ふるさと呑風便  07.2  NO,214

 困った人、弱い人のため

 大内農村環境改善センター。
 平成18 年2月18日。この日は佐々木三知夫後援会の総決起集会。
 定員350席の会場には立ち見が百人以上も集まっていただいた。地元大内、町外からも多数駆けつけてこられた。
 ご来賓の方々の挨拶の後、祝電が披露された。その中で胸を打つメッセージがあり、真意を十分に発表されなかった。
 それは熊本の義弟からである。

「佐々木三知夫兄 激励文」
 いよいよ満を持してのご出馬おめでとうございます。私の隣り県宮崎には三知夫さんの後輩の東国原(ひがしくにばる)知事が誕生しました。都の西北早稲田の杜で共に大隈精神を学んだ同窓知事の誕生です。”住民の、住民による、住民のための政治”を訴え、住民のシンプルな心を掴んだ政策が成功したようです。
 いまや特定団体や縁故を頼った時代ではないのが地方政治ではないでしょうか。その点では誰にも負けない郷土愛を有する三知夫さんこそが地元議員に最適任と確信します。
 いま流行り(はやり)のブログを売り物にする政治家がいますが、三知夫さんはその草分け的存在です。コンピューターの普及していない15年以上前から自前ブログ(ふるさと呑風便)を発行しています。最新号は第213号、今年で18年目です。この中で述べられてきた今までの足跡を辿れば、付け焼け刃的な地元有士ではなく、筋金入りの郷士であることは一目瞭然です。
 この人物を県議会に送ることは必ずや地元市町村には極めて有益と思われます。
 最新号の巻頭言の最後に素晴らしい文章があります。
 ”自分を育んでくれたふるさと、両親に感謝しながら、師の教えを胸に、正しき者は強くあれ、強く正しく美しくの精神で仲間と共に戦います”
 この思いを糧に頑張ってください。4月の神宮の杜には若き日に肩を組み歌った”都の西北”が謳歌されるでしょう。
 同じ由利本荘の地にも凱旋の声が上がるのを期待し、遠い南国九州から陰ながら応援しています。
2007・2・17 二ノ村信正
 外は快晴。私は「天は我に味方せり」といって普段よりは大きな声で、抑揚をつけ、問いかけ、重点政策を訴え、決意表明をした。
 集会が大盛会に終了後、私は玄関先に走り、出席者と握手しながらお礼を述べる。中に知り合いのおばあちゃんが目にいっぱい涙を浮かべながらいう。
「みっちゃん、エガッタ、エガッタ、ガンバレな、ガンバロ、ガンバロ」といって、強く私の手を握りしめてくれた。
 受付に戻ると、スタッフの一人から一枚のノートの紙切れを渡された。「誰か、これを置いていきました」といって見せた。
「私は有る方に頼まれて20人くらいの人達と一緒に、東京の板橋という所に働きに行きました。
 20日くらい働いた時に途中で親方が消え、仕事も切れて現場解散になりまして、皆困ってしまい、皆色々手づるをたよって別れて、6人残ってしまいました。
 私が前に働いた会社で使ってくれるとの事で全員行き、安堵した想いがあります。
 それから数日後に三知夫さんが早稲田の学生時代に一人で出稼ぎの仲間のために乗り込んできてくれた。ピンハネになった仲間のために本社で何回となく掛け合ってくれまして、一緒の友は大変に力づよく感謝いたしました。出稼ぎ体験もと働いた人です。
 当時は何作業も機械もなく人の力で大変でしたが、私たち帰るまで一緒に過ごしました。重労働にもめげず根性の有る方とびっくりしました。
 困った人の為、弱い人の為に正義感の強い三知夫さんです。
 秋田県の為、古里の為に頑張ってくださる方と信じて居ます。皆様と一緒に精一杯応援したいと思います」
 若い頃、東京で一緒に出稼ぎ体験をした方からの心強い励まし文だった。
 困った人、弱い人の為にも、私は絶対に負けられない。
   ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★平成18年8月25日(金)
★ふるさとネットワーク事務所
★「岡目八目由利本荘未来図」2
★あゆかわのぼる氏

 由利本荘市の場合もあんまり違わない例がいくつかあると、見ている。
 一つは私が合併する前からずっと「由利本荘市」という大きな括弧でくくるのはほとんど意味がないだろうと言い続けて来た。
