ふるさと呑風便 NO,209 06.9
いざ甲子園
羽後本荘駅。7月27日の朝8時。緑の窓口で母校本荘高校の甲子園応援列車の切符を申し込む。駅員さんがコンピュータを叩いていう。「あと切符は2枚しか残っていませんでした」
切符には会員券・出発日8月9日、羽後岩谷駅出発、24500円とある。間一髪のセーフだった。
7月23日。こまちスタジアム。第88回全国高等学校野球選手権大会秋田県大会の決勝戦が行われる。母校本荘高校は宿敵秋田商業高校を2回戦で2対0で破り、甲子園への夢が広がった。準決勝では秋田高校をコールド勝ちで下し、決勝は対秋田中央高校。私は秋田商業戦から応援に駆けつけ、決勝戦では3塁側の父兄会の応援スタンドの上で、由利本荘ベースボールクラブの工藤幹夫監督と応援。
一対一の接戦が続き、ハラハラの連続だった。最終回、東海林潤選手の劇的二塁打でサヨナラ勝利。皆、立ち上がって万歳。甲子園に行くぞーと叫ぶ。甲子園出場は実に18年ぶりだった。
18年前の夏。私はキューバにいて母校の甲子園出場は知らなかった。翌43年の夏は神戸にいた。秋田市立高校(現中央高校)が出場するので応援に行き始めての甲子園球場だった。
内野の応援席が満員で、入口の係員が「外野はタダやから外野へ行けや」だった。
8月9日。本荘駅前に大型バスが留まっている。十年ほど前、ボルネオ島に行った時の服装で青の薄いベストにジーパン姿。午後5時30分の出発なので、時間がある。駅前の古本屋さんから、司馬遼太郎の「峠」上下と岡潔の「日本のこころ」と聞き書き作家小田豊二の勘九郎本を、隣の履き物やさんからはサンダルを買い、お店の親切な対応に感激。せなみ印刷の瀬浪晶氏に挨拶に行くと、強精ドリンクを飲ませてくれた。皆、優しい。
羽越線の一部が不通とのことでバスで出発。新潟のとある駅で乗り換えたのが夜9時を過ぎていた。列車は4人がけの箱に3人が座る。旅の道連れは岩城町の鈴木喜代市氏とにかほ市の佐藤耕一氏。母校の後輩、先輩だった。缶ビールで乾杯。鈴木氏は18年前にも甲子園に行き、今度は校歌を歌いたいという。
隣の席には80歳にもなるという大仙市から来られた方が戦争体験を話しており、それをじっと聞いている若者の姿がいい。
その彼が隣の号ではベットに直していると知らせてくれた。
皆で助け合い三段ベットにセット。これで寝れる。
明朝、大阪駅に着いたのが7時30分。京阪電車に乗り換えて30分ほどで甲子園駅に着く。
到着していた佐々木正人氏が出迎えてくれて、「みっちゃんから頼まれた甲子園の絵はがきは売ってないよ。甲子園郵便局に行ったら、スタンプを押してくれるそうだ」という。甲子園郵便局に行くと葉書に今日付けのスタンプを押し、ここに出さないと無効になるという。20枚ほど葉書を買って88回記念のスタンプを自分で押す。一枚だけ投函した。カミサン宛に「甲子園より愛をこめて」と照れくさい。一塁アルプススタンドの1号入場門前に並ぶ。入場券は400円。外野は今でもタダ。
試合の相手は強豪の天理高校。好投手の高橋祐輝選手が崩れ、前半で7点も取られてしまった。これは駄目だなと、アサヒビールの売り子嬢から6杯目のビールを飲む。ところが後半、母校は粘りを見せ、最終回には東海林潤君がホームランを打ち、二点差まで追いついた。ブラバンの後輩達が懸命の応援。だがここまでだった。しかし大健闘だった。感動を与えてくれた甲子園ナインに感謝の拍手を送った。
センターボールにはためく日章旗がとても美しかった。
ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成18年3月27日(金)
★ ふるさとネットワーク事務所
★「無臭大豆で地域おこし」
★ 池田泰久氏(アグリジャパン社長)
ご紹介いただいたように、大仙市高梨にある池田家の庭園が16年の2月に国の名勝に指定されました。秋田県では初めての国の名勝です。
私は池田家の16代目の当主ということで、庭の面積は大体1万2,000から3,000坪、それで家紋の形の敷地をしており、今のところは6月と11月、6月はカキツバタ、それから11月は秋の紅葉ということで2日間ぐらいずつ一般公開しております。
