ふるさと呑風便   NO 190   05.2

   プーケットの床屋さん

 海外旅行に出ると必ず床屋さんへ行くことにしている。

 その訳1。
 学生時代。昭和42年の夏。キューバに一ヶ月滞在した。
 髪の毛が伸びたので、カマグエイという町の、とある床屋さんに入った。
 初老の床屋さんだった。キューバ人にしては無愛想。椅子に座らされて、「ポルファボール コルト」(短くしてください)というと、電気バリカンで後頭部からいきなりガガガーとやられてしまう。
「ちょっと待って待って」といっても後の祭り。前髪をちょと残した丸坊主にされてしまった。
 そこで、今度、外国旅行をした際は床屋さんでちゃんと髪を切ってもらって、名誉挽回を図ろうと決意した次第。

 その訳2。
 レニングラード。(現サンクトペテルブルグ)昭和54年の夏だった。美しい街のレニングラードホテルの中に床屋さんがあった。ブロンドの理髪師が見えた。
 椅子に座って、手真似で「少しチョキチョキして」とやったつもり。それが解ったのか、美人理髪師はバリカンを持ってこなかった。 
 安心して、余裕ができたので彼女にモスクワをどう思うと聞いたら、レニングラードが一番よとモスクワの悪口を言い始めた、ようだった。
 なるほど、外国旅行で床屋さんに入ると、その国の庶民と接することができるいい機会だなあと思った。

 その訳3。
 昭和59年の冬。中国・上海。まだ、中国はまだ人民服の頃だった。 
 南京通りを歩いていたら看板を見つけた。上海人民理髪店とある。迷わず入った。
 店の右側が理髪。左側に美容の椅子が並んでいる。 
 右側の椅子に座ったら若い床屋さんがニコニコ顔できた。白衣の胸に十八番と刺繍されている。エースナンバーだから上手なんだとうと勝手に誤解する。
 彼はバリカンなど使わす、はさみで巧みにチョキチョキ。驚いたことに石けんをあてがわないで髭を剃る。上海カットができあがりだ。記念にと彼と一緒の写真をとった。18番の理髪師の名前は陳有良といった。
 今年も上海の彼から年賀状が届いた。なるほど、外国へ行って床屋さんと親しくなると、草の根の国際交流になるなと思った。

 その後の平成7年冬。
 イタリア・ローマの床屋さんに入って、マリオと親しくなった。
 マリオ。そう、名画「ローマの休日」でヘプパーンをセシールカットした美容師と同じ名前だった。
 ローマカットしてもらった翌日。店の前を通ると、陽気なイタリア人理髪師はお客の散髪を止めて、ハサミを持った右手をあげて私の名を呼んだ。

 平成11年の冬。
 タイのリゾート・プーケットに旅した。
 パタンビーチに近い裏通りの理髪店に入った。夜8時過ぎだったが、若い女の床屋さんが一人。タイ語はさっぱりわからないので、手真似で少し短くしてくださいとやった。上手に散髪してもらい、髪を洗うのは別の場所だった。
 タイの女性理髪師からプーケットカットをしてもらって、写真を撮って後で送った。彼女から返事がなかったので、残念ながら国際交流はない。
 
 平成16年の冬。秋田駅前・アゴラ広場。阪神淡路大震災の記念日に、秋田ボランティア協会(菅原雄一郎会長)の募金活動を手伝った。雪が舞って肌寒く、手が凍える。そんな中、菅原会長の小学生のお嬢さんとその友達が二人、明るく元気な声で、
「新潟中越地震、スマトラ沖大地震の被災者にご協力くださーい」
 当方は首に募金箱をぶら下げ、気恥ずかしいが、プーケットの床屋さんは無事だろうかと案じながら「お願いしまーす」
 短い時間だったが、募金箱には五百円玉の他に野口英世の新札を含め千円札が3枚も入った。 
 秋田の人は心が広く、優しい。
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成15年9月19日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★「まごころマネーでまちおこし」
★ 武藤英明氏(NPO法人
 あきた地域通貨協議会代表)