 だって明らかに矢島・鳥海と本荘市とはちがうわけでしょ、今も将来展望から云っても、それから旧岩城町だって由利本荘市とくっつくよりも秋田市と一緒になった方が良いという所があるわけですから、そういう風なものを、遮二無二くっつけてしまった。
 由利本荘市はもしかすれば、由利本荘市だけで三つの顔があるとおもっています。
 矢島・鳥海と岩城町の秋田を向いている地区と・本荘市を向いている地区、後は本荘市とか由利町だとか、大内町、まあ東由利町、辛いところですけどもね、このように三つの顔があると考えられますね。
 それから鳥海山と鳥海高原をどうするかと考えるときに、矢島・鳥海町が、にかほ市と手を携えて鳥海山・鳥海高原対策はいくらでもやれた、ところが由利本荘市でやるという事になった時に、どれだけ鳥海山・鳥海高原をベースにした地域づくりと観光対策が出来るか、これは当然面白くないところが出てきます、大内、面白くないだろうし岩城も当然不満をいうに違いない。「もっと俺の方へ金寄こせ・・あんなものにかほ市にまかせておけば良い」とそういう話が出てきます。
 それから由利高原鉄道をどうするか、ということを考えたときに当然矢島・鳥海対策をどう考え、どのように克服して行けるのか、大きな課題になって来ると思います。
 由利本荘市の三つの顔。
 私はまだ間に合う、うろたえて一緒にならないで矢島と鳥海で一つの町をつくるという事を言い出しても良いだろうし、旧岩城町だって「一年やってみたども(笑声)やっぱり秋田市に行きたい」というようなことが、あっても良いと、私はまだそういう気持ちがある。
 自分たちの子供や孫にバトンタッチする事を考えれば、まだ間に合うという思いを持っているんです。
 何故こういう事を言うかというと、岩手県の増田知事が地域づくりについてある全国規模の会合で大変面白いことをしゃべっているんですね、
 魁新報には囲み記事で載ったので皆さんお読みになったか分かりませんが、増田さんはこういう事を言っている。
「今までは道路も下水道もまんべんなく造ってきた。だけどもこれからは中心部に集中せざるを得なくなる」と。これは平成の大合併が終わってから喋っている。
 これ合併前にこういう話聞かされていたら、どこも合併なんてしませんよ、しかし云ってみればこのことは市町村合併の最大の眼目ですよね。
 この増田さんの言うことをそのまま生かせば当然由利本荘市であれば本荘市中心に力を入れるしかないですよ。
 とても旧矢島・鳥海や東由利等にはお金はかけられない、かければ合併前と同じになるわけですから。
 で結局どうするかと言えばそこに住み辛かったらば、中心部に出てこいというわけです。
 これまた一つの例ですが昔私がいた旧下浜村に八田という集落があるんですよ。雄物川を挟んで隣が雄和です。今年の春ついに小学校がなくなったんです。 でそこの子供たちは何処へ行くかというと新屋に近い豊岩小学校へ行ってるんです。
 八田からは豊岩小学校へ行くよりも川向かいの雄和の川添小学校の方が三分の一位近いわけですよ。これどういう事かと言うと「八田あたりに住んでたって難儀するばっかりだよ、将来的にはお前たちはここに住むな」と云っている事の証明ですよ。
 由利本荘市と北秋田市の例で私よく云うのですが、昔69あった市町村の中で、一番先に消滅してしまう町というのは、鳥海町と阿仁町だと思っているんですよ。
 この二つの町がさっきの増田さんの話のように道路も下水も一点集中だということになれば、何処が犠牲になるかと云えばこの二つの町だろうと私は考えてますね。
 そういう意味では能代市は良かったですね。あそこは白神市と名前を変えようという人がいなかったら全部能代市でまとまって、大仙市や由利本荘市みたいに、訳の分からない市になっていたでしょうね。
 私は前に能代周辺が合併したら白神市、由利本荘周辺が合併したら鳥海市という名前がいいと云って来ましたが、白神市という名前が原因で合併の話が空中分解して、結果的に一番良かったのは山本郡ですね。
 結局、白神市という名前が駄目になって大型合併もなくなり、三種町と八峰町が出来て、能代と二ツ井がくっついて能代市になり最も理想的な形になった。
 同床異夢ではなくて、お互いに同じ夢を見ることが出来る。能代・二ツ井も同じ夢を見れるだろうし、峰浜・八森も同じ夢が見れる。ただハッポウ町は名前が悪くてね(笑声)八方美人だとか、八方ふさがりだとか(笑声)。
