ふるさと呑風便   NO,193    05・5   
   西安柿
 
 今春、八郎湖の南側にある平成の大合併で潟上市となった旧天王町の追分駅。その東側に広大なむつみグリーンサムガーデンがある。
 その一画、黒松林の中に二つの黒御影の石碑が並んで建っている。

 かけた情は水に流し
 受けた恩は石に刻め

 人は生まれによって尊からず
 行いによって尊し

 石碑の裏側には「舞踏家武原はん女史が心に残る言葉として信州塩田平を一望するお寺にあった碑文・・
 平成十二年六月十四日
  施主 むつみグループ」とある。

 私は手帳のメモ欄に、気に入った言葉を書き連ねているが、前述の碑文と同じような言葉を書いていた。
 授けた情は水に流せ
 受けた情(恩)は石に刻め
          (中国故事)
 最近の中国での過激な反日デモ。北京の大使館や上海の領事館へ押しかけ、テレビニュースでとらえた石やペットボトルを投げつける若者達の姿が脳裏に刻まれている。
 彼らの行動は言論出版の自由のない中国共産党独裁国家のやらせには違いないが、あれで衝撃をうけたのは、中国とは友好的な関係にあると感じていた多くの日本人、特に日中友好運動を続けて来た人達だろう。
 毎日新聞4月16日付の記事にもええっと驚いたことだろう。
「大分県山香町の夫妻が02年、身元を引受けていた中国人留学生らに殺傷された。大分地裁の判決で、中国籍の元留学生(26)に対し、「被害者に恩を仇で返し、厳しい非難を免れないが、関与が従属的だった」として懲役14年の刑を言い渡された」     
 二十年ほど前、秋田で学ぶ中国人留学生は十数人足らずだった。
 秋田地区日中友好協会事務局長として、彼らが日本を、秋田を好きになって帰ってもらおうと日中友好里親事業を考えた。
 私は田奇という西安出身の秋田大学留学生の身元保証人になり、彼の里親というより、里兄だった。
 協会の理事だった佐藤孝之助さんには今、里子が7人もいる。
 一昨年、里子の一人が審陽にある中国医科大学の教授となり、お世話になった留学生のお父さんへと、医科大学学長名で感謝状を送ってきた。
 孝之助さんは留学生達に、恩をきせたつもりはさらさらないのに。

 武原はんさんが、むつみグループの方がなぜ、恩は石に刻めの言葉が心に残るのだろうか。
 日本にだって昔から、「かけた情は石に刻み、受けた恩は水に流す」人間がいかに多かったか、だろう。
 君主論を著したマキャベリの言葉も手帳に、こう書いていた。
「人間とは恩を忘れやすく、移り気で偽善的であり、危険に際しては臆病で、利にのぞんでは貪欲である」
 
 去年の十一月末。元中国人留学生・田奇君が八年ぶりに秋田に帰ってきた。それまで彼は中国から一本の手紙もよこさず、電話で高価な日本の参考書を送ってくれとねだる。
 可愛い弟分に本を送った代わりではないが、秋田の地域づくりに役立てたいから、西安の柿の種を送ってくれと手紙で頼んだことがあった。 が、当方はすっかり忘れていた。 西安の長安大学教授となって秋田に戻ってきた夕方、自宅に電話がかかってきて、会いたいという。
 彼の待つ那波商店へ行ってみると、深い情をかけてくれた那波宗久社長と田奇君の笑顔があった。
 彼は私の手を痛くなるほど強く握っていう。「先生から頼まれたものを持ってきました」
 トランクが開けられ、新聞紙にくるまれた柿の苗木が二本、現れた。

