ふるさと呑風便    05.1    NO.189

    春荷素(しゅんかそ)

 東京の冬の空は青空が広がる。
 山手線に乗り、新大久保駅から新宿に向かう車窓から一瞬、富士山が見えた。
 学生時代。冬の晴れた日。二十歳の誕生日だった。中南米研究会の部室にいた。誕生日に何か思い出に残ることをしようと急に思い立った。「そうだ。尊敬する松村先生に会いに行こう」 
 武蔵野の面影が残る鷺宮の雑木林の中にある松村邸。着物姿の先生の写真を見たことがあった。
 西武新宿線・鷺宮駅で降り、歩いて雑木林を探す。雑木林はいくらでもあった。途方にくれた。
 1時間ほど探し歩いて、小さな門柱に「松村」と墨で書かれた木の表札を発見した。生け垣に囲まれた狭い道が奥に通じている。
 迷った。松村先生が居られたらどうしよう。何を話したらいいか準備していない。これでいいや引き返そう。心臓がドキドキと高鳴っている。30分も周りをウロウロして、当たって砕けろとその門の中へ進んでいった。
 玄関のブザーを押して、カラカラっと戸を開ける。出てこられたのは上品な女の方だった。
「父は今、熱川の別荘にいっていませんが若い人と話すのが好きですから、又いらしてくださいね」
 私は松村先生が不在なのに安堵し、その方の笑顔と優しい言葉に涙が出るほど嬉しかった。
 その御方は次女の小堀治子さんだったと後日わかった。
 大学4年の正月に訪ねた折、松村先生から日記の冒頭に「大風吹き起こって雲飛揚す」と書いて頂いた。漢の高祖が諸国を統一して故郷に帰ったら暗雲が立ちこめていた。そこに大風が吹き起こって暗雲を蹴散らしてしまったという意味だと教えて頂いた。
 君が故郷に帰ったらそういう人間になれと激励された。お菓子まで頂いてしまった。
 38年後。ふるさとに帰って毎年命日にお菓子を贈っている。暗雲が立ちこめていても、大風を吹きおこせるには力が遠く及ばない。
 
 象潟町小学校の体育館に「心」「廣」「體」「胖」と書かれた大きな扁額がある。昭和32年当時の松村謙三文部大臣の書で、四書五経の礼記にある、心広く体豊かにとの意味である。
 この話を11月25日に象潟シーサイドホテルで「地域づくりは親孝行」と題する講演の中で話した。
 二次会の会場でも扁額の話しをしたが、意外に知ってる人が少ない。象潟小学校のPTA役員をしている佐藤尚士さんについつい言ってしまった。
「松村先生の次女で中国の周恩来首相から娘のように可愛がられた小堀治子さんと親しくさせてもらっている。扁額の縁を生かして、松村先生が育ててこられた東洋蘭を頂いてくる。象潟小学校に寄贈してもらって、子供達に先生のことを知ってもらいたい」
 私は象潟の海で育てられた。
 小生の愛するふるさへ、人と花の心で親孝行をしたかった。

 平成16年12月1日。
 鷺宮の小堀治子さん宅を訪ねた。38年前と同じように笑顔で迎えてくれた。応接間のテーブルの上に大きな鉢植えの春蘭が置かれていた。小堀さんはいわれる。
「もっとおあげしたいんですけれど鉢植えで重いでしょうし、又来られた時に差し上げましょうね」
 その春蘭は日本の春蘭と違い、葉が細く、背も高い。立札に「春荷素」と書かれていた。
 小堀さんは父が書いた木札があるはずと紙箱を持ってこられた。
 箱が開けられると、木の表札が見えた。学生時代に見た心臓をドキっとさせられた表札だった。
 表札の他に、松村先生が筆で書かれた、縦10p程の木札が50個ほどもある。二人で春荷素を探した。なかなか見つからない。
 一個一個、他の木札を箱の外に置く。泰梅、白宗素、太原梅、金城素と書かれた木札が並べられた。あと数札しか残っていない。
 ないのかなあとあきらめかけたその時。あった。
 春荷素と書かれた木札。最後の二個の中に残っていた。
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成16年5月23日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★「チョウザメへの挑戦」
★ 石川善春氏
  (石川商事且ミ長)