10月に山本郡の町議会議員の講習会があり「先生話コしに来て下さい」。泊まりがけだって云うから、夜中に首締められるんじゃないか、思ったんですけれども、ああいうふうな合併が、形として、こぢんまりとして理想的なんですね。
今日私持ってきた本には県内の問題について私がどのような考え方で見ているか、かなり厳しい事を書いています。「この野郎」と思うことも書いてるし「なるほど」ということもあり、この野郎と怖い物見たさと両方あるんで、これはぜひ皆さんに読んで頂きたい。5冊づつ3種類持って来ました。由利本荘市のことも沢山書いてあります。由利本荘地域というのは、にかほ市を省けばそのまま由利本荘市になるわけだけれども魅力がいっぱいあって本海流番楽というのが、鳥海山の麓、鳥海町を中心として、数から云って世界一の番楽です。一つの地区に集中してこういった番楽があるのは素晴らしい文化遺産ですね。獅子頭だけでたぶん20位ある、鳥海町だけでこれ位ある。その他由利町にもある。矢島にもあり、日本海側にもあったんですね、本海坊というすごく頭の良い坊さんが居って、夏の間は山の中こもって修行をし、冬になると食べ物が無くなるから里に下りてきて、信仰としての番楽を教えた。しかも長男だけにしか教えなかったそうです。だからいっぱい残っているんですね、長男は跡取りだから、地元に残る訳ですから。本海坊さんはこうして、今年はAの集落、翌年はBの集落というように教えていった、だから10ヶ所の集落に教えれば十年は生計が立てられる、結果的に本海坊さんは鳥海山の麓周辺に貴重な 文化遺産を残してくれたわけです。由利本荘市にとってこの本海流番楽は最大の財産であると私は思っています。ところが由利本荘市や地元の人達にとって、これは大変優れた番楽なんだ、これを一つの財産すれば未来永劫魅力的な地域として残って行くんだ、という意識があまり感じられないのが辛いところです。
 秋田県としてもそんなところがある。フォレスタ鳥海、私はフォレスタ鳥海が出来る前から、フォレスタ鳥海の売りは「番楽を見る事の出来るホテルにすべきだ」と言い続けてきたんですね。獅子頭などは祭のとき以外はしまわれている、それをフォレスタ鳥海に番楽・獅子頭保存室のような所を造りそこに展示しておく。さっきも云ったように獅子頭も20位あるのですから毎週金曜と土曜日には番楽を演じて披露する、そうすれば観光客も呼べるんですね、ところがそんなこと何にも考えないで、すっかりお荷物になっているフランス料理とか、つまらないことしている訳でしょ。誰があの山の中までフランス料理食べに行くと思いますか(笑声)
 それから本荘うどんというのがありますね、大内には絹さやウドンもありますが、本荘うどんは本荘市から全国的に発信するということもないし、商工会でも腰を上げない。この本荘うどんというのは大変な財産なんですね、そもそも稲庭うどんのルーツですね。菅江真澄の本に書いてあるそうですね。
 稲庭うどんのルーツで稲庭吉左右衛門がここに来て製法のノウハウを仕入れて行ったのが稲庭うどん・乾麺のルーツであると。今や稲庭うどんといえば全国何処へ行っても知らない者はいないというその稲庭うどんのルーツなんです。ですからこれなんかも、やり方によっては本荘追分やごてんまりなんかよりも、もっとお金になると思う。 あのごてんまりで由利本荘市が潤っているかどうか知りませんが、私は由利本荘市は本荘うどんを復活させる、乾麺として本格的に売る、菅江真澄の旅行記の中にも記述されているという事で売り出せばこれは将来の大きな財産になると思うんですね。これは是が非でも商工会あたりでも本格的にやってほしいなと思います。
 それからもう一つ由利牛というのがあります。私がこの名前を覚えたのはまだ1〜2年位でキャリアは浅いんです。それこそ絹さやうどんを覚えたのが最初なんですよ。そういえば今では見られなくなったけど雄和から大内へ来る道路の両側にズーッとエンドウ豆が作付けされていた風景があってエンドウ豆は大内の特産品なんですよ。
 特産品というのは空中分解しますからね、あれは農家が悪いのではなく農協が悪いんです。(笑声)いや農協と役場が悪いんです。これ前にも何処かで喋ったことがありますが、物の作り方なんか農協や役場で教えてくれなくても農家の人は作れるんですよ。(続く)

  呑 風 日 誌 抄
 1月1日(土)初詣は家内と近くの新山神社。実家のある新田町内の一例祭に出席。皆で一月一日(いちげついちにち)を歌う。
