ふるさと呑風便   NO ,171 03.7.15

   障壁除去(バリアフリー) 

 秋田市役所裏の大江戸ラーメン。「ちょっと上京してくる」といって、北海道の車椅子サックス奏者の渡部昭彦さんと細麺で辛子の利いた醤油味のラーメンを食べる。
 6月3日。秋田のバリアフリー体験を聞きたくて誘った。

 渡部さんからは県内5ヶ所で車椅子サックスライブをやってもらった。彼の愛車には、体育館でもできる程の演奏器機一式が詰まれている。
 6月1日に横手の老人介護施設、2日は秋田市のライブハウス、3日には秋田日赤病院と本荘市のアクアパルという公共施設。4日は大館である。渡部さんは多くの聴衆に勇気と感動を与えてくれた。

 1日の夜。秋田市のライブハウス・キットワークでリハーサル後、川反の焼き鳥「鳥八」に誘って一緒に飲んだ。 彼は高校卒後、札幌の毎日新聞に入社し、毎日新聞社員として誇りを持って仕事をしていたが、高校時代からサックスを独学で学び、音楽への道をあきらめきれずに、毎日を辞めたという。
 その後、酒に溺れてしまい、車椅子になったのは二度の交通事故が原因だったと語る。
 ちょっとトイレにというので、小上がりから車椅子に移るのを手伝い、トイレに案内する。渡部さん、カウンターにある椅子を2個持ってきてくださいという。そうか、この丸椅子を手すり代わりにして用を足すのだと合点した。

 バリアフリー用だという大内町のポポロッコの部屋はどうでしたかと聞いた。
「あ、フロントの方からとても親切にしてもらいました。部屋は良かったんですが、トイレに手すりがないんですよ。大変でした」
 3日、本荘から大内町のポポロッコの部屋まで案内した私は、これには驚いた。他にありませんでしたかと聞く。
「秋田の人はシャイなんでしょうね。私は温泉が好きで、横手のふるさと村の近くにあった温泉に行ったんです。
 私はレンガを横にした厚さ10p以下の段差は何とか越えられるんですが、そこの温泉の入口は段差が10p以上あったのか、なかなか越えられなかったんです。横を通っていく人が何人もいるのに誰も押してくれないんですね」
「横手から高速で秋田市に向った時です。西仙北でしたか、そこのパーキングエリアに寄った時でしたね。車椅子用のトイレの前の通路で、先客の車椅子の方が倒れて、佐々木さんが助け起こしてくれたでしょ。あれは、通路に敷いたタイルの溝の幅が大きいから、急にターンすると車椅子の一方の車輪が溝に入ってそのまま倒れてしまうんです」

 バリアフリーとは障壁除去。 通路やホテルを作った人間は実際に車椅子に乗って確かめたのだろうか。段差に苦しんでいる車椅子の方を見て、後から押してあげることは気恥ずかしいことなのだろうか。 渡部さんはシャイといってくれたが、自分のことしか考えられない大群がいる。人の痛みを感じない、心の障壁を除去することが先決だろう。

 翌5日、渡部さんから携帯に電話が入った。
 「大館でも皆さんからすっかり親切にしてもらい感激でした。秋田では大変お世話にありがとうございました」
 お世話になって、勉強させてもらったのはこちらでした。
  ふるさと塾地域づくり実践ゼミ
★ 平成14年7月28日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★「中国貿易と秋田」
★ 浅利久樹氏(協働インターナショナル社長)