 私は20代の頃からジーパン党でして、ジーパンをはいていると効率的に仕事ができるのでずっと愛用しています。
 これから又、仁別の養魚場に行って明日の準備、トラックにボンベ積みをしなければいけません。重いものですからこの格好で参りました。
 今日はチョウザメのお話をして欲しいとのことで、私の知っている限り、何でも応えたいと思います。
 チョウザメといっても色々な種類があります。
 日本で養殖しているのは、ベストといって真水でも生きられるチョウザメです。

 今から15年ぐらい前に内水面に新しい魚を広めようということで、色んな魚を国の施策でもって海外から卵を取り寄せて日本からの交換の形で魚の卵がいきましたが、チョウザメの他に、南米とチョコスロバキアからシロマス、ペレットといいます。非常に美味しい魚で、ヒラメと鯛と一緒に食べたような魚です。
 これは秋田県でも取り寄せてかなり熱心に試験場でも取り扱って私も養殖池を四面、無料でお貸しして養殖して経緯があります。もう一つの魚、ペヘーレ。
これはアルゼンチンから魚の王様という魚がきました。これも非常に美味しい。ちょうど日本のサヨリのような魚です。
 この三種類が日本に導入されました。三重県の国の機関で養殖を始めて、そして各県に要望をとってどの魚に挑戦するかとやった訳です。秋田県ではペレットという魚に取り組みました。 三重県の国の機関・養殖研究所ではチョウザメを盛んにやったんですが、なにせチョウザメの卵をとるまで、八年間かかるということで、どこの県も手をあげる県がなくて、最後には希望者に無償で差し上げるというところまできました。
 それで新日鉄釜石で場所か空いてるとのことで、プロジェクトチームを作ってチョウザメに取り組みました。
 山形県朝日村といって何でも好きな村があるんですよ。何でもやってみようという勇敢なところです。そこでもチョウザメをやったんですな。
 私の所にもシロマス、ペレットを欲しいといってトラックで買いに来てました。それも朝日村。山間地ですけど、非常に何でも積極的な所です。

 私はキャビアをとるチョウザメを旭川ダムに放流してみようかと思いましたが、あそこは取り上げるのに大変なんです。
 何万かを放流するにはダム湖が一番いいんです、広くて。
 チョウザメは肉食なんだけれども、ブラックバスみたいに生きている魚はあまり食べません。非常におとなしいです。捕まえて始めて暴れますが、腹をなでてやるとイルカみたいにじゃれたりして遊びます。 
 魚というのはみんな貪欲だけれども、このチョウザメだけは目の前にある餌だけしか食べません。ぐるっとひとまわりして又、パクッと食べるといった温厚な魚です。
 チョウザメが私の所に来て、今5年目になります。年賀状にキャビアの会に入ってくださいと書いてやって、一番反応があったのが佐々木三知夫さんでした。そろそろいいんじゃないかと。(笑い)いよいよ食べられるというと皆、反応するかもしれませんが(笑い)年会費もない会ですが、若い人から80歳代の方まで親しくしていますが、どれだけキャビアを食べる会に招待したらいいか。
 自分の所でやる時には、釜石に行ってこっそり買ってこなければいけないかもしれません。(爆笑)キャビアの会の名前がたらふくキャビアを食べる会といいます。せめてお椀にいっぱいぐらいのキャビアを一人で食べて、「食べたなあ」という感じを持ってもらいたいですね。

