ふるさと呑風便 NO,195 05・7
東海林太郎音楽館
東京新宿駅東口、中村屋。
学友で作家の小田豊二と作詞家の東海林良さんと3人でインドの革命家、チャンドラボース直伝のカレーを食っていた。
良さんに東海林太郎音楽館の館長に島倉千代子さんがどうだろうと相談したらそれは面白いとなって、交渉をお任せした。
6月23日の昼。2人と別れて西武新宿駅に歩く。向かうは新井薬師駅。この沿線は懐かしい。 学生時代から、東伏見駅と下井草駅を降りた所に、通算3年程住んだことがある。
新井薬師駅。ここ中野区上高田に国民的歌手・東海林太郎の次男・玉樹氏が住んでおられる。
駅前の花屋で東海林太郎が好きな花・リンドウを買う。
事前に佐藤養助商店の斎藤光喜専務から稲庭うどんを送ってもらっている。東海林太郎が愛した秋田銘菓さなずらを持参した。2時の約束なので、余裕があった。近くの古本屋を覗いていると携帯が鳴った。外へ出て話しているうちに時間がたって、急いで東海林宅へ歩いた。
五分前、玉樹家の前で気がついた。「しまった」リンドウを本屋に忘れてきた。引き返したら、何故か戸が閉まっている。
仕方なく、東海林家に戻って玄関を開けると、笑顔の奥様が出られて、応接間に通された。
東海林太郎の木像や、表彰状、
カップ等が飾られている。島倉千代子が一緒の写真もあった。
東海林太郎の孫にあたる玉樹さんの長男・光樹氏も現れた。 彼とは去年10月3日、、秋田市のホテル大和で開催された「東海林太郎音楽祭」ー東海林太郎音楽館建設に向けてーの際に二晩、盃を交わした仲。
榮太楼旅館で設けた席で、国会図書館に一冊ある、満鉄時代に著した論文「満洲に於ける産業組合」が、父上の所にもあると聞いていた。
東海林家訪問第一の目的は、東海林太郎音楽館にその論文を寄贈して頂くことであった。
奥様に「さなずら」を渡し、近くの古本屋にリンドウを忘れてきてしまったと白状。二階から降りてこられた玉樹氏。長身でやはりどこか、似ておられる。
「東海林太郎の息子と言われるのは照れくさくってね」
「飛行機乗りに憧れて、海軍に志願したら親父から猛反対されたな」「終戦は鹿児島です。特攻隊だった。よく生きてこられたと思っている」「親父とはよく飲んだなあ。お互い強くて」「秋田に音楽館、貴方は後輩に当たるし、親父も喜ぶと思いますよ。大いに協力しましょう」。
そこへ、奥様がビールを小さなコップに入れて持ってこられた。玉樹氏は一気に飲まれて「ああ、美味い」
いつ行かれたのか、奥様が忘れ花のリンドウを持ってきてくれていた。お土産まで頂いた。
温かい見送りを受けて、東海林家を辞す。光樹さんが途中まで送ってくれて言った。
「あの論文とあと何点か、秋田に持っていきます」
8月1日。秋田市大町2丁目の榮太楼菓子舗大町本店の2階に東海林太郎音楽館をオープンする。これは榮太楼の小国輝也社長のご高配。今年の1月末「菓子屋だから貸して」と言ったら「貸します」で決まった。
NPO法人東海林太郎伝承会を7月14日に設立。理事長には尊敬する秋元辰二先生がご就任。
平成3年11月に角繁工場に解体、保存されていた東海林太郎生家の玄関先を音楽館に復元。走りながら考え、考えて走り回って、多くの方々の善意でどうにかこぎ着けた。創造の喜びの後、運営の苦しみが待つ。
館長には人望の篤い大友康二先生。島倉千代子さんには何時か名誉館長になってもらおう。
開館の日には、リンドウの花を忘れないようにしよう。
ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成16年6月27日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★「菜の花街道」
★ 川島昇一氏
(大潟村・耕心会会長)
私は、出身地が北海道・深川市で、北海道の有数の米どころから入植しました。
講師なんていわれても、何ですから雑談形式で肩肘はらずにお願いしたいと思います。
私共の耕心会というのは、年金受給者の会のニックネームであります。最近、厚生年金の方も入ってきまして、農業者年金受給者だけではまずいと、村からある程度の助成金をいただけることにとなりまして、農業委員会を中心にやってきたんですが、今では農業者をとって、あらゆる年金を受給している会員の年金受給者の会としています。
耕心会という名前については、
結成した時に、記念講演に弘前大学の宇治田という先生をお願いしまして、農業関係を中心に話を聞いたようです。
