ふるさと呑風便 NO,205  06.5
    109本の桜咲く
   
 本荘市から国道107号線を東由利町へ走る。2月26日の全県選抜雪上野球大会に向かっている。最初のトンネルに「絆の茂里トンネル」とあった。?。何だろ。トンネルを抜けてしまうと後、もう忘れてしまっている。
 
 太平洋戦争の終戦前後、本荘市石沢地区に集団疎開していた東京女子師範学校付属女学校(現・お茶の水女子大付属高校)の卒業生達38人が、昔お世話になった御礼に桜を送りたいと、思いで深い石沢の地に感謝の気持ちと平和への願いを込め、109本の桜の苗木を植樹された。平成8年の秋のことである。
 本荘市では、植樹した地を「石沢絆の茂里」と名付けて、桜の公園として整備している。

 まごころ溢れるこの話を元本荘市教育長の片倉幹男先生から聞き、「水の瀬きよき」という文集を頂いた。
 これは、集団疎開をしていた東京の女子中学生109名とそれを受け入れた石沢地区の人々との心のふれあいを記録したものである。
 冒頭に「石澤に桜を贈る会」の会長、鈴木道子さんが詩をよせられている。

 なだらなに
 雲にそびえる鳥海山
 私たちは
 毎日祈りを込めて眺めていた
 そのふところに抱かれて
 石澤の里も人も
 みんなみんな豊かに温かかった
 清らかに流れるせせらぎの春
 泥田の肌のぬくもり
 闇に飛ぶほたる
 あのやさしさは
 五十年たった今でも
 私たちの心と体に生きている
 私たちは
 桜の季節を迎えぬままに
 この故郷を去った
 今ささやかな夢を見ている
 深い感謝の気持ちを
 桜にたくしたい
 あらゆる命が
 おだやかなハーモニーを
 奏でるように
 さまざまな夢が
 後の世に花開くように

 桜の季節、4月28日の夕方、絆の茂里トンネルの上にある丘にのぼった。麗峰鳥海山が夕日に映えて美しい。記念碑の前のしだれ桜は五分咲き。 菜根譚にある花は半開きにみる、であった。
 その日、由利本荘市東町の由利本荘ふるさと塾で地域づくりの講演がある。
 演題は「109本の桜咲く」講師は猪股祥友さんで、集団疎開を引き受けられた当時の石沢村長・猪股亀三郎さんの御子息。「桜を贈る会」に呼応し、石沢地域の環境美化と地域文化の向上と活性化を目指して結成された「石澤作楽(さくら)の会」の会長さんである。
 猪股さんは「自分たちはおかゆをすすり、私たちにはご飯を食べさせてくれた、石沢の皆さんの温かい思いやりに感謝している」と語る鈴木道子さんをよく知り、戦争で兄を失っている。
 109本の桜には平和が込められているのだと語られた。
 鈴木道子さんは、軍部の反対を押し切り、命がけで日本を終戦に導いた鈴木貫太郎首相の孫。音楽評論家でもある。 今、彼女の翻訳本「ニュー・オルリーンズの青春 サッチモ」を読み、サッチモの「What a wonderful world]聴き、素晴らしい感動ドラマを再演できないかと思案している。
ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成17年5月27日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★人を奇麗に、地球を奇麗にA★ 山本久博氏(NPO法人環境秋田県民フォーラム理事長)

 2001年の6月にトラックをウラジオストクへ船で運んで、我々は新潟から飛行機で飛んで、そこから一万二千キロのソーラーカーの旅です。
 勿論、全部太陽のエネルギーで走った訳ではありません。天気の悪い時とか、夜はトラックに積んで、朝にトラックから降ろしてスタートして、夕方になったらトラックに積んでホテルのある所までいきます。
 キャンプもしたし、民宿みたいな所にも泊ったし、一ヶ月かかって、大潟村の吉田さんというカメラマンも一緒に行ってくれました。私のHPにロシア横断というところにいい写真がいっぱい載っております。
 ロシア横断をした時に、輸送費がかかるんで、ソーラーカーを置いてきたかったんです。ロシアの学生にでもと思ったんですが、それをやるとココム違反になるそうで、太陽電池とモーターコントロールなどロシアに置いてきたら困るということでしょうがないのでおカネをかけてトラックを持ってきました。 そのまま後は、大潟村の博物館のロビーに、ロシアから戻ってきたまんまで飾ってあります。 私自身、ソーラーカーは博物館にいってしまったので、次の車はソーラーカーでなくて、燃料電池のハイブリットを今、作っている最中です。
 燃料電池はまだ買えないんですが、ソーラーカーの土台の方はもうじき完成の予定で、それをどうやって作っていくかを2年がかりでやってきたんですが、それを見せようとホームページに、技術情報を提供して今、やっているところです。製作日記としてHPに掲載しています。