 浅利久樹と申します。昭和23年生まれです。中国については皆さん、ご承知と思いますので、私の目線で見たり聞いたりいたことをお話させて頂きます。
 私の仕事は今は協働インターナショナルという貿易会社ですが、99年、3年前に私のの岳父から、協働社大町ビルという宴会場を引き継ぎまして、最近は中国と秋田を行ったり来たりの生活です。
 そもそも何故、中国かといいますと、93年に岳父の作っていた会社、手広くやっていたんですが、時代の流れに押されてしまって縮小したり大手と一緒になったりとか、いろんな変遷もあって、会社の中で踏みとどまってやる仕事は一通り終わったと感じました。 しからば新しい人生をどっかで求めなければならないんだけれど、過去において、日本の大都市、東京やらに生活したりしたんですが、この際、全く新しい体験をしてみようと家族をおいて一年間の時間をくださいといって単身、中国の大連に行って大学に入りました。 寄宿舎生活を送りまして、翌94年に今のようなスタイルで仕事を始めました。
 今日は4つほどの話題をお話ししたいと思います。
 一つは中国の社会、二つ目は中国人の気質、3番目が中国、又は中国人とのビジネス、そして4番目が今後の中国と付き合い、取り組みとその仕方について、自分のほとんど体験からの目線で申し上げたい。
 まず中国の社会ですが、何と行っても非常に活気があるということです。人口が大変多いです。今十三億といっておりますが、もっと多いんじゃないかと思います。
 私の行っているところは昔の満州といって中国の東北3省を合わせて一億人、それぞれの人口ですが、えいやっといいますと4千万、3千万、3千万です。北朝鮮が確か二千二百万人程、韓国が四千七百万ぐらいですから中国の一つの省の単位がいかに大きいか。
 東北三省は遼寧省、その省都が審陽といって昔の奉天です。その上が吉林省で省都が長春。昔でいえば新京、それから一番北にあるのが黒竜江省で省都がハルピン。
 私の行っている大連は遼寧省の二番目の都市です。人口が約五百万人。北海道が今、四百万人強となっていますので、それと比べても全体に匹敵するような人口だけはある町です。
 五百万人というと全国で十番目位の規模になります。最近でこそ交通規制がかかるようになりましたが、馬車も走れば、三輪車、トラックも走るし、それぞれが往来でぶつかっても絶対退きませんので、ニワトリも走っていて、ちょっと田舎へいくと豚も走っています。
 ま、最近の大連は交通規制で朝5時まではそういう農村の車は入っていいけど、昼間は入ってはいけない等々の規制ができたり、ラッシュアワーがありますと、車のナンバーの奇数の車は入っていいとか、最近ではそういう風になっていますが、けたたましい町です。
 大連から秋田に来られて祝杯あげて帰ってから向こうでお会いした中国人に、秋田の印象はどうでしたと聞きますと、ああ、農村ですねといわれ、ちょっと考えさせられますね。秋田では歩いている人が少ないという印象を与えるようです。

 大連は今、建設ラッシュです。93年に行った時に、ある広場から港まで二キロ近くあります、秋田駅から山王十字路までの距離に十階建以上の建物が三つぐらいしかなかったんです。それが今、あれから7、8年経ちましたが両側にびっしり二十階建て以上の建物がほとんどです。 
 香港の近くの深センがあっというまに百万都市になったんですが、私も以前、深センに行った時、小高い山に上って見たとき何一つなかったのです。それから数年経っていった時、とんでもない町ができていました。すごいなあと思いましたが、深センまでには及びませんが、大連もそんな所です。近郊の町も大連と同様、建築ラッシュ。
 秋田に帰るとあそこのビルが閉鎖になって、ここが空き地になって駐車場になったとか、こことは全く反対です。ある意味では秋田に帰るとホットしますね。ですから中国のことを田舎だと思っている方はとんでもない大都会だなとビックリされると思います。
 そんな具合にして発展してきた中国ですけれども、高度成長を続けてきた中国経済も、景気の踊り場にあるという状況です。
 中国で今、幾つかの問題が起きておりますけれども、一つは国有企業の改革があります。
 昔から親方日の丸、共産党ですから、私企業というのがなかったんです。この頃は、国有の大企業をこれではいかんということで、徹底的に改革しようとして倒産した国有企業がゴロゴロしています。 大連でもガラスの産業が多いのですが、五千人規模の工場が全員レイオフとかが行われています。
 交番の人数も二十人規模から十人規模になったり、中国の方が官庁のスリム化かというのが、ドラステックに進んでいるように思います。
 東北三省は重工業が発展しています。そこで国営企業の改革がよりドラスチックに進んでいる状況です。その結果、街にはレイオフされた方々が満ちあふれています。給料の幾分かをもらいながら、他のアルバイトをしています。
 二つ目が格差ということです。沿海側はどんどん発達していますが、それに取り残された内陸部との格差がむやみにひどくなりまして、どういうことになっているかといいますと、田舎で真面目に農産物を作っているのは間に合わない。食べていけないと、大都市にやってきて建築の日雇いをやっていたほうがずっといいと。その結果、農村の疲弊化が進み、街に色んな人がやってきて治安が悪くなってきています。
 三番目の観点は、現在は市場経済に移っているわけですが、政治の方は相変わらず一党独裁です。そこで当然のごとく、汚職が起きて社会問題となっています。これは発展の陰の部分ですね
 国有企業の改革の結果、失業が非常に多いので、人々は皆、統計上での、中国は景気がいいんだという感じは、実質的には何もない。むしろ就職難で大変だというのが一般的な受け止め方です。
 次に中国の社会についてこんなことも言えると思います。
 日本人は一つの会社に勤めたらその会社の為に一生懸命になりますが、我社の就業規則にはもし兼業する場合、無断でやったら解雇するとの一文があるんですけど、中国社会ではそんなことは全然お構いなしで、二つか三つの仕事は常に持っています。
 お医者さんも午前中に病院で診察して、午後になってどこへ行くかというと、個人的な往診をして給料の足しにしていると。そういう社会ですので、みんな何らかのアルバイトをしています。
 ついでに彼等のポケット、実際の収入がどれだけあるかといいますと、共産党の偉い人に貴方の給料は幾らですかと聞くと、大体幾らかと答えが返ってきますが、でもその通りに受け止めてはいけなんです。お役所から貰っている給料はそれかもしらんけど、ポケットがやたらむやみにありますから(笑い)。

