ふるさと呑風便  2002・11   NO 163
    DNA
 
「わたしたちの孫だと確定しました」北朝鮮による拉致された家族による家族会の代表・横田滋夫妻のお言葉。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で死亡したと伝えられた横田めぐみさん=失跡当時(13)=と娘とされるキム・ヘギョンさん(15)の親子関係がDNA鑑定で確認された。

 平成4年の春。職場に石田小十郎さんが訪ねてこられた。 
 戦後、中国で記憶を失ったと考えられる兄・東四郎を日本に連れ戻して欲しいと依頼された。
 厚生省にかけあったが、外務省とも連絡をとらなければいけないとか何とかいってラチがあかない。
 それじゃあ、東四郎さんと思われる方の血液採取をしてきたら、そちらでDNA鑑定をしてもらえるかと聞いた。そしたら、「帝京大でやってて60万円」だという。「そんな高い金は払えない、それじゃあこっちで考える」といって電話を切った。
 その頃、薬害エイズ事件で帝京大学の副学長が捕まったが、厚生省は、やはり帝京大学とグルだったのかと疑った。

 中国に50年もひっそりと住んでいた東門野郎(中国名・コノヤロウと中国公安から名づけられていた)・石田東四郎さんの血液は、静岡県の自称ボランティアだという男が中国へ行って採血してきた。
 後で法外な金を要求してきた。

 DNA鑑定は、秋田大学医学部の吉岡尚文教授が無料でやってくれたのである。
 県の部長名で院長宛てに鑑定依頼文を出してくれたらとのことで、一日で決済して文書をつくって、病院長宛てに送った。
 一ヶ月後。吉岡先生から電話があった。大学に来て欲しいと。
 すぐに駆けつけた。
 法医学教室の吉岡研究室。
 そこで吉岡教授から鑑定結果を知らされた。兄弟関係が確認されましたと。胸が熱くなった。
 鑑定結果は5人分のバーコード形式になっていて、本人のと弟・小十郎さん、姉、妹の4人のバーコード線がほとんど同列だった。
 一人だけ違う線のがある。
「先生、これは誰のですか」
 と尋ねたら、教授。
 眼鏡の奥の眼が笑っている。
「息子のです」

 50年ぶりに故郷に帰った石田さんと中国でかくまってくれた孫保傑一家の支援委員会がつくられた。 藤本光男会長や秋田テレビの大友直記者のご尽力で、最初は不認定だった年金が国から東四郎さんに支給されることになった。
 あれからもう一〇年。石田東四郎さんは故郷増田町で毎日、元気にデイケアセンターに通っておられる。まだ記憶は戻らないまま。
 高額なDNA鑑定料をとっていた帝京大学。
 先日の新聞に載っていた。
「帝京大学の入学寄付金問題で、東京地検特捜部は6日、学校法人「帝京学園」元会長の冲永嘉計容疑者を所得税法違反容疑(脱税)で逮捕した」

 北朝鮮政府は「死亡」とされた元京都外国語大生の松木薫さんのDNA鑑定逃れのために、別人の遺骨を二度も火葬してよこした。
 そんな国を支援してきたと、国連の要請でもあった米援助をした団体や野党を声高に責める与党の政治家や評論家が急に多くなった。
 それっじゃお前ら今まで一体何をやってきたんだといいたい。
 在日の朝鮮系の方々に嫌がらせをする情けない輩と同列である。
 
 聖霊女子短大付属高校のハンドベルクワイアの女生徒達が拉致家族会に、「澄んだ音色で希望を持ってほしい」と自作のCDを送った。横田めぐみさんのご両親から礼状が届いた。この十一日。
 生徒達のよろこぶ姿が目に浮かぶ。顧問の熊谷恭孝先生に「感動をありがとう」と手紙を出したら、我が家に先生から電話があった。
「12月19日にアトリオンで、ハンドベルの発表会があります。ただですから聴きに来てください」 
 秋田県民にはまごころのDNA(遺伝子)が強く残っている。
 ふるさと塾地域づくりゼミ
★ 平成13年9月24日(金)
★ 川反ふるさと塾舎
★農工連携のまちづくり(2)
★ 佐々木義文氏(秋田県商工会連合会企画部長)