その先生へこれを機会に、私共の会に名前を付けてくださいとお願いしたところ、今まで皆さんは土地を耕して来られたが、これからは心を耕すことにしようではないかと、耕心会ではどうかとなり、満場一致で採択されました。
結成されてから今年で12年になります。
設立当時、年金受給者だけで集まって一杯飲んでも芸がなさ過ぎると、何か村のためになることがないかと始まったのが、菜の花の作付けです。
大潟村はご存じだと思いますが、道路の束帯にかなり余裕があります。道路の両側をキャタピラーで通れるということで、
その先に街路樹があって、道路の両側が空いた所が広くあります。そこに菜の花でも作って眺めようじゃないかというのが最初の始まりであります。
さんざん苦労をしましたが、作付けに関しては皆、お手の物です。トラクターで種まきは自前で出来るもんですから、手間も金もかからずにやっております。ですが、ロータリーでやったら、大きな石がでてきた。
これは護岸を作るときに石山を砕いて、堤防の土手を築いた訳ですね。その石を運搬船が重いもんですから、途中で投げていて、その石が所々に残っていたんです。その石がトラクターやロータリーを壊してしまうんですね。そんな訳で菜の花畑を整備するのに、だいぶ難儀したようです。
最初、2、3年は難儀しましたが、これはいけるとなりまして、村でも積極的に耕作料、作付け料も出すからやってくれないかとなりまして、ある程度のお金をもらいまして、現在もやっております。
菜の花の作付けを10年以上やってるんですが、3年ほどたって、菜の花祭りを始めました。
祭りということで、各種イベントを取りそろえてやりました。
その時、東京の山手線に菜の花祭りの中吊り広告を出したんです。それが受けまして、首都圏からかなりの観光客がこられるようになったんです。
車のナンバーを見たら品川とか足立ナンバーとか、横浜ナンバーとかの首都圏からの車がかなり来るもんですから、これはかなり期待できるぞとなりましたが、一番の悩みは連作障害です。3年ぐらいたって、花は咲くんですが、小さいんです。
草丈も伸びない。地力はあるところ所なんですが、連作というのは専門家に聞くと、作物を妨害する悪いのを出すんだそうです。それが積み重なって最後はダメになるんだそうです。
他の作物を作付けすると3年ぐらいたつとできるようになるんです。3年ローティションでクローバーの種を蒔いてやっています。それでいけると思いますが、町の人はそんなことは関係ないので、理解しようとしません。これだけ菜の花ができるのに、また出来るだろうと思っているんです。
やってるほうはホントにだめなんです。実は、土地としては最高の土地なんです。ヘドロの粘土質なんです。有機質が30%も含んでるんです。
昨日一昨日に入った植物の堆積ではないんです。一年に3ミリしか堆積しないヘドロなんだそうです。それが40bの深さがあるんです。ものすごく肥沃なんです。
菜の花だけでなく、稲もちょっと肥料をやりすぎるともう、ばったり倒れてしまう。
村の人たちは土地の肥沃さをもてあまして、うまく利用できないでいると私は思っています。
学者にいわせると、この土地だったら生トンで一トンぐらいとれますよといいます。一トンというと16俵ですからね。それぐらいとれる可能性を持っています。
土地の話しが続きますが、私共の4次入植者で、柏さんという人がいます。この人は東北大学の農学部を出て、入植されたんです。入植してから大学院に入られて博士課程を終えられて土壌学の博士です。その人がいうのは、ここは世界で類を見ない土地だというんです。
日本ではナンバーワンで、こんな良い土地はないと思いますね。要するに羊羹みたいな土地ですから、上の乾いたところに作っている訳ですから、下はずぶずぶなんです。それが酸化して、どれだけ稲がとれるようになるか、まだ入植者は誰もやってません。
一に排水、二に排水。うちの村の農業を決めるのは、排水意外ないです。暗渠(あんきょ)排水。排水を徹底的にやって、水の酸素の供給を図るというのが一番、望まれることです。
うまくやれば最高の土地です。
日本でここ以外に専業農家でやれる所はないと皆、思っています。私もそう思っています。
ですから菜の花ぐらいは簡単なんですが、連作障害にはどうしようもありません。
重機を使って、深く掘り起こしたらどうかといいますが、酸化していない黒い土に作付けしてもやっぱり、有効に作用しません。土の力がうまく発揮できないんですね。