 今、私のところに20匹おります。魚体重の4分の一がキャビアといわれています。
 筑波で研究している人が、出荷にこぎ着けた写真ですが、最初はかなり失敗したようです。
 魚体重20キロに成長したらキャビアがとれます。値段が1キロ30万円です。
 今、5pのチョウザメが一匹五百円なんです。ちなみに鮎が10pで35円。イワナヤマメは3pから4pでイワナ13円50銭。ヤマメが12円50銭なんです。
 それから見るとチョウザメの500円というのは非常にいい値段です。でも育てる途中にはなかなか死なないんです。非常に強い、我慢強い魚です。酸素も鮎ヤマメイワナのように大量に使わない。酸素の含有率がちょっとあればいいという魚です。
 私の所で今、直径4bの円形の水槽に地下水を汲み上げて、冬は昭和町、ここは明治天皇御前水といって明治天皇が東北巡行の際に羽州街道を通られた時に飲まれた所から100b離れた所に私の養殖場があります。
 昔、明治天皇が飲んだ水なのできっと魚にもいいだろうと井戸を掘ったら最高にいい水がでました。ちなみにボーリングは業者が二本、私自身で5本掘りました。
 役所というのは皆さん覚えていて欲しいんですが、上水道の飲料水をとっているところがあるんです。昔、六郷町みたいにポコポコと至る所からわき水がでていた時もあったんです。一番大きい所は直径50pの穴があいていて盛り上がっていました。私が高校を上がる頃まだあったな。昔の人は偉いですね。大清水という地名をつけて。大清水、大御守、天神下というところが昭和町でもとびきり水のいい所でした。
 私の養殖場から直線コースで150bぐらいの所に昭和町の浄水場があるんです。昭和町、飯田川町、井川町の一部に水を売っているんです。それでもなんぼ汲み上げても地下水が5bに常時あります。
 私、秋田ボーリングから井戸二本で500万円に消費税25万円で掘ってもらったんです。
 3本掘る予定でしたが、時間がなくて翌年、もう一本掘ってくれといったら、ちょっと掘るわけにいかなくなったという。
ちょっと聞いたら遠い所から他のボーリング屋さんをつれてきて掘ってもらえという。考えてみたら町の浄水場に圧力をかけられていたんですね。
 ボーリング屋さんというのは地質調査をして、地下の何bいくと岩盤があるかやるでしょう。その指名業者から外すと役場から脅かされたらしいです。
 だったら自分で掘るという訳で続けて5本掘った。一本掘るのに人件費かけても20万かからないね。私、5本掘りましたよ。意地でも掘ってやろうと。
 話が脱線してしましましたが、頭をひねりましてね。フィッシュポンプといって、魚を池から池に移動させるポンプがあるんです。水をあげてここのぷくっとふくれた所を真空にして、魚と水をこっちから引っ張って送ってやります。傷をつけないで生きたまま。そのホースをちょっと長くして、上から水を入れて砂と水を一緒に汲み上げるという方法をとったんです。なんぼでも掘っていけるんです。吸い込みです。13bまで掘っていくと玉石があるんです。そこまでは全く出戸浜の砂と同じです。 昔、この砂が昭和町まで飛んできてできた砂です。もっと調べたらそこは大昔、十万か五万年ぐらい前、雄物川の河口だったんです。
 まあ、役所の脅しに勉強して掘ったんですが、今、一日何万トンものすごい水が上がっています。そこでチョウザメが冬、昭和町の地下水で、6月の下旬になると仁別にいきます。
 10月まで仁別で暮らして、いったりきたりします。で、成長を早めます。仁別だと水温が真冬に一度、もっと寒い時は零点五度まで下がるんです。チョウザメは餌を食べなくとも死ぬことはないんですが、餌を食わないから成長しないんです。
 チョウザメだけでは面白くないので、地下水をあげたついでにチョウザメを養って、そこへ網を張って冬の緑の野菜を食べようということで、クレソンをビニールハウスの中で、地下水が十二度4度あるので、なんぼでも育ちます。摘み取ると又出てくるんです。すごい勢力なんですよ。クレソンというのは肉の毒消しなんですよ。よく噛んでみると辛みがあるんです。
 クレソンというのはフランス語で原産地がオランダで、オランダ辛子というだけあって辛いんです。ステーキに必ずついてきます。スーパーでも今は売っていませんね。
 仁別の方にもありますが、今15pぐらいまで成長しています。身体にいいんですな。
 モンシロチョウが仁別の養魚場の周りに色んな草があるなかで、クレソンだけに卵を産み付けるんです。青虫がついてチョウチョウになって、秋になってから、寒さに強いからクレソンは雪が降るまで成長します。
 ニガウリも10年前から育てていますが、年々倍々と生産が上がっています。これは佐々木さんも一緒に食べたことがあるんですが、沖縄産です。
 苦くて堅いんですが夏ばてにいいんですよ。油で炒めて、味噌をいれてもおいしいんです。
 