 急遽、羽後交通のバスに切り替えましたが、参加者の方には全く影響がありませんでした。ホッとしました。残念ながらバスガイドさんの手配ができず、結局商工会職員がガイド役。(笑)    
 このことで、一般の方に自分の町を見せることは大切なことだと感じましたね。その理由の例として、小京都といわれてます角館町。国際観光を目指すとのキャッチフレーズですが、残念ながら外国人が来た時には、英語の表示が少なく、パンフレットを見れば日本語で、国際観光といえないじゃないかという意見があったそうです。地区内にいるとごく常識的なことも、外から来ると一目瞭然にわかる。
 そこで町外の一般の人の意見を聞こうとアンケート調査に協力してもらいました。かなり耳の痛い回答もありましたが、あえて発表しています。
 農工商一緒になって具体的に出来るモノをと考えたのが豆腐です。
 これは福乃友の一星社長さんが「局長、酒屋には仕込み水があるんだ。甘口の軟水、辛口の硬水もある。この水で何か作れないか」という話から、農工商連携で考えたのが豆腐だったんです。農家の方々は今、減反で大豆の作付けを奨励されています。その品種は国産大豆の中でも豆腐に最適な材料なんです。 
県総合食品研究所に町内産大豆をみてもらったら味が良くて粒が若干大きいんだそうです。その大豆と酒の仕込み水を使って豆腐を作ってみようと。つくるのは大曲の高食さんの社長を県の食品研究所から紹介されました。この方は豆腐を一生懸命研究している方で、早速、その社長と会って、作ることにしました。
 すぐ大豆を買ってきて、水を運んで、最初、三〇丁ほど作って頂きました。あえてこだわって、大豆を洗う水も水道水を一切使わないで、仕込み水で洗い、その社長から三〇丁の豆腐を作るのに、ポリ缶で40缶の水を持ってきてくれといわれました。三〇丁作るのに何で40缶の水なんだと思いましたが、前に使っていた豆腐の機械を洗うのにも使用するなど、徹底してやってみたいと言うことで、ついに出来上がりました。
 朝7時頃から仕込んで頂いて、取りに行ったのが10時ぐらいでした。そのまま、食品研究所に持っていって品評して頂いたら、秋山先生から非常にお褒めの言葉を頂きました。
 豆腐の水が違うだけで味が全く違うんです。これはいけるぞと思い、試食会を開こうと決め、皆さんに集まってもらってやりました。
 そうしているうちにみんなと話していたら、「昔から、神岡音頭というのがあるんだよなあ」という人がいたんです。
 50年代には歌われていたというんです。早速、それを紐解いていったら、刈穂の杜氏の斎藤さんがわかるかもしれないというので、刈穂酒蔵に行ったら、又、豆腐の話だかとからかわれまして。(笑い)そしたらその歌のテープがあるよということになりまして。きわめて古くなった角が欠けているようなテープを借りてきました。素人の歌で音頭にはならないので、編曲してみようかということで、シンガーソングライターの津雲優さんにお願いしたら、快く3万円で引き受けてくれました。
 彼は一人で正月の多忙ななか、コンピューターで作曲頂きついに神岡音頭が甦りました。
 そんなことで、酒はあるし、豆腐はできたし、踊りはあるし、だんだんお祭りができるようになってきました。
 こんどは正月になにかイベントをやろうと、「だけ丸君」をひっぱりだして、冬野球をしようと、田んぼをお借りして、役場の職員達と雪を踏み固めたりしてグランドを作りました。ゴルフのティーの大きいものにボールを乗せて、ピッチャーはいません。三角ベースでこれも結構ユニークです。 今年の五百歳野球で連覇した横手クラブを呼ぼうと思い、田んぼで是非野球をやりたいので、来てくださいとお願いしたら喜んで来てくれました。(笑い)
 五百歳野球の優勝チームと地元少年野球発祥の地の平和中学校の野球部現役と田んぼで交歓試合、結果は横手クラブが完勝しました。
 それから飴っこサミットを開きました。飴売節の里・神岡町に大館の飴っこ市のご一行がわざわざ見に来てくれました。
 湯沢の犬っこ祭りの犬の形をした飴づくりをして、飴っこでのまちづくりをしている所が集まって飴と地域振興ということで、面白おかしい話し合いからサミットが始まりました。インターネットで調べたら長野県の松本市でも飴市をやっているんですね。
 それで松本市に電話したら、サミットに参加したいといってくれましたが、たまたま向こうの飴市とばったり日程が重なってしまいました。そこで来年は一緒にやりましょうとメッセージを頂きました。
 大館のアメッコ市の方から飴売節を踊ってくれないかとの誘いがあり喜んで大館に一行でお邪魔をしてきました。 当日は大館市長と大館会議所会頭、専務さん、こっちからは町長、商工会長と私と会って、飴の縁で今後とも交流しようと話がはずみました。
 豆腐の話ですが、そろそろ神岡町商工会に出向して二年になり、冬のイベントが終わったので、頭は連合会の方に向いていたら、2、3人の人が来て怒られました。このまま本部に帰るのか、豆腐会社を作っていけといわれました。
 それじゃあ2、3日考えさせてくださいといいました。
 特定の企業に会社を作らせてしまうと、せっかく80人ぐらいがみんなでやろうという気運が低下しますので。結果的に一部の人たちが会社をつくったというのはまずいなあと思いました。そこで、町の委嘱した人達から一万円づつ出資してもらおう、そして、住民主導の会社をつくろうとしました。さっそく設立趣意書をつくって全員を廻って、一人づつから了解をもらって、69名の方が快くやろうといってくれました。出資金が上限1人10万円ということで百二十一万円集まりました。豆腐をつくるには、委託製造でしたから、工場がいらない。大豆は造る分だけ買う。水はただとはいかないまでも最低費用で協力いただこうと。
 当面は月一回の一日250セット限定ですすめようと。では何日の日にやろうかと、いたずらに考えたら、豆腐、トーフ、十二日だということで、豆腐の日に勝手に決めてしまいまして、豆腐の腐は腐るという字でまずい。町が豊になってもらいたい訳ですから、腐を富にかえて12日は豆富の日としてスタートしました。会社の会計等は商工会がプロです。いずれこれも第三セクターになるか、公社になるか、道の駅が公社になっていますから、あの中に入ることになるか。月一回でなくて、量産してやっていこうとなるか。道の駅をなおしてもらって、豆富を食べさせるようにして、そのシロップも町のお菓子屋さんと東北醤油で技術開発して、夏になれば冷たく冷やして駅で立ちながらファーストフード的に食べて貰うなどと考えています。