 冬の間、那波商店で預かってもらった二本の西安柿は、葉をつけて育った。専門家に預けた方がいいと思い浮かんだ場所が、恩は石に刻めの石碑のある「むつみグリーンサムガーデン」
 この春、柿の木の移植が出来る頃。
 グリーンサムガーデンにおられる庭師の横綱・むつみ造園土木の杉村文夫専務に西安柿を託した。
 二本の西安柿が、大きくなって増え、秋田の各地で西安柿が名産となったら、柿の木の下に恩返しの木だと石碑が建つかも知れない。
 いや、それは期待しまい。
 戦前に首相を務めた犬養木堂がいい人生訓を遺している。
「人の世話をしろ、人の世話になるな。人の世話をしても恩にきせるな」
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成15年6月19日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★「グローバル化時代における地域文化とまちづくり(3)
★ 中村良三氏(プラネットフォーまちづくり推進機構)

 3点目に、当然、情報発信とイメージ戦略、これは2番とセットでやっていかなくちゃいけない。
 4点目に先ほどの短期滞在で客単価が落ちているという問題に対しては、観光で長期に滞在できる旅の目的地になるためのメニュー、サービスをどう提供していくかということを考えなくてはいけない。本部町にしかできない、本部だからこそできること。
 これを秋田と置き換えてもいいと思います。
 この地域にしか味わえない味、人とのふれあいとか、そういうものをどうつくっていくか。それを味わいやすいメニューとかサービスの中に反映させる。もしくはリピーターになってくれる人を育てる人の交流、ホスピタリティ、そして体験。体験は非常に大きな観光のテーマです。
 これをどうやってつくるかということを話し合いました。
 何をやったかというと、まずは、地域資源の再評価をしようということです。自然資源、観光資源、産業関連資源、こういう視点で、今、本部にあるものは何かということを役所の担当者、観光協会の方々などから聞きながら、ピックアップして、それを地図の上に落としました。
 観光振興に寄与する。産業の振興に寄与する。雇用機会をつくる。住民の生活が良くなる支援サービスに繋がる。こういう視点で評価します。地図が2枚あるんですが、緑のマークが自然資源、青の三角のマークが観光資源、これが本部町の中のどういう場所にあるかと、改めて地図に落としてみると、本部というところは面白い所だとわかりました。
 八重岳という標高六百bぐらいの山に、日本で一番早く咲く桜があります。一月の下旬に花見ができる、緋寒桜というピンク色の綺麗な桜、これが咲く山があります。これが山の資源。
 海は、かつお漁港がある。本部町には渡久地港というかつお漁港があり、海洋博公園があります。
 ここに至るまで、海沿いにビーチがあったりゴルフクラブが出来ています。 こちらの方では珍しいカルスト台地があります。鍾乳洞ができて有名ですけど、こういう資源があることもわかってきました。
 一方、自然資源に対して、地図で赤い四角で囲った食の資源。食べ物です。星形のオレンジ色が地域産業に関連する活性化の資源。
 食というのは観光の上でも大事でして、「人」と「食べ物」はリピーターを呼びます。「あの人に会いたいからあの地域に行く」というのは、同じ地域に繰り返し訪れる大きな動機です。「この時期になるとあれが食べられる」という旬の食べ物。「あの店のあれがもう一度食べたい」。これは、とても綺麗な景色より、具体的で身体が欲するものですから、リピーターを呼ぶには有効です。