昨年の例をあげますと、春は2日間で3,000人、秋は5,000人というふうにだんだん増えてきて、説明員の人たちが非常に苦労しています。門との間にずっと並ばれまして、広い庭園の中、説明をゆっくりしますと4、50分かかって回るというふうなことです。それで、中に鉄筋コンクリート造りがあるんです。それが秋田県で一番古い鉄筋コンクリート建の建物で、それも名勝にされております。
その中に壁紙、金唐革紙というもので国会議事堂に使われているもの壁紙です。現在それをつくれる人は大宮の紙の博物館の上田先生、ただ一人です。それで1坪つくるのに300万かかるそうです。予算計上はしましたが、それは認られなかったようで、それに似せてつくることになりました。
皆さん。大曲のすぐそばでございます、お越しになられた時には是非お寄りください。
それではもう一つは、黒湯温泉を経営しております。この冬の間、雪崩やら何やらで大変ご心配やらご迷惑をおかけして大変申しわけございませんでした。
たまたまうちの温泉は冬、冬期休業している温泉でございまして、そういう被害はなかったんですけれども、今年は非常に雪が多くて雪降ろしが間に合わなくて、ちょっと屋根に穴が開いてしまいました。今年は、4月の22日から開業することになっております。 一昨日、田沢湖の方に行ってまいりましたらまだ積雪が3メートル以上ありました。スキーはバンバン滑っておりましたし、大仙の方はまだ3、40センチあります。本荘とはえらい違いだと身にしみております。
それからもう一つは、これからお話する無臭大豆、アグリテクノジャパンという会社を昨年の2月に設立いたしましてやっと1年経ちました。おかげさまでだんだんだんだん皆さんの認知を得ながら、栽培面積を広げていくというふうなことにこぎつけました。
その無臭大豆の話をじっくりお話したいとお邪魔した次第です。
私の以前住んだところが、東京、神戸、秋田市、横浜、埼玉というふうになっていますが、大仙市高梨、さっき言った庭のところで生まれました。高校は横手高校を出まして、それから東京の大学に行きました。それである都市銀行に入って神戸に行きました。
それから弟が死んだので「おまえ帰ってこい」と言われまして、秋田に戻ってきて昔の羽後銀行に勤めました。そうしたら羽後銀行に勤めた途端に転勤で東京に行かされましてですね、結局帰ってきた意味が何もなかった。
それで銀行員であって銀行員でありませんで、何をやったかというと有価証券、株だとか債権、それから為替、銀行のことはちっともやりませんでした。そういうふうな中で銀行員を数十年やりまして、16年の6月に退職しまして、温泉と無臭大豆、それから庭の方の管理ということをやり始めました。
池田家の16代になりましたんですけれども、11代目の当主が格言を残してまして、「東山之れ築山 河川之れ泉水 家を遶れる田面に黄金の波打れる 此れ吾が無上の庭園なりと以って其農事に勤勵して志の大なるを知るに足るべし」という、要は農業を基本としてやりなさいと、後に継ぐ者に残したとのことです。
その11代目当主が佐竹家のいろんな管理の方が見に来られた時に盆栽自慢をしたと。それで「池田さんにも何かいい盆栽があるでしょう」と言ったら、うちの先祖が鉢に稲を植えたのを持ってきて、これが我が家の盆栽ですといったそうです。
農業を基盤として地域を愛して地域の発展に志しなさいということを本に書いて後世に伝えたとされています。
たまたま私の友人から無臭大豆をやってみないかというふうな話が、私が退職するちょっと前にありました。「いや〜今さら大豆が」どうのこうのということで断わっていたんですけれども、2回目来て「いや、この大豆はおもしろいから何とか頼むよ」というふうなことで、それじゃあまず話を聞いてみようということでまず無臭大豆を手掛けることになりました。銀行6月に辞めて8月にはおばこ農協の方に走っていきました。