 私は最初、ウニを秋田に入れましたけれども、ウニは直ぐに送らないとダメになってしまいます。市民市場の加賀谷商店なんですけど、市場ではチラシを出したら、用意しないと店の信用を損ねてしまいます。日時に厳格なので、ともかく飛行機に乗せなければいけないんです。 
 ところが突如として、乗せられないときます。昨日まで乗せるといっていたのが、もうダメだというんです。色んな理由をつけているんですが、どうしてもというと、結局、飛行場の偉い人に頼むしかないんです。そういうことで、その飛行場の偉い人は常時、そういうポケットをいっぱい持っているといわれています。(笑い)
 とんでもないんです。 

 中国の社会で、大都市に住む人は地方に行くのは容易なんですが、地方から大都市に行くのは容易ではないんです。
 昔で言うと江戸時代と同じで、江戸に上ってくるのは結構厳しいと同様で、中国は広い国ですから、省を離れたら別の国ぐらいの感覚なんですね。隣の省のことを絶対良くはいいませんね。大体悪い奴らだとか、そんな感じですね。最近でこそ、飛行機で移動するようになってますが、そんな感じが残っています。

 中国社会は私の見るところ落ち着いているように思います。 
 以前は駅で切符を買うのにどんなにいっても並ばないんですね。最近は並ぶようになりましたから。
 私は風呂が好きで公衆浴場によく行くんです。最初の頃は湯船に石鹸、垢こすりを持って堂々とやってるんですよ。綺麗なうちに入りたいと思ったら朝の六時半頃から行かないといけなかったんですが、最近は湯船に石鹸までは持ち込まないようになってます。
 中国は社会主義国の国だといいますが、経済も悪くなっていってますから、二桁成長だとか平均で8%だといいまして、日本の東京オリンピック以降と同じだと思われますが、中国にいる我々の感じからすれば、非常に景気は悪いと思います。
 そんなんで、福祉面が随分カットされてきています。お上が福祉面で国民を守らなくなってきていますから、保険というビジネスが急速に起こっています。
 中国の生命保険会社もやっぱり今の中国に入り込んでいるのは日本でなくて欧米の大会社なんです。中国の新しいビジネスに欧米からどんどん入り込んでいる現状です。
 社会主義についてちょっと申し上げますけれども、私の感覚でいいますと、中国はもはや社会主義の国ではないという感じを受けています。
 ですが、二つの点でいうなれば、私達と違うのではないかと思います。
 一点は土地を持てない、買えない。二点目は、本当の意味での選挙が行われていません。
 我々のような全く自由な直接選挙が行われていません。
 この二点以外は、ほとんど我々資本主義に国と何ら変わりはない。 土地については所有はできないけれども、三〇年、五〇年の使用権は持てます。建物もみんな買ったといっています。正確にいうとそれは、何十年の権利を買ったということです。
 日本のように成田空港の滑走路一本引くために何十年もかかるなんて事は絶対有り得ません。そんなのはバーンとやっちゃいます。 建築のスピードは早いのは地震がないことと、建築基準法の規制が割りあい緩いだけでなく、そういう土地所有制度があって計画的な建築がスピーディにできるということは、私は良いことだと思っています。(続く)
 呑 風 日 誌 抄