 人を奇麗にの方ですが、実はこういう性格なので、私は物を作るのが好きなんです。
 今年の2月の頭に、アメリカカルフォルニアのロングビーチでビューティエクスポ、美容博覧会みたいな所で私の技術講習をやらせてくれるということで、4回の講習、ステージに呼ばれました。うちの店からも5人スタッフで出て、秋田の美容組合から38人、見学ツアーに来てくました。
 秋田の美容業界で、アメリカの研修旅行を組んだのは初めてで、全国的にも珍しいんだそうです。ご存じでしょうが、秋田は日本で一番、美容室の件数が多いんです。人口比で店舗数が全国一なんです。僅差でなくて二位、三位に大きく水をあけて一位なんです。(笑い)
 佐々木さんが調べてくれたら家計費でパーマネントにかける金額も日本一なんだそうです。 そういうことで秋田の女性は非常に奇麗になることにオカネをかけてくれてるみたいです。
それで秋田の美容界が発展させてもらっている訳です。美容業界では非常にありがたいレッテルを貼られております。
 私は秋田県美容業組合の理事長を二年前から拝命したもんですから、何をやろうと思いまして、ともかく勉強するしかないから、景気が悪いとかいってられないので、技術者ですから勉強すれば、必ず仕事が繋がってくるということで、今、一生懸命講習会をやっています。
 その中で、私がこういうことをやっているということが伝わって、アメリカまで勉強に行くといってくれたんです。
 
 これは、私が作って1985年から開発を始めたヘアカットの道具です。今、世界中で評価されているもので、2003年のグッドデザイン賞を頂いたんです。デザインも私がしまして、型は秋田で作ったんです。
 中に交換できる替え刃が入っているカミソリです。ヘアカットのプロの職人が使う道具で、ほんとに今までなかなかいいレザーがなかったんです。
 ほんとうは自分が使いたくって、欲しいから開発を始めたんです。なかなか最初、うまくいかなくて、途中、何度もブランクがあって、まだ出来ない出来ないと悩んでいる間、最後に行き着いたのが、ホンダの栃木研究所のエンジンを作っている技術者にアドバイスを頂きました。 最初、これステンレスで作ったんです。当時85年ですから、ステンレスだと重くて、加工しだいでバリがでたりするもんですから、思ったようなクオリティにならなくて、満足いかなかったんです。