 今、宇宙ステーションに水をあげている博士とつきあっています。無重力で、大根もゴボウも真っすぐに育つんですが、ニンジンはまっすぐにいかないで横に伸びるんだそうです。
 将来は宇宙で稲の種を蒔いて3が月で収穫できる水をつくるんだそうです。
 極端にいうとこの水だけでかなりに病気を治せると思います。
 長島さんも飲んでいるそうです。巨人に篠塚という選手がいましたか。その人の紹介なんだそうです。
 チョウザメからとんでもない話しにいきましたが、チョウザメは水とも関係ある。ボーリングも水と関係あります。だから、知識の一つとして頭の片隅において頂けたら幸いに思います。
 呑 風 日 誌 抄
11月22日(月)秋田市大町・居酒屋やまと。映画「白神の夢」の山下勉プロデューサー、小池征人監督、バウハウスの森川恒氏、白神の夢をひろめる会の小川博之君達と一献。川反・鳥八にて二次会。
 23日(火)午前、大内町芋川河川敷。秋田市大内会の畠山千代志会長、伊藤一幹事長、阿部一哉氏と桜の植樹。秋田市・パークホテルにて秋田市大内会総会兼瀧廣明氏の秋田県文化功労章の祝賀会。
 25日(日)象潟シーサイドホテル。羽州会にて「地域づくりは親孝行」と題して講演。冒頭に象潟小学校体育館にある松村謙三文部大臣の扁額「心廣體胖」の話をする。二次会で象潟小学校のPTA役員の佐藤尚士氏(秋田活性化竃員)に松村元文部大臣が育てられた中国の東洋蘭のことを話す。
 26日(金)ふるさと塾人間道場。今年は川反塾舎にて。講師は「ラグビーで秋田を元氣にします」とノーザンブレッツの新出靖史監督。フードプロデューサー赤沼秀夫氏の「秋田ビビンバ」煙火師鈴木務氏のちゃんちゃん焼きでスポーツと食の忘年会。 
 27日(土)広島市の武雄さんの依頼で、戊辰戦争での佐賀藩武雄兵の由利海岸沿いの戦場跡の調査に、郷土史家の伊勢玄三郎氏から戦場跡を地図に記入して頂く。
 29日(月)小田豊二流聞き書き講師の渡部紀代子さんと秋田市の山下儀一さん宅へ。四日市の娘さんから父の聞き書きをして本にして欲しいとの依頼。聞き書きを渡部さんにお願いすることになる。
 30日(火)今年の秋田まごころ大賞の受賞者ヘニー・サンダーさん(ニューヨーク在)へまごころ大賞の盾と鳥海山の3合目・霊峰の一画に植樹された故井上健吾・ヘニーサンダーの森の写真を送る。
 12月1日(水)上京。市ヶ谷の花の企画社へ秋田銘酒と秋田銘菓金萬を持参。昔の仲間、白石源次郎社長、久生実子さんと昼食。やはり花の企画社創立者で四谷のフラワータスクホースの細田光一氏と会い、目白へ。おでんやでプラネットフォーまちづくり推進機構の佐藤利明社長、奥様が象潟出身の松尾俊之顧問と一献。新宿歌舞伎町で学友・若林正彦へ福島で入院中の弟俊二君へと魔法の水を。