 最後に、さきがけ新聞の「この人と立ち話」という欄で取り上げられたんですが、住み慣れるとまちの良さが気づかないの、私のように外の人間が見ると、神岡町には自然があって、観光で商工業が花咲かせたらどうでしょうかと申し上げたのがこういう記事になったものです。
 一年間いろんなイベントをやって感じたことは、戦国時代の織田信長は楽市楽座で賑やかなまちづくをした。 明治になって都市はお上がつくって企業が城下町をつくってきました。
 都市計画法というのがあって、まちづくりというのは大臣が決定するということがごく最近まで続いていました。
 西欧では中世の時代から商工業者が中心になって、領主から独立して市民としての自由都市をつくってきたという歴史があります。そのことを考えますと日本には歴史的背景がなかった。今は市町村でも大きく変わってきたんではないかと思います。
 やはりまちづくりというのは、そこに住んでいる住民、住民の活動が大変重要になってきたんではないかと思います。まちの活性化とは、今までですと企業間の競争みたいに思われます。今は地域間競争に変わってきたんではないかという感想を持ちました。
 住民主導にならなければどこも失敗しています。住民主導で産業間が連携しなければいけない。農業だ、俺は商業だというのではなくて、業種を越えた連携、さらに行政の積極性。行政主導は一過性になりがちです。
これからのまちづくりは「住民主導、産業間連携、行政積極支援型」でなければならないと、神岡町で二年間、勉強させてもらいました。
   呑 風 日 誌 抄
 10月1日(月)NHK秋田放送局。仁賀保町の荒川さんに小池放送部長を紹介。TDKの創設者・斎藤憲三の資料を渡し、プロジェクトXにと相談。
 5日(土)早朝。羽後・虫の会会長の木川弘さんの案内で、日赤病院近くの田んぼへ。メダカ取り。濁っている堰に網を入れるとメダカがピチピチといっぱい。秋田市内にもメダカが確かにいる。帰りに海抜35米の日本一低い富士登山。
 午後、飯島の県立大学野球グランド。能代6大学0Bチームと秋田6大学野球連盟(佐々木満会長)選抜チームとの交流試合。11対3で去年の雪辱。満杯を奪還。監督をやって、最終回投げさせてもらって2三振とって三者凡退。あきたくらぶで表彰式と交流会。
 8日(火)岩城町厚生年金センター。全県六百歳野球・前夜祭にツバサ広業の舛谷政雄氏と招待されていた。六百歳野球大会は大友康二先生が球友無限の精神を主唱されてできた。旧知の元野球少年達とも会えて嬉しい前夜祭。
 9日(水)秋田ビューホテル。秋田コンベンション協会主催の講演会に日本工学会局長の須田了さん。学生時代から大変お世話になった大先輩。「コンベンションて何?」ふれあいであり、最初に相手の名前を覚えるには連呼する。特徴を捉える。連想ゲーム。勉強になりました。あやめだんごにて、北嶋昭宮司と松原印刷の松原巧さん、高橋吉彦氏と良き出会い。
 11日(金)アキタニューグランドホテル。秋田ワールドゲームズボランティア同志の集い。国際的に評価を得た秋田ワールドゲームズはボランティアのお陰でもある。 12日(土)秋田市新屋、葉隠墓苑へ。石黒町内会長が育てた楠が植えられている。新屋浜の松林。一年前に植栽した松露探検。何と5個も発見。午後、文化会館。第49回熊谷バレースクール発表会。
 13日(日)児童会館。であいのこんさーとへ。よく続いて頑張っておられる。文化会館へ全県ハーモニカ祭り。華サロンの佐藤アキさん達もがんばっておられる。