 ある時、ソーラーカーをやっている連中が、ホンダの栃木の連中はエフワンのエンジンを作ったりしているんです。彼らが何か手伝うことがないかというんで、本業の方でこういうのをやってるんだが、どうも満足できなくってといったら、協力しましょう、何が欲しいというから、重量を半分までいかなくれも、3割から4割を削りたい、軽くしたいといったら、ステンレスで重すぎて、アルミだと軽すぎるんだったら、その中間だったらチタンしかないと。
 チタンだったら、道具としたら手になじむから、加工は大変だけれども、一番いい素材を紹介しろといわれたら、是非チタンを使いたいといってくれたんです。
 それで今度、秋田県の工業技術センターに頼んで、チタンでこのカッターを作れる業者がいないかと探したら三菱重工と石川島播磨だと。(笑い)
 要は飛行機のエンジンとかパーツの世界なんです。ヘアカットを作るのにジェット機のパーツまでとはいわなんですが、そういうチタンでこういうのが出来たらいいと色々、当たっていた中で、チタンの時計を作っているセイコーエプソンの子会社が八戸にあって、そこでチタンのフレームを作っていました。
 そこに紹介してもらって、そしたらいいですよといってくれました。これ専用の今、最高のチタン合金を時計を作るのに同じレベルの加工で、素材を作ってもらいました。
 素材ができたら、切ったり穴を開けたりしなければなりません。それを頼んだら、なかなかやれる所がなくて、石川島とかの下請けをやっている工場が岩手県にありました。そこの町工場のオヤジさんがやれるよといってくれたのが、結構うまいんです。で、最後に後、表面の処理、磨きの処理です。
 理容のハサミは今、十万円ぐらいします。ほとんど宝飾品、アクセサリーのレベルなんです。そこに持っていって、最高のやり方だったらどうなるか見せてくれといいました。
 最初、チタンだからと怖がったんですが、何とかなるといって、一回、奇麗に表面仕上げ、鏡状態にして、セラミックの粉をぶつけて、ドラストかけてつや消ししてくれました。
 ここまでやるともうこれ以上の加工はないといわれて出来たのがこれなんです。
 手間ひま掛けて、やれるだけやって、最高の口うるさい技術者が絶対文句をいわないモノだけを作ってみて、といって完成したら発売しようと2年ぐらいかけて開発してもらったんです。 それでこれならいけるかなとと発売しようとしました。
 通常のルートにのせたら一本十万円。(笑い)それじゃあ高いんで、直接注文した人にネット販売でやろうとしましたら、ものすごく一ヶ月から2か月ぐらい待ってもらっています。
 量産できないもんですか、一ヶ月で2,30本ぐらいしか作れないんで、待って貰って出しています。
 グッドデザイン賞を頂いたんで、今、世界中の美容師さんの中で、ちょっとうるさい連中がすごく注目してくれて、お陰様で注文を待ってくれているという有り難い話です。
 グッドデザイン賞を受賞した時に、今の経済産業省から一筆とられまして、登録していますので他で真似ができなくなっています。これが一番いい特許で、安上がりなんだそうです。
 今、アメリカでもとても評判で、うちのスタッフを連れてデモンステレーションをやったんですが、外人さん達がみんな集まってきまして、大変な騒ぎでした。有り難いことに、技術者って言葉がいらないんですね。 うちのスタッフが切ってると何か質問しているように見える訳、ちゃんとと答えているんですね。英語話せたっけ、と聞くと英語話してましたか。(笑い) 遠くから見ると英語を話しているように見えますが、専門用語だけで切っている技術者同志なもんですから、通じているんですね。なるほどなあと思いました。
 アメリカでは販売していませんで、持っていった時に売っただけで、販売できる程の量がないので、来年又、アメリカへ行った時にまで作っておかなければいけません。そんな訳でうちのスタッフがアメリカ旅行が出来ると喜んでいます。
 そんなこんなで、秋田はオシャレにものすごく敏感だから、女性を奇麗にするということでビジネスとしては非常にいい。
 ところで、私が秋田に戻ってきたのが30年前ですが、カットコンテストで賞を取って、腕はいいと全国かた評価してもらって、何で秋田に戻ってしまうの、都落ちするんだなといわれてましたね。技術者としてお客様としてかかえられるのはいいとこ三百人ぐらいなんです。固定客として責任持ってケアできるというのは。それ以上の人数をとれといわれたら、もうどんどん手抜きしないといけないから、どこの町のお客様を三百人持つかというのが、その技術者のベースになるんですね。
 秋田生まれだから、秋田でお店をやって都落ちするつもりはないから、世界に通用する美容室を秋田でやりたいと大風呂敷を広げて秋田に戻ってきました。 できれば欧米から習うだけではなく、欧米の技術者に伝えられるようなオリジナルの技術と道具をみせたいという意識があって取り組んでいるところなんです。新しいものを作って海外の美容師にどうですかといって、伝えられるモノがあったら有り難いなと思っております。そういう秋田の美容師がいてもいいかなと取り組んでいる状況です。
 呑 風 日 誌 抄
 4月1日(水)朝、由利本荘市鶴舞公園の本荘神社。由利本荘ベースボールクラブの必勝祈願。亀井聡宮司によるお払い。小松寛治会長、武田弘野球部長、工藤幹夫監督、選手達と必勝を誓う。
 秋田ビューホテルにて「平成職人の挑戦」映画上映会。鼎談「伝えよう美と技と心意気」として秋田市上新城出身の彫刻家・山田耕健さんと元秋田美術工芸短大の青木隆吉 教授と出演。