 6月1日(日)朝。雄物川河口クリーン&プラント作戦。森川恒夫婦。佐々木文博氏、渡辺哲夫現場監督と。横手市・特養ホーム・ビハーラへ。車椅子サックス奏者の渡部昭彦さんライブ。
 秋田まごことネットワークの俵谷裕子とご主人の勉先生が夫婦愛の司会で歯科医。アルトサックスの内藤信三さんとのジョイントライブ。渡部さん、お年寄りにもわかる「りんご追分」も演奏。昼、スーパーよねやの佐々木雄一会長を訪ね、秋田聞き書き文庫を増刷分を届ける。隆一社長から稲庭うどんをご馳走になる。渡部さんを秋田・榮太楼旅館に送り、第一会館にて秋田長野県人会へ。三日の日赤病院での車椅子ライブの畠山ひとみさんは宮下正弘院長の患者さんだった。夕方、キャットワークへ。渡部さん・秋大ジャズ研究会の面々とリハーサル。川反・鳥八にて二人で飲る。 
 2日(月)キャットワークにて、渡部昭彦ライブ。受付けを女房にやってもらう。30人程来てくれた。4本のサックスのジャズ演奏は圧巻。
 3日(火)秋田赤十字病院ロビー。車椅子サックスと・車椅子歌姫の慰問演奏会。畠山ひとみさんと宮下院長が二〇年振りの感動的対面。院長のハーモニカ伴奏で「おぼろ月夜」をひとみちゃんが涙ながらに歌う。くも膜下で半身不随の患者さんが自分も昔、サックスを吹いていたと「A列車で行こう」をレクエスト。車椅子の患者さんが奥さんに支えられて花束贈呈。
 本荘市・アクアパルに渡部さんを送り、小林忠彦工業会長とカラオケボックスへ。この十二月七日に県民会館で歌ってもらう「新雪」のテープを届ける。アクアパルのライブ会場は満員。あべ十全氏の軽妙な司会で盛会。三浦清一館長達と反省会。渡部さんを大内町の道の駅ポポロッコに送る。
 5日(木)昼、県庁地下喫茶店にて椛コ役場の林正則社長からダッタンそばの話。愛知万博に蕎麦を出し、シベリアの大地にマンモスを掘りに行く話も面白い。夕方、駅前人情酒場・久保田にて課の野球部監督として安藤主将、柴田主務と作戦会議。
 6日(金)アキタニューグランドホテル。秋田稲門会総会。二次会を大昌園。空手部OBの佐々木太郎さん、深谷政光男鹿水族館社長達と。三次会は白神オーガニックロードの舟橋慶一氏、宮崎示先輩と飲る。
 7日(土)県立美術館。秋田工芸協会展。藤崎ますみさんの漆工芸作品。漆工芸作家の齋藤國男氏と仮想工芸作家展、武藤元会長と世界職人学会の話。
 8日(日)ジョイナスにて「心に響く名曲コンサート」実行委員会。
 秋田駅裏・アルバートにて佐藤孝之助さん、中国留学生達と。秋田まごころ大賞を受賞される孝之助さんの授賞式に留学生達を誘う。
 10日(火)秋田市山王・館。中小企業問題研究所。秋田魁新報の小笠原直樹編集局長、佐々木和裕秋田県商工会連合会企画指導課長の昇格祝い。
 11日(水)秋田市泉コミセン。泉学区子ども会世話人連絡協議会総会へ。ハーブの種を進呈し、懇親会。何と25人の世話人全員女性であった。
 12日(木)日本金属鉱業事業団の細井義孝氏、北嶋昭宮司と駅前久保田。ペルーのトラさんこと塩田哲夫氏は元氣だろうかと鎌倉のお姉さんへ電話すると10日に亡くなったとのこと。東京の須田了さんに電話。6月26日、乃木坂で偲ぶ会。秋大生の須田さんの孫・秋元晃嗣君を尋ねて東通の養老の滝へ。
