくのか」「これからどう変化していくべきなのか」という事で取材にきた事があるんです。 柳田市長とも会ったのですが、そのときの柳田市長の話は素晴らしい発想を持っていました。 これはハッキリと柳田市長が話したと証明するものはありませんが、「この県立大学をベースにした秋田県第二の都市にする」位の意気込みがあったんですね。また文化的にも非常にレベルの高い街にするということをおっしゃってました。
 そのことを月刊秋田の十月号に私書いてるんです。
 今学生の数はどれ位ですか一学年250人ですか、そうすれば毎年250人位の今まで由利本荘市にいなかったレベルの高い若者たちが来るわけですよ。 大学の教職員も来るわけで、四年間ですから黙っていて四年間で千人以上人口が増える。
 もう一回云えば、知的レベルの高い若者たちの人口が増える。 そういう人達の刺激を受けながら、そういう人達を受け入れる街づくりをしていけば、たぶん私は由利本荘市は飛躍的に変わるだろうと思ったんですね。 また大学院も出来ればもっと人が増えるんですね。
 でそういう学生たちは当然全部親から仕送りを受けて生活している訳ではないのです、当然アルバイトという重要な受け入れ先が必要になってくる。
 その受け入れ先として飲食店・飲み屋が駄目だといってるんじゃない。
 それ以外でも商工業界が受け入れる街づくりをして行けばここで学んだ学生たちの中でも「ここに住み続けていたい」という人も出で来るだろう。
 第一回目の卒業生が出る頃にはそういう街づくりになっていくだろう、と私は希望的観測でもって書いたんです。
 で、昨日改めて見てきたんです、現状と照らし合わしたところ、あまり照らし合わせたりしたくないのですが、(笑声)
 実を云えば本荘キャンパスの応募者が減っているんです。
 そして学生のレベルも少しずつ落ちている、というじゃありませんか。こういう現状が今あるんだそうです。
 去年文科省のある幹部と県内のある大学の幹部とたまたま話をする機会があって、その時にこの話が出まして、「いや、実を云えば本荘市が大学を受け入れるときの意気込みが殆ど今無くなっている」「若者たちも最初は意気込んで来たところが来て1年2年暮らしているうちにそれほど魅力的な街ではないな」と。
 大学のキャンパスの中だけが若者たちの場所じゃない訳ですから。それに教職員の方たちも秋田市に移っていく人達も出始めているんだそうです。
 魅力的な地域づくりのポイントとして本荘に文化会館というのがありますね。
 湯沢市にも湯沢市の最大の魅力のポイント文化会館があります、あそこで前の市長が宝塚を連れて来たんですね。それからその後シャランQを連れてきたんですね。
 それで全国から若者たちが集まって来る、それで味を占めて文化会館でコンサートをやるようになったら全国のアーチストたちの中で、秋田市でコンサートやるよりも湯沢市でやりたいという希望がいっぱいあるんですよ。
 だから東京から仙台でコンサートやって湯沢でコンサートしてあと帰るというパターンで日程を組む、県民会館や秋田市の文化会館にはこないで。
 こういうのが多くなって来ているんですよ。そこで本荘の文化会館はどうなっているのかな、と聞いてみると、どうにもなってない。
 ただ料金だけ高くて困ってる、そんな話はよく聞きます。今度川中美幸が来るそうですが、本荘キャンパスの学生たちが「おっ本荘文化会館に川中美幸来る、さあ聞きに行こう」なんて人は誰もいないでしょう。
 今から7年前に由利本荘市には、県立大学本荘キャンパスが出来たというだけで、若者たちが魅力的で将来を語れる街になった訳です。なろうとしたわけです。ところが今なってないところが問題なんです。
 やっぱり私は本荘うどんだとか、色々話をしましたが、最大の由利本荘市の街づくりは秋田県立大学本荘キャンパスをベースにした知的レベルの高い文化度も高い若者たちが魅力を感じる、地元の若者たちも県外から来る若者たちも「県立大学本荘キャンパスに行こうよ」「受験しようよ」と、そういうふうな地域づくりをすればここは、十万都市になると思いますね。
 日本海側の魅力的な都市になって、酒田あたりが真っ青になってこちらを向くような、若者たちが注目する、生き生きと暮らして行くようにすれば、私は由利本荘市は大きく変わって行くだろうと思います。