 2日(木)西武新宿線下井草駅から松村謙三先生の次女・小堀治子さん宅へ。春荷素という松村先生が育てられた貴重な春蘭の鉢植えを用意されておられた。鉢も笠間焼きで東洋蘭に合う。松村先生と硫黄島で戦死された元早大ラグビー部の亡きご主人に合掌。小堀さんがふとおっしゃられた。「戦争がもっと早く終えられていたら主人は死ぬことはなかったのに。だから東条さんが祀られている靖国神社にはいきたくないんです」
 4日(土)息子洋平と本荘の秋田魁新報社支局、清吉ラーメン経由で象潟町の土門三之丞家の墓参。象潟小学校PTA役員で鰹H田活性化役員の佐藤尚士さんへ小堀さんから託された春荷素を渡す。象潟小学校に寄贈をお願い。
 夜。秋田市山王・三味線茶屋すがわらにて、高山市での全国職人会議出席の秋田職人塾(工藤幸彦塾頭)の一行の反省会。高橋昌一会長他全員出席で愉快な再会酒。
 7日(火)仙台藩志会の木名瀬氏と相澤製作所・阿部常務と大潟村あきたこまち生産者協会涌井代表へ。生ゴミ処理機グリーンバイザーを置いてもらうことに。
佐藤男鹿市長、高山助役と会い、男鹿市を環境と観光のまちづくりにと相談。男鹿温泉郷の雄山閣・山本社長からとりだてのハタハタをたらふくご馳走になる。
 9日(木)若美町の吉田典雄氏にグリーンバイザーでできた肥料・未来君を9袋渡す。雪が消えたら彼の田圃にまき、出来たお米を小百合米として、来年も吉永小百合さんに贈ることとする。
 10日(金)秋田市中央公民館。厚生年金千秋会にて講演。「ふるさと秋田を考える」秋田聞き書き学会の二村慶司理事の依頼。NPO桜槿花の田口義人代表と轄kエ解体工業へ。高橋十郎社長の部屋に掛け軸に「義理と人情とやせがまん」(大野伴睦)高橋社長の義理と人情で、放置ホテルの解体工事見積の依頼をご快諾。佐々木徳衛門専務が汗をかいてくれる。
 川反・雷電ラーメン。舛谷政雄氏、寺社建築士の山田耕毅氏と「あい」にて銘酒銀鱗で一献。
 15日(水)平安閣。秋田稲門会忘年会。敬愛する柴田康二郎先輩の叙勲祝い。二次会が三味線茶屋すがわら。魁新報の那須優氏と。
 17日(金)イヤタカ。課の忘年会。毎日新聞秋田支局忘年会で山王・いちよしでじっくり。
 18日(土)息子と秋田県立大学の炭焼き釜の炭だしへ。小林一三教授から松の被害木で「まつくい虫」の講義を受ける。大内町出身の田口正子画伯から絵を頂く。
 奈良県の「金魚すくい全国大会」の資料と写真を送って頂いた岐阜県の伊藤信夫さんに礼状。
 19日(日)榮太楼旅館。秋田コリア地域交流研究会主催で、韓国留学生と里親交流会。新しい留学生6人と里親が赤い紐で結ばれた。
 小生の里子は那波宗久氏と一緒に李建臣君。快男児。
どんぷう後記
 呑風便2002年1月号に東京新宿の焼き肉末広園の中国人経営者から嫁さんが秋田駅前あった「まんぷく食堂」の娘と聞くと書きましたが、秋田駅前ではなく、合川駅前の「満腹食堂」の娘さんでした。まんぷく食堂の経営者の方にお詫びして訂正します。
 尊敬する松村謙三先生が長年育てておられた「春荷素」という中国春蘭が象潟小学校に寄贈されました。小堀治子さんのご厚情の賜。春には佐藤幹彦校長から花の便りが届くでしょう。