そこで「この無臭豆を植えてくれないか」というふうに申し上げたところ、最初は何か怪訝な顔をしてまして、いろいろこう話をしているとやっぱり休耕田がありますし、いろんな作物をやっているんですけれども、なかなか所得につながらないなということもありまして、理解を示してくれました。おばこ農協の方も今の五連の渋川会長が組合長でしたから、それじゃあやろうじゃないかということでスタートした次第です。
それで何で私に友人が声をかけてきたかといいます、無臭大豆が「エルスター」という南の方でできる、それから「いちひめ」、それから「すずさやか」、この3つあるんです。 この3つの中でですね「エルスター」は九州地方を主体として、これが先行しておりました。ところがですね、この「エルスター」は九州地方ですので台風は来るし水害は多いしですね、今年の収穫量100トンと見込んでも秋になってみると20トンとしかとれなかったで、えらく不安定なんです。だからなかなか広がっていきませんでした。
それで、そういうふうなお話をしている中で私が、じゃあ「すずさやか」を秋田でやりましょうといった訳です。「すずさやか」は刈和野の昔の農業試験場、そこで開発された大豆なんです。秋田の認定品種になっています。認定品種でありますし、これは何とかものにしてみたいなということで先ほどのおばこ農協とも一生懸命折衝して現在に至った訳です。
それでは「すずさやか」はどういうものなのかか説明したいと思います。
この大豆は青臭みがないんです。リポキシゲナーゼ、なかなか口回らないんですよ。(笑い)このリポキシゲナーゼ酵素がにおいを発しているんです。この青臭いにおいがですね外人にはだめなんだそうです。
日本人は豆腐を食べるし、大豆、枝豆を食べるし大好物ですが、外人は全くだめだそうです。食えないんだそうです。そこで私の友人がアメリカの方にさっき言った「エルスターを持っていったんです。それでアメリカで広げるということで今年1,500トンぐらいとれてます。その1,500トンを来年またアメリカで植えて6万トンぐらになる。
それじゃあ日本ではどこかといいますと、秋田の大仙、大仙からスタートするということになります。その無臭大豆「すずさやか」は、リポキシゲナーゼを欠損させているものでして、今までの豆乳とか何とかは熱を加えたり、それからいろんな酵素を加えてにおいを消しているんです。豆乳飲んでわかると思いますけれども、やっぱりどちらかというと飲みにくいですよね。それで今の味になっているのは、そういう熱を加えたりして青臭みをなくしているわけです。ところがこの「すずさやか」はですね、そういう処理をしなくてもとりあえず今と同じぐらいの、においがしないし飲みやすい豆乳になるということで、非常に加工しやすい食品であると。だからってこれで豆腐作ってもですね、決して日本人の趣味に合わない。
何でこれをやらなきゃいけないかというとですね、これから高齢化社会になっていきますね。そうすると豆類を食べなさいと、特に女性の方、それの摂取、多く取り過ぎても、サプリメントで取り過ぎても困りますけれども、適量を取っていると非常に体にいい、特に関節の痛さだとか心臓病だとか、そういうふうなものに非常に機能性をもった食べ物ですので、やっぱりこれをどうしても増やしていきたい。
まず最初に持っていったのはアメリカです。アメリカのFDA(アメリカ食品薬品局)。 日本人が何で長生きだろうかというふうなことを調べましたら、やっぱり豆類を食ってるからだと。豆腐、それから味噌汁、納豆。それでアメリカ人はこんな肥満です。それをですね、やっぱり豆類を食べさせるために一生懸命努力したんですけれども、先ほど言ったように青臭いものだから食べない。無理だったわけです。
そこで無臭大豆を持っていって、アイスクリーム、それからパン、パスタ、ケーキも変えていく。ドーナッツも、今豆腐ドーナッツとかもありますけれども、それも変えていこうということでアメリカの方でまず先行させました。