今、作付けしている所はヘドロがまだ下にあるんです。道路を調整する為に砂をまいて、その上に盛土しています。ベースは砂なんです。砂とヘドロを混ぜた所を起こしているもんですから、やはりなお地力が落ちているんです。砂が入っていますから、地力が落ちていると思います。
地力を回復するのに、下を深く掘り起こしてやれば、40bあるもんですから、まさに宝の山なんです。だからそれを上手に使えれば、全国でナンバーワンの農家がでます。可能性としては十分にあると思います。
今又、干拓した新しい土地で客土してやるとそこはそこで素晴らしいものになりますが、かなり金がかかるんです。
それで、新しい技術として、土壌改良材とか、木炭の粉とか、そんなたぐいのものを農協から提案されたんで、客土を用意してたんですが、菜の花のメーン会場だけは連作障害があっても何とか咲かせないといけないので、至上命題があるもんですから、それをやらないと話しになりません。そこだけは客土してやろうと考えたんですが、農協の職員が、客土よりまだいい方法があるというので、今、その話しを詰めている状況です。
ですから来年は多分、今年より悪い所はないと思います。
これでも努力はしているんです。
一昨年ですが、日本の香り百選に秋田県では能代の風の松原と、小坂町の後楽館の前のアカシア、それとうちの村が三つ、選ばれて認定されたんですね。
そんな訳で菜の花街道はどうしてもやめる訳にはいかなくなりました。(笑い)
続けてくれと村長もそういうし。これ、やらんとなんともならんなあと思っています。
連作障害だけ克服できれば、かなりいいところにいけると思います。
今、菜の花街道は、船越の排水場から村の所まで約14キロの所まであります。片側に作付けしています。それから南北線と八郎潟町まで結んだ線の間、そこは両サイドをやってますから、40キロを作っていることになります。相当やっているんですが、トラクターでやってますから、なんも苦になりません。
物を運ぶにしても道路沿いですから、手がかからんですね。
肥料をやるにしても軽トラの上からずーっと走ってやるんですから(笑い)。
種を買って、収穫して種を取ってやってます。
9月の上旬に、トラクターで種まきをして、40キロあっても一日で出来ますよ。苦にならんですよ。
三カ所もやると春になって見事なもんです。
今はローテーションを組んで、休む所もあります。そうすると町から来た人は何で休むんだというんです。あんな良い花を何で休むんだというんですが、サボってるんじゃないんですよ。(笑い)いちいち説明できんもんですから。(笑い)
何とか、連作障害を克服してやっていかなければならんと思って、耕心会の仲間と菜の花の作付けを続けていこうと思っております。
今、片側に由利の花を作付けしていまして、今ちょうど真っ盛りなんです。ユリは見事ですなあ。カメラマンもいっぱい来て写真を撮っていきます。
最後はカサブランカが咲きます。なるべく時間を作って見に来てください。
特養ホームの横にラベンダーを植えています。今、咲いてきました。ラベンダーも綺麗ですよ。よかったら摘んでいってください。勝手に摘んでも構いませんので、ドライフラワーにしたら匂いがいいもんです。
今んところは菜の花と、ラベンダーの花の管理を耕心会でしております。10年間、続けてきましたが、これからも花の大潟村の地域づくりをつづけていきたいと考えております。 (拍手)
呑 風 日 誌 抄
6月1日(水)フジオートの佐藤幸雄社長から、東海林太郎音楽館用のパーティション等を県庁地下から運んでもらう。
2日(木)千秋公園あやめだんご。ストリートミュージシャンの及川知宣ライブ。日赤の橋本誠ご夫妻他6人出席。及川さん、昼、日赤病院での慰問活動も大好評でCDが大分売れたという。グランドピアノでオリジナル2曲演奏。
3日(金)日の出運輸企業。嶋田社長とバイオマス調査事業の相談。港再生のための「食いしん坊共和国」の話しも面白い。
4日(土)秋田市向浜・4面グランドにて五〇〇歳野球試合。
第二試合の東部クラブで代打。中前安打で打点1。午後、アトリオンにて水墨画家、帰国35周年の卓吾展へ。画集を作成された森川恒氏、駅前久保田の湯川隆さん、卓吾氏と駅前迎賓館で祝賀会。
5日(日)早朝・雄物川河口。恒例の勝平浜クリーン&プラント作戦。渡辺哲夫監督と森川氏と男三人で寂しくゴミ拾ってダッタン蕎麦の種を河口に蒔く。