まごころマネーって何?
 まごころマネーって みんなが幸せになるおカネで
 す。みんなに役だってもらっ て社会や地球環境も良くなる おカネです。

地域通貨「まごころマネー」 は国が発行・管理する法定通貨の「おカネ」ではなく、市民による市民のためのおカネ(道具)です。つまり「まごころマネー」はおカネではなく「まちづくりのツール」です。「まごころマネー」は地域の温かい支え合いを取り戻し、地域社会のニーズに応えるネットワークを構築しながら、地域の新しい可能性を探ります。
■まごころマネーで何をするの?
グローバル経済が進行する中で、秋田に限らず日本の地方が少なからずとも影響を受け、中央が膨れあがり地方が衰退していくといった傾向が見られます。その結果、地方のみならず中央までが混乱をおこし、地方の再生を求める声が高くなってまいりました。
 その地域の再生のためには、うすれゆく地域コミュニティを復活させて「地産地消」をすすめ、地域循環型社会を築くことが大切かと思います。
 その具体的な方法として地域通貨があります。2002年6月に地域通貨「まごころマネー」を発行しましたが、「まごころマネー」の流通によって生活に密着した情報の循環が地域住民に活力と潤いを与え、地域経済の建て直しと「おもいやり」「やさしさ」「まごころ」といった人間の精神的な部分を支えると考えています。「まごころマネー」を使うということは、地域の環境や文化、モノや産業 をきちんと評価し、誇りを持ち、それを守るという意識の再生でもあります。
 地域通貨「まごころマネー」は、今まで賃金を得る対象にはなっていなかった仕事やサービスも対象になります。たとえば犬の散歩や花の水やり買い物や話し相手など誰でも簡単に出来ることもその対象です。市場では成り立ちにくいモノや情報の価値を支えていく道具として活用します。
そして、これまで中央から一 方通行で流されたきた情報を自分たちの地元で発信していきます。マスコミではなく、生産者、生活者自身が発信するメディアリテラシー(小さなメディア)です。生産者、生活者が自ら発信することによってお互いの親近感や信頼感を取り戻 し、うすれつつある地域のコミュニティを取り戻し、持続可能なコミュニティを築き上げていきたいと思います。
 地域再生を目的とした「まごころマネー」の普及にはITが効果を発揮すると思いますが、現在の課題として、秋田県はITの普及率が全国平均を下回っていることです。今、高齢化社会に突入しようとしている秋田県は高齢化がもたらす様々な問題があります。IT普及は高齢世帯は必要であり、地域通貨の発行とともにITの使い方や指導もやっていきたいと考えています。

 秋田県で最初の地域通貨をやったのは、峰浜村です。手這坂という所で、菅江真澄がそこを桃源郷といい、その二文字をとって「桃源」という名前の地域通貨を使っています。
 古くなった茅葺き民家をどうやって再生していくかというので、役場で頭を悩ませた結果、秋田県立大学の先生と相談したら、地域通貨をやったらというのがきっかけです。
 去年の3月頃から始めています。茅葺き屋根を再生するというので、大学の先生と学生達も喜んでいくので結構、地域通貨の流通があるみたいです。
 手這坂の再生にボランティアに一日行くと、500桃源貰えます。ただ貯まっていくだけでそれを使うところがないので、年に数回イベントをやって地域通貨を使えるようにしたんですが、今はポンポコ山でも使えるようになったようです。
 どこの役所でも、どうやって地域おこしをやったらいいかと苦労しているみたいです。
 その一環として地域通貨をやっている訳です。
 
地域通貨の始まりというのは結構古いんです。
 第二次世界大戦前に大不況がありまして、その頃にオーストリア・チロルのヴェルグルで町役場が発行したのが地域通貨の始まりです。
 そこの地域がそれで潤ったとの事で世界的に地域通貨が広まったんですが、あまりうまく行き過ぎて、法定通貨が使えなくなるというので国の方がストップをかけて使えなくなったという経過があります。
 ここ最近、1990年代に入って、また地域通貨というのが見直されてきまして、アメリカでも復活しております。

 日本の地域通貨の場合は1999年、NHKのBSで「エンゲの遺言」が放映されたんです。童話作家のミファエル・エンゲが今の今のオカネはおかしい、経済性ばかり求めていると。
 例えば銀行から1万円借りると利子がかかります。結局、経済活動をやっていかないと経済が維持できない。利息がつく故に今の経済が50年ぐらいすると崩壊するであろうと。
 それでやはり今の経済システムがおかしいと、そういう意味で地域通貨が見直されてきました。
 地域通貨というのは利息がつかないし、百円借りたら百円返せばいいし、1万円借りたら1万円返せばいいといった地域通貨が、NHKのエンゲの遺言を見てから日本中に広がりました。
 二百から三百ぐらい日本中に地域通貨が広がりました。
 遅ればせながら、私共も去年の9月頃から秋田で普及させようとのまごころマネイという地域通貨を始めました。
 今日、持ってきましたが、ほんとにこれを普及させるのは難しいんです。今の経済システムに疑問をもっている方というのは地域通貨を使って地域を活性化させていこうという努力をしているようです。