 2日(火)市内の偉い方々を廻り、八幡神社に初詣。
 4日(木)ホテルアイリスにて由利本荘商工会の新春祝賀会へ。
 5日(金)三遊亭鳳好師匠が応援にきてくれ、夜、大平健一郎先生宅で歓迎会を開いて頂く。
 6日(土)鳳好さんと岩城町、旧大内町で小集会。美佐子食堂で新田睦会無尽講。頑張ろうコール。
 7日(日)鳳好さんと大内地区、東由利地区で小集会。
 8日(月)鳳好さんと新春寄席を旧本荘市、由利町、西目町で。
 9日(火)雪の中。由利町を同志と廻る。感銘。太田孝克氏が川崎大師の必勝ダルマを買って届けてくれた。有り難し。
 13日(土)夜、事務所で会議中。地元のナマハゲ一行が激励に来てくれた。
 14日(日)岩谷町7区総会へ。地元町内会の方々と一献。
 17日(水)安楽温泉。白沢会の面々と新年会。
 20日(土)由利本荘ベースボールクラブの新入団選手との打合会。旧本荘市、浜源。
 21日(日)岩谷町7区の方々が集会所にて激励会。
 22日(月)旧岩城町のウエルサンピアにてワインパーティ。
 23日(火)旧西目町を廻る。グランドホテルにて打ち合わせ。
 24日(水)大倉沢婦人会の方々と報徳館。由緒ある建築物の中で、福祉の問題を語って欲しいと要望される。
 25日(木)本荘第一病院。
由利本荘ベースボールクラブの会長先生でもある小松寛治院長から、保健医療、医療費値上げ病院経営の問題を教わる。
 26日(金)零細企業、小規模事業者への税制優遇、雇用促進の助成策を金先輩から教わる。
 27日(土)岩谷会館にて小集会。上川地区の幹事会。多数集まって頂き、大いに盛り上がって熱気を感じる。
 28日(日)安楽温泉。飲食社交組合の新年会へ。
 29日(月)小羽広館。ここにカッパの会もある。地域の方々から激励を受ける。
 30日(火)中館研修センター。堀隆一町内会長の人徳により多数の方々が集まっていただいた。最初も最後も堀さんの人間性の良さの賜である。
 31日(水)旧本荘市小友へ。
柔道場で子供達の稽古を見学。
  どんぷう後記
 読者にとっては面白くない呑風日誌が続きます。今までですと、小生が誰と何処で飲んだということが関心事だったと思いますが、運動中につき、相手にご迷惑がかからないように誰と何処で、は控えております。
 親友で作家の小田豊二が、「お前、金がないだろう」と、集会の前座にと噺家の三遊亭鳳好師匠をノーギャラでいいからと派遣してくれました。 
 鳳好さんは円楽師匠の孫弟子。東京出身でこの3月で真打ち昇進します。
 三四歳と若く、柄は小さいが日本舞踊もやり、古典落語の演目は百席。
 一月初めから一週間、小生の小集会を新春寄席として落語家では縁起が悪いので噺家として応援をもらいました。
 円楽仕込みの「芝浜」をとある会場でやってもらいました。前に聞いた円楽師匠の「芝浜」には及びませんが、なかなか二つ目にしては上手く観客を泣かせ、笑わせてくれました。
 円楽師匠が脳梗塞で倒れ、弟子が救急車を呼んで、高速道路に入ろうとしたら、円楽師匠が起き上がって「ノーコーソク」と叫んだと、ダジャレをとばしましたが、鳳好さんは礼儀正しく、東京に帰ってすぐに秋田でお世話になりましたと多くの人に礼状を出しています。
 円楽師匠が引退。寂しい限りですが、鳳好師匠もその後を継いで頑張って欲しいと願っています。
 チャップリンが言っています。「人生で必要なのは勇気とサムマネイ」
 とある集会でご婦人から言われました。「佐々木さんが勇気を持って出馬されたことで、この田舎に光りが差し込んできたようです」
 当方は勇気というより義務感での出馬ですが、嬉しい限り。
 つい先日、差出人記入なしの封筒が届きました。何か文句か苦情の手紙かと思いましたが、便せんに”絶対当選”住所氏名略?と書かれており、何と一万円札が同封されていました。
 お礼状も出せず困っています。
 偉い人達から推薦ポスターを頂きましたが、それより事務所にその便せんと一万円札を張り出しております。ある新聞記者が見て、びっくりしてました。
 かといって読者の皆さんにカンパの催促ではありません。
 サムマネイはありますのでご心配なく。由利本荘市の知り合いの方に電話一本でも結構です。 細身のカミさんも夢中になって走り回っています。更なるご支援をお願い申し上げます。