今年1,500トン獲れているので、来年になると6万トンとれますので、アメリカの方で先行させました。それには、アーチャー・ダニエル、カーギル、バンジというふうなアメリカの穀物メジャー、3大メジャーがあるんですけれども、バンジが協力していただけることになって、それでアメリカで先行して立ち上げていきました。
ですので、とにかく無臭でアメリカ人に食わせようということでスタートしたんですけれども、やっぱり健康の源であるということを日本人にも知っていただきたい。
そういうことで私がやおら立ち上がりまして、日本で供給できるのは秋田、秋田しかないということでございます。というのは何でかというと、アメリカに持っていった経緯をいいますとですね、今、昔の農業試験場が今農業開発センターというふうになって、そちらの方に「いちひめ」「エルスター」「すずさやか」をアメリカに持っていった場合、それを日本に持ち込むことはできない。大豆でも製品でも一切持ち込むことはできないということで、そういう契約のもとに持ち出してます。
ですから向こうで6万トンとれてもですね日本に一切持ち込めない。日本で食べれるのは秋田の「すずさやか」、それから九州の「エルスター」、それで一部「いちひめ」という無臭大豆に限定されています。ということで、何とかして秋田の地に根づかせてそれで広げていこうかと。それで、やっぱり機能性があるものですから高く売りたい。高く売って農家の方々に所得を上げて頂く。そのように努力して参ります。
今、逆にお米の値段がどんどんどんどん下がってきていますね。それで農家の方々が大変苦労しています。その反面ですね、無臭大豆で農家の所得を潤してあげたい。そうすればひいてはその地域がお金を持つことになり、買い物をしたり、いろいろな面で地域経済は少しずつでも潤ってくるかなということが私の願いです。
この「すずさやか」の活用法は、アイスクリーム、これは本当においしいです。この11月に秋田で試食会をやりました。テレビでも放映されてましたけれども、サーティーワンのアイスクリームと匹敵するぐらいかなというふうに感じてます。
当然、豆腐だとか納豆とかそういうもの、これもできます。でも、やっぱりこの「すずさやか」の特性を生かすには粉にして、ケーキ、パン、クッキー、それからラーメン、スパゲティ、うどんとか、全部この粉でやってもいいんですけれども、今うどんを30%、50%、これを大豆の粉を入れることによって健康に良く、特に老人の方々の血中コレステロールがかなり下がってます。そういうことで、いろんな活用法があるんです。
この機能性について申し上げるますと、まず大豆タンパク、お米とかあれは炭水化物なんですけれども、大豆の場合は蛋白質なんです。ですので、みのもんたさんがやっている「ケーキで太らない」とか何とかってやってましたけれども、大豆で作ったケーキは太らないです、はっきり言うと。大豆タンパクは血圧を調整する作用、それから血中コレストロールを下げるという効果があります。カリウム、これは体内の余分なナトリウムを特に排出する。それからビタミンB群、ビタミンB1、B2ですね、皮膚や粘膜を健康にして肌荒れ予防、疲れにくくする。それから食物繊維が多く含んでありますので、大腸がん予防に効果がある。それからさっき言ったように血中コレステロール値を低下させ、血糖値をコントロールする効果がある。レシチンが血管内でコレステロールがたまらないようにする働きがある。動脈硬化の予防があるということです。
それからリノール酸は悪玉コレステロール値を下げ善玉コレステロールを減らさない、こういう特徴があります。それからイソフラボンなんですけれども、これどうしてそうなのかわからないんですけれども、南の大豆と北の大豆を比べるとですね北の方の大豆がイソフラボンの含有量が多いです。ですから九州で作った「エルスター」よりも北で作った「すずさやか」の方がイソフラボンが多い。
これは品種によって違うかと、それから土のあれで違うかというとやっぱり違うんだそうです。やっぱり気候によって違うらしいです。(続く)