 うちにもそんなに会員数はいないんですが、三十人ぐらいおります。それでほそぼそとやっています。
 最初、このまごころマネイを普及させようと秋田市山王地区の商店を廻ってみました。
 ですが、地域通貨という概念が全然ないもんですから、話しにならないので廻るのをやめました。ただ、ボランティア活動をやっている方は、地域通貨に知識と理解があるんですね。
 私もやってみようという人の参加を今、求めています。
 今一番、地域通貨を普及させようかと思うのは、日本経済がダメになって、地域もおかしくなって、中央街区の空洞化が進み商店街のシャッターが下ろされています。
 地域をよくするには、そこの地域住民が率先して自分たちがやる気を起こさないと地域は活性化しないんだと思います。
 行政まかせにしては絶対だめなんです。ですから隣近所の方々が地域をよくしようと、他力本願ではなくて、自分たちでやるという方向が一番いいのではないのかと思って、まごころマネイを勧めています。
 問題はあります。理屈では地域の活性化になると解っていても、実際の価値、形にならないと価値観を見いだせないといううか、人間関係が希薄になっていますが、でも何かしらやっていかなければ地方はおかしくなっていくのではないかということがあります。
 長くやっていれば、うちも地域通貨をやってみようかという人がでてきます。
 先月、大館の商工会議所から呼ばれまして、地域通貨の講演にいきました。行ってみてびっくりしたんですが、駅前周辺、シャッターが閉まっているんですね。商工会議所が動いたということは、それだけ大変な状況になっているんだなと思います。