 さとみ温泉にて3月で毎日新聞を退職された「渡部慶一さんを送る会」に出席。彼の益々の活躍を祈ってエールを送る。定年後初日の記念すべき日。
 2日(日)午後、本荘高校野球グランド。今野忠良総監督と選手達の練習を見る。合同写真を撮ってもらう。
 5日(水)拙書「青春旅故郷づくり」を持って、由利支所の阿部満自治区長に挨拶。由利本荘ベースボールクラブの役員でもある阿部さんに支援のお願い。
 6日(木)由利本荘市岩谷町の伊藤忠治郎さんから、岩谷駅前の石井製材所の石井清社長を紹介され、五月1日から向かいの家を事務所兼住まいとして借り受けることにする。忠治郎さんから色々お話を伺う。役場の周りに百本の桜を寄贈されたことは知らなかった。人から「いい人だ」といわれたいという生き方に感銘。
 夜、新山閣前の高橋徳誓氏の道場で太極拳の講習会に参加。
 7日(金)朝6時。由利本荘市・ホテルアイリス。倫理法人会のモーニングセミナーに初参加。菊地建設の橋本一康社長の熱心な勧め。遠野市の及川孝太郎講師の「倫理に出会って」の講演。早朝の清吉ラーメンを食べて、旧鳥海町役場、旧大内町の役場を回り小笠原自治区長に拙書を渡して挨拶。
 9日(日)由利本荘市・水林球場。対大曲ベースボールクラブとの練習試合を応援。13対3で快勝。幸先がいい。大内町芸術文化協会展を農業改善センターで見て、東海林太郎音楽館にてなつメロ歌合戦の会議。河村彰小品展の準備。
 11日(火)ふるさとの福寿草と名水めぐり。大内町、鳥海町での福寿草を探索。東由利町の湧水・ボツメキ水源地、鳥海町の笹子名水。ふるさとには美しく美味な素材が多くあった。
 12日(水)東海林太郎音楽館。
魁新報の鎌田記者から取材を受ける。由利本荘ベースボールクラブの選手・須田嘉太郎君の事故死について。夜、にかほ市金浦町の虎丸。亡き白瀬京子さん(白瀬南極探検隊初代館長)を偲ぶ会。
 13日(木)秋田市旭南の故深浦宗寿宅。深浦孝子さんから家を解体するので松村謙三先生の扁額他、掛け軸8本を頂く。感激。本荘グランドホテル。本荘由利環境フォーラムでの「ふるさとの活性化について」講演。
 14日(金)本荘グランドホテル。倫理法人会モーニングセミナー。
 あべ十全氏に野球部応援歌の作曲依頼をするが、話題性として公募をしたらとの提案に乗る。ボランティア活動も熱心している十全氏は偉い。東由利自治区長の佐藤知泰区長に挨拶。ボツメキ水源地に佐藤順一氏から案内してもらい、島倉千代子の魔法の水づくりに湧水を汲む。
 15日(土)朝、実家の新田水稲生産組合で種籾の播種を手伝う。午後から由利本荘市グランドホテルにて本荘高校ブラスバンド部OB会(響友会)総会。阿部正紀先生が初代会長、小松勝茂先生が幹事長に就任。挨拶で由利本荘ベースボールクラブの応援歌の曲募集。
 政どんにて、本荘市審判協会総会に出席し、応援依頼。
 16日(日)昼、秋田市・アキタパークホテル。秋田市大内会役員会。管野信治会長、私は副会長とのこと。由利本荘市・五軒町総会にて講演。「地域活性化について」佐賀の大草安幸さんから送られた松露饅頭を配り、本荘浜の松林に松露づくりをしようと提案。
 17日(月)本荘第一病院の小松寛治院長先生から診察を受ける。胃カメラを飲み、異常なしとの診断に安心。秋田市山王の橙屋にて、 「佐々木三知夫にハッパをかける会」に出席。恩師・小林孝哉先生の有り難いご配慮。 
 18日(火)東海林太郎音楽館にて、燕尾服用のマネキンを吉忠マネキンの今野所長に注文。 
 佐々木正人氏父上の葬儀。大内町の実家にての直来にも出席し、昔の中学生時代に戻った。
 19日(水)由利本荘ベースボールクラブ創刊号への広告掲載の御礼にJA秋田しんせい他、6社に御礼参り。秋田市川反にて、佐々木伸一、鳥海良寛、村岡敏英の三氏と一献。二次会で演歌師山本実氏から人生劇場を歌ってもらう。
 21日(金)蕎麦好きのシンガーソングライター・ケーシーランキン蕎麦ライブ。由利本荘市の蕎麦・石挽屋にて。本荘ステーションホテルの小松寿氏、YHBC応援歌作詞者柳瀬三郎氏と二次会・とんでもナイトへ。ケーシー、カラオケで自分の作った歌「男達のブルース」を歌う。カラオケで一曲8円の著作権料が自分に入ってくるんだという。
 22日(土)ケーシーを小生のラーメンのDNA「清吉ラーメン」 に案内。彼は5回目。
 23日(日)由利本荘市の子吉川沿いを歩こう会の方々と歩く。砂子下コミュニティセンターにての総会に出席。
 26日(水)秋田市大内会の菅野信治会長達と北内越公民館の「芋川を楽しむ会」総会に出席。 28日(金)ホテルアイリスにて倫理法人会モーニングセミナー。吉田久男氏宅にて社団法人本荘由利スポーツ振興会の話を伺う。夕方、「由利本荘ふるさと塾」「109本の桜咲く」という演題で、講師が猪股祥友氏。集団疎開の東京の女子中学生と旧石沢地区との心温まる交流に感動を覚える。
 29日(土)秋田市総社神社境内。特攻隊招魂祭。恒例により黙祷の間、ラッパで国の鎮めを演奏。今年は何とか、間違わずに演奏できた。ふきみ会館にて桜チャンネルを開設された水島総(さとる)講師の「特攻と戦後日本の大転換」を拝聴。
 大内の実家近くの山村活性化センターにて新田地区のカド(ニシン)祭りに出席。佐々木恭悦会長と遠藤賢蔵さん宅に呼ばれ、遠縁にあたる方で我が家の家系図を作ってくれる約束。
 30日(日)由利本荘市・安楽温泉。由利本荘ベースボールクラブ総会と激励会。これで始動できる。