大豆イソフラボンの分子配列、これが女性ホルモンの分子配列と似ているんだそうです。ですから大豆をとるということはですね、どうしても必要であり、非常に健康面からも非常に良い食物だというふうに思っています。
それで先般ちょっといろんな方々に中華料理にも使って頂きました。ケーキにも使いました。それからドレッシングですね、ドレッシング。それからアイスクリームも食べてみました。非常においしいです。例えば鍋物にこの粉を、パウダー化した「すずさやか」を入れるとコクが出てきます。
それからさっき言ったドレッシングで野菜を食べましたんですけれども、これは胡麻だれみたいな味がしてきました。だからうどんを食べる時の汁でもいい。そういったような形で、いろんな工夫をすることによって用途が非常に広がってくるなと考えております。
それで、今回おばこ農協さんの方でいろいろやっていただきまして、去年は8トンとれまして、5トンを今年の種子にしようというふうな話になったんですけれども、植えたいという人が非常に出てきまして当初計画が160ヘクタール、160町歩だったんですけれども今170、180近い方々が植えたいということで、ですから8トンのうち1トンぐらいしか余らなくなってしまったという現状です。
それで今年の収穫が大体350トンになる予定です。平成19年には700町歩を植えます。そうすると1,200〜1,300トンとれます。それから平成20年以降は大体1,000町歩、これで1,800〜2,000トンというふうなことを目指しております。気候にもかなり左右されると思います。昨年は非常に気候がよく、刈り取り時期も非常に良かったです。ということで反あたり3.5俵ぐらいとれるかな、そういうふうな現状です。
それで今買いたいという人はどれぐらいいるかというお話しをしますと、例えば豆乳をつくる、これを企業化するのには、大体1,000トン単位でほしいんだそうです。1,000トンないと企業化はなかなかできない。それも安定供給。それからあと一つは製麺メーカーですけれども、今カップラーメン、カップラーメンは揚げたりしょっぱかったりいろいろと体に悪いのも入ってます。ところが、これでもう名前までついて「筋肉麺」という麺をつくるから2,000トンくれと言われても、2,000トンはもうなくなっちゃうんですよ、1社で。1,000トン、2,000トンクラスで出ていくというふうな可能性がありますので、今とりあえずおばこ農協でやっていただいていますけれども、秋田全体として今後考えていきたいと考えております。
今、種子がなかなかないものですから秋田全体には広がってはいかないんですけれども、2、3年後からは秋田全体に広めていきたいと思っております。これを是非、秋田の活性化をするために使っていきたい。
ただ、そのまま大豆として出してしまったら付加価値がつかないですね。ですから秋田の特産品をつくりたいんです。特産品をつくっていただきたい。さっき言ったように稲庭うどんに混ぜるとかいろいろケースがありますね。それから今秋田県の食品研究所で研究しているのは秋田のもろこし、もろこしをですね大豆で作れないかということです。
あとは老人といえば語弊がありますけれども病院食だとか例えば特養ホームだとか、そういう方々に肉を食べさせるよりは、肉とこの粉を混ぜて肉団子を作って頂きたい。
肉は熱をかけると縮まるんですね。ところが粉はですね水分を吸ってふくらむんです。ですから肉半分、大豆の粉半分で肉団子を作ると非常においしい肉団子ができます。
ですからそういうものを是非作って、秋田でできたものを売っていきたい。
ここに中華料理の試食会の時のメニューが全部あります。杏仁豆腐からパンケーキ、全部できます。例えば、このパイ生地にしてアップルパイを作ってみてもいいです。
秋田のりんごを、この「すずさやか」のパイ生地の上に乗せて、それで冷凍で出してやる。それから皆さんスーパーに行くとわかると思いますけれどもシュークリーム、個包装になって真空パックみたいなあれありますね、シュークリーム。あれを皮もクリームも大豆で作れれば、あれは大体冷凍でもつそうです。今あれを作っているのが群馬県にいますが、モンデールという会社ですけれども、そこに持ち込もうと考えています。ただ持ち込む輸送コストが結構かかるものですから、それを秋田でできないか。いろんなケースを考えております。