 そんな訳で、本部町の食を追ってみたら、結構あるんですね。海の幸、山の幸が揃っています。
 特に岸本食堂というソバやさんが沖縄本島の中で比べても本当に美味しくて、わざわざ八〇キロ先から車を飛ばして、ソバを食べにくるという店があります。
 丘の上の喫茶店があって、ここから見た青い海の景色が非常に綺麗です。これが評判を呼んで、そこに観光客が沢山訪れています。
 それから生食できる果実のアセローラが採れ、高値で取引されています。これでつくったジュースも地元にあります。
 パインも元々ありますし、タンカンというミカン、十種類ものミカンのもぎ取り園があって、春先の楽しみとなっています。
 それから美味しい黒糖を作っている職人さんが残っていたり、岸本食堂のソバ、あらがきぜんざい、沖縄ぜんざいとは大粒の豆のあずきが入ったカキ氷です。そして綺麗なピンク色のラベルの“やえさくら”という銘柄の泡盛もあります。
 それから、防風林、屋敷林に使われるフクギという常緑のものすごく堅い木の林。これがムラの街路樹として残っています。
こういう山の幸、海の幸がものすごく沢山あることがわかった。地元の方々も驚いたぐらいです。
 そこでこれらを使ってウエルネスのまちづくりを行っていこうというのが、私共が出させて頂いたコンセプトと概念図です。
 新しい時代やニーズに対応して地域全体が新しく生まれ変わるぐらいの気持ちでやっていくことが大事だと提案しました。
 そこで、ウエルネスという新しい町の魅力を発信していこうという思いを込めて、「リ・ボーン(RE・BORN)、生まれ変わり」というコンセプトを設定し、テーマを「ウエルネスのまちづくり」としました。 ウエルネス市場とあえて書いたのは経済の活性化を含めた取組みんを行っていこうという考えからです。
 よくいわれるウエルネスというのは、厚生労働省の概念でも「心の健康、身体の健康」、この二つはよく言われます。心身の健康ですね。これに対して私共は、五つの健康という視点を掲げました。
 一つは地域の健康。これは何かといいますと、例えば人間関係であったり、町で会ったら普段挨拶をする、町が綺麗に掃除されているとか、地域のコミュニティ自体が健全に保たれた住みやすい環境になっていること。
 もう一つは自然の健康です。
 川や海が汚れていたり、そういう自然が破壊されるような地域ではウエルネスは実現できない状況です。地域の自然環境も健康な状態で初めて心の健康、身体の健康が養われる。
一方、産業の健康という視点をいれました。これは何かというと、地域に相応しい産業が健全にあって、雇用が守られること。いかに地域が美しくて心が健康でも、仕事がなければ健康でいられないという現実があります。たとえば、地域の魅力を生かした観光産業で産業の健全さを保っていく。地域の内発的産業として、食の資源を活用して、医食同源、これは沖縄の大きな特徴なんですが、健康な食べ物から健康を頂くという、医も食も同じ源であるという考え方ですが、これをすすめていく。 ウエルネス市場というものから色々なメリットを受けるという循環をつくることによって、初めてウエルネスのまちづくり、つまり健康な地域で過ごす健康な生活が実現でき、それを見た人が感動して、あの地域がすごくよかったよと旅の印象となって残り、口コミで人に伝わっていく。