 デザインの自分の仕事にしても良いときの3分の1ですね。厳しいときこそ、窮地に立たされた時に人の思いやり、まごころを自分で経験してみてわかりましたね。
 地域通貨をやるもう一つの理由として、地球環境をよくしようという意味合いが相当強い。 今、地球温暖化だとか、ゴミ処理だとかが問題になっています。実際、地球温暖化で南極の氷が溶け、島が沈んだとか聞きます。我々が思っている以上に深刻な問題だと思います。
 私は、地域通貨を始める前に環境問題に取り組んでいまして、地球村というNPOに関わってきました。
 地球村の高木会長をよんで環境問題の講演会をやって300人も集まってくるのですが、活動家が5,6人集まってやるだけで、なかなか市民運動までいかない。
 地球村の高木会長は、19世紀頃にまで戻して、地域循環型社会をつくっていこうということですが、そこまではなかなか難しいと思っています。
 ただ地域循環型社会を作っていくことによってエネルギー消費を抑えられるということがあるんです。
 日本の食料自給率はたったの40%です。地球の温暖化が進んで環境が悪化すると今まで採れていた作物が採れなくなることがあり得るんです。
 地方ではさすがに自給率を高めようとしていますが、地域循環型社会を作ることは自給率を高めることに繋がっていくと考えられます。
 自分たちで食べるものは自分たちで作っていかなければならないと思います。
 自分たちのことは自分たちで考えていこうということです。
 地域通貨というツールを使って地域を活性化、ないしは地域循環型の社会をつくっていくというのが、まごころマネイの本来の目的であります。
(武藤英明氏は昨年12月31日。ご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。合掌)
 呑 風 日 誌 抄
 12月23日(木)サンパル秋田にて映画「白神の夢」をひろめる会実行委員会。夕方。秋田駅前人情酒場「久保田」にてひろめる会の会長の蒔田明史氏(秋田県立大学助教授)、学生スフッフ達と一献。
 25日(土)カミさんの誕生日。中国・西安から田奇氏がやってきた。元秋田大学留学生で、彼の保証人だった。長安大学教授となり、秋田県立大学客員教授として。西安柿のお土産。これを特産化して地域づくりができる。
 30日(木)男鹿温泉郷。雪の中で旧男鹿プリンスホテルの調査。高橋解体工業の佐々木専務と田口義人氏。やっかいな代物あり。萬盛閣にて昼食。窓の外に見えるホテルは窓枠も外され、骸骨ホテルのよう。何とかしないといけない。
 1月元旦。彌高神社に家族4人で初詣。北嶋昭宮司の運転手して彌高泉神社へ。祭旦祭。
 3日(月)娘江津子と友達の厄払いに彌高神社に付き合う。
午後から大内町のポポロッコ。中学同期生の還暦祝い。神事の後、大広間で同級会。87人の同期のうち故人3人、出席が40人。担任だった佐々木秀三郎先生、佐々木勝敏先生を上座。右隣がみや子、左が幹子の元美少女。藤沢で美容院を経営しているみや子さんに吉永小百合のカレンダーを送ると約束。幹子さんは30年前、夫が亡くなった後、毎日新聞秋田支局の三木記者から「山の中学から。87人の軌跡」に書いてもらった。 仁賀保町社会福祉協議会のヘルパー採用試験の面接官がそれを知っていて7人が試験を受けたが彼女一人が合格。お陰様で子供を育てることが出来た。三木さんに感謝しているよろしくお伝え下さいと。三木賢治氏(現論説委員)のペンが一人の女性を救った。
 最後に万歳の音頭をとり、勢いで恩師の両佐々木先生のご健勝を祈ってフレーフレーとエール。
 10日(月)協和町・協和土建の茂木義次郎ご夫妻と榮太楼旅館。ねぶり流しで一献。奥様へ島倉千代子の魔法の水。裸づき合いをさせて頂いている茂木さんとトロン温泉で裸のつき合い。
 13日(木)秋田青年会議所信念例会。平安閣。今年のスローガンが「結なごう心の絆続けよう夢ある秋田のまちづくり」秋田バリアフリーネットワークの佐々木孝会長と「三味線茶屋すがわら」へ。夢あるまちづくりは、景観バリアフリーからと杉ゲリラと景観を害する道路沿いの廃屋調査、実践の話。3次会が駅前まで。
 14日(金)秋田駅前・城下町スタジオ。景観バリアの説明。県との協働事業を提案。
 15日(土)高橋解体工業の佐々木専務から、旧男鹿プリンスホテルの解体工事の見積書を頂く。
 秋田市文化会館。息子と「白神の夢」上映会へ。二時間余り。八森町の友人知人が随分出ている。八森のまちづくりの記録映画。
打ち上げが地ビールのあくら。小池監督の挨拶がいい。「人間ていいなあ。人間が最高の環境なんです」彼に男鹿をプロデュース。
 16日(日)朝。秋田駅前アゴラ広場。秋田ボランティア協会主催でテントに阪神淡路大震災慰霊の蝋燭立て。中越地震、スマトラ沖地震の募金運動の手伝い。菅原雄一郎会長にNPO設立の相談。
 18日(火)多賀城市の相澤製作所の木名瀬顧問、阿部常務と大潟村へ。あきたこまち生産者協会に有機性廃棄物処理機グリーンバイザーが設置された。
 4トン車がパンクし、本荘・由利タイヤに連絡をとり、お陰で秋田タイヤセンターでタイヤ交換。    20日(木)秋田文化会館。中越地震支援「鯉のいる村」映画上映会へ。モノクロの美しい映画。
 21日(金)秋田市大町・キャットウォークへ。ケーシーランキンライブ。フロリダ出身の若いバイオリニスト・マーチンとギターが大森悟君とトリオ。ケーシー後援会長の石黒薫さんや東北労働金庫の菅谷理一本部長、高桑賢治船長も応援に駆け付けてくれた。
 高桑船長の車で、ファンの佐藤直人君の案内で手形のラーメン店へ。ケーシー、テロリストは前はギャング、今はインサージェント(反乱分子)だという。
 23日(日)平安閣。秋田ユネスコ協会新年会。あきたNPOコアセンターの小西とも子さんのご招待。16ヵ国からの留学生達が集まる。毎年、この会で田口勇先生や小玉正一先輩、県教育委員の太田宥子さん達とも会えるのは嬉しい。
 25日(火)娘が骨折して女房が看病に上京。息子と二人やもめぐらしになる。県庁地下喫茶室で太田宥子さん紹介の渋谷明美さんが、少年の心を持ち続ける、大人の男の生活応援誌「エイジー」を2月に発刊予定、少年の心を持った秋田県経済。の若きリーダーで、体育会系で国際派の秋田商工会議所副会頭の三浦廣己氏を紹介。
 28日(金)ふるさと塾。川反塾舎にて講師は日景賢悟氏鰹H田活性化社長。大館出身の好青年。「これで秋田を活性化する」二次会がパブレディ。雷電ラーメン。
 29日(土)秋田聞き書き学会の事務局次長の笈川卓也さんが会報を作ってくれ、大江戸ラーメン。午後、秋田大学留学生会館で韓国留学生、金、奇、李君の3人を秋田市牛島のラーメン「たんぽぽ」に案内。キムチラーメンをご馳走。秋田駅前ニュータケヤにて第二回親学講演会の打合せ。恩師小林孝哉先生、白井美樹先生。4月3日、ジョイナスにて日本政策フロンティアの小田全宏代表の講演の件。 白井先生と川反・パブレディと雷電ラーメン。ラーメンディ。
 30日(日)秋田市土崎のチャレンジオフィイスへ。地域活性化推進協議会のNPO法人化。果たして世のため人のためになり得るか。