ラーメンを作るというと、ぼきぼきして折れちゃうんですよ、それでですね、今、我が兄弟会社で開発したのはコンニャクを混ぜることです。水溶コンニャク。そうするとヘルシーなんです。蛋白質もとれるという麺ができます。そこら辺の開発までずっと行ってきてます。ですからパンもケーキもみんなありますけれども、ケーキは100%、大豆の粉で作ってます。パウンドケーキ。非常においしいです、しっとりしていて。
それからもう一つは油を絞ることによってですね食用油にもなりますし、逆に化粧水、化粧油にもっていく、資生堂もやってみようかなというふうに思ってます。
この間オーデコロンが桜のエキスで作りましたね、角館で。あれと似たようなものをちょっと考えてみたいなと。資生堂かどうかわかりませんけれども、どこが飛びついてくるかわかりませんけれども、そういうものもやってみたいなと。ですからいろんな構想が広がっていくんです。それを何とか秋田でつくりたい。秋田から製品を出していく。付加価値をつけて出していくと。そうすることによって若者の流出を止まって、秋田に留まってくれるんじゃないかと考えております。
今、少子高齢化、それで老齢人口がですね30%近くなっている。農業から離れていく人、農業人口がどんどんどんどん減ってきている。日本の食料自給率35%だったんじゃないかな、そこら辺まで落ちているはずです。それを国の方針として40%というふうな方針がありますので、是非これを起爆剤としてもっていきたい。
今度、北京オリンピック、2008年にあります。2008年の食料は中国のものは絶対使わないそうです。全部輸入したもので行うそうです。中国の自給率はかなり落ちております。ですから今後豆類にしてもトウモロコシにしても中国は輸入国になってしまう。ですからやっぱりある程度自給率、お米は確かに余っているところもあります。
秋田は農業県です。由利本荘地区はTDKがありますので事業というふうなことがありますけれども、やはり秋田県としてはやっぱり農業県でありますのでこういう事業を起爆剤とする、農業に関したこういういろんな製品をつくって市場に出す、マーケットに出していく、それをやっていきたいと考えております。
たまたまですけれども、この考えが日銀の秋田支店長と同じなんです。この間、日銀の秋田支店の方が来られて「あなたが言っていることはうちの支店長と同じだ」と言われました。ですから日銀支店長とは会ったことはないんですけれども、たまたま調査に来た人がそう言ってましたのでそうかなと思ってますけれども、そういうことでこの『すずさやか』は是非広げていくとともに、特産品を作っていただきたい。
はっきり言うとそこのジャージー牛乳のところにですね「ヨーグルトを作っているからこれで作ってみないか」と一応声かけたんですけれども反応がなかったです、はっきり言うと。今作ってくれるのは、おはよう納豆が作ってくれると言ってくれてます。OEMにするとか、ヨーグルトですね。ヨーグルトケーキでもいいです。
要は市場にどうやってこっちから持っていって売れるかということを考えていきたいなというふうに思います。
それで豆を植えると一つネックがあるんですよ。豆が3年になると連作障害が出てくる。連作障害除去ということで私どもも非常に、ローテーションで植えていくつもりなんですけれども、やっぱり休耕田にやっているんでやっぱりネックになるんです。
それで何とか連作障害除去の方法がないかということで、1つの考え方なんですけれども嫌気性微生物を使ってやろうということでテストしたんです。そうしましたら嫌気性微生物、ハウスの中で微生物が動いてですね真冬でも気温が20度ぐらいになりました。
そして、いろんなものを少しずつ植えてみました。
葉物とか根菜類、豆も植えてまみした、それからサヤエンドウも植えてみました。葉物は非常によくできました。