 ウエルネスのまちづくりというのは何も観光振興だけでなく、一番重要なことは生活の基盤づくり、一人一人が安心して暮らせる、高齢者も安心して年をとって暮らしていける。子ども達も地域の中で、地域を愛して大きくなるという地域のあり方です。 これは私なりの「良い地域の定義」に対する考え方ですが、地域で生活している人が地域を愛して、長くここに住み続けたいと思う人が、そのとおり住んで幸せに過ごせるかどうかが重要です
 二つ目には観光産業自体を長期滞在型、参加体験型に変えていくことで、地域の魅力というものを発信しながら、地域の活性化に繋げていく。
 三つ目にそれらを含めた産業振興。本部町エリアの全体をトータルな商品としてとらえていく。
 四つ目に環境景観の形成。やはりゴミだらけとか、山肌がむきだしになっていることとかは印象が非常によくない。
 それと情報発信。ITと盛んにいわれた時期から、今や当然のインフラとして定着した感がありますが、お客様と本部町が直に繋がるというインフラをどうつくっていくかということも考えました。

 一方で重要なのは、まちを訪れた人々に対するホスピタリティですね。地域の人の生活が健康であれば、訪問者をもてなす余裕ができる。これが生活文化をとおした文化交流の促進です。これ自身が地域のコアになる健康づくりになっていきます。
 これを基盤として、いろいろな分野の取組みが重なり、効果をあげていくというストーリーです。例えば生産活動。農業や産業の高度化です。観光での長期滞在に結びつく魅力づくり。癒すという言葉が流行っていますが、健康増進の分野。人材育成を含めた健康産業や観光業の育成、などです。また、そのための情報発信のためにITも使っていく。中心市街地の活性化を含めた市街地の整備や商業の活性化。一方では教育文化だとか住居、住みやすさ、こういうものを含めて全部で、ウエルネスをテーマに総合的なまちづくりが行われます。
五つの健康を具体的に地域に生かして生活、保健、福祉、環境、健康管理、生産、研究、情報発信、販売システム、こういうものをトータルでまちづくりに繋げていく。
 これから先、重要なのは、どう実践に移していくかというアクションプログラムです。
 私共が提案したのは二つのプログラムです。一つは、海洋ウエルネス事業。地域の美しい海を活かした事業です。たとえば、ドルフィンセラピーといって、イルカと一緒に泳ぐことで自閉症の子ども達が心を開いてすごく社会性が出る。癒されることによってどんどん友達も出来た。 そういうセラピーが出来る湾をもったリゾートホテル。これは元々地元にあったホテルの設備を改造したものです。
 次に提案したのは農業です。地域の特産物を使って加工食品をつくって付加価値型商品を本部ブランドとして売り出していく。
 観光に来た人にはもぎとり園とか、農業体験をしてもらいながら、お土産にそういう商品を買って帰ってもらう。一方、インターネットで本部町ではこんな素晴らしい果物がとれるんだということをどんどん売り出していく。
 地元では、海の駅というショッピングセンターができていますが、観光客と地元の人とが、やりとりしながら買えるような環境をつくっていく。本部町はウエルネスのまちづくりの構想に沿って、手をうっています。
 今は海洋博の水族館が大量に人を集めてまして、地元もちょっと一息ついて安心してるところがあります。良いときにこそ、次の手をうっていかなくてはいけないので、頑張っていってほしいと思っています。(続く)
 呑 風 日 誌 抄
 4月1日(金)潟上市の追分駅近くにあるむつみグリーンサムガーデンへ。中国・西安市から元秋田大学留学生・田奇氏(長安大学教授)が持ってきてくれた柿の苗木二本。庭師の横綱・むつみ造園土木の杉村文夫専務に移植のお願い。地域づくりの西安柿として8年後が楽しみ。杉村専務、杉ゲリラ用の枝打ち器を実演された。
 土崎港の料理や「たつみ」元県議の野原辰美さんの店。観光の話。男鹿遊覧船の高桑賢二船長、ツバサ広業の舛屋政雄さんと。飛騨高山の山車の作成過程を映画化した「平成職人の挑戦」の上映の件。
 2日(土)秋田空港。9時10分着の飛行機でプラネットフォーまちづくり推進機構の佐藤利明氏、中村良三氏を出迎え。秋田港に停泊している遊漁船に高桑賢二船長と外海へ。船は順調。