 そうすると、最初に喋った話はもう吹っ飛んでいってしまいます。(笑声)そういう感じがします。
 懇親会の時は一つ、今私が話した事は全く話題にしないで、(笑声)全く別の話をしながら交流会をやって頂ければ有難いと思います。
 丁度一時間になりました、どうも有り難うございました。
 呑 風 日 誌 抄
 2月1日(木)旧本荘市。ログハウスキリンへ。ソフトボール審判部の例会へ。旧知の方もおられた。
 2日(金)岩谷町岩谷会館。一区から四区までの会議。
 3日(土)深沢公民館にて激励会を開いて頂く。
 4日(日)旧鳥海町笹子公民館。
凧作り教室を見学。秋田市イヤタカ。睦会新年会へ。乾杯前に失礼し、大内の長坂公民館に。
 5日(月)旧本荘市栄町一丁目を廻る。夕方、五軒町公民館。秋田県木炭研究会の鈴木勝男会長から講演を頂く。
 6日(火)的場地区婦人会へ。
みっちゃんが勇気を持って出馬してくれて、明るい光が差し込んだと嬉しい言葉。
 7日(水)岩谷町麓会館にて語る会。
 8日(木)大谷交流センターにて語る会。
 9日(金)朝、旧本荘市石脇の牛の市場へ。岩谷町体育館で寿バレーの練習へ。夕方、鈴木陽悦氏の新春パーティへ。
 10日(土)本荘グランドホテルにて高校同期会へ。楢渕公民館、山村活性化センターへ。
 11日(日)旧本荘市和泉町公民館で語る会。
 12日(月)旧鳥海町での冬季国体バイアスロン公開練習へ。
 13日(火)旧本荘市万願寺へ。軽井沢公民会で語る会。
 14日(水)深沢公民館で語る会。
 15日(木)米坂公民館にて語る会。
 16日(金)三川公民会にて語る会。
 17日(土)中帳公民会にて若者会と語る。
 18日(日)決起集会を農業改善環境センターにて開催。六一歳の誕生日。スタッフ、家族と福寿司にて祝って頂く。
 22日(木)退職公務員大内支会へ。
 23日(金)御門町町内会館。
 24日(土)本田仲町公民館。
 25日(日)海士剥公民館。
 26日(月)加賀沢公民館。
 28日(水)本荘事務所にて打ち合わせ。
 3月1日(木)及位公民会。
 2日(金)永泉寺門前町公民館。
 3日(土)愛宕町公民館。大泉寺山町公民館にて語る会。
 4日(日)古雪町公民館、田町公民館にて語る会。
 5日(月)浜の町公民館。
 6日(火)本荘由利森林組会へ。上野公民館にて語る会。
 7日(水)本荘グランドホテルにて由利本荘稲門会。
 8日(木)平岫交流センター。
 9日(金)朝、牛の市場へ。夜、本荘事務所へ。
 10日(日)朝、長坂梵天祭りへ。アクアパルにて本荘大内会と語る会
 11日(日)高校ブラスバンド部OB会と語る会。アクアパルにて大判焼きを出す。
 13日(火)新沢交流センター。
 14日(水)松本公民館。
 15日(木)葛法公民館。
 16日(金)竜巻中央公民館。
 17日(土)アクアパルにて女性集会。大判焼きパーティ。
 18日(日)事務所開き。キリンにて退職公務員と語る会。
 19日(月)谷地町公民館。
 20日(火)緑町公民館。
 21日(水)内越公民館。
 22日(木)大ノ道公民館。
 23日(金)田尻公民館。
 24日(土)本荘グランドホテル。由利寮OB会へ飛び入り。
 25日(日)旧由利町前郷にて演舞会にて挨拶。
 26日(月)堀切公民館。
 27日(火)大鍬町公民館。
 28日(水)千刈公民館。本荘駅前、ソフト審判部例会へ
 29日(木)旧大内町上川大内老人クラブ総会へ。
 30日(金)秋田県議会議員選挙告示。出陣式。大内、東由利へ。
 31日(土)旧由利町、矢島、鳥海町を廻る。
  どんぷう後記
 昭和63年4月からこのふるさと呑風便を発行して以来、18年間、ご愛読頂き、誠にありがとうございました。
 これを機に休刊させてください。

 秋田ふるさと塾地域づくり実践セミナーでのご講演分の未掲載分が残っております。又、創刊号から連載していた「我が青春風来記」も未完です。
 ですが、何時か、新たな紙面をお届けし、お会いすることがあるかと存じます。
 休刊に当たり残念なことが一つあります。
 この度の県議選の最中、呑風便が悪用されてしまいました。
 由利本荘市岩城亀田の大学先輩の所に、女性の声で電話がありました。(電話は証拠が残らない)
 呑風便の新聞代を支払って欲しいと。受け取った先輩夫人は電話で新聞代の催促はおかしいと、後援会事務所へ電話をされました。
 家内が受け取り、いままで電話で購読料をお願いしたことはないですが、と答えました。
 翌日、その旧岩城町の大学先輩の所へ家内とお詫びに参上しました。先輩は後輩が頑張っているから、1万円を振り込むつもりだったと言われ、恐縮し、悪質な嫌がらせに怒りを覚えました。

 ともあれ、一人の男として人生後半に挑戦させて頂きました。
 ふるさとに帰って一年、仲間と共に、走って、語って、叫んで、そして負けました。
 7569票でした。
 県内外の一緒に戦い、泣いてくれた多くの同志を誇りに思います。
 申し訳ございません。
 誠にありがとうございました