 13日(金)能代市延命寺。ツバサ広業会長夫妻と。東雲飛行場犠牲者慰霊祭。黙祷の際にラッパで「国の鎮め」を吹く。消灯ラッパも何とか吹く。全国から集まった戦友の方々から感動したと感謝された。帰りの車中、宇佐美タケさんから弟も戦死していると聞き、ツバサ広業で桝谷建夫会長が作った殉難者名簿で捜すと確かにあった。その名簿本を宇佐美さんに送る。
 15日(土)ジョイナス・心に響く名曲コンサート実行委員会。委員会の組織図をつくる。イヤタカ。フューマンクラブの懇親会へ。西木正明さん、門脇光浩君の選挙カーに乗った。秋元辰二先生、東雲飛行場で軍医をしていたとのこと。白神酵母発見者の小玉健吉先生はレスリングの先輩だった。
 18日(水)イヤタカ。未来研究会。秋田経済法科大学の嶋田耕也経済学部長の「日本経済の視点」を聴く。
 19日(木)さとみ温泉。満州第209部隊スミレ会の総会。国の鎮めと懇親会で消灯ラッパを吹く。嵯峨啓孝会長の挨拶は心に残る。「国のために死んでいった仲間に顔向けできないことはしないという意識で今日まで生きてきました」事務局の田口榮一氏は昔、東京の中野坂上の職業訓練所で椎名誠の奥さんと机を並べていた。
 20日(金)イヤタカ。秋田商工会議所青年部主催の秋田夜学塾「秋田と韓国の食文化フォーラム」へ。秋田大学の島村恭則助教授達と二次会。留学生達にキムチラーメンをご馳走する約束。
 21日(土)朝、花ゲリラ作戦。市内某所十箇所に朝顔を植える。昭和町元木山球場で金足農業高校と小樽北照高校との野球試合を見て、鹿角市へ。花輪駅で小田豊二講師を出迎え、おでん富士へ。多賀谷吉朗氏、田中幸徳氏、斎藤道昭住職と。小田講師、浅間林間学校鹿角分校の代用教員に命じられる。
 22日(日)道の駅アントラーで花輪囃子の山車を小田と見学。鹿角市公民館。「聞き書き実践講座」八人が受講。康楽館を見学。楽屋に団十郎のサイン。
 24日(火)山王・館。秋田魁新報の高校後輩・那須優、須藤彦二両氏と一献。NPOの話と色々。
 25日(水)榮太楼旅館。第五回秋田まごころ大賞授賞式。長年、中国留学生の父親役・佐藤孝之助さんが受賞。中国の留学生八人が駆けつけてくれた。
 26日(木)東京・早稲田の稲穂食堂でラーメン。ご主人の長谷川弘さんがビールを出してくれた。会津八一記念館へ。乃木坂のレストラン・メゾンブランコ。塩田哲夫さんを偲ぶ会。挨拶で下手な歌を詠む。
 アンデスに夢を駆け抜け男行く
     ふるさと愛し日本を愛し
 27日(金)ふるさと塾。大潟村の川島昇一講師「菜の花街道」川島さんから菜の花を種を一俵を頂き、雄物川河口に植える菜の花作戦を立てる。
 28日(土)秋田県社会福祉会館。小田豊二講師による秋田聞き書き実践講座。受講者十五名。東京女子大教授の兼若逸之先生、集英社の岩本暢人氏と榮太楼旅館で「ハングルの夕べ」の開催打合せ。秋田側7人。十月18日に開催することに。聞き書き講座には大潟村から5人他十人人が出席してくれた。 黒瀬喜多村長へダッタン蕎麦の話。
 小田講師と湯沢市へ。グランドホテル前の小吉で一献。雄勝町の情けある佐藤芳嗣氏とスナック「情」 
 29日(日)湯沢市中央公民館。聞き書き実践講座。受講者7名。昼食講座を「柳沢」で。県内三ヶ所で修了。三十人の聞き書き隊員が誕生。小田講師を湯沢駅に送る。小田の友情に感謝。