 3日(日)秋田空港。小田全宏講師(NPO日本政策フロンティア理事長)の出迎え。ジョイナスにて第2回親学講演会。恩師・小林孝哉先生の挨拶。演題「親として陽転思考で生きる」。人生で起こる出来事をありのままに受けとめて感謝の心を抱きつつベストを尽くして生きる。そのためには1に笑顔、2相手の話をよく聞く。3プラスの言葉を伝える4お互いありがとうといえる社会。空港まで親学秋田の事務局長白井美樹先生と。小田講師に同じ出版社から出した学友・小田豊二の「書くための聞く技術」と拙書を進呈。
 7日(木)秋田県庁県民ホール。環日本海国際交流バレエ公演の鎌田久美子先生夫妻とジャパントラベルの照山純一社長とご夫妻が韓国行きの打ち合わせ。バレエ公演に韓国少年出演者の招聘の目的で18日に日本海を渡る計画。
 9日(土)本荘市・大越薬局の大越英雄氏からアリナミンVを買って、先輩の柳田弘市長事務所へ陣中見舞い。斉藤好三議長と懇談。
書家の佐々木青洋先生宅。由利町の木内忠一さん宅へ。瀬浪印刷の盟友。瀬浪晶さんから、薙刀の鑑定を依頼される。戊辰戦争で佐賀藩士が持ってきたものかもしれない。持ち主がわかったら佐賀にお返ししたいといわれる。
 榮太楼旅館にて、NPO東海林太郎伝承会設立総会。10人の役員候補が出席。それぞれに快諾。秋元辰二先生を理事長に選任。4月末まで、県に申請し、閲覧が二ヶ月間で認証が7月初め。
 10日(日)秋田市東通の温故堂へ。何時も仲良しの章製作所の林ご夫婦もおられる。岡田茂広さんから瀬浪氏の薙刀を鑑定してもらう。江戸時代の古いもの。武州・住猪廣道の作と考えられるとのこと。恐る恐る鑑定料はと聞くと、岡田さん、「三知夫さんの給料では払えないからいりません」
 11日(月)昼、榮太楼旅館。秋田まごころ委員会審査会。新野直吉先生、大友康二先生、工藤清一郎氏、滝廣明氏、石黒かほるさん、沼沢益子さんの6委員が出席。今年の秋田まごころ大賞は、昨年11月、新潟の地震被災地へ4万5千個のリンゴを送り、礼状が千通届いた平鹿町の美容師・渡邉保子さんに、満場一致で決定。
 15日(金)秋田市山王・菜花亭。役所の班の歓送迎会。千葉県芝山の花と緑の農芸財団の船津事務局長より電話。土井脩司氏花道人道伝承板の建立地は和い処の入口にと、当初使用予定の鳥海石の現場からの運送代は支払うとの事。
 16日(土)朝。男鹿市若美町福川。吉田典雄さんの5f田んぼ。吉永小百合さんに毎年、送っているあきたこまちを産する田んぼに、吉田氏と二人で、酵素入り肥料を蒔き、トラクターで田起し作業。
 17日(日)秋田県立美術館での華道苅安流苅安清栄家元の発表会。 秋田市文化会館。民謡小田島会25周年記念発表会。亡き徳旺氏の夫人純子さんの元氣なお姿がいい。
 18日(月)朝、新生由利本荘市長に当選された柳田弘先輩から電話。感慨深い。夜、イヤタカにて未来研究会主催の講演会。「古代米と酒米」講師が県醸造試験場長の高橋仁さん。ALDH(酒を飲んでも顔が赤くならない率)が秋田県が一位とのこと。懇親会では北嶋昭宮司親子を除き、私を含めてほとんど顔が赤い。
 22日(金)川反塾舎。秋田ふるさと塾。講師は秋田県ボランティア活動の草分け菅原雄一郎さん。演題が「NPOの嵐」。NPOの大事なことは「誰の為に何をやるか」サービスの保障のシステム化。
 23日(土)秋田空港近くの奥山農園へ。ゴルフ場で働いていた関勝則さんから軽トラックで案内してもらう。後に礼状。和久建設の奥山直己さんから農場を案内してもらう。ここを使ってくださいと言われる。誰のために何をやるか。
 24日(日)榮太楼旅館。第7回秋田まごころ大賞授賞式。受賞者は平鹿町の渡邉保子さん。父のりんご園を嗣ぎ、十郎リンゴとして新潟被災地へ四万五千個のリンゴを送られた。彼女の応援団も駆けつけ40人程出席。司会をちょっと抜け、毎日新聞の百武記者から送ってもらい彌高神社大祭の御神輿の途中、陸軍第十七連隊記念碑前で神事。海ゆかばをラッパで吹奏。
 榮太楼に戻り、授賞式終了後、ハワイから出席された第4回受賞者の足利緋寿さんを河辺町の本家にお送りする。彼女が考え出したチューリップ賞を話がいい。
 27日(水)千秋公園・あやめ団子。もも太郎の会。つぼみ見。
 29日(金)秋田市・総社神社境内。ツバサ広業主催の第14回特別攻撃隊招魂祭。黙祷の間、国の鎮めを吹奏。ふきみ会館。講演が最後の特攻教官・田形竹尾氏の「誇りある日本へ」懇親会で向席が高校先輩の須藤文世氏。シベリア抑留体験を伺う。秋田県抑留死亡者1282名の資料を届ける約束。