午後、佐々木敬助氏と河辺のへそ神社に参拝後、へそ公園の舞台で挨拶していた木村友勝県議が、このへそ公園の仕掛け人がそこにいる佐々木さんだと紹介されてしまう。敬助氏、鈴木憲一氏とへそラーメン大食い競争に参加しようと並んだが締め切り。
6日(月)山形キャッスルホテル。河北新報・山形支局の原口靖志記者を誘い、「おか」にて一献、赤鬼ラーメンという怪しげでないラーメンでも一献。
7日(火)仙台。東北経済産業局へ。プラネットフォーまちづくり機構の中村良三氏、木名瀬敏正氏とバイオマス等未活用エネルギー事業調査事業の申請。木名瀬さんから相澤製作所に案内され、料亭・松竹膳処にて阿部常務、医学博士の靖先生と良き時旨酒。
8日(水)大潟村の黒瀬村長から電話依頼。菜の花街道が連作で駄目になった場所に白い花の咲く蕎麦の種を北海道の安田農場にお願い。一ヶ月で咲くという。
9日(木)人間ドック。保健センターにて。何故か全く異常なし。
11日(土)朝、西目町・石の勘左エ門の高橋正氏と遊佐採石の佐藤毅社長へ。瀬島龍三・花と緑の農芸財団会長の詩碑の為に提供された鳥海石が活用されなかったお詫び。佐藤社長、了承されて仙台の自衛隊基地内霊園に提供された鳥海石の話を伺う。
石にも人にも品格がある話。
秋田市旭北コミュニティセンターへ。NPO秋田活性化協議会の総会。理事を承諾。夕方、潟上市のむつみグリーンサムへ。むつみ造園土木の品格ある杉村文夫専務から中国の西安柿を見せてもらう。環境のいい所で順調に育っている。
12日(日)能代市桧山・多寶院にて渡邊斧松150回忌法要と記念シンポ(楽生会主催)へ。斧松に学ぶまちづくり。
13日(月)能代市・延命寺。東雲飛行場慰霊祭(東雲飛行場奉賛会主催)。「国の鎮め」と「消灯ラッパ」を吹く。館岡梨花さんが能の「松風」を奉納された。
武田安一氏からここで訓練後、沖縄で戦死した飛行士の戦友にまつわる世にも不思議な物語を聞く。
「天かける防人の士魂 雲の峰」
泰耕
山本総合組合病院に斉藤進さんを見舞う。ダッタン蕎麦の話。すぐに退院とのことで安心。
16日(木)さとみ温泉。第19回スミレ会。田口榮一さんのご依頼いで満州第209部隊戦友会にて、「国の鎮め」を総会で、懇親会で「起床ラッパ」「君が代」「消灯ラッパ」を吹く。スミレ会という戦友会も来年で最後になりそう。
18日(土)秋田市蛭根の角繁轄H場へ。渡邊光社長から解体保存されていた東海林太郎生家の玄関先を見せてもらう。小南工務店の小南昭二郎会長と。東海林太郎音楽館に我が信頼する小南会長から復元して頂くことになった。
19日(日)夕方、カミさんと秋田駅の改札口から東海林太郎音楽館設置予定地の榮太楼菓子舗大町本店まで歩く。ゆっくりで18分。
21日(火)東京ガスを定年退職する学友の板倉義郎が来秋。榮太楼旅館で一献後、秋田市東口アルヴェへ。ストリートミュージシャンの及川知宣さんを激励し、梅安亭へ。後輩の畠山文夫さんの店。彼から内橋克人著「節度の経済学」を勧められる。静岡の悪友・大村勝也に「板倉と飲んでるぞ」と電話。「秋田の煙くさい漬け物を送って寄こせ」という。イブリガッコのこと。
22日(水)東京新宿・末広亭。立ち見とは珍しい。薩摩おごじょにて、学友・若林正彦と毎日新聞の三木賢治解説委員。後で作詞家の東海林良さん。良さん、浅草に東海林太郎のブロンズ像があって、唄い神として祀られていると言う。
23日(木)新宿・中村屋。東海林良さんに作家小田豊二を紹介。
同年同士の小田がいう。、「彼は過激だが眼が綺麗だから本物だよ」西武新宿線に乗り、新井薬師駅の東海林玉樹氏宅へ。息子の光樹氏も同席され、秋田で東海林太郎音楽館設立に協力をお願い。
目白のプラネットフォーまちづくり推進機構へ。「石油を使わない発熱体を開発する会」の話。
24日(金)秋田ふるさと塾。講師は矢久保英吾氏。「米と水と乾田直播き農法」環境問題にも取り組む農業人矢久保さんを尊敬する。
25日(土)県民会館にて大正琴連盟結成記念コンサート。イヤタカで懇親会。連盟結成は花かげ会の佐々木嶺松会長の謙虚なお人柄の賜でまとまったもの。
メロンのお礼に宮崎の佐土原町長の戸敷正氏へ電話。宮崎市と合併し、市長の子分になるが喧嘩できるように佐土原町民の代表として条例でうちだけ区長選挙をすることにしたという。立派で偉い。
26日(日)本荘グランドホテル。書道家佐々木青洋先生の葬儀へ。青洋先生には随分と我が儘を聞いてもらった。頭が上がらない。涙。 心からお悔やみ申し上げます。