 あやめだんごにて、斎藤忠生と仲間達の新米二升コンサート。
 16日(水)イヤタカ。秋田ペルー協会総会。講師がペルーの天野博物館の創設者芳太朗の孫、坂根博氏。交流会。学友の水谷羊一氏、坂根氏の家庭教師だった石川錬治郎氏と美術工芸短大の石川好学長と二次会。石川さんから政党・さきがけ時代の裏話を聞く。
 17日(水)東京・帝国ホテル光の間。花と緑の農芸財団の土井脩司理事長と待ち合わせ。全国勝手連・放送局開設一周年記念パーティ。佐藤道夫参議院議員やテレビで見覚えのある政治家多数。沖縄出身の光永勇勝手連会長を紹介される。 野村サッチーまで来ていて、周りからチヤホヤされている姿が醜く、土井に帰ろうといってと途中で退席して、財団の小町常務と3人で地下のレストランで口直し。土井理事長の車で千葉・芝山まで高速で一時間半少し。花と緑の里・和(にぎわい)家でじっくり。
 18日(金)成田動物愛護センターからもらい受けた柴犬雑種の子犬。 犬小屋を土井氏と二人で一日がかりで造る。信じられない。江戸時代からの檜の廃材をつかって頑丈。犬の名前は花と命名される。
 19日(土)土井理事長の車で、茂原市近くの長生村へ。竹薮の中の墓地。恩師中西睦先生の墓参。奥様から案内して頂く。教学院通貫日睦居士。享年六六歳。先生には随分と可愛がってもらった。涙を堪える。これで長年の胸のつかえがとれた。夕方から和の家にて地元農家の方々が集まり、農業講習会と交流会。いい人達と和酒。
 20日(日)早朝電話。花の里で飼っている房総地鶏60羽が野犬に襲われた、金網を破って。鶏舎の外に埋め、お葬式。近所の奥さんの涙。生き延びた9羽の鳥を和の家に運ぶ。芝山の良き人々に別れを告げ、高田馬場に着いたのが午後3時過ぎ。母校の卒業35周年ホームカミングディはとっくに終わっていた。同級生の大村に電話したら、名古屋の木原達と大隈通りの雀荘にいた。大隈銅像前。5人で記念撮影をして馬場下の蕎麦屋で飲んで、東京駅から新幹線で帰る。 車中、同学の佐野眞一著「旅する巨人」ー宮本常一と渋沢敬三ーを読む。読み応えがある。
 22日(火)秋田市山王・グランビアにて、秋田まごころマネーを進める武藤英明氏達と「地域通貨」の打合会。
 23日(水)ふるさと塾。秋田ふるさとづくり研究所の研究会。講師は統計の達人・野呂克彦氏の「人口の冬」ミネソタ州立大学のジョン・モック先生、田村光博講師、秋田海陸の西宮公平常務も出席。「あい」にて反省会。
 25日(金)ふるさと塾。AIグループ経営実践講座。講師は焼肉大昌園の金正雄社長。「思うがまま」狂牛病騒動の際にみせた矜持の経営姿勢には感服。良き出会いがあって二次会は大昌園。
26日(土)秋田市文化会館。三味線茶屋すがわらの災害遺児チャリティショーへ。益実師匠は偉い。 27日(日)雨、大内町役場前倉庫内で元祖とろろめし大喰い大会へ女房と。今年のチャンピオンは20杯で新記録。ひとめぼれの新米一年分が賞品。
 29日(火)大町・ワシントンホテル。福岡の権藤宣威先輩とかたつむりネットワークの石川元則氏、福岡ベンチャーシステムの田辺皓俊氏と山王・館。立志の話がいい。ジャズ喫茶ロンドで、バーボン。
 30日(水)権藤先輩一行を八橋の全良寺へ案内。秋田戊辰の役で戦死した権藤さんの曾祖父の墓参。
 県立博物館へ。富樫館長と会い、福岡にバーチャル立志館を創ろうとしている一行の参考になろう。