ですから、これから農業をやっていくにはやっぱり秋田、秋田として冬の間は休んでいるということをしなくていい農業ができると。ということは、とりもなおさず会社経営でも農業ができる。今までは会社は夏しか収入がなく、冬何にもしないと会社で給料を払っていける収入がないわけです。ところが冬でもそういうふうなものができると、それを市場に出すことによって有機野菜を供給できるという考えになっています。ですから冬、冬はちょっと給料が下がるかもしれませんけれども、とりあえず給料は払える体制を整えることができる。
我々もそういう市場とのマッチングをどう考えていくか。いくら作ったって売る場所がないといきづまります。我々の会社では、とりあえず東京にもスタッフがいますので今それをどうやって開発しようか、開拓しようかと考えています。
それからあと京都の業者が岩手から今野菜をとっているんです、有機野菜。それをこっちからも供給しようかなと。ですから岩手に運んでいけば、岩手から京都に運んでくれるんです。ですから会社が農業を請け負って、それから従業員を抱えて、それで給料払う。今までの農業が変わってくる、これからの農業が変わってくる、変えていこうと考えています。
高齢化になって田んぼを耕作しない人、そちらから畑を借りてそれをこっちが会社が運営してそれでメリットを返してやる、そういうふうなことを我社で考えています。
そうすれば若者も残っていくし、働く場、場所を提供できる。ですからいろんな副産物が出てくる。これによって何とか秋田の人口減少を止めていく、そこも考えてます。非常に膨大な構想なんですけれども。
嫌気性微生物についてもう一言言わせてください。嫌気性微生物をやることは、要は土壌改良なんですね。窒素と炭素とのバランスをとらせることが連作障害除去ということにとりあえず気がついたんです。それで炭素を入れる、何を入れたらいいか考えた時、秋田にはこんなに山があるじゃないかと。間伐材を切ってもその処理で困っています。
雑木やら何やらをチップ化して畑に埋め込んでいく。要は県なり何なりで山林保護、自然保護ということで、そっちの方に資金を出してで出してもらう。その間伐材をチップ化して畑や何らに何か敷き込んでやると、秋田っていうのは美林が残って、美田が残って、いい作物ができるというふうな循環型の農業ができるんではないかと思うんです。
こういうことを試行している訳です。私としても、最終的には。
もし特区をつくっていろいろ出来ればいいなと考えております。
本当につたない考えの中から出てきたものなんですけれども、考えれば考えるほど自分では面白くなってくるんです。これをいかにして商売にして、それから地元を潤わせて、それから地元の活性化につなげて、それからいい環境をつくってというふうなことを是非実現していきたいなというふうに思ってますので、まずひとつ皆さんのご協力もお願いし、いろんなアドバイスもちょうだいしてこの事業をやっていきたいと思っております。(拍手)
呑 風 日 誌 抄
8月1日(火)千秋公園・あやめだんご。稲門出身医師による秋田稲門医師会の設立で、稲庭毅、橋本誠の両氏と橋本夫人と懇談。
2日(水)天王のむつみ造園土木へ。秋田石材の清瀧社長を杉村専務に紹介。清瀧社長別荘に石の東屋をつくる相談。
4日(金)旧本荘市石脇の願永寺の古関住職にケーシーランキン平和への道ライブの相談。ご快諾を頂き、嬉しく思う。
5日(土)朝、岩谷会館へ。芋川の桜の除草。電動草刈り機を始めて使う。夕方、由利本荘ベースボールクラブのスタッフ会議。
6日(日)横手セントラルホテル。早稲田大学校友会秋田県支部総会へ。元中日ドラゴンズの谷沢健一氏と懇親会で会い、彼が千葉に創設したクラブチームとの交流を約束。実家の近く、イトキンで佐々木栄一先輩、佐々木慶治氏と一献。隣の美佐子食堂で無尽講。
8日(火)岩谷駅前・再会にて成田重文氏とほたるの学校の話。 9日(水)午後2時から岩城支所にて浜辺の歌音楽祭の実行委員会。午後4時26分発、岩谷駅から電車で本荘駅へ。甲子園団体列車はバスで新潟の駅で電車に乗り換え、夜中12時30分に同車の仲間と力を合わせ三段ベットに。 10日(木)甲子園球場一塁側スタンド。母校本荘高校の応援。高校卒以来、広島にいる同級生・安保昌美とばったり。結果は7対5で惜敗。甲子園 センターポールの旗の下 起つ鶴城の健男児
11日(金)夕方、秋田県民会館のレストラン。韓国留学生の帰国さよならパーティ。トマンシオ(又会う日まで)
12日(土)旧本荘市の菊地陽一先生、斎藤好三氏へ甲子園の報告。実家に泊まり。
13日(日)女房と佐々木正人宅、佐々木勝敏先生宅へ初盆。夕方、近くの農村活性化センターにて盆踊りに参加。
14日(月)中学同級生7人でこの冬に亡くなった東海林重一宅に初盆。美佐子食堂で直会。
15日(火)終戦記念日。折渡地蔵の山頂に登る。元海軍、80歳の高橋喜一郎さん、民謡の佐藤定夫さんと広島の原爆瓦の埋まっている平和の塔前で12時のサイレンの合図に黙祷。鐘の音も聞こえる。
午後2時、秋田放送の依頼で事務所内にある里帰喇叭神社の雨で、工藤東子アナのインタビューを受け、ラッパで国に鎮めを吹く。
農村活性化センターにて集落営農学習会に出席。
16日(水)旧本荘市のアクアパル。集団疎開出版記念会へ。戦中、石沢地区に集団疎開したお茶の水女子中学生の手記等が本に収められ、猪股祥友先生の熱意の賜物。 渋谷里子先生から由利本荘のスポーツ振興と良寛さんの絵の話を伺う。
18日(金)由利本荘市役所前の三之助もろこしを買い、東京の小堀治子さん宅に送る。松村謙三先生の命日に間に合う。成田重文さん宅で三浦幸一さんと9月6日、ケーシー平和への道ライブでの音響の相談。蝋燭を使うことに。
19日(土)秋田空港に娘・江津子を迎え、県児童会館へ。東海林太郎音楽館設立一周年記念なつメロ競演会。娘、楽屋にて伊藤要先生と感激の再会。観客はほぼ満員で盛況。岩谷駅前ポポロッコ広場にて大道芸の集会、アイリスでの高校同級会へ。亡き恩師早川寿助先生を偲ぶ会。
20日(日)夕方、旧大内町体育館での千葉商科大学サマーコンサートへ。終わってから成田重文氏、小林るい子さんと福寿司にて一献。 22日(火)日本三大大仏のある赤田の大仏祭りを見学。ブルーベリーの苗木二本を隣のブルーベリー園から求める。ブルーベリー母子が綺麗。岩谷町・松寿しにて三浦幸一氏、佐々木隆氏達と一献。駅前再会で二次会。
23日(水)旧矢島町ユースプラトーへ。勤労青少年ホーム職員研修会で講演。パークゴルフを初体験。ブービー賞だった。矢島の高校同級生達とがってんにて一献。
24日(水)朝、鳥海山が美しく同級生・佐々木弘宅に寄り、総合体育館でのローラーホッケー選手権試合を観戦。文化会館にて由利本荘市戦没者追悼式に出席。
25日(金)大仙市へ。無臭大豆「すずさやか」の圃場と乾燥施設を視察。JAおばこの無臭大豆に賭ける意気込みを感じる。由利本荘ふるさと塾。講師はあゆかわのぼるさん。演題が「岡目八目、由利本荘の未来図」頼もしい。
26日(土)大曲の花火。大曲駅で聞き書き作家の小田豊二氏を出迎え。雄物川堤防で全国花火大会を見物。60万人が集まり、圧巻であった。帰りは渋滞に捕まり、岩谷事務所についたのが1時過ぎ。
27日(日)岩谷事務所にて小田豊流聞き書き実践講座。山形からも参加者があり。小田講師はかっぽれ踊りまで披露してくれた。
旧大内町羽広地区の諏訪神社のお祭りへ。遠藤忠男さんのご配意で挨拶を求められ、昔あった隣接の三郡交流会を提案。長野県の羽広温泉との交流の話をする。
小田講師を秋田駅まで見送り。 28日(月)朝、旧東由利町の八塩小学校のスポ小野球の父兄から電話があり、工藤幹夫野球教室を9月に開催することにする。夕方、むつみ造園土木の杉村専務と由利原高原の清瀧社長別荘へ。秋田市から石川錬治朗先輩達も参加。あいにく鳥海山は雨で見えなかったが絶景地。
29日(火)近所の伊藤忠一郎さんの案内で牛舎を見学。農業についての勉強になった。
31日(木)道川小学校へ。甲子園でホームランを打った東海林潤君の父上、東海林先生を会い、浜辺の歌音楽祭のことなど相談。